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3冊の『ラブ・ゼネレーション:早川義夫著』を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


ラブ・ゼネレーション

ラブ・ゼネレーション

  • 作者: 早川 義夫
  • 出版社/メーカー: 文遊社
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本

1960年後半は「ジャックス」の作詞作曲・ボーカルを担当、

その後一時引退して、川崎の武蔵新城で書店店主、


1990年半ば歌手としてに復活。


現在は活動停止を余儀なくされている、早川義夫さん。


高校生の頃(80年代)、ジャックスのレコードは一枚も


市販されておらず、情報も皆無だった。


遠藤ミチロウさんがカバーされていていたのを


聴くくらいしかなかったけど、


その音楽たるや異様に深かった。


特に言葉(歌詞)が80年代の他の音楽を軽く凌駕していた。


遠藤さんが吉本隆明さんとの対談でも言葉(歌詞)に


興味を持つきっかけとして話されていた。


そんな頃、17歳くらいの時、


地元の古本屋さんのワゴンセールで


見つけた初版の「ラブ・ゼネレーション」は


100円だったけれど、


他のどの本よりも輝いていた。


帰宅して貪り読んだという経験は、ほぼ初めてで


最後まで一気に長時間、ストーブの前で読んだ。


今思うと、最高の本との出会い、経験


と言える一冊だった。


・ほんとうにいいものを読んだり、聞いたり、

 見たり、ふれたりした時は、すぐさま拍手なぞできず、

 絶対、間があるはずだ。

 

・やはり、歌が伝わるとか伝わらないということではなく、

 歌う人間が伝わってこなければ駄目なのです。

 

・線は、のびていくことが出来るが、

 点は、のびようがない。

 しかし、点は爆発する。

 

・足りない足りないと、やたらぼやきが多いけれど、

 ほんとうは足りないんではなく、よけいなものが多いのだ。

 

・とかく音楽好きの方は、音楽的にものごとを考え、

 また評価する。

 しかし、音楽が目指すものは音楽ではない。

 

可愛げのある人、ない人はどういう人たちだと

決めつけられないが、やはり可愛げのない人って

いるものだ。

どういうのかというと、絶対、自分が弱い人間だとか、

または勝負に負けたということを思わない人だ。

また逆にそれらを口に出す人だ。

(略)

そういうのは図々しいというのだ。

たとえば、素直にあやまれないからあやまりたくない、

あやまりたくないからあやまらない。

あやまらないのは自分がやだからもとの問題を

すりかえてまでも相手をこまらせようとする。

ところが、相手はあやまれといってんじゃない。

目的はいいものをつくろうとか、

楽しくやろうということじゃないか。

相手をこまらせようとして何が生まれようというのだ


僕は思う。

僕たちの言いたいことは、

たったひとつなんじゃないだろうか。

それがうまく言えないからいくつにも見えてきて、

何度も同じようなくりかえしをしていくのだ。

僕たちの心の中は、いつももやもやしていて、

それが何かのきっかけで言葉に出たり、

音に出たりする。

何故、ぶきっちょになるのか、

それは生きた言葉や生きた音を選ぶからだ。


ところで阿久悠という人は、なかにし礼より

素晴らしいんではないかと思えてきた。

北原ミレイの二曲目、

「棄てるものがあるうちはいい」には、

ちょっとまいってしまったのだ。

 

 ♪死ぬことはない 泣くことはない

 棄てるものがあるうちはいい♪

 

こういうことを言われちゃうと、

俺はまだまだ棄てるものがたくさんあるじゃないかと、

元気づく。

なにもまようこともなければ、

うじうじすることもなかったんだ。

一つを選ぶにゃ、一つを棄てなきゃ

駄目なんだよね。


むろん、そうかんたんに忘れたいことが

忘れられるはずもなく、そんなことはわかっていて、

だから逃げたとか逃げないとかいう問題ではなく、

どうころんだって、やりのこしたことや、

いいのこしたことはうんとある。

僕が先ほどから、爽快であると喜んでいるのは、

逃げ切れたからなのではなく、

棄てきれたからなのだ。

僕が今まで背負っていた、よけいなものを、

棄てきれたような気がしてならないからなのだ。

それは未練がましかったり、嫌な言葉だけれど、

プライドだったりしたのかもしれない。

そして、やはり、美人喫茶には美人なんかいないのと

同じように、音楽事務所にも、音楽はなく

音楽雑誌にも音楽はないと思うのだ。

ゆえに、ああではない、こうではないと

言い続けなきゃいけないし、

言い続けるには角度を変えねばならないし、

時には、離れねばならぬ。

遠いから、聞こえてくるんだし、

だから、会いたくなるんだし。

まだまだ、僕には棄てるものが

たくさんあるじゃないかと思えば、

もっと、もっと、強くなれるんじゃないだろうか。


なんか今読むと、『方丈記』の後半みたい。


未練はないことはないけど、今を生きるのに


大切な、必要なものだけで生きよう、みたいに


自分には、聴こえる。


締めくくりに、3つの「あとがき」より


最初はまだ本屋さんを始める前の50年前。


初版(1972年・昭和47年)


