中村先生と鶴見和子先生の対談から”地球”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2013/03/25
- メディア: 単行本
編集後記
2006年7月31日、10年以上の闘病生活を経て鶴見和子は他界した。
『鶴見和子曼荼羅』(全九巻)を1999年1月に完成した後、鶴見さんから、「内発的発展の理論は、未完成です。この理論をいろんなジャンルの方々と語り合うことによって深めてゆきたいと思います。私はもう学者として、現地に立つこともできないし、書物から学ぶこともできないから」と言われた。
それでは、まずどなたからいきましょうかということになって、石牟礼道子、中村元となったが、中村(元)さんはすでに他界された後。
”生命(いのち)”の問題について、ぜひ中村桂子さんということになって、2001年5月9?10日に、宇治のゆうゆうの里で実現となったのが、本対談である。
2日間の時間をとってあったが、第一日目に、NHK-TVが是非取材・放送させてくれということもあり、1日目は、二人だけの突っ込んだ話にならず、閉口した。
それで2日目は、TVは遠慮していただき。お二人の限られた時間の中で、思う存分”生命”をめぐって対話となった。
この対話は、「鶴見和子・対話まんだら」の一冊として、2002年7月に出版された。
昨年、鶴見さんの命日に開かれる山百合忌の中で、中村さんに「内発的発展論と生命誌ーー鶴見和子と南方熊楠」のタイトルで講演していただいた。
本書は、これを<新版の序>として附けてなったものである。
社会学者の鶴見さんが、生命誌の中村さんにどういう切り込み方をされるか、それを中村さんが、どう受け止められどう返されるか、白熱した数時間が瞬く間に過ぎていった。
生命誌と内発的発展、生命とは何か、という現代においても解ききれない普遍的な問題が、われわれの日常生活の中で、お二人の対話が少しでもお役に立つなら、編集者としても望外の幸せである。
2013・2・28(亮)
この対談のあらましがわかって面白い。
映像が入ってあまり良い結果にならなかったのは
よくある話で、かのビートルズのLET IT BEの
映画の失敗からの映像クルー抜きで
目一杯力入れたラストアルバム「アビーロード」を
思い出すボンクラな自分でございますが。
いや、ビートルズはもちろんボンクラでは
ありませんよ。これ、なんのことか
音楽知らない人には全く理解できないのは
言わずもがなでございます。
話戻りまして、この編集者の気概のようなものは
最後についていた註にもあらわれる。
※中村桂子『自己創出する生命』は、2006年にちくま学芸文庫として出版されているが、本書における参照頁等は、全て哲学書房版(1993年)による
ちくまと哲学書房の違いがよく分かりませんが
哲学書房は腕利きの編集者さん達がいたってのは
他の方のコラムなどでもよく書かれていて
日本での”書籍”とか”文化”とか名前の通りの
”哲学”とかを他にない何かで貫かれているのが
なんとなくわかる気がして、だからなんだってのでも
ないんですけれど個人的に思う事としてすごいなと。
なんでなくなってしまったのか、結果的にでしょうが
間接的にその事がこの書でも話し合われている
気がするのは自分だけの気のせいかね。
そして脈絡ないけれども話戻って、
表4(裏表紙)にある、鶴見・中村先生の
要約された文章から。
鶴見和子
近代科論では、発展とは単系発展で、アメリカやイギリスのような社会になっていく。
でもそれでは面白くないし、そうしたら人類の将来、未来というものはないじゃない?
その時にハッと気がついて、やはり内発的発展論で、それぞれ違う発展の形があることによって人類は生き残っていけるんだなということを、生物界の多様性から教えられたの。
中村桂子
生きものたちは多様になり、現在という時点で、アリも、バクテリアも、キノコも立派に生きている、人間もその一つだというわけですから、下等、高等という言葉はないのです。
そのように考えたいと思ったので、進化という言葉を使わないで、生命誌、生き物の歴史物語といったんです。
社会がそうなっているというお考えは生命誌と重なり合います。
対談はもっと素敵で共感させられること
然りでございましたが
ここでは、編集の方のおっしゃる
新版だけの中村先生の”序”の一部を
引かせていただきたく。
<新版への序>
私にとっての鶴見和子と南方熊楠
中村桂子
※2012年7月鶴見和子さん7回忌にて講演
当初、「鶴見和子と南方熊楠」という題をいただきましたが、客観的に論を立てる力はございませんので、「私にとっての鶴見和子と南方熊楠」ということで、聞いていただきたいと思います。
今、社会はグローバリズムと言われています。
Globeは地球です。
鶴見さんの著書『南方熊楠ーー地球志向の比較学』がありますように、地球を考える、さらには地球で考えることは非常に大事です。
しかし今のグローバリズムはアメリカ型の新自由主義を広めるという誤ったものです。
先進国と途上国の間だけでなく、先進国内での格差まで広げています。
鶴見さんはそれに対して地球上の地域それぞれの「内発的展開」が必要であるとおっしゃっていました。
アメリカで欧米の社会学を徹底的に勉強されて、身につけられた鶴見さんが、帰国後水俣に出会い調査をなさったところ、「これぞ本当の学問」と思っていたものが通用しなかったのです。
しないどころか、あまりにも違うものがあるにでとても悩まれました。
アメリカの社会学では、「自然」という言葉を使うと、社会学に自然なんかいらないと否定されてしまう。
でも水俣を考えるときに自然を入れないで考えられますか?と話されました。
そこで考え抜かれた結果が「内発的展開論」です。
ドイツに留学していた森鴎外が気づいた指摘
南方熊楠と自然の関わりかたの解釈など
興味が深淵すぎて見えないくらいブルブルする
中村先生の言葉や、鶴見先生との対話の
書籍なんですがそろそろ夜勤の準備を始めないと
ならないのでいったん筆を置かせていただき
筆なのかなんなのかわかりませんけれど
雨の関東地方、仕事に行って参りたい所存で
ございます。