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[その2] ドナルド・キーン著作集 別巻 日本を訳す(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「方丈記」は語る(2013年3月発表) から抜粋


私が初めて教鞭を執ったのは1948(昭和23)年、

イギリスのケンブリッジ大学ででした。

そこで学生たちに原文で読ませるのに選んだのが、

大好きな鴨長明の「方丈記」です。

なぜなら、「方丈記」は書き出しに象徴される

美しい文体で、外国人にとってもわかりやすい

日本語で綴られているからです。

文法の基礎さえ覚えれば、読みにくくありません。

次に、内容が極めておもしろい。

大火があり、辻風や大地震が起こり、

人々は飢饉で苦しめられる。

そして遷都もある。

それらが実際に目撃した人によって

生々しく語られています。

のちに吉田兼好の「徒然草」も教えましたが、

「方丈記」ほどはうまくいきませんでした。

事件がないからです。

私はケンブリッジ大学で5年、アメリカの

コロンビア大学で学校五十六年間、

「方丈記」を教えましたから、

最も多く「方丈記」を読んでいる

人間の一人でしょう。

不思議なことに、災害を記録した

日本の古典文学は、「方丈記」以外には

ほとんど見当たりません。

その理由の一つに、平安朝の文学の影響があるでしょう。

つまり、「源氏物語」のような典雅な内容なら

ともかく、悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に

ふさわしくない、と考えられたのかもしれません。

その意味で、「方丈記」は自然がもたらす

災難を描いた、稀有で貴重な記録文学です。

鴨長明は五つの災難を例に引きながら、

世の「無常」を説きます。仏教の基本的教えで

ある物事の儚さを強調するのです。

序文の終わり近くに

「主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争ふさま」

とあるように、無情の隠喩として家が

繰り返し使われています。

だんだん小さくなる長明の家がそれで、

最後は方丈の庵です。

家具も持ち物も最小限。

その閑居にさえ愛着を抱いてしまう自分がいるとし

反省し、長明は念仏を唱えることしかできないのです。


無常感を美意識に昇華した日本人

 

無常はいいことか、悪いことか。

無常とは、同じ状態は続かないということです。

移り変わることを喜ぶ場合もあれば、

非常に残念に思う場合もあるでしょう。

例えば、古代エジプト人やギリシャ人は

神殿を造る時、不変性を求めて石を使いました。

ところが日本の場合は木造で、とりわけ伊勢神宮は

20年に一度は造り替えることを前提としています。

桜は、どうしてこれほど日本人に愛されるのでしょうか。

もちろん美しいことは確かですが、

桃や梅の花の美しさを凌ぐというほどではありません。

それは束の間の美、桜は3日だけの美しさだからです。

陶器を例にとれば、一本のヒビが入れば外国人は捨てるでしょう。

しかし日本人は金などで接ぎ、ヒビを活かしつつ大切にするのです。

花は散り、形あるものは壊れる。

何事もいつまでは続かない。まさに無常です。

しかし、移ろうものに美を見出し、

美学にまで昇華させたのは日本人だけではないでしょうか。

ケンブリッジ大学やコロンビア大学の学生たちは、

無常感を頭では理解できても、

日常生活にまでその考えが及ぶことはないようでした。

「方丈記」といえば、東日本大震災を思い出します。

私は35年ほど前に東北大学で教えていたこともあれば、

松尾芭蕉の「おくのほそ道」を辿る旅をしたこともあり、

東北には格別の思いを抱いています。

震災は悲しい出来事でしたが、日本は天変地異を過去に

何度も繰り返し経験してきました。

応仁の乱で焼けた京都を考えてみてください。

日本の都、日本の文化の中心である京都の何もかもが焼失したのです。

しかし、その後、短期間で東山文化が花開きました。

今も息づく「日本の心」の基礎ともいうべきものです。

畳が敷き詰められた座敷に、床の間があって生け花が飾られ

、墨絵が掛かり、そこから庭が見える。東山文化から

生まれた書院造りは、日本伝統の建築様式となりました。

江戸時代の天明年間(1781ー89)の飢饉では

百万人近くが飢え死にしましたが、

その後に明治維新を迎えます。

さらに、何よりも被害が大きかったのは

太平洋戦争でしょう。

戦後、悲惨な状況から日本がきわめて

短期間で復興を遂げたのは周知の通りです。

絶望することはありません。

「方丈記」に記録されているような災難は

いつの世にも起こりますが、常に日本は蘇り、

新たな文化が生まれました。日本人にはそれができます。


紅葉の秋を美しいと感じるのは


日本だけだと誰かが言ってたけど


他の国にないのでしょうかね、


秋の侘しさを感じる心というのは。


無常感を日常生活にまで、というのは


今の日本人にも無理なんではないかな、自分も含めて。


それで生活できるの?とか


意味あるの?とかになっちゃって


本当に世知辛くなってるから。


前回も最後に引いてしまいましたが、


キーンさんの以下の言葉は、


方丈記のこの原稿そのものだったと言ってもいい、


それくらい「方丈記」をそして「日本」を


愛されていたことを痛感したので、以下再掲でございます。


花は散り、形あるのもは壊れる。

何事もいつまでは続かない。

まさに無常。

そこに美の在り処を

見出し、美学にまで昇華されるのは日本だけ。

(2012年)


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[その1] ドナルド・キーン著作集 別巻 日本を訳す(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

外国から見た「おくのほそ道」から抜粋

「外国から見た「おくのほそ道」」の話を

しようとしたら思ったら、どうしても46、7年前のことに戻ります。

というのは、私はその年初めて「おくのほそ道」に

出会ったからです。

それより少し前、戦時中に日本語を覚えました。

三年間ほど、日本軍が戦地に残した書類の翻訳をしたり、

あるいは日本軍の捕虜の尋問をしていましたから、

日本語の理解力に相当の自信がありました。

それでニューヨークのコロンビア大学院に戻って、

私の師であった角田柳作先生のもとで日本文学を

専攻することにしました。

私は、実は日本文学をほとんど知りませんでした。

知っていたのは平安朝の文学の一部分だけだったと

言っても良いくらいでした。アーサー・ウェーリー

という英国人が「源氏物語」の全訳と「枕草子」の

部分的な翻訳をおやりになったことがありまして、

その翻訳は実に素晴らしものだと思っていたのです。

ところが、私は日本の徳川時代の文学をほとんど

知りませんでした。

芭蕉の名前は知っていたし、「古池や蛙飛び込む水の音」も

知っていました。

しかし「おくのほそ道」という作品が世界にあることを

聞いたことは一度もありませんでした。

それで受講生は四人だったか五人だったか、

はっきり覚えてないのですが、角田先生の選択で

「おくのほそ道」の勉強を始めました。私は今でもその

最初の晩をよく覚えています。

とても辛いことだったからです。

つまり、自分は日本語に相当自信があったのに、

全然わからなかったのです。

とても難しい文章だと思いました。

(中略)

ここまで私は、外国から見た「おくのほそ道」について、

翻訳者がどんなに苦労するとか、

そういう話ばかりしてまいりましたけれども、

「おくのほそ道」を愛する外国人もかなりいると

いうことも付け加えなければならないでしょう。

「おくのほそ道」コースを歩いた外国人は相当いるんです。

それだけではなくて、英国の若い女性が自分の体験に

基づいて「おくのほそ道」の映画を作りました。

たどったのは途中の月山までですけれども、

よった場所の思い出話もいろいろ交えながら

作った映画です。あるいは、アメリカ人の作曲家は

「おくのほそ道」に基づいたいくつかの曲を作曲しました。

「おくのほそ道」のどこにそれほど惹かれるのかというと、

まず、日本人と変わらないような鑑賞からくるのが普通です。

つまり、日本人が感心するのと同じように、冒頭の描写とか、

松島とか、象潟(きさかた)とか、そういうところは

外国人にとっても大変美しいのです。

私自身にとっては、一番深く感じるところは、

むしろ多賀城の壺碑(つぼのいしぶみ)のくだりに

出てくる散文のようなところです。壺碑に書いてある文句は、

「この城、神亀元年、按察使鎮守府(あぜちちんじゅふ)

将軍大野朝臣東人(おほののあそんあづまひと)の置くところなり」

などで、全然面白くありません。

しかしその個所の芭蕉の文章は素晴らしいのです。

 

昔より読み置ける歌枕、多く語り伝ふといへども、

山崩れ川流れ道あらたまり、石は埋もれて土にかくれ、

木は老いて若木にかはれば、時移り代変じて、

その跡確かならぬことのみを、ここに至りて

疑ひ泣き千歳(せんざい)の記念(かたみ)、

いま眼前に古人の心を閲(けみ)す。

行脚の一徳、存命の悦び、羈旅(きりょ)の労も忘れて、

泪も落つるばかりなり。

 

芭蕉は千年ほど前に書かれた碑に感動しました。

しかしそこに彫ってある言葉によって感動したのではなかったのです。

「おくのほそ道」のもう少し後のところでは、

芭蕉は杜甫の有名な詩句を引用しています。

「国敗れて山河あり、城(じゃう)春にして草青みたり」と。

しかし多賀城の碑を見たとき、国や山や川よりも

残るものがあると、芭蕉は発見しました。

人間の言葉です。あるいは文字になった言葉と

言った方がいいかもしれません。

そういう言葉は川よりも山よりも長く残ると書いてあるわけです。

芭蕉が「おくのほそ道」を書いてから三百年がたったのです。

江戸の近くでは芭蕉が知っていた山の大部分が削られ、

川の流れも変わりました。また、川が完全に埋もれて

見えなくなりました。象潟で芭蕉が見た島々は、

地震の結果、島でなくなりました。

「おくのほそ道」コースに変わっていないものがあるとすれば、

せいぜい出羽三山ぐらいなものでしょう。

しかし、未来には月山高級分譲地ができるかもしれません。

しかし、どんなに時間がたっても

一つだけ変わらないものがあります。

それは間違いなく「おくのほそ道」です

日本のすべての山が平らにされても絶対に

形を変えないものです。

日本で読んでも外国で読んでも価値が

変わらないんです。

もちろん、どんなに素晴らしい翻訳であっても、

原文の美しさを部分的に失うに決まっています。残念ですが。

しかしそれでも、美しさの残っている部分は

かなり多いに違いありません。

「おくのほそ道」は世界文学に永遠に残る宝物

であると私は信じています。(1993年9月講演)

芭蕉は、この書を何度も晩年まで推敲を重ねて

付け足したり、消したり、入れ変えたりしてたと

同行アシストした曽良さんの旅行記と比較してわかっていると

「100分で名著」で詩人の長谷川さんが言っていた。

そうだとすると、単なる旅行記ではないよね。

芭蕉の後世に残したかった「創作」と考えるのが妥当だろう。

そういえば、芭蕉の足跡が実際、物理的に不可能だとして、

「忍者」だったとか、時の幕府の「隠密」だったとかいう本も

あった気がするけど、そんなことはなさそうだ。

それにしてもキーンさん、あなたの言葉(日本語)美しいですよ。

瀬戸内寂聴さんとの対談本の中だったか、

忘れてしまって恐縮でございますが

日本語についての記述が綺麗すぎて

当時の手書きメモが出てきたので

余談ですけど、最後に締めとして。

花は散り、形あるのもは壊れる。

何事もいつまでは続かない。

まさに無常。

そこに美の在り処を

見出し、美学にまで昇華されるのは日本だけ。

(2012年)


