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永井路子の方丈記・徒然草(1996年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

永井路子の 方丈記/徒然草 わたしの古典(13) (わたしの古典)

永井路子の 方丈記/徒然草 わたしの古典(13) (わたしの古典)

  • 作者: 永井 路子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1987/09/04
  • メディア: 単行本
柔らかいタッチで優しい。

人柄なのだろう。

といっても、芯がないわけではない。

品性の問題なのかもしれない。

鴨長明は、ここ数年のバイブルで

いろんなバージョンを

読んできているけれど

3.11を経験してきた後、

関連付けて語られることが

多かったようだが このコロナ禍を経て

さらに身につまされる内容で、

これからそういう書籍も出てくるだろう。

とても短い随筆というか、

ドキュメントというか、

で 「前段」「中身」「後段」と

なっていて 中身の災害についての描写も、

実際足を運び見たからこそのリアルさがあり

冷徹な視線を三島由紀夫氏は

評価されていたご様子でしたが、

今のところ自分は そこよりも

後段の方が興味がある。

自分として興味を惹かれるのは、

「前段(鴨長明がなぜこれを書いたか)」と

「後段(今の心境を綴っている)」で、

以下は「後段」の有名なくだり。

「閑居」 から抜粋

この世は心の持ちよう一つで決まる。
心が安定していなければ、たとえ象や馬や、7つの珍宝を
持っていたとてなんにもならないし、宮殿楼閣も満足をもたらしてはくれない。
今自分は侘住居(わびずまい)に徹し、たった一間の草庵をみずから
愛して暮らしている。たまたま都に出たときには、自分がこのような
境涯に落ちぶれてしまったことを恥ずかしく思いもするが、
ここに帰ってみれば、人々が俗世間の中で
あくせくしていることが気の毒になってくる。
  永井注・この世=原文では「それ三界はただ心一つなり」。
  三界は、「欲界」「色界」「無色界」。仏教でいう全世界。
  欲望と物質とそれらを超越した世界であるが、
  空間の広がりよりも時間的展開を考え、いっさいのものは、
  この三つの世界を輪廻(ぐるぐる回る)する、と考える。
  7つの珍宝=「金」「銀」「瑠璃(るり)」「玻璃(はり)」
  「珊瑚(さんご)」「硨磲(しゃこ)」「瑪瑙(めのう)」。
  全ての宝の意味。

今の自分とリンクするのかもしれないなと。

レベル感は違いますけれど

水木しげる氏もそのような事を

書かれていて面白かった。

戦争に行く前に読んでいたようだ。

ここで取り上げさせていただいた、

上記の後段のものよりも、

もっとも有名なのは、

出だしのこれなんだけど、

これはこれでシビレるんだけど。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

余談だけれど、

「人」と「住まい」について、

やがては消え、無くなり、

入れ替わるのだ(無常)というのは

多くの書が 「方丈記」の

最大のエッセンスだと

指摘するところなんだけれども、

養老孟司さんは、さらに進んでおられ、

住処を人間の身体に例えて

細胞が7年周期で入れ替わるので、

そういうことまでを

本能的に知って鴨長明は言い表しているとされ、

解剖学をされていた養老先生でないと

説得力なく言えないことで

とても興味深いけれど、

本当にそうかなあ?と

昔風で言うと「眉唾」で、

今風で言うと「えええ?」と思ってしまう。

(無理に新旧でいう必要ないだろう)

余談の余談で、物議を醸したようだけれど、

方丈記の訳で一番面白くて

爽快だったのは、「高橋源一郎」さんの

「モバイルハウスダイアリーズ」でした。

一文だけ抜粋。

「負け惜しみで言っている訳じゃあないよ、ほんとうに。」

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