SSブログ

精神と物質:利根川進・立花隆共著(1990年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質 (文春文庫)

分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質 (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1993/10/09
  • メディア: 文庫

利根川進博士(’87年ノーベル生理学・医学賞受賞)と


立花隆さんの対談。難しすぎてよく理解できなかった。


いつものように自分に理解できた箇所を


お里が知れるとしか言いようのないほど微量でピックアップ。


第8章「生命の神秘」はどこまで解けるか から抜粋


▼立花

遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、

基本的には、生命の神秘なんてものはないということになりますか。

 

▼利根川

神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。

生物というのは、もともと地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。

無生物からできたものであるとすれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。

要するに、生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね。

 

▼立花

そうすると、人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて

物質レベルで説明がつけられることになりますか。

 

▼利根川

そうだと思いますね。

もちろん今はできないけれど、いずれできるようになると思いますよ。

脳の中でどういう物質とどういう物質が

インタラクト(相互作用)して、どういう現象が起きるのか

ということが微細にわかるようになり、

DNAレベル、細胞レベル、細胞の小集団レベル

というふうに展開していく現象のヒエラルキーの

総体がわかってきたら、たとえば、人間が考えるということが、

エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。

今はわからないことが多いからそういう精神現象は

神秘的な生命現象だと思われているけれど、

わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。

早い話、免役現象だって、昔は生命の神秘だと思われていた

しかし、その原理、メカニズムがここまで解明されてしまうと、

もうそれが神秘だという人はいないでしょう。

それと同じことだと思いますね。精神現象だって、何も特別なことはない。

 

▼立花

だけど、そういう精神現象まで分子レベルの物質の動きにまで

さかのぼって説明をつけようとするというのは、まあ、いってみれば

新幹線がなぜ走るのかを、素粒子までさかのぼって

説明をつけようとするようなもので、そこまで説明しだしたら、

説明が膨大になりすぎて、エフィシャント(効率・合理的)な説明にならないでしょう。

 

▼利根川

その比喩は当てはまらないでしょう。

今いっているのは、精神現象に物質レベルの基盤があるかどうか、ということです。

免疫の問題にしても、分子レベル、細胞レベル、の

説明をつけてはじめてぼくらは本当の意味の理解ができたと考えるわけですよ。

だから、そういうレベルの説明がつくまで研究を重ねてきたわけでしょう。

 

▼立花

だけど、精神現象というのは、はたして新幹線や

免疫細胞のような意味で、物質基盤を持つといえるんでしょうかね。

あれは一種の幻のようなものじゃないですか。

新幹線や免疫現象なら、そこに生起している現象も

物質の運動であり、物質の化学反応ですね。

だからとことん物質レベルで説明をつけることに

意味があるんだろうけれど、精神現象というのは重さもない、

形もない、物質としての実体がないんだから、物質レベルで

説明をつける意義があまりないと思いますが。

 

▼利根川

その幻って何ですか。そういう訳のわからないものを

持ち出されると、ぼくは理解できなくなっちゃう。

いま精神現象には重さも、形もない、物質としての実体が

ないとおっしゃいましたが、こういう性状を持たないもの、

例えば電気とか磁気も現代物理学の対象になっている訳です。

ぼくは脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究することによって、

人間の行動や精神活動を説明するのに有効な法則を

導き出すことができると確信しています。

そのあかつきには、いま立花さんが幻だと

思っておられることも「なるほど」と思われるようになるでしょう。

要は人間がもろもろの対象を理解するのに、過去において

これだけすばらしい効果を挙げてきた自然科学の方法を、

人間の精神活動を司っている脳に当てはめないという手はないし、

実際そうすれば、立花さんが今考えておられるよりも、

もっともっといろんな事がわかるだろうということです。

そこまでいかないレベルで説明をつけようというのは

非科学的でナンセンスだと思いますね。

あのね、こういう話がある。

あるときアフリカの未開の部族を訪ねたイギリス人が、

そこの若い男の子が非常に優秀なのを発見してイギリスへ連れて帰り、

ケンブリッジで教育を受けさせた。少年は優秀な医者になった。

あるとき、故郷の村で変な病気が蔓延し、村の人々がバタバタ

死んでいるという話を聞き、それを救おうと村に帰った。

ところがそれから消息を絶ってしまった。

それでイギリス人の友人たちが心配して、村をたずねていった。

すると酋長がでてきて、説明していうには、その男は非常に優秀だった。

おかげで村の人々はみんな助かった。

それでみんなでその男を殺してその脳を分け合って食べてしまった。

脳を食べれば、あの男の頭の良さがみんなに分け与えられると思ったという。

非科学的な説明に納得するというのは、

この酋長のような説明に納得するというのと、

本質的には変わらないことですよ。

 

▼立花

しかし、精神現象を何でも脳内の物質に還元してしまったら、

精神世界の豊かさを殺してしまった理解になってしまうんじゃないですか。

生きた人間を研究する代わりに、死体を研究するだけで、

自分は人間を研究してるんだと語るようなことになりませんか。

 