(略)

僕は、これまで書いた文章がいやなわけじゃないけれど、

はじめて一冊の本にするには、もっともっと、

けずらなければいけなかったような気がしている。

言いたいことなんていうのは、ほんとは一つだろうし、

でも、言いたいことというのは、言いそびれるように

できているのだ。


本屋さんになってから、「ジャックス」が再評価され、


流れでこの本も復刊。30年前の「あとがき」。


文庫版(1992年・平成4年)


(略)

なにかを生み出そうとする作業は、

たしかに魅力的だ。

非日常を味わえるからである。

歌をやめてしばらくの間、音アレルギーというのだろうか、

靴音とか話し声とか、あらゆる音を

うるさく感じた時期があった。

その後も長い間、もともとたくさん聴く方ではなかったが、

いわゆる音楽を聴く気は起こらなかった。

それがようやく最近(ひどく閑散としてしまう店を

営んでいるため、何かBGMをということで)

だんだん楽しめるようになった。

 

 J・S・バッハ『ゴールドベルク変奏曲

 デューク・エリントン『イン・ア・セントメンタル・ムード

 キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』(5分4秒のところ)

 エンニオ・モリコーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

 ニーナ・シモン『アイ・ラヴ・ユー・ポーギー

 ペギー・リー『ジャニー・ギター

 

いい曲に出会うと本当にいいなと思う。

随分、遠回りをしてしまったような気がする。

(略)

伝えたいことと。伝えたい人がいれば、

才能がなくとも、歌は生まれると、

僕は、いまでも、思っている


歌手として復活してから、コンプリート版のような形で再度復刊。


11年前の「あとがき」から抜粋。


増補版(2011年・平成23年)


(略)

歌とは何だろう。音楽とは何だろう。

僕は歌っていない時も歌っている時も、

いつも考えていた。

もしも「音楽とは感動である」が正しいならば、

感動しないものは音楽と言えず、感動したものは、

たとえ音楽という形式をとっていなくとも音楽なのだ。

「♪感動する心が音楽なんだ」(『音楽』)と思っている。

(略)

初版『ラブ・ゼネレーション』(1972年・自由国民社)の

扉には、副題として「連帯感ではなく、同体感を」と

書かれてある。

同体感なんて言葉は、聞くところによると

ないそうである。ないのに使っている。

僕は何をいいたかったのだろう。

1968年「友よ」という歌に代表されるように、

みんなで合唱することみんなが同じ思想を持って

行動を起こすことに、当時から僕は肌寒さを感じていた。

全員が1人の女性を愛することがないように、

全員が同じ思想を持つことは、嘘なのである。


昭和(60年頃からだけど)・平成と


聴き続けてきたが、一貫して変わらないなーと


2011年のあとがきを読んで感じた。


余談だけど、今思うと、若い頃、


「ジャックス」か「はっぴいえんど」のどちらを選ぶかで、


その後の人生が大きく変わったような気がしており、


後者を選んでいればもっと明るく振る舞うこともできたのかもとか


考えてしまう今更の不毛っぷりなのだけど、


結局は自分は「ジャックス」派なんだろうなと。


(両方買って聴いてたけど)


今は流石に若い頃のように聴くことはないけれど


マリアンヌ」「われた鏡の中から


ラブ・ゼネレーション


花が咲いて」「堕天使ロック


ロール・オーバー・ゆらの助」など好きだった。


ひねくれてるから「からっぽの世界」は


好きではなかった。


というか80年代は放送禁止で聴けなかったし


聴けるようになっても他の曲の方が断然好きだった。


もう今は齢50を超えて家族もある身だからか


感情移入できる音楽ではないけれど。


 


それとこれも余談だけど、


「ジャックス」「はっぴいえんど」共に


きちんとした演奏の映像が残っていないことが


伝説というのの付加価値を


異様な高さにすることに貢献してて


功を奏していると強く思っているのは


自分だけではないのではないだろうか、と


これまた、ほぼ意味のないことに


考え巡らす今日この頃。


音楽は音楽であるのが正しい姿なのではないか、なんて。


 


ソロ活動されてからも、とてつもなく良い曲


たくさんあることを補足いたします。(誰にだよ!)