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生きるということ新装版:エーリッヒ・フロム著:佐野哲郎役(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


生きるということ 新装版

生きるということ 新装版

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2020/08/28
  • メディア: 単行本

新装版ってことなので、初版はいつか調べたら1976年とあった。


エーリッヒさん76歳の時。初めて読ませていただきましたが、


なぜこの本を知ったのか、多分「老」とか「加齢」とか


ボーヴォワールとかの流れでたどり着いた気がするが、


著者の別の書で「愛するということ」を借りて読めなくて、


でもなんか引っかかってて、こちらにしてみて読んだけれど感想は、


難しい…でも、なんか心に引っかかる。


全然関係ないかもしれないけど、装丁も素晴らしい。


それは置いておいて、題名が気になった。


原題は「TO HAVE OR TO BE?」ですぜ。


はじめに から抜粋


実は本書の表題(To have or To be)と以前に出た

二つの書物の表題とはほとんど同じなのである。

ガブリエル・マルセルの「存在と所有(Being and Having)」

とバルタザール・シュテーエリンの「所有と存在(Haben und Sein)」と。

これら三つの書物はすべてヒューマニズムの精神で書かれているが、

主題へのアプローチのしかたは大いに異なっている。

マルセルは神学的および哲学的見地から書いている。

シュテーエリンの著書は現代科学における物質主義に対する

建設的論議であり、現状分析(Wirkichkeit analyse)への一つの寄与である。

一方、本書は二つの存在様式の経験的=心理学的分析を扱っている。

私はこのような問題に十分な関心を持つ読者に、

マルセルとシュテーエリンの著書を推奨する。


序章 大いなる約束とその挫折、そして新たなる選択


1幻想の終焉 から抜粋


<限りなき進歩という大いなる約束>

自然の支配、物質的豊かさ、最大多数の最大幸福、

妨げるもののない個人の自由の約束ーーは、

産業時代が始まって以来、各世代の希望と信念を支えてきた。

確かに私たちの文明は、人類が自然を能動的に支配し

はじめてきた時に始まった。しかしその支配は産業時代の

到来までは限られたものであった。産業が進歩して動物と

人間のエネルギーの代わりにまず機械エネルギーが、

次いで核エネルギーが用いられ、さらには人間の頭脳の代わりに

コンピューターが用いられるに及んで、私たちは

こう感じることができるようになった。

私たちは限りない生産、ひいては限りない消費の方向に

向かっていることができるようになった。

私たちは限りない生産、ひいては

限りない消費の方向に向かっているということ、

技術が私たちを全能にしたということ、

科学が私たちを全知にしたということ。

私たちは神になりつつあったのだ。

自然界を私たちの新しい創造の単なる建築資材として

用いることによって、第二の世界を

造り出すことにできる至高の存在に。

男、そしてしだいに女も、新しい自由の感覚を経験した。

彼らは自分の生活の主人となった。

封建的な鎖は断ち切られ、人はすべての呪縛から

逃れてしたいことができるようになった。

というよりは、人々はそう感じたのであった。

そしてたとえこのことが上流階級および中流階級に

のみ言えることであったとしても、彼らが

達成したことによって他の階級の人々も、

産業化が今の速度で続くかぎり、新しい自由は

ついには社会のすべての構成員に及ぶだろうという

信念を持つことができた。

社会主義と共産主義は、新しい社会と新しい人間を

目標にする運動から急速に姿を変えて、すべての者の

ブルジョワ的生活を理想とし、未来の男女としての

普遍化したブルジョワを理想とする運動となった。

だれもが富と安楽とを達成すれば、その結果としてだれもが

無制限に幸福となると考えられた。限りない生産、

絶対的自由、無制限な幸福の三拍子が<進歩>という

新しい宗教の核を生成し、新しい<進歩の地上の都>が

<神の都>(天国のこと)に取って代わることになった。

この新しい宗教がその信者に精力と活力と希望とを

与えたことは、何ら驚くにあたらない。

<大きなる約束>の壮大さと産業時代の驚くべき

物質的・知的達成とを思い描くことによって初めて、

その挫折の実感により今日生じつつある衝撃を

理解することができる。というのは産業時代は確かに

その<大いなる約束>を果たさなかったし、ますます

多くの人々が次の事実に気づきつつあるからである。

 

【1】

すべての欲求の無制限な満足は福利

もたらすものではなく、幸福に至る道でもなく、

最大限の快楽の道ですらない。

【2】

自分の生活を独立した主人になるという夢は

私たちみんなが官僚制の機械の歯車となり、

思考も、感情も、好みも、政治と産業、およびそれらが

支配するマスコミによって操作されているという事実に

私たちが目覚めはじめたときに、終わった。

【3】

経済の進歩は依然として豊かな国民に限られ、

豊かな国民と貧しい国民との隔たりはますます広がった。

【4】

技術の進歩そのものが生態学的な危険と核戦争の

危険を生み出し、そのいずれかあるいは両方すべての文明、

そしておそらくはすべての生命に終止符を打つかもしれない。

 

ノーベル平和賞(1952年)の受賞のためにオスロを訪れたとき、

アルベルト・シュヴァイツァーは世界にこう呼びかけた。

「あえて現状に直面せよ……人間は超人になった……

しかし超人間的な力を持ったこの超人は、超人間的な理性の

水準にまで高まってはいない。彼の力が大きくなるにつれて、

ますます彼は憐れむべき人間となる……超人となればなるほど、

自分が非人間的になるという事実に、私たちは良心を奮い起こさなければいけない」


「第一部 持つこととあることの違いの理解


第一章 瞥見(べつけん)


1 持つこととあることの違いの重要性」から抜粋


持つことあることの選択は、常識に

訴えかけるものではない。持つことは誰が見ても、

私たちの生活の正常な機能だろう。

生きるためには物を持たなければならない。

持つことーーそれもますます多くを持つことーーを

至高の目的とし、或る人物について

「百万ドルの値打ちがある」という言い方が

許される文化において、どうして持つことと

あることとの間の選択などあり得ようか。

それどころか、あることの本質そのものは持つことなのであって、

もし人間が何も持たなければその人はなにものでも

ありはしない、と思われることだろう。

しかし偉大な<人生の教師たち>は、

持つこととあることとの間の選択を、彼らそれぞれの体系の

中心的な問題としてきた。仏陀は、人間の発達の最高段階に

到達するためには所有を渇望してはならないと教える。

イエスは説く。

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、

私のために命を失うものはそれを救うのである。

人が全世界を手に入れても、自分自身を失い、

損なうなら、何の得があるだろうか」(ルカによる福音書9・24-25)。

マイスター・エックハルトは、

何も持たず自分を聞き<空虚>とすること、

自分の自我に邪魔されないことが、精神的な富と力を

達成するための条件であると教えた。

マルクスはぜいたくが貧乏に劣らず悪であること、

そして私たちの目的は多くあることでなければならず、

多く持つことであってはならないと教えた。

(私がここで言及しているのはラディカル・ヒューマニスト

としての真のマルクスであって、ソビエトの共産主義が

描き出している俗悪なにせものではない)。

 

長年にわたって私はこの区別を深く心に刻みつけ、

その経験的な基礎を求めて、精神分析の方法による

個人および集団の具体的な研究をおこなってきた。

私の見たものは私を次のような結論に導いた。

すなわち、この区別は生命への愛と死せるものへの

愛との間の区別とともに、存在の最も重大な問題としての

意味を持つこと、そして経験的・人類学的・精神分析的データは、

持つこととあることとは二つの基本的な存在様式であって、

そのそれぞれの強さが個人の性格やいろいろな型の

社会的性格の違いを決定する、ということを明らかにする

傾向を持つということである。


「人生の教師たち」として他、鈴木大拙、松尾芭蕉、ゲーテ、


イギリスの詩人テニソン、などが引き合いに出され、


禅の心のようなものを説かれる。


所有とは無縁な世界だからかなあ。


「第三部 新しい人間と新しい社会


1新しい人間」から抜粋


新しい社会の機能は、新しい<人間>の出現を促進することだが、

新しい<人間>とは次にあげる資質を示す

性格構造を持った存在である。

 

【1】

十全にあるために、あらゆる持つ形態を

進んで放棄しようとする意志。

【2】

安心感、アイデンティティの感覚、自信。それらの

基礎は自分のある姿であり、結びつき、関心、愛、

まわりの世界との連帯への要求であって、世界を持ち、所有し、

支配し、ひいては自分の所有物の奴隷になろうとする欲求ではない。

【3】

自分の外のいかなる人間も物も、人生に意味を

与えることはなく、このラディカルな独立と、物に執着しないことが、

思いやりと分かち合いに専心する最も十全な能動性の

条件になりうる、という事実の容認。

【4】

自分が今あるところに十全に存在すること。

【5】

貯蓄し、搾取することからでなく、与え、

分かち合うことからくる喜び。

【6】

生命のあらゆる現れへの愛と尊敬。それは物や力や

すべての死せるものではなく、生命とその成長に関係するす

べてのものが神聖である、という知識の中に見られる。

【7】

食欲・憎しみ、幻想をできる限り減らすように努めること。

【8】

偶像を崇拝することなく、幻想を抱くことなく生きること。

それはすでに幻想を必要としない状態に達しているからである。

【9】

愛の能力を、批判的で感傷的でない

思考の能力とともに、発達させること。

【10】

ナルシズムを捨て、人間存在に内在する

悲劇的限界を容認すること。

【11】

自己及び同胞の十全の成長を、

生の至高の目的とすること。

【12】

この目的に到達するためには、修行と現実の尊重が

必要であることを知っていること。

【13】

さらに、いかなる成長も、それが構造の中で

起こらなければ健全ではないことを知っていること。

しかしまた、生の属性としての構造と、

非ー生の、死せるものの属性としての

<秩序>との相違をも知っていること。

【14】

想像力を発達させること。

それも耐え難い環境を取り除く手段として。

【15】

他人をあざむかないこと、しかしまた他人からも

あざむかれないこと。無邪気とは言えるかもしれないが、

単純とは言えない。

【16】

自己を知っていること。自分が知っている

自己だけではなく、自分の知らない自己をも

ーー自分の知らないことについては、漠然とした知識しか

持たないかもしれないが。

【17】

自分がすべての生命と一体であることを知り、

その結果、自然を征服し、従え、搾取し、略奪し、破壊する

という目標を捨て、むしろ自然と協力するように努めること。

【18】

気ままではなく、自分自身になる可能性としての自由。

貧欲な欲求のかたまりとしてではなく、いつ何どきでも成長と衰退、

生と死との選択を迫られる微妙な均衡を保つ構造としての自由。

【19】

悪と破壊性とは、成長の失敗の必然的結果で

あることを知っていること。

【20】

これらすべての資質の完成に到達した人々は

少数にすぎないことを知っているが、<目的に到達する>野心は持たない。

そのような野心もまた貧欲の形態であり、

持つ形態であることを知っているから。

【21】

どこまで到達できるかは運命にゆだねて、

常に成長する生の過程に幸福を見いだすこと。というのは、

できるかぎり十全に生きることは、自分が何を達成するか

あるいはしないか、という懸念が増す機会を

ほとんど与えないほどの満足感をもたらすからである。


「新しい人間」という定義ですけど、当てはまるものもあればないものもあるし


そもそも「新しい人間」ってなんだよ!ってのもなくはない。


ニーチェの「超人」と近いのかな。よくわからないのだけど。


それにしても、本の題名、やっぱり気になるなー。


「生きるということ」なのか、これは。


でも以下の最後のところで、ああ、そういうことと納得したような。


「2新しい社会   一応の見込みはあるのか」 から抜粋


実際、有神論的宗教に真に根を下ろしていない人々にとっての決定的な問題は、

宗派もなく、教義も制度もヒューマニズム的<宗教性>、

すなわち仏陀からマルクスに至る非有神論的な宗教性の運動によって、

長年にわたって用意されてきた<宗教性>への改宗である。

私たちが直面しているのは、利己的な物質主義とキリスト教的な

神の概念の容認との間の選択ではない。

社会生活自体が

ーー

仕事における、余暇における、

個人的な関係における

そのあらゆる面において

ーー

<宗教的>精神の表現となり、独立した

宗教は必要でなくなるだろう。

新しい、非有神論的な、制度化されていない

<宗教性>へのこの要請、

現行の宗教への攻撃ではない。

しかしながら、それはローマの官僚制とともに始まった

ローマカトリック教会が、福音書の精神に

自らを改宗させなければならないということを、

確かに意味している。

それは<社会主義諸国>が<非社会主義化>すべきことを

意味するのではなく、彼らのまやかしの社会主義を真の

ヒューマニズム的社会主義に代えることを、意味するのである。

中世後期の文化が栄えたのは、人々が神の都の理想を

追い求めたからであった。近代社会が栄えたのは、

人々が地上の進歩の都の成長の理想によって、

励まされたからであった。しかしながら二十世紀において、

この理想はバベルの塔の理想にまで堕落した。

それは今や崩れ始め、最後にはすべての人をその廃墟に

埋めてしまうだろう。

もし神の都と地上の都が定位反定位であるとすれば、

新しい総合、すなわち中世後期の世界の

精神的核心と、ルネサンス以来の合理的思考と

科学の発達との総合が、

大混乱に代わる唯一の選択である。

この総合はあることの都なのである。


資本主義の是非を問うような情報に


触れる機会が多い昨今、


この本も同様に興味深かった。


しかし他と異なるのは、深すぎて自分には


若干分かりにくく壮大な内容だった。


今の時代にも響くように感じた。


まったくの余談だけど、エーリッヒさん(1900 - 1980)を


ガッカリさせてしまうかもしれないが思い出した言葉。


「所有させると君たちは


争うことしかしないから、我々の技術は教えない」


と言ったのはアダムスキー(1891 - 1965)が


UFO内で面会した金星の大使の言。


アダムスキーって真偽の程は定かじゃないけど、深いな。


所有について哲学する時代だったのかも、と思いを馳せる。


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三島由紀夫を養老先生の3冊から考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


バカにならない読書術 (朝日新書 72)

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/12
  • メディア: 新書

第一部「養老流」本の読み方


■「体育」はコミュニケーション から抜粋


昔から言われているように、人は「知育」「徳育」「体育」という

三つで、成長していきます。

「知育」は何かというと、感覚です。五感です。何かを感じる、つまり「入力」です。

「徳育」というのは、頭のなかで起きることです。

五感によって入力された情報をもとに、行動を決めます。

その状況で自分がどういう行動をするか、あるいは行動をどうセーブするか。

それを頭の中で決めるわけです。コンピューター用語で言えば「演算」です。

最後の「体育」というのは、この演算にもとづく身体の動きです。

「出力」と言い換えてもいいでしょう。

この「知育」「徳育」「体育」というのは、脳の働きそのものと言ってもいい。

我々の脳は、外から「入力」を受けて、内部で「演算」をして、

それで結果を身体の動きとして外へ出す、つまり「出力」する。

ここでよく誤解されるのは最後の「体育=出力」です。

身体を動かすと言うと、何か運動をすることだけのように聞こえますが、そうではありません。

身体の動きは、すべてのコミュニケーションを作っています。

言語も表情も。言葉は声帯や舌を動かすことだし、表情は筋肉の動きです。

「体育」とはそういうことであって、さらに言うと、

そういう身体の動きというのは、あるプログラムが脳の中にあって初めてできるのです。

ホンダが開発した二足歩行のロボットがあります。

あれは、コンピュータの中に二本足で歩くためのプログラムを入れてある。

だから歩くことができる。そのために莫大な費用と大勢の技術者を投入しました。

人間は歩けない状態から始まります。

それが、歩けるようになるには、

前述した「入力」「演算」「出力」という

脳のぐるぐる回しによって、脳の中にプログラムが自然にできていくからです。


■「三島由紀夫は誤解から生まれた」から抜粋


随分脱線しました。話を脳の発達と

「知育=入力」「徳育=演算」「体育=出力」に戻しましょう。

この「入出力が循環する」ことの大切さを最初に表した言葉こそ、

他の著書でも書きましたが、「文武両道」だったと思います。

「文」というのは脳に入るほうで、いわゆる「知育」です。

「武」というのは出すほうで、つまり「体育」です。

「文武両道」とは、本来、入力した結果を身体で動かし、

身体を動かすことで新たな入力を得る、という意味だったのでしょう。

ところが、いつごろからか、勉強も運動もできる。

というように、別々のものにしてしまった。

その誤解があまりにも定着したから本場の中国で次に

何を言い出したかというと、王陽明の「知行合一」なんです。

「知」というのは入力で、「行」はまさに出力、

それが一つにならなきゃいけない、という考え方です。

しかし、それもまた誤解された。誤解されてどうなったかというと、

大塩平八郎になり、三島由紀夫になった。

つまり、頭で理解したことを直ちに実行しなきゃいけない、ということになった。

そうじゃない。

「知行は循環する」という意味なのです。

赤ちゃんが歩き出してハイハイし始めて、世界の景色が変わる。

その変わったことを見ながら行動が変わる。

「知行合一」はこの循環を意味していた。

そのことを、おそらく、今の人たちは、よくわかっていないのではないでしょうか。

何しろあの三島由紀夫だってわかってなかったくらいですから。



身体の文学史 (新潮選書)

身体の文学史 (新潮選書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

石原慎太郎さんと野坂昭如さんとの対談から考察される。


「太陽と鐡」の章から抜粋


三島由紀夫の「太陽と鐡」ははなはだ評判が悪い。

その理由は、読んでみればわかる。

「…ずっとあとになつて、私は他ならぬ太陽と鐡のおかげで、

一つの外国語を学ぶようにして、肉体の言葉を学んだ。

それは私のsecond languageであり、形成された教養であつたが、

私は今こそその教養形成について語らうと思ふのである。

それは多分、比類のない教養史になるであらうし、

同時に又、もつとも難解なものになるであらう。」

なんだかほとんど香具師(やし)の口上を聞いているみたいである。

公平のために付言すれば、この「太陽と鐡」を

正の評価で取り上げたのは、澁澤龍彦くらいであろう。

しかもそれも「三島由紀夫氏を悼む」という、

死後のオマージュにおいてである。

その上、この「三島氏の肉体に関する信仰告白の書」が

「将来の自分の死を合理化するための理論の書にほかならないこと

を確認して、あらためて一驚した。」というのだから、

澁澤がビックリしている筋書きは、肉体の話とはいささか違うのである。

さらに「その死を合理化するための作者の論理は、

必ずしも万人を納得させるものとは言い難く」

それも当然であるのは、万人を納得させるものなら。

万人が自殺してしまうではないかと述べる。

そして、

「そもそも「太陽と鐡」は、神秘家の見神体験と

一脈通じるような、作者の現実の体験によって

すみずみまで裏打ちされた、一種のイニシエーションの書

という形をとっているのだから、体験を欠いた私たちが、

これに近づくことは容易にできないはずなのである。」

という。

こんなことを言えば、石原慎太郎が怒って当然であろう。

この「私たち」とは誰か。

少なくとも俺ではない。

そう言いたくなるはずだからである。

だから石原氏は、まだいまでも書くのであろう。

澁澤はたしかにここでは三島の肩を持っているが、

それはオマージュだから仕方がない。

真面目に怒ってもムダである。


「表現としての身体」から抜粋


石原慎太郎氏は「太陽と鐡」を、それを書いた

時期以降の三島を、酷評する。

「死ぬ気になって戦うというのと、三島氏のように

自分で死んでしまうというのは決定的に違うことである。」

「ようするに「太陽と鐡」は真摯な自己告白のように

見えても実は氏自身への粉飾でしかなく、本質的には嘘であり、

間違いであり、氏にはあんなことを言い切る資格は

その肉体の能力の故にありはしない。

それを立証する氏に関する傍証は無数にあろうが、

それを否定する証拠や事実はどこにもありはしまい。

あるのは氏自身の空しい弁論だけだろう。

氏はあの手のこんだ自殺のためにこれを書いたのではなく、

こんなものを書かなくてはならなかったが故に自殺したのである。」

三島、石原、野坂氏の時代は、良かれ悪しかれ、

表現主義の時代であった。

それは私小説時代の名残りを強く引いていた。

三島だけがおそらく違ったが、早すぎたのである。

三島の表現は、その根拠を三島の内部にだけ求められるべきものではない。


「表現とは何か あとがきにかえて」から抜粋


文化的表現は、おそらく二つの軸に支えられている。

一つは「言葉」である、もう一つは「身体」である。

(略)

三島は書く。

「小ざかしくも次郎は「書く人」の立場に身を置いた。

表現といふことは生に対する一つの特権であると共に

生に於ける一つの蜂起に他ならぬこと、言葉をもつことは

生に対する負目(ひけめ)のあらはれであり同時に生への

復讐(ふくしゅう)でもありうること、肉体の美しさに

対して精神の本質的な醜さは言葉の美のみがこれを償ひうること、

言葉は精神の肉体への郷愁であること、肉体の美の

うつろひやすさにいつか言葉の美の永遠性が

打ち克たうとする欲望こそ表現の欲望であること」。

肉体は個人だが、言葉は個人ではない。

だから肉体はうつろい、表現は残る。

ここではまだ三島は、それを混同するか、すり替えている。

三島自身が「太陽と鐡」でのちに述べているように、

言葉の普遍妥当性をいかに精妙に裏切るか、それが個の

言葉なのである。三島はその言葉を捨て、身体表現

そのものを追うことになった。

個に属するものと、一般に属するもの、その峻別がない

伝統のなかに日本語がある。

われわれは「言葉にならないものは存在しない」と

思っているわけではない。

逆に西洋文化のなかでは、しばしばそう信じられている。

意識である言葉と、個である身体とは、そこでは素直に

分離されているのである。

だから言葉にならないものは、存在しなくてもいい。

それ以上は、まさに「話の通じようがない」からである。

しかもそこでは、個の存在は当然の前提なのである。

それがそのままま心身二元論を導くことは、理解しやすいであろう。

他方「型」のなかでは、本来個である身体すら、表現として一般化される。

過去の日本に「型」の重みが存在したことは、個の喪失に

有利にはたらいたに違いない。面倒な話だが、われわれはそこを、

いちいちこれから吟味しなければならないであろう。

ていねいに吟味してみれば、この種の個の一般のすり替えが、

われわれの社会では日常的に行われていることに気づく。

伝統は善悪双方向にはたらくのである。



読まない力 (PHP新書)

読まない力 (PHP新書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/09/12
  • メディア: Kindle版

有事法制(2003年7月)から全文引用、恐縮です。


国会もたまにはまともなことを議論するものだ。

有事法制については、そう思った人もあるのではないか。

戦争に反対するのは当然だが、そいうかといって、有事がないとはいえない。

それなら有事が定義可能かというなら、不可能である。

神様じゃあるまいし、なにが起こるか、未来を完全に

把握することなど、人間にできるはずはない。

それならいちおうのことを決めておくしかないはずである。

そこまではいいが、肝心のことには触れたくないらしい。

憲法問題である。

これは法律だけの問題ではなく、日本の将来をどう考えるかという、

大きな意味での「物語」の問題になってしまっている。

日本をアメリカの属領にして、代わりにアメリカの市民権を

要求するか。自主独立して、なんとか自分でやっていくか。

こんなことにあらかじめ答えがあるはずがない。

結婚するのかしないのかと同じで、

どちらかに決めなければならないのである。

あんたはどうするつもりなのかという問題なのである。

国民がそれを考えないで、だれが考えるか。結婚するなら、

自分で食っていく手段を考えなくてはならない。

あくまでも親掛かりなら、親ときちんと話をつけなければならない。

どちらもやらないで。親はどう思っているのか、

そんなことをいつまでもグズグズ議論している場合ではなかろう。

以前からそう思っているが、いっこうにそうは思わない人が多いらしい。

自分で決めなきゃ、他人はそんなことを考えてくれるわけがない。

それで戦後50年が過ぎたのだから、「永すぎた春」というべきか。

そう考えてみると、三島由紀夫はみごとに戦後日本を

表現していたのである。

三島の「無意識の」先見性には、いつも感心する


「無意識」について、自分は全て「意識」だって


おっしゃっていたようだけど、三島さん。


そんなわけはないだろうと思いつつ、


人はみんな無意識の方が「本音」だろうし、


その人の「魅力」を備えているところなのでは


ないだろうかと思ってみたり。


それにしても、養老先生の言葉って本当に深いな。


「言葉」と「身体」って興味深いし、


文豪でさえも斬ってしまわれる。


それも年齢がそうさせている部分あるだろうな。


そしてそれ(年輪を重ねてわかることがある)を


もちろん知っていたのも三島由紀夫なのだろうな。


余談だけど「太陽と鐡」って持っていたけど読めなかった。


これを養老先生が取り上げたってのは、


至極当然なことなのだろうと思った。


自分はそれとは別で、やはり三島由紀夫は


芸術的感覚の方を選んできたのだなと


気がついた。


 


nice!(25) 

「三島由紀夫」とはなにものだったのか:橋本治著(2005年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

  • 作者: 治, 橋本
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/10/28
  • メディア: 文庫

「第一章「豊饒の海」論 / 5 阿頼耶識(アーラヤしき)」から抜粋


三島由紀夫の「豊饒の海」は、日本の幻想文学の第一位に遇されるものだと思う。

「豊饒の海」は、途中からそうなるような方向へどんどん進む。

私は、「豊饒の海」を「日本の幻想文学の第一位」と称賛するが、

しかし、そう言われて三島由紀夫は決して喜ばないだろう。

なぜかと言えば、幻想文学になってしまうことは、三島由紀夫とっては”失敗”であるからだ。

これが幻想文学なら、「豊饒の海」を書き終えた三島由紀夫は自殺なんかする必要がない。

言うならば、三島由紀夫は「豊饒の海」を幻想文学にしないために自殺したのだ。


幻想文学がなんなのか、よくわからないから、


これには諸手挙げての同意はしかねるのだけど、


最期の行動は「豊饒の海」に、特別な意味を与えたかったのは間違いないだろう。


「第二章 同性愛を書かない作家 /1松枝清顕の接吻」 から抜粋


三島由紀夫に慣れて、私は自分の慣れたものが

三島由紀夫の「修辞(レトリック)」であって、

「論理(ロジック)」であるとは思わなかった。

彼の小説に「三島由紀夫の修辞(レトリック)」であるとは思わなかった。

彼の小説に「三島由紀夫の論理(ロジック)」を見る人は少ない。

つまり、多くの人は「彼はそう言っているだろう」とだけ思って、

「彼はそう信じているだろう」とは思わない。ということである。

しかし、三島由紀夫は「そう信じている」のである。

だからこそそれは、彼の修辞(レトリック)ではなく、彼の論理(ロジック)なのだ。

三島由紀夫の孤独と、彼に対する誤解もここに生まれるのだろう

とは思うが、「三島由紀夫」に慣れた後の私は、もう「春の雪」を

「言い訳の多い恋愛小説」だとは思わなかった。

その後に「豊饒の海」を2度読み返して、格別の不満も持たなかった。

そして時がたち、今回この原稿を書くために

もう一度旧版の三島由紀夫全集を読み返して、愕然とした。

今回私は、「禁色」を読み、「仮面の告白」を読み、

そして「豊饒の海」を読み返したのだが、「仮面の告白」から

直接に続けられた「春の雪」は、それまでとは全然違う表情を持っていた。

松枝清顕のためらいが「仮面の告白」の主人公「私」の

ためらいとまったく同質のものだったからである。


愕然としたのは、「豊饒の海」を書くとき瑞々しい感性だったからなのではないだろうか。


自分は「豊饒の海」って未だ読めない、質と量が凄すぎて。


「仮面の告白」「沈める滝」「金閣寺」「潮騒」はとても自然に読めたんだけど。


後から知ったけれど、それらは全て三島さん30歳ごろまでに書いたものだったのだね。


自分も若い頃だったから読めたのかもしれない。


「あとがき」から抜粋


この本を書くことは、私にとって、

「行かなくてもいい領域に一歩ずつ足を踏み入れる」ということだった。

もちろん、その「行かなくてもいい領域」は、欲望の領域なんかではない。

それは私にとって周知の事実だから、禁断もためらいもない。

三島由紀夫の内部に謎はない。

謎は、彼の外部と内部の接点ーそのためらいの不思議なややこしさにある。

だから私は「この人はなんで足を踏み出さないんだろう?」と思う。

「この人はなぜ、自分が進み出たところを”ないこと”にしてしまうんだろう?」

と、不思議に思う。

それはおそらく、三島由紀夫だけではないのだろうが、

そこに「文学の不思議」を思う私は、改めて「三島由紀夫と戦後」なるテーマに思いを馳せる。

それは私にとって、「なんでそんなことを考えなきゃいけないの?」

であることなのだが、多くの人にとって、「戦後」は、まだ決着の付いていない時代なのである。

だから「終わらせる」も必要なのかもしれない。

しかし、遠い昔に終わってしまっているものを、今更もう一度「終わらせる」もないもんだと思う。

だったら、いっそ考え方を変えて仕舞えばいいのである。

終わってしまった「戦後」という時代は、ろくな始まり方の出来なかった時代なのである。

そこで時代は混乱していて、それを承知していながら、

まともな一歩を踏み出すことが出来なかった。

戦後25年が過ぎた三島由紀夫の死は、ためらいの末に得られた不十分な一歩の上にあった。

だったら、そんな「戦後」は捨ててしまえばいいのである。

「戦後」は、始まらぬままに終わってしまった。

20世紀後半の日本の思想の沈滞はそこに原因していると、私は思う。

つまり、いつまでも死んだ子の齢(とし)を算(かぞ)えていても仕方がないということである。

(略)

「終わった」の言葉を「始まった」に置き換えれば良いのである。

(略)

「そうか、”ああ、終わった”じゃなくて、”さァ、始めるか”なのか」

と思って、私はようやくこの一冊を終えられる。


橋本さん、本を書いて爽快感がなかったという。


かなり大仕事だと思いますよ、三島由紀夫を


語るってことは。


「戦後」とか「日本」とかに


たどり着いてしまうものなあ、やっぱり。


微力なんだけど、自分が思うに、


三島由紀夫を考えるとき、


幼少期の生い立ちを抜きには語れない


ってのがきっとあるよね。


吉本隆明さんがどこかで語ってたけど、


三島さんのような育てられ方して


よく生きてられたな、みたいな。


吉本さん曰く1歳までの母親との関係が


大きく左右するという持論で、


三島さんは母親との関係を祖母が


奪ってしまったというのは有名な話で、


ここら辺は、なんか物凄くダークな領域


と言わざるを得ない。


お父さんの言いつけで大蔵省に就職した理由が、


お父さんが農林省に勤務されてて、


大蔵省のお方たちから蔑まされ


屈辱を味合わされていたから、


それを復讐するために大蔵省に入った。


しかも小説家を諦めてという。


(1年で退官されたそうだけど)


仕事の件とは関係ないかもしれないけど


お父さんを軽蔑していた祖母とか、


祖母と母との関係とか、


ものすごく暗く、辛い、触れたくない。


文学的才能とはあまり関係なさそうだけど、


そのルサンチマンからは逃れられない、とか。


研究し出すと、ものすごい労力使う。


余談だけど、あえて言わせてもらいますけど、


そんなの考えるより残された


小説の美しさを味わえる喜びを


感じた方が得策でございます。


(ってそれじゃ、この橋本さんの本読むなよ。)


nice!(28) 

ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領:アンドレス・ダンサ/エルネスト・トゥルボヴィッツ共著 大橋美帆訳(2016年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

 


ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領 (角川文庫)

ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領 (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2016/03/24
  • メディア: 文庫

「序文」から抜粋、艸場(くさば)よしみさんの言葉。


彼のシンプルな言葉の背後に、軍事政権下での壮絶な投獄体験と、

膨大な読書で磨かれた知性があるのを知った

(中略)

ムヒカ氏は決してお花畑の理想主義者ではなく、きわめて合理的な現実主義者である。

しかしそれは冷徹と言うのではない。彼は言っている。

「イデオロギーで政治をしてはならない。

大事なのは、現実を生きている人の生活が良くなることなのだ」

と。

政治家が自分で描いた理想の国に姿に国民をあてはめようとすれば、国はどんどんやせ細る。

大事なのが「国の形」になってしまい、そこで現実に生きている国民を忘れてしまうからだろう。

ムヒカ氏の言葉は私の羅針盤になった。

だがこれを私だけが味わうのはもったいない、

ぜひ若い人たちや大人にも伝えたい、そう思って

「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」(汐文社)と言う本にまとめた。

現代人をこうも惹きつけ考えさせるホセ・ムヒカとは、一体どんな大統領だったのか。

本書は、19年にわたり氏を密着取材してきた

ウルグアイのジャーナリストによる、ホセ・ムヒカの人生の記録である。


本書の前に、ちょっと別のコンテンツから。


映画「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から


日本人へ(字幕版・2020年)」で自分が印象に残ったシーン。


ウルグアイのどこかの店主と言い争い、応戦するムヒカ氏。


店主曰く「あんたのおかげで俺の生活は悲惨になったんだよ!」


みたいなことをまくしたてられ、口論・応戦するムヒカ氏の姿。


その姿はスマートな大統領とはかけ離れていた。


そんな事態も、そう言う意見も、そら当然あるんだろうけど、


そんなんわざわざ、あえて映画に入れるかなー、そして


それを主役がOKするかなー。


少なくとも日本の権力者のルポでは「忖度」が働いて無理だろうと。


良い悪いではなく、ファクトとして感じた。


 では、本書からの引用。


「8 証人」 からの抜粋


2012年の初め、ムヒカとオバマはコロンビアの

カルタヘナ・デ・インディアスで開かれたサミットでたまたま顔を合わせることになった。

その夜の晩餐会で二人は隣同士に座り、最初の瞬間からとても馬が合った。

ムヒカは、オバマについてとても聡明で思慮深い人物であると言う印象を持った。

晩餐会は三時間にも及び、二人はその間中ずっと意見交換をしていた。

互いの熱意が伝染したのだ。

 

あの夜、オバマがウルグアイについてよく知っていることがわかった。

私のことも重要人物のように思ってくれているようだ。

だが、国際社会では、私は自分が変わり種だと言うことを知っている。

私はパラメーターの中に入らないんだ。

オバマは、アメリカの他の政治家と比べると急進左派だ。

だから、言ってやったよ。「アフガニスタンから撤退しなさい」とね。

オバマは笑っていた。彼には通訳がついていた。

私も少しなら英語がわかるが、彼らが話すと何を言っているか全く理解できない。

オバマにはカリスマ性があり、品があって立派だ。

あのサミットでは、アメリカを非難するスピーチが

20以上あったがオバマは辛抱強く聞いていたし、それはそれで尊敬すべき態度だと思う。

私は彼に行ったんだ。

「あなたはアメリカが私たちに与えられる最高の大統領です」とね。

現在のアメリカの置かれた状況から考えるとオバマは最高の大統領だ。

 

翌年5月、ムヒカはホワイトハウスにオバマを訪れた。

元ゲリラだったラテンアメリカの指導者が、

アフリカ系アメリカ人の大統領が使用する大統領執務室に足を踏み入れるのは初めてのことだった。

ウルグアイの異端児(オペハ・ネグラ)からアメリカの異端児(ブラック・シープ)へ。

全てが歴史的な特徴を持っており、そして実際に歴史になった。


でも、この時ストレスにさらされ白髪だらけになったオバマを見て老け込んだなあ、と思い、話したとされる。


そして当時の副大統領とも会談をしているようだ。


バイデンは、ムヒカと一対一の会談をすでに何度か行っていた。

5月にはワシントンでムヒカと昼食をとり、

ムヒカがスープ皿の前で舟をこいでいるのを目撃したバイデンは、

グアンタナモ収容者のウルグアイへの引き渡しを急ぎたいと考えていた。

その目的は達成されなかったが、両政府の合意内容には、

ウルグアイでの選挙が終わったらすぐに着手するというムヒカの約束が含まれた。

また、この時バイデンは、なぜか国際社会でこれほど有名になったのかも理解した。
携帯電話での通話が何度も途切れた時

「こう言うことは初めてだよ」と、バイデンはアドバイザーたちに語った。

 

ムヒカはヨーロッパでも歓迎を受け、

それほど親しくはないにしても、何人かのヨーロッパの指導者らとも絆を育んだ。

ムヒカは大統領として6回ほどヨーロッパを訪問したが、

最も長い旅程が組まれたのは、2011年にノルウェー、スウェーデン、ドイツ、ベルギーを

訪れた時で、2013年にはスペインを訪れ、フランシスコ教皇に謁見するためにバチカンにも行った。

ムヒカは、ヨーロッパの中でも特に伝統のある場所での滞在を楽しみ、

世界で最も美しい街としてパリ、プラハ、エジンバラを挙げる。

長い歴史を持ち、何世紀にもわたってもたらされた調和が醸し出される街を好むのだ。

政治家としての視点では、ヨーロッパはある深刻な問題に直面しているとムヒカは考えている。

指導者たちに対する信用が危機的な状況に陥っており、

ヨーロッパ大陸における自分の人気振りは政治家に対する

不信の高まりによって説明されると考えている。

旧世界にはもう何もサプライズが残っていない。

だからこそ彼らはムヒカという異端児に魅了されているのかもしれない。

ヨーロッパでは前衛的な政治という考えは少なくなってきており、

一部の国ではいまだに征服の考え方が支配的である。


ヨーロッパは現在の世界を理解する上で、深刻な問題を抱えている。

つまり、左派政権がほとんど存在しないという問題だ。

ひとつだけ左派政権があるが、すべて混ぜこぜになってしまった。

次に、社会主義のスカンジナビア諸国があるが、時々右に振れることもある。

しかし、彼らが作り上げたシステムは素晴らしい。

彼らが実現した生活水準と富の分配には目を見張るものがある。

やればできるということが示された良い例だと思う。


「10 預言者」から抜粋


ムヒカは、人類は、頻繁に携帯電話を買い替えたり、

1年も持たない電気製品に頼ったりする必要はないことにそのうち気づくだろうという。

「ランプを100年使い続けられるのならば、どんなものでも

もっと耐久性を持たせることができるはずだ。

いや、何も洞窟時代に戻るべきだと言っているのではない。

企業の利益にも意味を持たせることが大切なんだ」

知識、研究内容、情報などが、以前より多くの人に

利用されるようになったということは事実だ。

しかし、方向性がなく、これらの情報に

「ポジティブな意味を与えられる人」がいないことが問題なのだ。


今人類は、いまだ存在して居らず、どの国も準備することが

できないグローバル・ガバナンスを必要としている。

太平洋で起こっている海抜の上昇やプラスチック投棄の問題は、

どの政府も解決できていない。

社会と政治の乖離は重大だ。

このままでは何も良いことにつながらない。

そこで、アウトサイダーが"救世者"として登場するわけだ。

政治家と言っても色々で、くずみたいな奴らもいるが、

彼らは結局自分たちの所属政党のためにしか行動しない。

歴史上も、このようにしてあまり評判の良くない指導者たちが現れた。

右派の政治家はいつも道徳に訴えるようなスピーチをして、民衆の前に現れる。

そして政権を握り、全てをメチャクチャにするのさ。


頻繁に携帯電話を買い変えるって面白い比喩だな。自分は、もう、何年も変えてない。


iPhone SE 1st Editionだから、6年も変えてないよ!ってどうでもいいな、これ。


前後してしまうけれど、「序文」の艸場さんの編集した本


「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」から抜粋。


艸場さんがウルグアイに訪問して語りかけられた内容だそう。


歴史における偶然についても話そう。

私が生きているのも偶然だからね。

 

偶然なんか存在しないというのは真っ赤な嘘だ。

世の中には想像を超えたできごと

つまり偶然が存在している。

因果関係 ーー こうだったからこうなった、ということだ ーー

そして偶然。

この二つは確実に存在する。

 

歴史を学べば、それが良くわかる。

 

ヨーロッパ中世の学問に、スコラ哲学がある。

これは古代ギリシャの「スコレー」が起源で

これが「ひま」という意味なんだ。

古代ギリシャでは、スコレーは議論する時間のことだった。

 

ギリシャ時代の人々は大きな広場に集まって、

話し合い、議論した。

こうした社会に、スコレーつまり「ひま」が重要だったんだ。

スコレーがあったから哲学が生まれた。


哲学は大学で学ぶだけじゃない。

人生を通して抱き続ける問いなんだ。

私たちはみな哲学者なんだよ。

哲学は、製品として売ることができないから

市場では相手にされないが

哲学を持たなければ、世の中にあふれているものごとから

本物を見つけることはできないだろう。

 

「ひま」は無駄じゃない。

人が話し合う時間は大切なんだ。

時間がかかるものではあるけれど、

それが「生きている時間」なんだよ。

 

君とこうしてじかに向き合って

同じ時間を共にすることがすばらしいんだ。

 

告白するとね、

わたしは人間は限りなく良い社会を築けると信じているんだ。

そのためには古代に目を向けることだ。

歴史は化石ではなく、未来のための果実なんだ。

古代の社会から寛容さを学ぶことだ。

寛容さは、命を守るために大事なことだよ


闘う前からあきらめている連中を見ているとイライラするんだ。

勝ったことをひけらかす必要はないが、

勝つと信じて前に進み、人生に意味を与えるべきなんだ。

 

人生みたいに複雑な現象に、

どうやったら勝ったと言えるんだろうね?

でも、人生はすばらしい冒険なんだ。

たとえ20回挫折しても、やり直す価値があるんだよ。

わたしがそうだったんだから。

 

人生が意味あるものにするかどうかは

きみ次第だ。

たとえ困難でも、もう少しと挑むことだ。

敗者とは、肩を落として自らを放棄してしまった人々のことだ。

人生を投げてしまうのは

店で命を売るようなものなんだよ。

どうでもよい買い物をして人生を使っているうちに、

一文なしになったきみは

この世でいったい何をしたかったのだろう?

 

自由を奪われてはならないよ。

若さを失わないで、

人生をたっぷり味わいなさい。

もっと生きることをめがけて。


哲学者のようだと思ったのは、それもそのはず


ムヒカ氏の原典が古代ギリシャだったのか。


マルクス・アウレリーウスとかセネカのようだ。


余談だけれど、ジョン・レノン、


チャップリン、ガンジーも連想してしまった。


nice!(40) 

見えない戦争・インビジブルウォー(2019年):田中均著 [’23年以前の”新旧の価値観”]


見えない戦争 インビジブルウォー (中公新書ラクレ)

見えない戦争 インビジブルウォー (中公新書ラクレ)

  • 作者: 田中均
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: Kindle版

著者は元外交官で、北朝鮮に拉致された人を


日本に戻した(2002年)立役者の一人。


当時小泉政権で、安倍さんはよく知られる貢献人


(拉致被害においては)だが、田中さんは裏方なので


あまり目立たないけれどなぜか自分は興味があって


外交の力(2009年)」をむかし読了。


外交の厳しさやプロフェッショナルっぷりに


感嘆した記憶が残っていた。


以下本文からの引用でございます。


1980年代までは先進民主主義国の優位性は疑うべくもなく、「先進民主主義国サミット万能」の時代だった。

G5と呼ばれたフランス、アメリカ、イギリス、西ドイツ、日本。

そして、イタリアとカナダを加えたG7。

G7の共同声明には必ず冒頭に「我々、先進民主主義工業国は」と謳い、ソ連圏と対峙する先進民主主義的価値が共通の基準となって、世界的な意思決定を行い協調体制が組まれてきた。

7カ国合わせた国内総生産(GDP)が全世界の7割近くを占め、アメリカの軍事予算は世界全体の半分を超える時期もあった。G7は圧倒的な支配力で、世界を牛耳っていた。

しかしそのGDP比率は、もはや5割を下回っている。

90年代になり、人、モノ、資本、技術、サービスが国境を越えて大量に行き来する様になると、新興国といわれるロシアや中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アなどがその経済力とともに台頭し、G20の時代に突入する。

しかし価値を共有しないG20は意味のある決定はできない

ちなみに80年代後半、日米経済摩擦が問題となっていた頃の日本の貿易(輸出入総額)の30%は対アメリカだったが、2018年には15%に低下している。

代わりに急激に増えたのが対中国の貿易だ。

1990年にたったの6%だった同国の比率は、2018年には21%にまで上昇している。

この数字だけでも、この30年で世界の経済地図が大きく書き換えられてきたということを理解してもらえるだろう。

 

グローバリゼーションは先進民主主義国と新興国との国力のバランス、相対的な地位に大きな変化をもたらした。

同じ価値観を共有するG7時代は、方針を決めるのも楽だった。

だが1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結すると、世界が多極化した。

政治的・経済的に守らなければならない絶対的なものはなくなった。

二つのイデオロギーで対立していた世界はそれぞれの世界で自己完結的であったが、今日、さまざまな価値観がぶつかり合い、ガバナンスが利かない状態に突入している。

最近のG7ではもはや従来のような首脳宣言すら出せない。

しかもそこに経済的な相互依存があるから、事態はより複雑だ。

シェールガスや電気自動車の登場は、石油の相対価値を低下させ、産油国の優位性も失われた。

人や資本がダイナミックに動くようになり、ITによる情報の流通に歯止めが効かなくなると、国家としての価値観は相容れないが、経済的には切っても切れない関係が生まれるようになる。

現在のアメリカと中国がまさにそういった状態だ。


アメリカが安全保障の見地からファーウェイ(華為)を輸出禁止対象とし、サプライチェーンを寸断することも辞さないという行為は、やがて国家や企業は、価値に基づく安全保障と経済相互依存に基づく経済の繁栄のいずれをとるのかの判断を迫られ、踏み絵を踏まされる可能性を予感させる。

こういった状況は、それぞれの国内、特に先進民主主義国に大きな変化をもたらした。

グローバリゼーション、IT革命で巨万の富を築くものと、旧来型のビジネスのなかで貧困に喘ぐもの。

そういった富の偏在が社会を分裂したのだ。

2000年代に入ると、日本での「勝ち組負け組」「下流社会」といった格差社会を象徴するような言葉が使われるようになった。

国家間での人の行き来が増して、新興国からやってきた人々が先進国で職を得るようになると、当然それまでその仕事をしていた人たちが収入を失うことになる。

これが現在、世界に蔓延しているポピュリズムの種となった。
反グローバリゼーション、過激主義、反イスラム、極右・極左、大国主義、ナショナリズムなどは、すべてポピュリズムに乗っかり、権力と結びつき、勢いを増しているというのがここ数年の現状だ。

そのような国内の趨勢が国際関係に飛び火し、いつ火花を散らす紛争に変わってもおかしくない”見えない戦争(インビジブルウォー)”は、世界のそこかしこで生まれている。


普段あまり政治を意識しない不届きものなんだけど、


不在者投票してきた今日だからこそ、


選挙の日は仕事なもので。


そもそも日本って今どんな感じなのだろうか。


外交とは”結果を作る作業”であり、国内、国民に向かって心地よいことを吠える世界ではない。

民主主義国家の選挙で選ばれた政治家が国民の関心をひくことばかりを口にし、そのために方針を決めていくのも理解できないではない。

だが、プロフェッショナルな外交の本質は、相手との関係を踏まえて結果をつくり、国益を増進させることに他ならない。

いくら「がんばってます」というプロセスを見せても、結果を作らなければ意味がないのだ。

しかし皮肉なことに国民に不人気な結果であっても国益に資するという判断をできるのは選挙で選ばれた政治家であるはずだ。

そういう判断を先送りにし目の前の票を意識しているうちに日本はどんどん衰退する


自分自身の外務官僚としての経験から言えば、官僚と政治家の間には、一種の緊張感があるべきだと思う。

(略)

意見が対立し、政治家から叱咤されることは私も日常茶飯事だった。

官僚としては、国益を守るための仕事をすべきだと考えていたから、それも当然だと思っていた。

たとえば、小泉純一郎総理が靖国神社の参拝を繰り返したとき、官僚として総理大臣に「行くな」と言うことはできなかった。

だが「もし参拝したら海外からこういう反応が起きるでしょう。対中、対韓外交に著しい支障が出るでしょう。それを踏まえて判断してください」

とためらわずに伝えた。

それはアジアを所管するアジア大洋州局長としての当然の責務だった。

総理は顔を真っ赤にして怒っていたが、私は総理の機嫌を損なえば左遷されるのではないかなどということは微塵も考えなかった。

結果的には総理は毎年靖国神社を訪問し、そういう意味では私たちの意見は取り入れなかったが、それでも2回目以降8月を避ける工夫をし、大げさな形を取ることは控えられた。

中曽根内閣の時は、後藤田正治官房長官から「君、こんな官僚が書いた作文なんか読むはずがない!」と叱咤された。

橋本内閣の時は沖縄や安保の問題をめぐって、毎日のように「君が属する外務省北米局を潰し、防衛庁に吸収させるぞ」と橋本龍太郎総理に威嚇された。

梶山静六官房長官からは「君なんか沖縄に行って、そのまま沖縄にいて帰ってくるな」とまで言われた覚えがある。


小泉さんとは蜜月の仲だと勝手に


想像してたんだけど、そんなこともなかったのだね。


裸の王様に「裸だけどいいんですか?」と


言ってしまう人なのだね。


もちろん言いたくて言ってるわけじゃないって


いう論旨が書いてあるけど。


しかし、それでよく30年以上、外務省で働けたよなあ。


誰か良い支持者がいたのかな。


これもご自分で書いてるけど、これだけ


上に目をつけられてたら普通は左遷だよなあ。


しかししかし、一歩引いてみる。


そこまでじゃないけど、自分も疑問に感じてしまうと


態度や行動に出てしまう、という点では、


若干似ていてシンパシーを、僭越ながら、感じる。


黙ってりゃあいいものを。


話を田中さん小泉さんに戻すと、職種や職務の


違いはあれど、この二人って似てるところ


あるんじゃないかと思ってるのだけど、


群れをなさないと言う点で。既得権益に挑む姿とか。


総理官邸だけではなかった。自民党の部会では激しく罵倒された。

アジア太平州局長時代に藩陽で脱北者の日本領事館への駆け込み事件があった際には、衆議院の予算委員会で答弁に立つと与野党自民党議員から

こいつは黒を白と言うやつだ

と激しく野次られた。

まるで官僚の人格を否定するように。

それでも、どんなときも私は言うべきことはきちんと言い続けた。

政治家から見れば嫌な官僚だったかもしれない。

私だって官邸や自民党に行くのは嫌だった。

最終的には国民に選ばれた政治家が優位であることは議論の余地がない。

政治家がノーと言ったら官僚は従わざるを得ない。

理を尽くして説得ができるか否か。

命がけとは言わないが、官僚としての意地とプライドはあった。

説得できないこともあったが、彼らと話し合うことをやめようとは思わなかった。

それが自分の仕事だからだ。

私は外務官僚時代も、権力にひざまづずく事をしなかった。

反体制というつもりはないが、少なくとも国家権力、政治家というものと一体化しようと思ったことはない。

私が反権力の気風が根強く残る京都大学出身だからかもしれない。


京大ってそういう志向なのか。


40年前に知りたかった。


知ったところで絶対入学なぞ無理だけど。


田中さん、その後、国家公務員でありながら、


外務省入省後に留学したのがオックスフォード大学、


この英国の大学は三年間に及び大切なことを学んだという。


そのとき、教授から学んだのは、「書物に書かれていること、目の前にある現象だけを鵜呑みにしてはいけない」ということ。

常に「なぜそうなのか」「本当にそうなのか」ということを自分で問い、考える

批判的といわれようと物事の本質について考える習慣はこのオックスフォード時代に身についたように思う。

むろん、批判することが自分の仕事だと考えたことはない

官僚のもっとも大切な仕事は、説得だ。

政治家を説得し、国民を説得し、外務官僚であれば相手国を説得する。

説得力を持つには十分な情報を持っていなければならない。

そこに自らの知見と経験を加えて、国益にかなう将来の見通しを述べる。

それが官僚の仕事であり、「外交」の正しいあり方だ。

その見通しが、権力側と一致しなければ、批判と受け止められる。

きちんと説得し、批判と見られないことが重要なのだ。


あとがき から抜粋


これから日本こそ、「ジャパン・ファースト」であってはならない。

地域や国際社会との協調を基本としていかないと、一層の国力の低下をもたらすのではないか。

この本の中でもプロフェッショナリズムへの回帰の必要性は幾度となく取り上げた。

ポピュリズムに対比する概念はプロフェッショナリズムだ。

ポピュリズムは科学的・客観的な検証を得ないで、国民がもっともなびきやすい感情に訴えようとする

(略)

これに対抗できるのはプロフェッショナルな考え方であり、論議である。

しかし強い権力は論議を好まない

どのような国家であっても、人々は強い権力に頭を下げ、忖度する

だからこそ、チェック・アンド・バランスのシステムが働かないと、民主主義国家であっても先制国家と変わらない傲慢な振る舞いに陥ってしまう。

チェックとバランスの欠如が、まさに、”見えない戦争(インビジブルウォー)”の背景にあるといえる。


前後するけど、本文からの引用を以下に。


長年日本の多くの企業もそこで働く社員も、”アマチュア”だったのだ。

多くの人が等しく幸福に生活ができるのであれば、アマチュアであっても何も問題はない。

実際、戦後の長きにわたって日本は”理想的なアマチュア国家”だったと言っていいだろう。

企業は国家の庇護のもと利益をあげ、社員は真面目に勤めてさえいれば在籍年数に応じて給料が上がり続け、決して解雇されない。

日本が成長を続けていた時代は、そのようなシステムがよく機能していたと思う。

だが安全地帯に身を置くアマチュアのままでは、グローバリゼーションの時代には対応できない


一人ひとりがプロフェッショナルとして自分の人生を守らなければならない時代なのだ。


政治の世界の話だけではない、


普遍的価値のある内容だと思った。


ロシアとウクライナの戦争によって、


国家間の戦争が過去の遺物ではなく


まだありうるという点でいうならば、


この本は一般的には価値が下がるのかもしれないが。


かくいう自分も国家間の戦争なんて


今後あり得ないと思っていたんだけど。


2022年春までは。


これから否が応でも、グローバリズムが加速していく


社会で、サバイヴし得るのは、老いも若きも


個のスキルと経験、ということなのかなと。


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彼女たちの三島由紀夫:中央公論新社編(2020年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


中央公論特別編集-彼女たちの三島由紀夫 (単行本)

中央公論特別編集-彼女たちの三島由紀夫 (単行本)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/10/20
  • メディア: 単行本

対談相手:石井好子 シャンソンを語る(1955年)


三島由紀夫30歳 石井好子32歳


シャンソンというか、フランスを語るって感じ


石井好子さんは亡くなるすこし前、


これまた亡くなったうちの母親がステージを観て、


CDを購入してきただけあって、


なんとなく通じる反骨精神を感じ、


それを自分も継承してしまったんだなと妙に納得。


▼三島

フランスでは。コンセルヴァトワール(パリの音楽学校)

などを一番で卒業した人でも、仕事がなくて、

カフェーあたりを流している人が一杯あるね。

 

▼石井

そうなの。

 

▼三島

そんな風に、競争者が多いから、フランス人は、

芸というものに対して、決していい加減な

考えを持っていないね。実に厳しいんだ。

 

▼石井

そう、もの真似を、極端に嫌うのよ。日本では、割合に、もの真似を好きらしいけれど。

 

▼三島

日本では、殊にジャズ歌手なんか、誰かに似せなければ売り出せないよ。

 

▼石井

向こうじゃ、誰かに似ちゃわないように、

自分の個性を出すということに、とても苦心し、努力するのよ。

有名なシャンソン歌手の半分は、エディット・ピアフにしても、イヴ・モンタンでも、みんな歌詞にアクセントがあるの。

そしてそれがよく生かされて個性になっているのね。

私は日本人だから、どうしたって舌足らずのところがあるでしょう。誰の真似でもないでしょう。

 

▼三島

それが魅力になり、個性になっているんだな。


▼三島

パリの劇団というところは、そういうふうに

芸そのものに厳しい一方では、情実か金か、

っていうことが、とてもあるんですよね。

その金も、自分の金じゃない。パトロンが出すんだ。

劇団内部の、ちょっと人には言えないような関係ってのは、日本どころじゃないでしょう。

 

▼石井

確かに一方では、おっしゃる通りよ。

人気が出てきた歌い手とか踊り子なんかには、すぐパトロンの手が伸びてくるの。

私ね、ある劇場に出ている時に、突然、舞台の数を減らされちゃったのよ。

そこの有力者が、パトロンの誘いをかけてきたんだけど、もちろん、お断りしたでしょう、その腹いせなのよ(笑)

 

▼三島

フランス人らしいね。

 

▼石井

だからって、いうこと聞くことはできないわ。

どんな目に遭わされたってとにかく…

私には、歌の才能なんてものが特別あるわけじゃないんだから、自分一人で、人に頼らないでコツコツやって、その努力がどこまで勝つか試してみよう、っていう気持ちで歌いまくったわけなの。


▼三島

ケチは、フランスの有名な国民性だからね。

バルザックの「ゴリオ爺さん」なんてのは、ケチの標本だけど。日本では京都がそうだっていうけど。

古い文化を持ったところではケチですよ。

そこへゆくとブラジルなんかは、新開地だからケチじゃないんだ。

 

▼石井

ほんとうに私、フランス人ほどケチなの見たことがないわ。

楽屋へサンドイッチを売りにくるでしょ。

そのサンドイッチの大きさが、外で売っているのよりこれっぽっち、ほんの小さいってので、踊り子たちと売り手で、わめきあって喧嘩しているんだもの(笑)。

実際フランス人ってよく喧嘩するのね。

 

▼三島

自己を主張して、権力に屈しない国民だからね。

 

▼石井

そうなのよ。私たちの舞台稽古でね、振り付けの先生が、こうしなさい、と言っても、三十何人の踊り子たちが、まず口答えするのよ。

「私はそうは思わない、こうしようと思うのに」なんて、罵りわめくのよ。

足踏みして怒鳴ったりね。コーちゃん(越路吹雪さん)が、舞台稽古を見に来て、「ナンと喧嘩の多い国だ」って、あきれ返ってたわ。

そんなだから、楽屋は大変よ。

35人の女たちが、いらだった叫び声を、ひっきりなしにあげているんだから、阿鼻叫喚の有様になることがあるのよ。「メルド(糞)」「コション(豚)」なんてひどい言葉で罵っているのもいるしね。

 

▼三島

あとはけろっとしているんでしょう、言うだけ言ってしまえばね。

 

▼石井

そうなの。喧嘩はこれでおしまい、

というところに来ると女同士でもちょっとキスし合って、それでサバサバした顔してるわ。

(中略)

 

▼三島

その代わり、陰口は言わないようだね。

 

▼石井

陰口を言う人があると、怒るのね。

そして、言われてる人を弁護してるわ。

 

▼三島

日本でよく、窓口の役人根性なんて言うけれども、

向こうが本家だよ。

バルザックの「小役人」に、それがよく出ているけれど…。

 

▼石井

その窓口には、たいてい中年の小母さんがいて、意地悪をしなきゃ損だって顔しているの。

顔を剃らないから口ひげがはっきり見えるほど伸びててね。

その顔の通りに、意地悪の限りをするの。あんな人の旦那さんは厭だろうと思うな。


確かに、良い大人がサンドイッチの大きさで


喧嘩したりはないよな日本人なら。


それにしても、若い、三島由紀夫の口調が。


権威となる前の三島さん、30歳か。


当時珍しかった同年代で世を渡ってきた女性との貴重な対談。


若さってキープできないから、残酷だ。しかし年齢を重ねても


良いことがあるっていうのを知ることを拒絶してしまったのが


残念としか言いようがないですよ。


Wikiによると石井好子さんはその後、


87歳までご存命だったようで


その”スピリッツ”(今風なら”マインド”)は


加藤登紀子さんが継承されているようだ。


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流れといのち:エイドリアン・べジャン著:柴田裕之訳(2019年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


流れといのち――万物の進化を支配するコンストラクタル法則

流れといのち――万物の進化を支配するコンストラクタル法則

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2019/05/11
  • メディア: Kindle版

「序」から抜粋


生命と進化という現象を通して力の生成と散逸が

協働し、河川、風、動物、人間、機械など、

地球上の生物や無生物のあらゆる動きを促進する。

これは明瞭な現象で、物理の第一原理であり、

「コンストラクタル法則(constructal law)」

(生物・無生物を問わず、万物はより良く流れる

かたちに進化するという、著者が1996年に

発表した物理法則。原題のconstructalは著者

の造語。詳細は前作「流れとかたち」を参照)

という。

生命とは何かという問いを物理の観点に立って

提起すれば、ダーウィンから継承した生命の

記述的物語を導入することになる。

その物語からは物理学というテーマが抜け落ちている。

なぜ物理学を導入する必要があるかを理解するには、

ある領域で働き、拡がるものの例(動物、疫病、

河川流域、鉱物の採取、ニュースなど)を

いくつか考えてほしい。

これらの拡がり方はよく知られたS字カーブをたどる。

時の流れに沿って、最初はゆっくり、やがて速く、

そして最後にはまたゆっくり拡がる。既存のモデルは

みなこの現象を、競争、すなわち、生存と資源入手、

繁殖率向上、縄張り拡張、機会獲得などの

ための闘いとして説明する。


「第9章 時間の矢 知識の流れとかたち」から抜粋


知識は、それを持っている人から、持っていなくて

必要としている人へと、一方通行で自然に広まる

なぜ、自然に広まるのか。知識(デザイン変更)は

人間を動きやすくするからであり、また、

より大きな流れに向かっていく傾向は自然で

普遍的だからだ。

知識量の多い人と少ない人との境界は、時とともに前進する。

「高」が「低」に浸透していく。

「高」には知識のある人々がいて、「低」の

人々よりも多く動いている。

私たちはこの自然の傾向を他のいくつかの呼び名で知っている。

後ほど、ことわざや格言を挙げて紹介しよう。

良いアイデアには聞き覚えがあるものだ。

良い歌を耳にすると、以前にも聞いたことがあるような気がする。

私達はみな、「良い」ものの文化の出身地なのだ。

私たちは良いものは記憶にとどめ、そうでないものは忘れる。

そうでなければ、ここにこうして存在していないはずだ。

飢えや寒さ、苦しさで、とうの昔に死に絶えていただろう。

私たちがこのようななじみ深さを感じるのは、

アイデアの良さについて意見を表明しているようなものだ。

私はコンストラクタル法則について講義を

するたびに、この種の意見を耳にする。

この法則は、私たち全員に生まれながらにして備わっている。

以下のようなことを口にするとき、私たちはじつは

この法則を引き合いに出しているのだ。

 

・流れに乗れ。

 

・最短経路を見つけよ。

 

・目的は手段を正当化する。

 

・カルペ・ディエム(その日をつかめ)。

 

・何でもあり。

 

・郷に入っては郷に従え。

 

・すべての道はローマに通じる。

 

・長い物には巻かれろ。

 

・誰もが勝者を愛する。

 

・何かをやってもらいたければ、忙しい人に頼め。

 

・富める者はますます富む。

 

・賢者は考えを改める能力で知られる。

 

・二度目の機会は良いものだ。

 

・時代は変わった。

 

・時間は味方。

 

「何でもあり」と「郷に入っては郷に従え」は

矛盾するように聞こえるかもしれないが、法規とは何か、

なぜ法規は人を自由を保障するか、なぜ法規は自然に発生するかを、

両者はいっしょに示している。人がいるところには法がある。

この逆を述べたのが、ヘンリー・キッシンジャー(※)で、

彼も同じメッセージを送っている。

「自分がどこへ行くのかを知らなければ、どの道を進んでもどこにも着かない。」


 ※=ニクソンおよびフォード政権期の国家安全保障問題担当


   大統領補佐官、国務長官。1973年ノーベル平和賞受賞者。


 


何だか、すごい、高次レベルの内容で、自分の頭では


ほとんど内容についていけてないんだけれど、


かなり以前、元同僚のススメがあって、


ふと思い出し、昨日今日でざっくり読んでみた。


すでに、これまたざっくり読んだ、


利根川進さんと立花隆さんや、


養老先生の本を多少なりと読んでたので、


引っかかるキーワードが


ある程度の理解ではございますが、


これは前作といわれる「生命のかたち」を読まないと


納得できないような。


でも「ダーウィンに物申す」っていう


アティテュードの方の様で


ってことは「キリスト教の否定」の


「さらに否定」ってことで


大丈夫なのかな、著者の出生国ルーマニアとか


お住まいの地域での身の安全は、と


余計な心配をしてしまう。


それとキッシンジャーさんってそんな方だったのか、


と妙なところに納得してしまう次第で。


それにしても、この本、日本語の翻訳に、


ものすごい気合を感じる。


訳者あとがき(柴田裕之さん) から抜粋


前作「流れといのち」は私にとって衝撃的だった。

おおざっぱに言えば、こうなる。

かつて、人間を別格とみなして他の生き物と

切り離す世界観を、ダーウィンが進化論で刷新した。

前作と本書「流れといのち」の著者

エイドリアン・べジャンはそれをさらに推し進め

生物を別格とみなして無生物と切り離す世界観を、

すべてのかたちの進化を支配するという独創的な

コンストラクタル法則で崩し、森羅万象を物理によって

一つにまとめ上げた

これほどまでの統合的な見方に、私は魅了された。

(略)

