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笠井博士の書から”江上先生語録”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


科学者の卵たちに贈る言葉-江上不二夫が伝えたかったこと (岩波科学ライブラリー)

科学者の卵たちに贈る言葉-江上不二夫が伝えたかったこと (岩波科学ライブラリー)

  • 作者: 笠井 献一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/06/18
  • メディア: Kindle版

1他人と戦わない

たくましい科学者でなくてよい


から抜粋


江上先生は研究室でもことあるごとに、

「私はたくましい科学者ではなくて、おとなしい科学者なんですよ。」とのたまった。

そのたびにみんなは大爆笑。

そのあまりの倒錯ぶり。

まさに「先生、ご冗談を」である。

先生はぬけぬけとこうおっしゃる。


私はおとなしい科学者なんですよ。

名古屋大学に理学部ができたとき、柴田雄次先生から、化学教室に有機化学の講座を作るから、そこの教授になるようにと言われたんです。

そのとき先生に私が言ったことは、あまり優秀な人を集めると、とかく一匹狼になって教室がうまく運営できない。

だから優秀かどうかは二の次にして、おとなしい人を集める方がよいので君を選んだ、ということです。

だから私はあまり優秀ではないが、おとなしいのがとりえなんです。


江上先生をおとなしいと評価した柴田先生の目は節穴同然。

おとなしいと自称する江上先生も、自己認識能力に大いに欠陥がある。

事実はまったくの正反対。

まずは物理的にやかましい。

普通の人よりも音程が一オクターブは高い。

それにアンプのボリュームつまみが壊れている。

目の前1メートルのところにいる相手に、講義室の最後列まで届くような大声でまくしたてる。

いったん口が回り出したら、マシンガンのように言葉と唾がほとばしる。


本や雑誌の企画で、対談とか座談会の記事がよくある。

人選が適切なら、なかなか有意義な記事になる。


江上先生が本領を発揮できるのは個人競技においてであって、聞き手を前にして一方的にしゃべりまくれる状況でなくてはならない。

対談や座談はいわば団体競技で、お互いに相手の言うことをよく聞き、流れをよく把握しつつ自分の意見も披露するなど、バランス感覚を保って協調してゆかなければならない。

ところが先生はいったんしゃべり始めたら、しゃべりたいことがあふれ出てくるので、たちまち独演会になってしまう。

これでは対談、座談なんか無理な話だ。


すごい興味深い人だ。隣にいたら嫌かも。


でもすごい成果をあげてるから


そのポジションをキープしていたり


お弟子さんがついていかれたのだろうことは


コウジカビが作るRNA分解酵素


リボヌクレアーゼT1のエピソードでも


なんとなくわかる。


その実験内容はよくわかりませんが。


先生は宝剣エクスカリバーを手にしたのだから、その気になればレースに参戦して勝者になれたかもしれない。

優秀な働き手ならいくらでも集められた。

でもそれはしなかった。

激戦地で手柄を立てようとすれば失うものも大きい。

自分が参戦しなくたって、参戦するたくましい科学者はいくらでもいる。

自分はおとなしい科学者として、優れた科学者を育てる仕事、今はまだ地味な分野を育てる仕事に徹しよう。

つまり、江上先生が言う「おとなしい」研究者とは、人がやらないような研究を意図的に取り上げる、あまのじゃくな研究者ということである。


たくましい研究者も必要かもしれないが、自分はそうしない


から抜粋


二重らせん』という本を読んだことのある読者も多いだろう。

フランシス・クリックとともにDNAの二重らせん構造を提唱したジェームズ・ワトソンが、この大発見の経緯を書いたものだが、関係者の人間関係まで含めた、時に率直すぎるほどの描写が大いに話題になった。


江上先生は日本の核酸研究の草分けだったので、日本語に翻訳してほしいと依頼され、弟子(で私にとっては先輩)の中村桂子さんとの共訳で1968年に日本語版が出た。

この日本語版はたいへんに読みやすいが、私の経験から推測すると、先生が訳したものではない。

中村さんがほとんどを訳している。

先生は名前を貸しただけ。

想像するに、出版社から翻訳を頼まれたとき、先生のことだからきっと、私は忙しすぎて自分で訳す時間なんかないが、私の弟子にこういう仕事に「最適任」の者がいる。

その人と共同で良ければ引き受けるよ、と提案したのだろう。

先生の名前を使わせてもらうために、出版社はその条件を受け入れ、先生は仕事の全部を中村さんに丸投げしたに違いない。

中村さんが丹精込めて翻訳を仕上げ、その原稿を先生に渡すと、多分その翌日くらいには点検が終わって「だいたい良いよ。だけど、こことここはこう直した方がいいかな」という言葉で感性となったのだと思う。

それが先生のいつものやり方だったから。


後で中村さんに、3ヶ月くらいかかったんですかと聞いたら、出版社から1ヶ月でやってくれと頼まれて、電車の中でまで必死になって訳したのだそうだ。


ところで先生は日本語版のあとがきにこんなことを書いている。


この本を読んで、やはり、日本の科学が世界の第一流になるためには、ワトソン、クリックその他この本に現れる科学者たちのようにたくましい科学者がでなければならないのだろうと痛感する。


先生の目にはワトソンやクリックがたくましい科学者、つまり戦う科学者に映った。

ワトソンは自著の中に実に率直に書いているが、DNAの立体構造をなんとしても一番乗りで解明したい、最大の競争者であるライナス・ポーリングには絶対負けたくない、という強烈な思いに駆られていた。


