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松井孝典先生の書から”宇宙と近代化”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


地球システムの崩壊 (新潮選書)

地球システムの崩壊 (新潮選書)

  • 作者: 松井孝典
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


現代とはいかなる時代か


地球システム から抜粋


現代を生きる人類は、宇宙的スケールで、”見える”存在になった。

そのことに、現代という時代の、最も本質的な特徴があると述べたが、その意味を問おうとすると必然的に、宇宙史、地球史、生命史、人類史、といった時間スケールでの分析が必要になる。


宇宙から”見える”、あるいは宇宙を認識するとはどういうことか?

それは一万年前以前の地球にはみられなかった現象である。

夜半球の地球に点々と広がる光の海、それを地球システム論的に考察すれば、地球システムを構成する要素のひとつとして、人間圏なる動物圏が存在する、という事になる。

あるいは、地球からもれ出てくる電波を観測していれば、そこに知的生命体による情報伝達の内容を発見することができる。


システムとはなにか?

複数の構成要素からなり、それぞれが相互作用する系のことである。

ここで構成要素とは、それぞれが固有の力学と特性時間をもつ、ということになるが、要するに同じものではないということだ。

同じものなら単なる多体問題の対象ということに過ぎない。

ただし、天体力学ではよく知られていることだが、二体問題は解析的に解けても、三体問題になると解けなくなるくらい、多体問題は多体問題で複雑だ。


システムの場合、その個々の構成要素間に互いの関係があり、その関係も全体、あるいはそれぞれの構成要素の、時々刻々の状態に応じて、変化する。

従って、単にそれぞれの構成要素を足し合わせれば、全体が表現できるというほど単純ではない。

複雑系と呼ばれるゆえんである。

構成要素間に関係が生まれるのは、システム全体あるいはそれぞれの構成要素に駆動力があるからだ。

すなわち、システムという場合、以上のそれぞれが特定されれば、システムが具体的に表現されることになる。


地球システムを例にして具体的に考えてみよう。

まず構成要素である。

一般には、地球を構成する物質圏を、それぞれの構成要素と考えるのが普通である。

外から順に、プラズマ圏(100キロメートル以上の上空に行くと、大気を構成する分子は電離している)、大気圏、海、大陸地殻、マントル、コアである。

それぞれが全く異なる物質からなり、従って固有の力学と特性時間をもつことは容易に想像できるだろう。

専門家以外には、大陸地殻、海洋地殻、マントルは同じ岩石と見えるかもしれない。

しかし、岩石の種類が異なり、物質圏としての挙動はそれぞれに全く異なる。

さらにいえば、マントルは上部マントルと下部マントルとに、コアは外核と内核とに分けられる。

上部マントルと下部マントルでは、それを構成する鉱物が異なる。

外核と内核では物質の状態が液体か固体かという点で異なる他に、不純物を含む鉄・ニッケル合金か、ピュアな鉄・ニッケル合金かという点でも異なる。


このほかに地球を構成する物質としては、生物とわれわれ人類がいる。

生物は地表付近に分布し、有機物から成る物質である。

たとえば土壌圏とその上の草原・森林、そこに生息する生物などを考えてみれば良い。

それらを、有機物を主とする物質圏のように定義し、それを生物圏と呼ぶことにする。

海洋中、あるいは海底地殻氷層の土壌などもそれに含めるとする。

人類に関していえば、前にも述べたように、人間圏なる構成要素が定義できる。

以上が地球システムの構成要素である。


現生人類はなぜ人間圏をつくったか から抜粋


我々とは何か?


”我々”を、物事を認識する主体だと思えば、その認識という過程に注目して、”我々”を論じることもできるだろうし、もっと単純に、単なる生物種のひとつと考えることもできる。

前者の場合に基づく議論は、いわゆる哲学的人間論と称していいだろう。

そうだとすると後者の立場に立つ議論は生物学的人間論ということになる。


月から地球を眺めるという超俯瞰的視点にたつと、全く異なる人間論が展開できる。

”我々”とは、地球システムの中に新たな構成要素として、人間圏をつくって生きる知的生命体ということになるからだ。

すでに人間圏については、すでに簡単に説明した。

農耕牧畜という生き方を地球システム論に分析して得られる概念である。

そのような視点で我々とは何かを論じる立場を私は、地球学的人間論と呼んでいる。


人類の起源は700万年前ぐらいまで遡る。

その間さまざまな人類が登場したが、人間圏をつくって生き、繁栄したのは、現生人類をおいて他にない。

現生人類はなぜ人間圏をつくったのか?

