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進化とは何か:リチャード・ドーキンス著(2014年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義 (ハヤカワ文庫NF)

進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義 (ハヤカワ文庫NF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/12/20
  • メディア: 文庫

副題は「ドーキンス博士の特別講義:GROWING UP THE UNIVERSE」。


まえがき から抜粋


英国王立研究所(The Royal Institution of Great Britain)は1899年に設立され、1800年に現在の中央ロンドンにある威厳のある建物が建てられました。


1825年に、マイケル・ファラデー(1792~1867)は子供たちのためのクリスマスレクチャーという伝統を始め、戦時中を除いて、これは毎年続けられました。

毎年一人の科学者が講師として呼ばれ、実演(デモ)をふんだんに取り入れた一連のレクチャーを行なう。

そして聴衆である子どもたちはしばしばステージ上に呼ばれ、実験に参加する。


1966年からは、たいていの場合BBCを通じて、レクチャーがテレビで公開されるようにもなった。

テレビ時代になってからはデイビッド・アッテンボローカール・セーガンなど、多くの偉大な科学者たちがレクチャーを行なっています。

1991年、私もクリスマス・レクチャーに講師として呼ばれました。

その際、「宇宙で成長する」という題にした。

「成長する」というのは三つの意味を込めて使っています。

われわれ自身が一生の中で成長していくという意味と、生命が進化という過程を経て成長していくということ、そして人間がそれ(進化や宇宙)に対する理解を深めていくという意味です。

私の5回のレクチャーの題は以下のとおり。


1.宇宙で目を覚ます

2.デザインされた物と「デザイノイド」物体

3.「不可能な山」に登る(のちに同じ題で本を出しました)

4.紫外線の庭

5.「目的」の創造


第一章 宇宙で目を覚ます


神秘体験にはまったく何の意味もない から抜粋


「超自然現象を完全にないがしろにしてしまっていいのだろうか」

という人もいるでしょう。

「テレパシーと思えるような神秘的な経験をしたことのある人は、結構いるはず。

もう何年も会っていない人のことをある晩夢に見たら、次の日図らずも当の本人から手紙が届いたなんてこともある。なんという偶然。超常現象に違いない。ちょっと薄気味悪いくらいだ」

と。

それこそ超自然的な説明です。

もっと自然な説明はどうなるか。

まず、単なる偶然でこういうことが起こる確率はどれくらいあるか、調べる必要があります。

調べる方法はいろいろある。

ここでとても簡単な実験をしてみましょう。

コインを投げて決める実験です。

今日の聴衆の中に超能力者がいて、コインの表が出るか裏が出るかを意のままに操ることができるとする。

その超能力者が誰なのか、見つけることにします。

今コインを投げるので、このホールの左側の人たちは表が出るように念じてください。

本当に強く、表になるように、表を出すようにと。

で、ホールの右側の人たちは、全員裏が出るように念じてください。

どちら側に超能力者がいるか見るわけです。

良いですか、それでは行きます(コインを投げる)。

裏でした。

ですから、もし超能力者がいるとしたら、ホールの右側にいることになる。

右側にいる人は全員立って。

これからは消去法で行きます。

通路の左側の人たちは、表が出るように、通路の右側にいる人たちは、裏が出るようにそれぞれ念じてください。

(コインを投げる)


表です。よくやりました。

何回コインを投げたのか忘れましたが、おめでとう。(と左側の人に)。

全部で八回コインを投げたとしましょう。

そこで質問です。

彼は超能力者でしょうか。

確かに彼は八回連続して正解した。

これはなかなか大したものです。

ですが、もちろん彼は超能力者だという証拠はまったくない。

確かに彼はそのつど「表」や「裏」が出るように念じて、本当にそのとおりになった。

しかし実験のやり方を見ればわかるとおり、一回ごとにグループを分けていったので、彼が実際には(表や裏でなく)ハムエッグのことを考えていたとしても、全く同じ結果になったのです!

必ず誰かが明らかに超能力者にされることになる。


人が自分の神秘体験について新聞に書く場合、その体験というのは今やった実験のようなものなのです。タブロイド版新聞の販売部数は100万を超えているでしょうから、そのうちの一人が神秘体験を綴った場合、どうしてそういうことが起こったのか、もうお分かりでしょう。


したがって、神秘的な、気味の悪いテレパシーのような経験をしたというような話を聞いたら、必ずこの実験のことを思い出して、そうなる確率はどれくらいあるのか考えてみよう。

科学的な方法というものを頼りにし、信頼しよう。

妥当な科学的予測を信頼するのは、理にかなっているのです。


この書籍の編者で訳者の吉成真由美さんのインタビュー。


さすがにサイエンスライターだけに、という枠では収まらない


膨大な知識と個人の哲学を持ってインタビューされているのが伝わる。


 


第六章 真実を大事にする ドーキンス・インタビュー


進化


進化上の長い時間の概念 から抜粋


ーーダーウィンの提唱した、「自然選択」による進化論の概念は、シンプルでエレガントなものです。

しかし多くの人々が、特にアメリカに於いて、なかなか理解できずにいる。

一つ良い例を挙げますと、アメリカのとある小学校で、六年生が一学期間かけて進化について学習することになった。

三ヶ月間かけて、プレートテクトニクスや大量絶滅など、さまざまな進化のトピックスについて学習した後で、幅30センチ、長さ5メートルの白い巻紙と、1メートルの物差しを渡され、「進化の時間表」を作るという宿題が出たんです。

それまでに生徒たちは、白い巻紙に貼るために、進化上の動物や植物の切り抜きを山ほど集めてある。

さらにその巻紙には、各時代の大気の状態、陸や海の形状なども、時間を追って書き込むことになっている。


■ドーキンス

順序良くですね。


ーーそうです。物差しを使って。

で、最初の約4.6メートルは、地球誕生から現在までの時間表を書き込み、残り40センチはこれから地球がどう変化していくかを、これまでの学習に基づいて想像して書き入れるように指示されたのです。

(略)

そうしてはじめて、最初の4メートルはほとんどまったく空欄だということに気づくんです!


