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アラン・シリトー著:エッセイ集 私はどのようにして作家となったか(1978年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

なぜこの人に興味が入ったのか、

もはや覚えてないのだけれど

ロック文脈のような気がして

アマゾンで調べたら

「長距離走者の孤独 1973/9/3」が

ヒットして、レビューに

ポールウェラーの愛読書だったと

書かれておられる方がいた。

我が意を得たり。

「卑しめられる者の宿命」から抜粋

憎しみは若者と大人を区別する。若者は年長者によって、
彼をその場所に封じ込める権限を与えられた連中を嫌悪する。
年上で、経験豊かで、より権力があり、経済力がある人間の方が自分よりも
人生についてよく知っている、と言う人々を信用しない。
彼の抗戦用のタコツボからの視界は低く、彼は四方から攻撃にさらされる。

若者が社会にいだく憎悪について何かを語るとすれば、
その若者だけにとどまることは困難である。
まずはじめに、若者が社会に対していだく「憎しみ」は存在しない。
憎しみと誤解されているものは(その「若者」が大人になるときには、憎しみと
なるものがあるかもしれないが)多くの場合、精力的で知的な人間の、
燃えるような熱意である。

若者において、憎しみは一つの欲望である。それは多分、
この卑しめられる者の宿命から離れようと闘う知性には支えられていないし、
そうした機会に支えられていないのも確かであるが。
それは若者の気質の本質的な部分ではなく、社会がそのように作り上げるだけである。
得失のともなう社会では、憎しみを根絶やしにするよりも、
抑制することの方が安上がりである。どのみち僕たちの生きている社会では
若者の憎しみを必要とする。戦時には巧妙な宣伝によって、
そのハケ口を愛国主義へと向けさせることもありうる。

たまたま今日夜勤明けで、

ピストルズやパブリックイメージを

聴いて帰ってきたのだけれど

ジョンライドンも読んでいそうな作家、

というか、自分のイメージする

「イギリス」だった。

14歳から旋盤工として働き始め、

軍隊に入り病気になり

療養生活を経て、作家になったという。

「学」がないから人からよく

「なぜ作家になったのか?」と

聞かれるそうだが、彼に言わせれば

「これ以外になるものがなかった」と言う。

彼を支えている「知性」は、

「学」とは無縁のものだったのだろう。

そこがイギリス70年代後半、

怒れる若い音楽家をシビレさせたのかもしれない。

余談だけれど、元東京都知事の舛添要一さんが

30年くらいに、若者に向けた

ワークショップか何かで、

人間にとって「学歴」は必要ないけれど、

「教養」は必要だと仰っていたのを思い出した。

さらに余談、椎名誠「新橋烏森口青春篇」の

あとがきで 「青春ものというのは

やっぱり明るくてオカシクてどこか

すこし悲しいのだな」と

書いていたのも思い出した。

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