 


さらにどうでもいい余談。


復活されて歌手活動されてた頃、


広報活動的に実施されてる


公式サイトでアンケート応募があり、その時の応募や


その後も感想を何度かメールで


やりとりさせていただいたのが


忘れられない思い出です。


 


nice!(23) 
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2冊の養老先生vsヤマザキマリさん対談から [’23年以前の”新旧の価値観”]

■1■ 



ヤマザキマリ対談集 ディアロゴス Dialogos

ヤマザキマリ対談集 ディアロゴス Dialogos

  • 作者: ヤマザキ マリ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2021/03/26
  • メディア: 単行本



「システム化された社会はつまらない」(2019年6月)


▼養老

イチローが引退会見で「野球がつまらなくなった」

と言っていたそうだけど、それは統計で

野球をやるからでしょう。

たとえば、投手の身長は年々高くなっている、

背が低い投手はだめという時代になっているらしい。

そんなに勝つに決まっている奴しか

出てこないなんて、おもしろくないよ。

 

▼ヤマザキ

野球だけじゃなくて、全ての運動が

そうなってきているということでしょう。

AIが持て囃されるようになれば、意外性が

育まれなくなる。

そんな状態が進めば、意外なものを見た時

感動できる感性もなくなってきて、

自分が思った通りにならないことが出てくるとき、

「だめじゃん、これ」となってしまうでしょうね。

だってもうすでに、いじめも含め、人間界では

自分にとって都合が悪かったり、理解するのが

面倒だったり、思い通りにならないことは

全部排除して、見たいものだけ見たい、

知りたいことだけ知りたいという風潮に

なってきていますから、運動にもそういう流れが

出てきているということですよね。

 

▼養老

だけど、メディアは予想外のことが

起こってほしいと思っているんだよ。

 

▼ヤマザキ

優勝候補が金メダルを獲れないとか、予想を

裏切るようなことが起こると盛り上がりますからね。

 

▼養老

いっそ、オリンピックはやりかけで

終わるんでいいんじゃない?

 

▼ヤマザキ

(略)

そういうふうに、わかりきったシステムから

外れた意外な展開は大いにあってほしい。

シナリオ通りじゃないと困るなんて、

そんなのプロデューサー側が心配することで、

見ている方はやっぱり予想外のことが起こる方が

絶対おもしろいし、脳への刺激にもなると思うんです。


「神はサイコロをふらない」


▼養老

さっき、システム化が進むとコンピュータに

依存するという話をしましたが、

コンピューターには価値観がないし、

単なる統計が事実として

拡大されていくことになるんです。

最初に統計が事実に変わったのは医療でしょうね。

現代の医者は目の前の患者ではなく、

カルテばかりを見ているでしょう。

だから徹底的に検査して、患者を数値化しないと

いけない。

だけど、たとえば「タバコは体に悪い」という

統計があったとして、それが個人にあてはめられる

わけが無い、ということが忘れられているんです。

統計が事実として拡大されていくことによって、

格差社会が生まれることにもなってしまっている。

アメリカでは、就職希望者の住所から、

彼らが交通事故に遭う確率、犯罪に遭う確率、

病気になる確率がみんな割り出されるので、

企業はよりリスクが少ない地域に住んでいる方を

採用するということが起こっているそうです。

つまり、ハイリスクな場所に住んでいるという

だけで、ポイントに徹底的に差がついてしまう。

統計と事実は本当は違うはずなのに、

そういうデータは扱う側は

「だって、統計的事実でしょう」

と言うわけですよ。

「神はサイコロを振らない」

というアインシュタインの言葉は、

若いときには全然ピンとこなかったけど、

ここまで統計依存が進むと、すごく納得するね。


データ、マニュアル、想定外はタブーといった習慣。


新しいものは産まれようがない。


 


■2■



地球、この複雑なる惑星に暮らすこと (文春e-book)

地球、この複雑なる惑星に暮らすこと (文春e-book)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2022/05/27
  • メディア: Kindle版


「問題山積、予測のつかないことばかり」(2021年6月)から抜粋


▼養老

さっきまで山本七平の「日本はなぜ敗れるのか 敗因21か条

という本を読んでいたんですよ。

日本が戦争に敗れた理由が21個書いてあるんだけど、

今の日本の問題もここに全部書いて

あるんじゃ無いかなと思ってね。

小松真一さんというフィリピンに派遣された軍属の

技術者が書いた「虜人日記」という記録を読み解いていて、

なかなかダイジェストできないんだけれどね、

日本の不都合性とか、思想的に徹底したものが

なかったこととか緻密に書かれてあるんですよ。

こうやって古い本を本棚から出しては見てますよ。

きりがなくてね。

 

▼ヤマザキ

今の状況を照らすようなところもありましたか?