■ドーキンス

まったくそのとおりだ!(笑)


ーー人間の占めるスペースが5メートルの巻紙全体のたった4ミリにもならない。

大規模な絶滅の時期を示す線を引く際、90~95パーセントもの種が絶滅しても、地球は問題なく存在し続けてきたという事実を目の当たりにした時です。


■ドーキンス

それはすばらしい!

みごとな学習です。もう一つの上手いやり方は、子どもたちに両腕を広げさせて、まず右手の指の先を地球の始まりとし、左手の指先を現在とします。

そうすると、右手首から始まって大体左手の手首くらいまでは、色々なバクテリアが生息している時代、そして恐竜は大体左手の手のひらあたりで登場し、人間は左手の爪先くらいになります。

そして、人類の文明すなわち本を書いたりというようなことは、爪先をやすりでひとこすりして、爪から落ちた粉の分しかない!

進化を理解するうえで大きな障害となっているものに、この「深い時間の概念」というのはあると思います。

そしてもう一つは、カメラやテレビなど明らかに人間がデザインしたものに常日頃囲まれて生活しているために、何でもデザインされたものだと錯覚してしまいがちになるということです。


全て明らかに目的を持ってデザインされているように見えてしまう。

おそらくこのせいで、理解に時間がかかったのだと思います。

なぜダーウィンが出てくるまでに長い時間がかかったのか、いつも不思議でしょうがなかった。

ニュートンが出てから200年もかかっていますし、ニュートンの仕事の方がはるかに優れていて、難しいように見えるから。

でもこれはデザインの錯覚が強すぎたために、ダーウィンが見つけたような真実をそれ以前の人々が見出すことができなかったのだと思います。

そして人々は宗教がないと世界は破滅すると感じており、進化を無神論と同一視して、宗教上の理由から進化に対して敵意を抱いたことも災いした。


パラダイムシフト から抜粋


神は妄想である』の中で道徳に関する時代精神(Moral Zeitgeist)というのは、自然に変遷していくものだとおっしゃられておられます。

インターネット上で、特別なリーダーシップなしに、ある種の規律というものが自然発生していることが報告されています。

生物は、細胞性粘菌や鳥の群れ、魚の群れのように、自己組織化(self-organization)能力を備えているということの例であると言えるかと思いますが、インターネットを通じてつながることによって、人間は集団知能(collective intelligence)というものに基づいた「集団自己組織化」とでも呼べるものを生み出せるようになってきているのでしょうか。


■ドーキンス

実に魅力的な考え方です。

インターネットはまったく新しく、非常に得異なものであります。

ある意味、我々がうまくそれを扱っていること自体、驚くべきことです。

私の若いころは、誰もインターネットのイの字も思いつかなかった。

おそらく人間社会にとって、印刷技術の発明以来の画期的な出来事ではないでしょうか。

そして、ちょうどそれまでになかったようなやり方で印刷技術が人間を束ねたように、それ以上のスケールで人々がつながっていくでしょうし、大変なスピードで変化が起こっているので、次に何がくるのか予測するのは難しい。

インターネット全体で、一つの大きな生命体になるのではないかという人もいる。

それがはっきり何を意味しているのかまったく定かではありません。

しかし進化の過程を遡って、最初の神経細胞ができ始めた頃、誰かが、いずれこれらの細胞群が一体となって脳というものを生み出し、意識というものを持ち、それぞれの脳は、各々別の個体として認識されうる、というようなことを言ったとしたら、一体何を意味しているのかまったく定かではなかったでしょう。

私は私で、あなたはあなたと認識できる。

あなたは私がどのような人間か想像することはできても、本当の私がどういうものであるか実際に知ることはできないけれども、あなた自身はあなたであることがどういうものかを、よく知っている。

われわれは自己という実体がそれぞれの脳の中に存在しているという幻想を抱いている。

そしてこの幻想は、明らかに神経細胞の集団が生み出したものなのです。


インターネットの構造というか構成が、


系統樹そのものだから、


なんか親和性あると思ってたのは


自分だけではないだろうけど


このドーキンスさんの言葉は、自分にとって


なにか恐ろしいものを、若干感じる。


自分は今、若い頃に戻りたくないと


最大の理由の一つに


インターネットっていう存在があり、


しかしそれの恩恵も


こうしてうけている矛盾を


いつも感じておりまして


そんなことをいうのは


古い昭和人だからなのだろうかね。


それにしても、ドーキンスさん、


バサバサ斬っていかれるような


言説は実験に裏打ちされ、


ロジカルで爽快だけど、


そんなつもりはないのだろうけど


余計にこちらも怖さを感じて、


科学の一つの側面を


炙り出しているように思った。


蛇足だけど、キリスト教を敵に


回すような自論の展開は


現代のダーウィンみたいのようにも感じた。


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