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なぜ、脱成長なのか: 分断・格差・気候変動を乗り越える:ヨルゴス・カリス/著、斎藤幸平/解説(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える

なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える

  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2021/04/28
  • メディア: Kindle版

「付録・脱成長に関するよくある23の質問への回答


具体的にわたしに何ができるのでしょう?」


から抜粋


わたしたちの日々の行動を変えれば、炭素排出や

マテリアル・フットプリントの軽減につながります。

たとえば、買うモノは少なくして、多くを共有する。

可能な限り再使用や再生利用をする。

肉の消費量を減らす。飛行機や自動車の利用を

減らし、電車など公共機関や自転車を多く利用する。

再生可能エネルギーのプロバイダー、理想的には

協同組合の電力会社からの電力供給を受けるなど。

こうした取り組みを進めていこうという志のある人を、

選挙で選んでいくというのも、わたしたちにできる活動です。

現役の議員などに対し、成長礼賛をやめ、

第4章で挙げた5つの改革に取り組むことを要求し、

そうしないなら次の選挙で票入れないという

意思表明をしていくこともできます。

支持する政治家や政治団体の組織化や広報活動を

手伝うこともできるでしょう。

労働組合や学生自治会に参加していないのなら、

参加し、ストライキなどによって労働条件の改善や

労働時間短縮を求めていくこともできます。

気候変動への対策を要求していくこともできます。

緊縮財政、住居の立ち退き、大学の学費の値上げ、

学生ローンの取り立てに対する抗議運動など、

直接的な反対運動に参加することもできますし、

自治体に対して住民の権利や居住権、

あるいは労働者、女性、移民、清掃員の権利を

要求して行動を起こすこともできます。

街や職場で起きている闘いは、

そもそも経済成長ばかりを追求し、成長のために

大きな犠牲を要求している勢力のせいで

始まったのだということを理解するのも、

大事な行動のひとつです。

もちろん、こうした活動を一気に全

部やることなどできません。

わたしたちも、さまざまな面で過酷に

なるばかりの現実のなかで、

生活していかなければなりません。

それでもわたしたちは、他者とともに

人生の楽しみを見出していく権利があります。

パーティを開く、音楽をつくる、会話をする、

抗議運動をする……どれも、誰かと人生を

分かち合う行動です。

自分が誰かを助ける側になることもあると

心得てさえいれば、弱点を見せ、誰かの手を

借りることも、引け目に思う必要などありません。

理想通りに行動できない場合もありますが、

それも受け止めて生きていけばいいのです。

(ただし、言行不一致が多すぎると「偽善者」になることを忘れないように!)


第4章


「道を切り拓く5つの改革」


から抜粋


改革1  成長なきグリーン・ニューディール政策

改革2 所得とサービスの保障

    ユニバーサル・ベーシックインカム

    ユニバーサル・ベーシックサービス

    そしてユニバーサル・ケア・インカム

改革3 コモンズの復権

改革4 労働時間の削減

改革5 環境と平等のための公的支出


「相乗効果」 から抜粋


これら5つの政策には相乗効果がある。

法人税や富裕税の見直しを行えば、

グリーン・ニューディール政策や

ベーシックサービスの資金調達が可能になる。

ベーシックインカムや、炭素課金収入の分配で、

一部の市民において消費活動が刺激されるかも

しれないが、資源使用税や炭素課税が適切に

設定されていれば、生態系に悪影響を

およぼす活動を抑止することができる。


「日本語版解説 資本主義に亀裂を入れるために 


斎藤幸平」から抜粋


本書はギリシャ出身でバルセロナ自治大学で

教鞭を執る経済学者ヨルゴス・カリスが、バルセロナで

教える二人の研究者

(ジャコモ・ダリサならびにフェデリコ・デマリア)と、

フロリダ大学教授のスーザン・ポールソンとともに、

共著で刊行した脱成長の入門書

『The Case for Degrowth(脱成長のために)』

(Cambridge : Polity,2020)の翻訳である。

カリスは『エコロジカル・エコノミクス』の

ような学術誌に実証系の論文を掲載するのみならず、

Limits: Why Malthus Was Wrong and Why 

Environmentalists Should Care

(限界:なぜマルサスは間違っていて、

環境保護主義者はそのことに

目を向けるべきなのか)』

(Redwood city: standord Universuty

Press,2019)などの

思想史関連の著作も勢力的に刊行しており、

今、世界的に注目を浴びる新世代の脱成長論者の一人である。

(※)