 

▼養老

メディアなんか典型だよね。

 

▼ヤマザキ

メディアというのは本来、かなり緊張しながら

接するべきものなんですよ。

獰猛な動物に近寄るくらい。

それがテレビだネットだと猫も杓子もチラ見程度で

掌握した気持ちにさせられるところが脅威ですね。

メディアは恐ろしい。

 

▼養老

香港の警察(おまわり)と同じだよね。

どういう気持ちなのかなと思う。

 

▼ヤマザキ

メディアは、猜疑心を培うためにあるものだ

という教育を受けるべきなんですよ。

親からでいいから。

私がイタリアにいた頃は、家庭でもどこでも

皆各政党が出している新聞を何紙か並べて、

そこに記載されている記事の差異をめぐって

あれこれ討論してました。新聞は読むけど、

誰もそこに書かれていることを鵜呑みには

しない。テレビも同じです。

(略)

でも日本では未だに

信じることは正しい

疑うなんて人として悲しいこと

みたいな幻想が根付いている

そういう人種は実に騙しやすいでしょう。

騙す相手にしてみれば。

でも結局猜疑心が芽生えやすいかどうかという

国民性の背景には、どうしても歴史や地域性

というものが絡んでいるので、

そんなに簡単なことでは無いように思います。

コロナ禍の初期、各国のリーダーたちは

雄弁なスピーチで国民に熱意のこもった

メッセージを発していましたね。

あれは、子供の頃から人前で発言することに

慣らされてきた人種ならではの、

そして国民にも求められていた

振る舞いだったと思います。


(略)

▼ヤマザキ

人間が萎縮すると動物たちは生き生きしますね、

顕著にそれがわかる。この地球上でもっとも

支配的かつ凶暴な生き物が弱ってるわけだから、

あたりまえか。

 

▼養老

福島の原発避難地区では動物が繁殖しているしね。

アナグマとかイノシシが人の去った後の家に

棲みついているでしょう。

 

▼ヤマザキ

牛が自分たちで繁殖しているのに私も感心したんですよ。

子牛たちも勝手に生まれてすくすく育っている。

それと、人がいなくなった後の家の朽ち果てていく

スピードにも驚いてしまった。そんなもんなんだなと。

 

▼養老

坂口恭平という人がいてね。

「死にたくなったら電話してという「いのっちの電話」を

やっているんですよ。

携帯電話の番号を公開して、

死にたい人からの電話相談を受けていてね。

それで自身は双極性障害なんだけど、

みんな悩んでいるのは結局人から

どう見られているかだけだ、

すべては人間関係だというふうに「躁鬱大学」で

書いてますよ。

もっとみんな手を動かして作品を作ったり、

人ではなく物に向かえばいいんだってね。

コロナで鬱になった友達に読ませたら、

これは自分のことだって納得していたな。

 

▼ヤマザキ

人間はもっと自分たちがどんな生態なのか、

どんな性質を持っているのかを熟知するべきですよ。


虫の話から地球規模の行く末を


2人で語る壮大な対談。


というか、虫と人間が同じレイヤーにいて


それを自覚しているお二人だからこその対話だった。


余談だけど、マリさんがまえがきで、


それを指し示す「はじめに」を書いているのに


養老さんが「おわりに」で艶消しのような幕引きをされるのは、


自身の病状や年齢、愛猫との別れも関係しているのかな。


でも、こうも書かれていて、いいなーと思った。


これもまた養老先生が先生たらしめているところかなと。


マリさんは、人として、自然に近いタイプの人である。

将来の目標を掲げ、奮励努力して、一歩づつ目標に近づく、

という人生を送ってはいないと思う。

周囲の状況の中で、なんとか生きているうちに、

結果としてこうなってしまった、というお人柄である。

私の周りには、その手の人が多いような気がする。

そういう人に好感を持つからであろう。

現代はシミュレーションが流行で、自分の人生を計画的に

自己実現などと称して生きようとする傾向があるように思う。

しかし、自己とは初めからあるものではなく

与えられた状況の中で生きていくうちに

いわば「ひとりでに」できてくるものであろう。

私は80歳の半ばになるが。今ではそう思うようになっている。

換言すれば、人生は要するに「成り行き」なのだが、

この対談でもその感じが出ていればいいなあと思う。


nice!(38) 
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斉藤美奈子さん著作3冊から日本を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