これは、地球学的人間論を考えはじめて以来、抱いてきた疑問である。

その疑問に答えらしい答えが見つかった。


それは、言い方を変えれば、数万年前までは共存した二種の人類、一方はその後爆発的に人口を増やし、繁栄したのに対し、一方はその後絶滅した、現生人類とネアンデルタール人との違いを問うものでもある。


以前、進化生物学者である長谷川眞里子氏と対談した際、この問いが話題になった。

その際、おばあさん仮説なる考え方があるのを紹介された。

現生人類だけにおばあさんが存在するというのである。

ネアンデルタール人をはじめ、他の人類には存在しない。

もちろん類人猿にも存在しない。

そもそも哺乳動物におばあさんは存在しない。

子孫を残すのが最大のレゾンデートルという生物の生き方からすれば、このことは当然である。

なお、おばあさんとはこの場合、生殖年齢を遥かに過ぎた、すなわち卵子のなくなったメスのことを意味する。

更年期障害とは、現生人類を除くと死の病であったということになる。


ここで長谷川眞理子先生ですか。


なるほどなあ、という展開で。


ヒト以外だとメスは卵子がなくなる


イコール死になるため老いがないと。


オスの場合はどうなのか?ってのも気になる。


カマキリが喰われてしまうってのは有名だけど。


あと”おばあさん仮説”はやんわり知っていたが


孫を面倒みるための存在として、


生物学者小林武彦先生が養老先生との対談やTVで


人類以外にもいるって指摘されてたけどなあ。


とはいえ、数は少なかったし人類ほど


コミット力は深くないようなのでここでの


論説がひっくり返るまでではなさそうだけど。


人間圏というシステムのユニットをどうとるか から抜粋


我々は自分の身体ですら自分の所有物のように思っている。

しかし、それは生きている間、地球から借りている(レンタルしている)に過ぎない。

我々は、地球から材料を借りて、自分のからだを構成するさまざまな臓器をつくり、その機能を使って生きている。

機能を使って生きることが重要なのであって、からだそのものが物として意味があるわけではない。

我々が生きていくのに、本当に必要としているのは物ではなく、その機能なのだ。

すべてを所有する必要などないのである。

その機能を利用することが本質なのだと認識を改める必要がある。

このような思想から、新しい共同幻想が生まれ、地球システムの中で安定した人間圏が見えてくるのではないだろうか。


松井先生独特の表現や発想が豊かで自分には新鮮。


”人間圏”や”地球システム”、地球を司る”構成要素”。


後半では”智球ダイヤグラム”というので図解される。


”智球”だよ、”地球”じゃないよ。


それと普通なら”知”と表現するところも


”智”と表現されてて、それも関係しているのかも。


さらに別の話だけど、人間は”レンタル”というのも


樹木希林さんが同じことを仰ってたなあ。


お二人とも、少し間違えば”宗教”チックになる所


ならないのですよなあ。


松井先生は”アストロバイオロジー”という視座を


お持ちだからなのかな。樹木さんはわからない。


横尾さんと友達だからか。(違うだろそれは)


と書いてて”アストロバイオロジー”が


何かよくわかってないのだけど。


それにしてもですね、


この書のタイトルがどうしても気になり


そんなに刺激的なことではないのではと。


難易度が高くて、自分だけかも知れんが。


概ね、地球とは宇宙とは、今わかっていること


フィールドワークでの知見や世界への眼差しが


主であって、”崩壊”ってのは違うのかなあと。


たしかに”近代化とはどういうことか”という章に


文明が均一化した秩序に沿ってしまって


後戻りできないくらい自然破壊・近代化される


発展途上国でのフィールドワーク記があって


遠藤周作さん、沢木耕太郎さんを引かれつつの


指摘はされておられたけれどと思いながらも


本日は休日で家族とどこか出かけるか、家の掃除か


それとも古書店巡りのフィールドワークかを


思案している秋の至福時間なのでございました。


あ、燃えるゴミ出してこなきゃ。


あと、子供がテスト期間だから掃除だわ今日は。


 


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