「そんなことやってもいいのかなあ?」

と言いたくなるようなこともやっている。


江上先生はワトソンのような、アメリカ型と言うべきか、競争意欲をバネにした研究者が出てきたことにやや戸惑っている。

自然を知りたいと素朴に願っているおとなしい研究者とは違って、闘争的で、競争して、他人を打ち負かして、発見一番乗りを果たしたい野心を隠すこともしない新しいタイプの研究者の出現を見た感触が、このあとがきを書かせたのだ。


科学の現実はこうなってきたのか。

それはそれで受け入れねばなるまい。

日本でもこういった科学者が増えてゆくのだろうし、それは日本の科学研究が欧米と並ぶためには必要なのかもしれない。

でも自分はワトソンとはまったく違うタイプで、戦う研究者にはなれない。

あくまでおとなしい研究者に止まるのだ。

自分はワトソンのように、他人に負けたくないということをエネルギーにして、攻撃的に研究を進めることはできない、と言っているのである。


先生は圧倒的な神懸かりパワーで多くの弟子を洗脳してしまったのだが、強制することは決してしなかった。

いつも弟子をあおりたて、けしかけたが、それを受け入れるかどうかは本人次第だった。


これはつまらない研究で、これは意義のある研究だなんて分けることはできないよ。

生命現象はみんな結びついているんだから。

つまらなそうに見えることだって、やっているうちに、どこかで本質とつながっていることがわかってくる。

今は重要でないと思っていても、いつか重要なこととの接点がきっと見つかるよ。


初めから重要だった研究なんてないよ。

今、重要だと思われている研究だって、みんな誰かが重要なものにしたんだから。


みんながやっているという理由で研究テーマを選ぶ人がいるけれど、流行に乗り遅れまいとあたふたしているだけだよ。

君たちは誰かが重要なものにした研究に便乗なんかしないで、まだ重要でない研究を、自分の手で重要な研究に育てなさい。


流行っている研究は君がやらなくても必ず誰か他の人がやるに決まっている。

そんなテーマをやってたってつまらない。

自分のやっている研究が一番面白いと思いなさい。

面白くないなら、君の手で面白いものにしてやりなさい。

そうやって君だけができる研究をやりなさい。


私の使命は研究者を育てることなの。

そのためには経験がない学生であっても、本人が興味と情熱と責任を持てるような、独立したテーマをやらせるべきなのよ。

指導者がやらせたいことをやらせたり、チームでやるような大きな仕事の一部を分担させたりするのは、科学者を育てるには有害きわまりない。

だから君たちにはでいるだけ大きな選択肢を与えようと思う。

その代わり、自分が選んだ以上、そのテーマに関しては君たち自身が全責任を持ちなさい。


実験が失敗したら大喜びしなさい。


君はこういう結果になるだろうと予想していたのに、そのとおりにならなかったので失敗だったと言っているけれど、それは君の予想の方が間違っていたんだよ。

それとも何か知られていない現象があって、それが原因なのかもしれない。

こんなことはまだ誰も見つけたことがない。

これは未解決になっているこれこれしかじかの問題を解く手掛かりになるかもしれない。

だから君の実験は大成功だったんだ。

君は大喜びしなきゃいけない。

もっといろんな角度から調べて、新発見だということを確実にしなくちゃ。

それにはこんな実験をやるのがいいよ。


自分の考えに固執する人、自信を持ちすぎる人は、指導者になったとき、部下が自分の期待と違う実験結果を出すと、こんなはずはない、お前が悪いのだと言って責めてしまう。

実験結果はいつも正しいのだから、自分の考えが間違っていたと謙虚に認めなくちゃいけないのにね。

自分の予想した通りの結果を出すように部下に圧力をかけると、部下も指導者の気に入るデータだけを報告するようになり、間違った結果が公表されることになるんだね。


私は君たちの学問上の先輩にすぎない。


自然は偉大だから、どんなに知識や経験が豊富でも、知らないことがいっぱいある。

だから先生も弟子もしょせんは50歩100歩だよ。

私が考えたり言ったりしたことが、君たちのものより正しいとは限らない。

実験をやってみなければわからないことなんだよ。


生命は人智をはるかに超えているんだから、人間の浅はかな頭で考えだしたことなんか、その偉大さ、神秘さには敵うはずがないよ。

自然から教えてもらうという謙虚な姿勢が、結局は真理の発見に繋がるんだよ。

自然と向き合っているとき、私の立っている高さは、君たちとほとんど違わない。

生命のとてつもない高さの前では、無視できるほどの差でしかないんだ。

だから私は君たちの学問上の先輩以上のものではないの。


前言撤回いたします。


こういう人が学問の場や、職場で隣にいたら幸せだと思います。


まえがき から抜粋


私は江上不二夫先生(1910ー1982)に科学者になるための指導を受けたが、その間にたくさんためになる言葉を聞いた。


私だけではない。

直接の弟子はもとより、付き合いのあった人、間接的に聞いた人まで含めて、先生の言葉に支えられて、幸せな科学者になった人がたくさんいる。

ただし江上語録という名前の本は存在しない。

先生の言葉を刷り込まれた科学者たちの共通の記憶という無形文化財である。

それが心に強く刻まれ、いつまでも影響を与え続けた。


しかし先生が他界して四半世紀以上、このまま放っておけば、聞いたことのある人々の退場とともに消えてしまう。

そんなことはもったいないので、きちんと書き残したいのである。


もとは生命を研究する科学者を相手に語られたもの、そここめられた見方、考え方、攻め方は、自然を知りたい科学者すべてに通じるものである。


自分はもう科学者になれるわけでは


ございませんが中村桂子先生を読んでて


興味が出てきて手に取ったこの書ですが


江上先生の言葉はなんか響くものがございます。


一般の仕事でも通用すると強く感じた


次第でございます寒くなってきて関東地方


明日からもう師走なんて時の速さは


とどまるところを知らなさすぎでございますと


感じ入る今日この頃です。


 


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