▼利根川

いえいえ、死体を研究することによって、

生きた人間についてずいぶんいろいろな事がわかるのです。

それに、我々は実験動物を使うことによって、

例えば脳の一部を生かしたままで培養することだってできるし、

また、生きたままの動物だって人間だって、すでにある程度

研究することはできるし、またテクノロジーが進めばますます

そういうことが可能になると思います。

要するにぼくのいおうとしていることの一例としてですが、

例えば教育学という学問分野がありますね。

どうやって子供を教育すればいいか、いろんな学説分野がある。

だけどそれがちゃんとした原理からの発想に基づいた

学説かといったらそうじゃない。

たとえば、人間の知能はどう発達していくのか性格はどう形成されるのか

そういうことが原理からわかった上でだからこうすればいいんだ

という処方が下されているのかというと、そうじゃない

現象的な経験知の集大成に過ぎないんですね。

当然こういう処方には限界がある訳です。

 

▼立花

まあ、人文科学というのは、大体が

現象そのものに興味を持っているんであって、必ずしも、

その原理的探求に関心がある訳じゃないですからね。

 

▼利根川

ぼくはね、いずれああいう学問はみんな、脳の研究に向かうと思います。

逆にいうと、脳の生物学が進んで認識、思考、記憶、行動、

性格形成などの原理が科学的にわかってくれば、

ああいう学問の内容は大いに変わると思います。

それがどうなっているかよくわからないから、

現象を現象のまま扱う学問が発達してきたんです。

 

▼立花

すると21世紀には、人文科学が解体して、ブレイン・サイエンスの

下に統合されてしまうということになりますか。

 

▼利根川

統合されるかどうかは別にして、大きな影響があると思います。


なんか難しい…。でもすごい…・よくわからないけど。


そのうち「神秘」がなくなる(説明がつく)、と


おっしゃる利根川さん。


それに意味ありますか、みたいな(そこまで言ってないか)


懐疑的な立花さん。


こうして考えるとよく喧嘩別れにならないよな。


二人の関係性がそうさせない、友好的な、それこそ


「知的な関係」なんだろうね。


それが「人間」だったりして。


次は映像からでこちらの方が、難しいけど少しわかる。


本人の肉声っていいよな。


利根川さん「フォールスメモリー(偽の記憶)」という


前提知識があるとして語ったことを


書き起こしでございます。


Nスペ「脳死体験」(2014年)での


利根川さん、立花さんをお相手に語る。


▼利根川

ある状況下では人間のフォールスメモリー(※)は起こるんです。

いくらいろんなことを言っても、本人はコンビンス(確信)しちゃっているのがフォールスメモリー。

 

※=フォールスメモリーとは、関係のない記憶をある一定の条件で確認すると「見た」「行った」「あった」というような”記憶”になってしまうこと。

 

■フォールスメモリーの実験2事例

事例1)人間での実証報告

・成人女性に幼少期に家族と撮った観光写真とフェイク(合成)の

 観光写真を見せてインタビュー

・1日目は、それぞれ、行った行かないを正しく回答

・同じ質問を毎日し続け、7日目には、行ったことのない場所も行ったと回答

・尚且つ、ディティールまで回答(この場所にあったもの、など)

事例2)マウスの実験内容

 ・マウスの脳のある部分を刺激して安全な部屋である記憶をさせる(頭に装置装着)

 ・次にマウスを別の部屋に置いて脳を刺激し安全な部屋にいたことを思い出させる

 ・そこに電気ショックを与え怖がらせる

 ・結果、別の部屋にいるにもかかわらず、安全な部屋にいても

  電気ショックがないにも関わらず怖がるような

 「フォールスメモリー(偽の記憶)」ができてしまう

 

▼利根川

確かにフォールスメモリーを持っている人が、

MRI(脳の磁気検査装置)で調べると、光っているところは、

リアルメモリー(本物の記憶)が光っている人と同じところが光っているんですよ。

MRIでは全く区別がつかない。

それはごもっともで、だからこそ、その人はフォールスメモリーとは思ってないんですよ。

リアルメモリーだと思っている。そのメカニズムが今のところ区別つかない。

イマジネーション(想像力)が非常に豊富になると、

脳の中で環境とは関係なく起こっている

記憶が想起しているというのは脳で何かが起こっているんです。

しょっちゅういろんなことを脳の中で反芻していると外からバンときた事が一緒になっちゃう。

非常にイマジナティブな生物になるというのは、そういう危険がある。

つまり人間というのは、動物と違って

「サイエンス」やるでしょ「アート」やるでしょ「ミュージック」やるでしょ。

これはみんな人間がイマジナティブなスピーシーズ(種族)だから文化的な行動をして

シビリゼーション(文明)を作っている。

人間だけがクリエーティブなことをやっている。

だから人間が人間になっている。それが人間でしょう。


余談だけれど、先の対談本を読んでみて、


その対談の丁々発止があっての、


後の利根川さんの熱弁があると思うと


なかなか感慨深い。


深く下調べする立花さんを説得しようと


している様が。


それにしても、私の冒頭で、二人の会話を


理解できない自分を卑下してみたものの


冷静に考えかたやノーベル医学賞、


かたや我が国のジャーナリストの雄の


高次元の対談を理解できる人は少ないよな。


それでもやっぱり自分の文章や語彙力、


テキストでは全く伝わらない。


Nスペはアマゾンプライムで配信されてますので


ご興味ある方はそちらをどうぞ。


nice!(37) 
共通テーマ: