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中村桂子先生の書から”逡巡”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


生命科学者ノート (岩波現代文庫 社会 9)

生命科学者ノート (岩波現代文庫 社会 9)

  • 作者: 中村 桂子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/03/16
  • メディア: 文庫

分子生物学の現在

遺伝子工学の展開についてのインタヴュー


分子生物学と動物行動学 から抜粋


編集者▼ 分子生物学という言葉がいまや一般にも通用し、最近では遺伝子工学とか、バイオテクノロジーという言葉もよく聞かれるようになってきているわけですが、まず、この新しい分野がどんなかたちで形成されてきたのかということがひとつですね。

次にいま現在はどんな状況であるかということ、そしてこれからはどのようになるのだろうかということ。


中村▼

これからのことは分かりません(笑)。


編集者▼ どこまでわかっているのか、どこまでできるのかというようなことですね。

それから最後に動物行動学のような領域との関連ですね。

例えば分子生物学における決定論的考え方と動物行動学におけるそれとの違いのようなこと…。


中村▼

この特集(=科学の最前線)の中に動物行動学の日高先生(日高敏隆氏)がいらっしゃいますね。


編集者▼ 日高先生にも同じことをお伺いしようと思っているんです。

中村▼

私は日高先生のところに時々伺うと、いつも楽しくなって帰ってきます。


編集者▼ 京都にはよくいらっしゃるんですか。

中村▼

それほど伺えませんが。

この間お目にかかった時は、タヌキを始めたけれどタヌキって面白いよと言われました。

コウモリやタヌキ、北海道のアシカ、いろいろなものを研究してらっしゃる。

どうしてそんなにさまざまなものをなさるのか聞いたら、学生が好きだというものを研究させるんですって。


編集者▼ それがやはり一番いいんでしょうね。


中村▼

ナマズを好きという方の論文を見せていただきましたが、ああいうのを見ると嬉しくなります(笑)。

その点分子生物学は面白くないかもしれません。


編集者▼ よく動物行動学は一種の擬人論だというように非難されたりするわけですが、そういう擬人論的な観点を決して否定なさらないわけですね。

中村▼

動物行動学はあまり擬人化せずにタヌキはタヌキとして見る方がいいとは思います。

私はもともとは生物学がそんなに好きではなかったのです。

小さいときに一日中蝶々を追いかけたという人種ではありません。

単純な人間なものですから論理的にすっきりと解明されるとスカッとするわけでそういうものが好きでした。

化学式などは、私向きだったものですから化学を勉強したのです。


化学式は物質の構造とその働きとの関係を考えますね。

そこで遺伝子DNAという物質を習って非常に魅力を感じたわけです。

そういう方面から分子生物学に入ったものですから、生物からではないのです。

ところがこの頃になって生物学が、好きになってきました。

最初は遺伝子という全生物を共通の言葉で説明できるものの魅力、むしろ普遍性に惹かれたわけですが、それが現実に表れているところではこんなに多様に表れている。

むしろそれが面白いし大事にしなければならないことだと思い始めたわけです。


なにもタヌキの研究は人間を知るための研究だなどと思う必要はなく、タヌキのことを知る喜びでいいと思うのです。

もちろん人間は生物のしっぽを引きずっている存在ですから、生物の行動学から学ぶことはたくさんあると思います。

この間もサルの行動学の専門の方のお話を伺いましたがお互いのかけひきなど面白いですね。

コウモリの親子の超音波によるコミュニケーションの話が出てくれば、人間の親子にもそういうつながりはあるんだろうと思ったりしますね。

ローレンツのように動物行動学を基礎に、人間に対して発言をする方もあるわけですが、あれは一つの警告として受け止めれば良いのではないかしら。

動物行動学を擬人化したらつまらない。

この世の中人間だけではつまらない。

自分と違うものがあって、それを理解する努力をすることが楽しく、理解できると好きになります。

わからなければ好きになれないかというと、そうではないでしょうが、わかると好きになるのは確かです。

子供の頃は生物が特に好きではなかったけれど、分子生物学という全然生物っぽくない方面から、生物のことが少しわかってきて、好きになった。

私は実を言うと、ウサギから採血するのなど苦手で、注射をするのでも目をつぶってやってたくらいダメなんです。

けれどいま、分子生物学を勉強してよかったなと思っています。

その中には、生物を見る眼がずいぶん変わってきたということもあるわけです。


編集者▼ 興味深いのは、最初は原理的な考察というか原理論に惹かれておられた…。


中村▼

私はスッキリわりきれるものに魅力を感じるたちなのです。

だからわけのわからないものに拒否感があった。

だから哲学や思想も、申し訳ありませんが、恐くてダメです。

常に単純明快なことしかわからない。


編集者▼ そういう原理的なものからむしろ逆の多様なものの方に関心が移ってこられたということですね。

分子生物学というのは世界の多様な生物界を簡潔な原理に還元しようとする情熱によって形成されてきたように見えるわけです。

しかし、それだけが強調されてはならないので、問題はむしろ、たとえばDNAの二重らせんという簡潔な構造がじつは生物のすばらしい多様性を生み出しているということであって、これで比重が逆になるわけですね。


中村▼

そこが興味の対象です。

複雑に、多様性に分かれている底に普遍性があること。

それが何にもなくて、説明もなにもできず、ネコとネズミは比べてもどうにもならないというふうになってたら、あまり興味を持たなかったかもしれません。

共通のものがあるのに、ネコはネコ、ネズミはネズミだということ。

だから一度分子生物学を通らなければならなかったんだと思います。

ただあれは、あくまでも基礎的理解で最後まで分子生物学ではいかないんでしょうね。


編集者▼ 一般には、分子生物学というとどこか高級で、動物行動学のほうは、なんとなく即物的すぎるというか、科学的に、論理的じゃないと思われがちではないんでしょうか。


中村▼

でも分子生物学をなんのために研究しているかといえば、ナマズのことを知ったりタヌキのことを知ったり、最後には人間のことを知るためでしょ。

確かに共通の概念で生物を捉えられるようになったということは、学問的にずいぶん進歩だったと思うし、分子生物学の功績は大きいと思いますけれど、生物の生物らしさや、生物学の生物学らしさは別のところにあるような気がします

動物行動学も、今遺伝その他の問題で、分子生物学と無縁でなくなっていますでしょ。

遺伝子の機能を理解した上で、ああいうところに戻っていくのが、生物学という感じがします。


遺伝子組み換えの意味 から抜粋


編集者▼ お話を伺っていますと、分子生物学に対して一般に抱かれているイメージと正反対のイメージが湧いてくるようです。


中村▼

そうですか。

でも、分子生物学者は今そう思っているのではないでしょうか。

ワトソン=クリックがつくった見事なモデルを中心にしたセントラル・ドグマで、大腸菌のような単純な生物の遺伝は確立しましたね。

10年ほど前までは、これは原理的な人間まで同じだと思っていたわけです。

そして世界中の分子生物学者が多細胞生物の研究に入ったわけです。


1984年のこのインタヴューではまだ


生命誌にたどり着く前の


中村先生の逡巡のようなものがあり、


どんなに聡明な方でも暗中模索というのは


あるのだなあと。


動物行動学や分子生物学がなんなのか、


よく分かってない上に自分は中年になってから


ゲノムを知ろうとしてもどうにもならんのでは


なかろうかという一抹の思いもなくは


ないのだけど、どうにも引っかかるのだよなと。


この書はこのインタビューが最高に自分には


響いたのだけどその他の随筆も素敵な


書籍でございます。


最後の「文庫ためのあとがき」は時を経て


初出から16年くらい後の2000年に書かれていて


もう生命誌研究館ができているので


ただいま現在仰っていることとほとんど同じ感じで


現在の経済優先の世の中に疑問を呈しておられるが


そこは中村先生流で「志」「分」という言葉で


諭される。


文庫のためのあとがき から抜粋


今は、物質的に豊かにしようというところに「志」があるとは思えない

私が人間にとってもう一つ大事だと思っている「分」について考えるべき時に来ているのではないかと思うのだ。

地球という限られた場の中で、他の生きものと一緒に生きるには人間にとっての適切な取り分があるだろう。

世界中にさまざまな国があり、大勢の人が暮らしている中で、日本という国の取り分も自ずと決まるはずだ。

一人勝ちしたり、石油などの資源をどんどん使う生活を当たり前と思うような暮らし方をするのをよしとして生きるのは美しい生き方とはいえない

そして、「私」の分もある。

ある節度を持つのが良い生き方なのではないだろうか。

このような分を身につけたうえで、すべての人が物質だけでなく心も豊かに暮らし、すべての生きものが元気に生きていける地球にしようという、新しい「志」を持って生きていきたい


真理なのだけどなあ。


なぜに人類はこういう発想にならないのだろうか。


新自由主義に毒されて生きてきてしまった自分は


こういう言説を聞くと身が引き締まる。


会社員だった頃はキャッチできなかったろう事


考えるとまだマシなのかもしれず


コロナ禍を経験したのも影響あるかもしれない。


1980年代からの警鐘が2023年のただいま現在も


鳴り響いているってのは実は憂うべきこと


なのだろうなと思ったり。


中村先生の最近の動画では、人間は生命誌絵巻の


上から物を申している、


中から目線にならないとと仰る。


人間も自然の一部だという当たり前の発想に


なぜ気がつかないのだろうかと。


特別なことを言っているように、


どうしても思えないのは自分が中村先生に


影響されすぎなのかなんかなのか


よくわからないけれど、


それはいったんおきつつ、といっても


中村桂子先生の研究(読書)は継続し深めつつ


自分の風邪が子供に感染ってしまったようで


発熱してしまって申し訳なく思いつつ


仕事帰りコンビニでビタミンC系か


野菜系の飲み物かを深く”逡巡”し


いずれにしても飲み物を買ってくるくらいしか


できず、今日は早朝5時起床で


仕事しているから自分も眠くなってきている


土曜日なのでございました。


 


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