老いの超え方:吉本隆明(2009年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
「あとがき」から抜粋宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のなかに、主人公のジョバンニと親友のカンパネルラが銀河のほとりで発掘をやっている老考古学者が二人に説明する言葉の中に、宮沢賢治の自然感を一人でに語るところがある。自分たちが現にここでやっている発掘からは、それなりに色々な物の化石が掘り出されるが、もし異なった考古学者がやってきて発掘をやると、私たちの発掘した化石と同じ化石が、全く違ったものに見えるということがありうるのだ。老考古学者はジョバンニとカンパネルラにそう説明する。これは、科学者宮沢賢治が仏教学者宮沢賢治と生涯にわたり葛藤したところだった。(中略)宮沢賢治が科学者と詩人童話作家というより宗教家としての自己の間の矛盾や葛藤にもかかわらず、両者とも最後まで捨てなかった謎は、たとえばゲーテが文学者と認識哲学との間で捨てなかった矛盾葛藤の謎と似ているように考えている。
「解題 森山公夫」 から抜粋つい最近まで、吉本氏は死をずいぶん割り切って、突き放しているな、とわたしは思っていました。氏は死について一番好きな言葉は、高村光太郎の「死ねば死にきり」だと云います。或いはまた氏は、親鸞が「生死は不定である」とだけ云っていると高く評価しています。(中略)本書を読んで分かったことは、吉本氏も死について何回も悩んでいることです。「孤独感というか、わびしさについていえば、60歳のころよりも、76歳の現在はもっと切実に感じています。よく通用する言い方で言えば、もう先はねえんだ、どうせ長くったって大したことないし、短けりゃ、明日どうにかなってしまうかもしれない」そして結局隆明さんは、西洋的(キリスト教)な考えに対置させて、日本的ないし東洋的な考えとして「家族の中で死ぬ」ことの安心感を強調しています。
吉本さんのこの手の書籍って
本当に面白くて、どこまでも深い。
自分も自分の至らなさを多少は
わかっているつもりなんで、
色々賢人たちからアドバイスをもらいたいと、
常々思ってしまうのだけど、
結局、みんな、悩んでいるんだ、
ということですね。
永遠に続く「安心」とか「安全」とかって
ないんだと。
そして「幸せ」ってなんだろうか、
を考える契機になった。
色々生きてくると、わかっているつもりに
なってしまうんですけどね。