※カリスのこれまでの研究内容がまとまっているものとして、

第15回地球研国家シンポジウムの日本語通訳付きの講演がある。


なぜ今、これまではあまり顧みられることなかった

「脱成長」や「ベーシックインカム」

「人々のための量的緩和政策」のような

ラディカルな提案に、

入門書が求められるほど関心が集まっているのか。

その理由を端的に言えば、主流派の

持ち駒のうちに危機的状況への

打開策が見当たらないからである。

そして、その結果、ますます事態が

深刻化しているせいなのだ。

新自由主義が世界中を席巻する中で、

緊縮財政、規制緩和、民営化、大企業や

富裕層の減税が

いたるところで推し進められてきた。ところが、

さまざまな構造改革にもかかわらず、先進国際経済は

長期停滞から抜け出せないでいる。異次元の量的緩和や

ゼロ金利政策も、実体経済を回復させることなく、

過剰なマネー供給による株高や不動産投機を

生んだだけだった。

結局、その恩恵を受けるのは一握りの富裕層ばかり。

格差はますます広がり、今や世界の上位わずか26人が

全人口の下位半分と同じだけの資産を

所有するようになっている。

一方で、庶民の暮らしはますます苦しくなっており、

トリクルダウン」は神話だったと言わざるを得ない。

もはや、新自由主義の限界や矛盾は明らかなのに、

政治家やエリートたちは、暴走する強欲資本主義に対して、

有効な解決策を提示することがまったくできていない。

彼らも大企業から多額の献金をもらっているし、

なにより、この格差を生み出した社会構造から多くの

恩恵を受けているからである。口先の綺麗事ばかりで、

問題解決に向けて断固とした態度を取らない

エスタブリッシュメント」の支配に不満を

募らせた大衆は、

排外主義的な右派ポピュリズムの支持に走り、

社会の分断は深まっている。

だが、格差問題はそれだけではない。


気候変動の破壊的影響に晒されるのは、

自分たちではほとんど二酸化炭素を出していない

低所得者層なのである。

気候変動問題は顕著であるが、

資本主義のグローバル化によって、

人類の経済活動は惑星規模に及ぶようになっている。

ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは

「人新世」(Anthropocene)という言葉を用いて、

人類の影響力の大きさを強調した。

人類は一つの地質年代を形成するほどの力を

持つようになっているのだ。

産業革命とともに始まった化石燃料の大量消費は、

鉄道、自動車、飛行機を生み出し、

人とモノの大量移動を可能にし、道路や線路の拡張に伴って、

人間の活動範囲はどんどん拡大していった。

また、ハーバー・ボッシュ法の発明に始まる化学肥料の

大量生産は食糧生産を飛躍的に増大させ、

人口爆発を引き起こした。

増え続ける人類はこれまで手付かずだった森林を住宅や

農地のために切り開き、いたるところで膨大なゴミを

生み出してきた。

こうした変化は、特に、第二次世界大戦後に

急速に進行しており、

一般に「大加速時代」(Great Acceleration)と

呼ばれる。

その帰結が現在の人新世の危機である。

もちろん、これまでも急速な経済活動の拡張によって、

格差や公害の問題が数多く生じてきた。

それでも、事態は経済成長と技術革新によって改善され、

すべてはうまくいっているように見えた。

実際、日本に暮らす私たちは経済成長の恩恵を

間違いなく受けてきたし、経済成長こそが社会の

繁栄にとって不可欠であるという考えは、

私たちの「コモンセンス」(常識・共通感覚)に

なっている。

だが、近年人類の経済活動が

「地球の限界」(Planetary Boundary)を

突破してしまったという警鐘が鳴らされるようなっている。

事実、もはや経済成長の恩恵よりも、

犠牲の方が大きくなっていると感じることが

多々あるのではないだろうか。

原発事故、気候危機、そしてコロナの

パンデミックなど、

行き過ぎた経済発展の弊害とでも呼ぶべき事態は

立て続けに起きている。

いや、それだけではない。

今や生物多様性の損失、砂漠化、

海洋プラスチックゴミ問題、窒素循環の撹乱など、

解決の見込みもないような数多くの問題が、

この惑星の未来を脅かすようになっているのである。


もちろん、新しい世界を思い浮かべることは、

容易ではない。だが、危機の時間には、

新自由主義の「コモンセンス」が揺らいでいるのは

間違いない。

だからこそ、新しい「コモンセンス」を

作り出すチャンスなのであり、その新基軸となるのが

「多くを分かち合い」、「足るを知る」脱成長

なのではないだろうか。

成長が当たり前の世界で生きてきたせいで、

脱成長の一歩を踏み出すことに、誰もが不安を感じるに

違いない。

けれども、このままの道を歩み続けても、未来はないことは

もはやはっきりしている。本書が述べるように、

変化に向けて

「必要なのは、ともに生き、ともに

体現していくことなのだ」(80頁)。

助け合う実践を、今ここから始めることで、

個人が変わり、そのうねりが大きくなれば社会は必ず変わる。

今周辺化されているコモニングの実践から学び、

社会を新たに作り上げていくことで、資本主義社会に

亀裂を入れることができるはずだ。


斎藤さんの解説のおかげで


スッキリ腑に落ちる。


自国語と感性が共通しているからか


問題意識が似ているからか。


まったくの僭越でございますが。


養老先生を追っていたら、


またまた興味深いエリアに突入してしまった。


それが人類共通の課題で、学び、実践することで


家族にも良い影響となるなら


深めていくしか選択肢はなさそうな気がする


秋の早起きタイムだった。


余談だけど、それにしても、


ジョン・レノンがイマジンを作ったのって


1972年だったか。早すぎだろう。


そして、今こそいてほしいですよ、


って、今に限らず、いつもこれ言ってるな自分。


どうでもいいけど。


いや、よくねえだろう。


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