このコンストラクタル法則に劣らず魅力的なのが、

著者の姿勢だ。

権威と言われてる人の言葉であろうが、学界の定説であろうが

鵜呑みにせず、疑問に感じた事柄を放置しないで出発点とし、

先入観にとらわれずに広い視野から考察や検討を重ね

特殊ではなく包括的な代替の説を提示して、それが斬新過ぎて

簡単には受け容れてもらえなかった批判を招いたりしても

動じないで、証拠や裏づけを積み上げていくという著者の姿勢は

物理の世界に限らず、どんな分野でも範とすることができる。

(略)

読者のみなさまにも、コンストラクタル法則という

斬新なアイデアに触れ、この単純ですっきりした法則に

よってじつにさまざまな事象の説明や予測が

つく爽快感を味わい、著者の姿勢や世界観に接して

明るい気持ちになっていただければ幸いだ。


余談なんだけど、翻訳って大事だよな。


原典の熱量にさらに熱量を感じるから。


三島由紀夫さんが、ドナルド・キーンさんと


懇意にされていたのは、


こういうことかと連想させる、翻訳っぷりだった。


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精神と物質:利根川進・立花隆共著(1990年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質 (文春文庫)

分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質 (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1993/10/09
  • メディア: 文庫

利根川進博士(’87年ノーベル生理学・医学賞受賞)と


立花隆さんの対談。難しすぎてよく理解できなかった。


いつものように自分に理解できた箇所を


お里が知れるとしか言いようのないほど微量でピックアップ。


第8章「生命の神秘」はどこまで解けるか から抜粋


▼立花

遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、

基本的には、生命の神秘なんてものはないということになりますか。

 

▼利根川

神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。

生物というのは、もともと地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。

無生物からできたものであるとすれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。

要するに、生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね。

 

▼立花

そうすると、人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて

物質レベルで説明がつけられることになりますか。

 

▼利根川

そうだと思いますね。

もちろん今はできないけれど、いずれできるようになると思いますよ。

脳の中でどういう物質とどういう物質が

インタラクト(相互作用)して、どういう現象が起きるのか

ということが微細にわかるようになり、

DNAレベル、細胞レベル、細胞の小集団レベル

というふうに展開していく現象のヒエラルキーの

総体がわかってきたら、たとえば、人間が考えるということが、

エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。

今はわからないことが多いからそういう精神現象は

神秘的な生命現象だと思われているけれど、

わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。

早い話、免役現象だって、昔は生命の神秘だと思われていた

しかし、その原理、メカニズムがここまで解明されてしまうと、

もうそれが神秘だという人はいないでしょう。

それと同じことだと思いますね。精神現象だって、何も特別なことはない。

 

▼立花

だけど、そういう精神現象まで分子レベルの物質の動きにまで

さかのぼって説明をつけようとするというのは、まあ、いってみれば

新幹線がなぜ走るのかを、素粒子までさかのぼって

説明をつけようとするようなもので、そこまで説明しだしたら、

説明が膨大になりすぎて、エフィシャント(効率・合理的)な説明にならないでしょう。

 

▼利根川

その比喩は当てはまらないでしょう。

今いっているのは、精神現象に物質レベルの基盤があるかどうか、ということです。

免疫の問題にしても、分子レベル、細胞レベル、の

説明をつけてはじめてぼくらは本当の意味の理解ができたと考えるわけですよ。

だから、そういうレベルの説明がつくまで研究を重ねてきたわけでしょう。

 

▼立花

だけど、精神現象というのは、はたして新幹線や

免疫細胞のような意味で、物質基盤を持つといえるんでしょうかね。

あれは一種の幻のようなものじゃないですか。

新幹線や免疫現象なら、そこに生起している現象も

物質の運動であり、物質の化学反応ですね。

だからとことん物質レベルで説明をつけることに

意味があるんだろうけれど、精神現象というのは重さもない、

形もない、物質としての実体がないんだから、物質レベルで

説明をつける意義があまりないと思いますが。

 

▼利根川

その幻って何ですか。そういう訳のわからないものを

持ち出されると、ぼくは理解できなくなっちゃう。

いま精神現象には重さも、形もない、物質としての実体が

ないとおっしゃいましたが、こういう性状を持たないもの、

例えば電気とか磁気も現代物理学の対象になっている訳です。

ぼくは脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究することによって、

人間の行動や精神活動を説明するのに有効な法則を

導き出すことができると確信しています。

そのあかつきには、いま立花さんが幻だと

思っておられることも「なるほど」と思われるようになるでしょう。

要は人間がもろもろの対象を理解するのに、過去において

これだけすばらしい効果を挙げてきた自然科学の方法を、

人間の精神活動を司っている脳に当てはめないという手はないし、

実際そうすれば、立花さんが今考えておられるよりも、

もっともっといろんな事がわかるだろうということです。

そこまでいかないレベルで説明をつけようというのは

非科学的でナンセンスだと思いますね。

あのね、こういう話がある。

あるときアフリカの未開の部族を訪ねたイギリス人が、

そこの若い男の子が非常に優秀なのを発見してイギリスへ連れて帰り、

ケンブリッジで教育を受けさせた。少年は優秀な医者になった。

あるとき、故郷の村で変な病気が蔓延し、村の人々がバタバタ

死んでいるという話を聞き、それを救おうと村に帰った。

ところがそれから消息を絶ってしまった。

それでイギリス人の友人たちが心配して、村をたずねていった。

すると酋長がでてきて、説明していうには、その男は非常に優秀だった。

おかげで村の人々はみんな助かった。

それでみんなでその男を殺してその脳を分け合って食べてしまった。

脳を食べれば、あの男の頭の良さがみんなに分け与えられると思ったという。

非科学的な説明に納得するというのは、

この酋長のような説明に納得するというのと、

本質的には変わらないことですよ。

 

▼立花

しかし、精神現象を何でも脳内の物質に還元してしまったら、

精神世界の豊かさを殺してしまった理解になってしまうんじゃないですか。

生きた人間を研究する代わりに、死体を研究するだけで、

自分は人間を研究してるんだと語るようなことになりませんか。

 

▼利根川

いえいえ、死体を研究することによって、

生きた人間についてずいぶんいろいろな事がわかるのです。

それに、我々は実験動物を使うことによって、

例えば脳の一部を生かしたままで培養することだってできるし、

また、生きたままの動物だって人間だって、すでにある程度

研究することはできるし、またテクノロジーが進めばますます

そういうことが可能になると思います。

要するにぼくのいおうとしていることの一例としてですが、

例えば教育学という学問分野がありますね。

どうやって子供を教育すればいいか、いろんな学説分野がある。

だけどそれがちゃんとした原理からの発想に基づいた

学説かといったらそうじゃない。

たとえば、人間の知能はどう発達していくのか性格はどう形成されるのか

そういうことが原理からわかった上でだからこうすればいいんだ

という処方が下されているのかというと、そうじゃない

現象的な経験知の集大成に過ぎないんですね。

当然こういう処方には限界がある訳です。

 

▼立花

まあ、人文科学というのは、大体が

現象そのものに興味を持っているんであって、必ずしも、

その原理的探求に関心がある訳じゃないですからね。

 

▼利根川

ぼくはね、いずれああいう学問はみんな、脳の研究に向かうと思います。

逆にいうと、脳の生物学が進んで認識、思考、記憶、行動、

性格形成などの原理が科学的にわかってくれば、

ああいう学問の内容は大いに変わると思います。

それがどうなっているかよくわからないから、

現象を現象のまま扱う学問が発達してきたんです。

 

▼立花

すると21世紀には、人文科学が解体して、ブレイン・サイエンスの

下に統合されてしまうということになりますか。

 

▼利根川

統合されるかどうかは別にして、大きな影響があると思います。


なんか難しい…。でもすごい…・よくわからないけど。


そのうち「神秘」がなくなる(説明がつく)、と


おっしゃる利根川さん。


それに意味ありますか、みたいな(そこまで言ってないか)


懐疑的な立花さん。


こうして考えるとよく喧嘩別れにならないよな。


二人の関係性がそうさせない、友好的な、それこそ


「知的な関係」なんだろうね。


それが「人間」だったりして。


次は映像からでこちらの方が、難しいけど少しわかる。


本人の肉声っていいよな。


利根川さん「フォールスメモリー(偽の記憶)」という


前提知識があるとして語ったことを


書き起こしでございます。


Nスペ「脳死体験」(2014年)での


利根川さん、立花さんをお相手に語る。


▼利根川

ある状況下では人間のフォールスメモリー(※)は起こるんです。

いくらいろんなことを言っても、本人はコンビンス(確信)しちゃっているのがフォールスメモリー。

 

※=フォールスメモリーとは、関係のない記憶をある一定の条件で確認すると「見た」「行った」「あった」というような”記憶”になってしまうこと。

 

■フォールスメモリーの実験2事例

事例1)人間での実証報告

・成人女性に幼少期に家族と撮った観光写真とフェイク(合成)の

 観光写真を見せてインタビュー

・1日目は、それぞれ、行った行かないを正しく回答

・同じ質問を毎日し続け、7日目には、行ったことのない場所も行ったと回答

・尚且つ、ディティールまで回答(この場所にあったもの、など)

事例2)マウスの実験内容

 ・マウスの脳のある部分を刺激して安全な部屋である記憶をさせる(頭に装置装着)

 ・次にマウスを別の部屋に置いて脳を刺激し安全な部屋にいたことを思い出させる

 ・そこに電気ショックを与え怖がらせる

 ・結果、別の部屋にいるにもかかわらず、安全な部屋にいても

  電気ショックがないにも関わらず怖がるような

 「フォールスメモリー(偽の記憶)」ができてしまう

 

▼利根川

確かにフォールスメモリーを持っている人が、

MRI(脳の磁気検査装置)で調べると、光っているところは、

リアルメモリー(本物の記憶)が光っている人と同じところが光っているんですよ。

MRIでは全く区別がつかない。

それはごもっともで、だからこそ、その人はフォールスメモリーとは思ってないんですよ。

リアルメモリーだと思っている。そのメカニズムが今のところ区別つかない。

イマジネーション(想像力)が非常に豊富になると、

脳の中で環境とは関係なく起こっている

記憶が想起しているというのは脳で何かが起こっているんです。

しょっちゅういろんなことを脳の中で反芻していると外からバンときた事が一緒になっちゃう。

非常にイマジナティブな生物になるというのは、そういう危険がある。

つまり人間というのは、動物と違って

「サイエンス」やるでしょ「アート」やるでしょ「ミュージック」やるでしょ。

これはみんな人間がイマジナティブなスピーシーズ(種族)だから文化的な行動をして

シビリゼーション(文明)を作っている。

人間だけがクリエーティブなことをやっている。

だから人間が人間になっている。それが人間でしょう。


余談だけれど、先の対談本を読んでみて、


その対談の丁々発止があっての、


後の利根川さんの熱弁があると思うと


なかなか感慨深い。


深く下調べする立花さんを説得しようと


している様が。


それにしても、私の冒頭で、二人の会話を


理解できない自分を卑下してみたものの


冷静に考えかたやノーベル医学賞、


かたや我が国のジャーナリストの雄の


高次元の対談を理解できる人は少ないよな。


それでもやっぱり自分の文章や語彙力、


テキストでは全く伝わらない。


Nスペはアマゾンプライムで配信されてますので


ご興味ある方はそちらをどうぞ。


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