こういう表現の潔さとか視点って


私の感覚だけかもしれないけれど


女性視点じゃないとできない。


大人の男性ってどこかで


やっぱり気遣いとか媚びてしまう、とか


ひよってしまうのかなあ。


大人って何って議論は置いておいて。


■1■ 文壇アイドル論(2002年)


「はじめに アイドルはつくられる」から抜粋


(略)

80年代、90年代というものは、

大人の論理と子供の論理、

文学のことばと非文学のことば、

女の発想と男の発想などなどが、

激しくスパークした

(またはしそこなった)時代だったように思います。

何が新しくて何が古いのか。

対立する二つの言説の、

どちらに理があるのか。

すぐにはわからないことも多く、

簡単には結論が出ません。

ただ、ひとついえるのは、

異なる論理が激突するからこそ、

人気者をめぐる言説はおもしろい、

ということです。


本文では、以下各作家への独自の研究論文ともいうべき考察がなされる。


村上春樹、俵万智、吉本ばなな、林真理子、


上野千津子、立花隆、村上龍、田中康夫


すごいメンツ。


そしてこの書籍の締めくくり。


「アイドルたちのその後ー


文庫版のあとがきにかえて(2006年)」から抜粋


賞賛があれば批判もある。その意味で、

毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい「文壇アイドル」は、

批評の自由が保証されているかどうか、メディアが健全に

機能しているかどうかを計るバロメーターのような役目も

果たしているのかもしれません。


いやあ、もうすでに大御所となっている方達に


異論を唱えるって、


なかなかできないですよ。


まず読まないと始まらないですからね。


この方達の書籍の全てではないとしても、


代表作だけでも相当な量と高い質の


読書力を要求されるよ、論じるに。


って感想を書いても仕方ないけど、


ってそういうブログなんだけど、


とにかくビビったってことで。


次です。


若者向けの政治に関心を持ってもらうために、


ひらたい表現で語りかけるこの書籍は、


政治に疎い自分にも分かりやすくてありがたかった。


選挙前に読みたかった、


今度の選挙のとき、読み直そう。


 


■2■ 学校が教えないほんとうの政治の話(2016年)


「原発に賛成?反対?」から一部抜粋


(略)

原発推進派はいいます。

万全の準備をしておけば原発は安全なんだよ。

そのために原子力規制委員会があるんじゃないか。

だいたい日本は原発なしにはやっていけないんだからな。

どうやって安定したエネルギーを供給するんだよ。

火力発電はコストがかかりすぎるし、

地球の温暖化を促進させるんだぜ。

電力料金がはねあがってもいいのかよ。

一方、原発反対派はいいます。

原発に絶対安全なんかないって、福島の事故で

わかったじゃないか。

規制委なんか信用できるかよ。

事故が起きたときのリスクは、

ほかの発電の比じゃないんだぜ。

使用済みの核燃料の処分場もないんだぜ。

だいたい日本の電力は足りているじゃないか。

原発が一基も動いていなかったときだって、

日本は電力不足にならなかったじゃないか。

 

あなたはどちらの考え方に賛成でしょうか。

原発は経済の問題ともからんでいます。

原発の企業城下町と化した原発立地地区では、

原発なしには経済がまわらないという

現実もあるのです。

 

それでも私は、原発はやめたほうがよいと思います。

一般の人が1年間にあびてもいい放射線量の限度を、

国際放射線防護委員会(ICRP)

年間1ミリシーベルトとしています。

一方、原発労働者の被曝限度は、

どのくらいだと思います?

通常作業の場合は5年間で

100ベルシーベルト

年間50ミリシーベルト)。

それだって十分高いけど、

緊急時の上限は年間100シーベルト

通常の100倍です。

いや、ちがうわ。

2016年4月から、緊急時の被曝限度

年間250ミリシーベルト

引き上げられたので、250倍

政府や電力会社はもちろん、

「作業員の健康には十分配慮する」

というでしょう。

だけど、国家も電力会社(資本家!)も

信用していない私には、

とうてい信じられません。

労働者の健康と引きかえにしないと

維持できない経済って何?

繊維女工や炭鉱労働者の時代と

何も変わってないじゃないの。

原発の是非については、他の政治的トピックと

すこしちがったテーマですから、

従来の左派と右派のようにグループ分けは

できていないはずです。ですが、3・11当時の

政権だった民主党政権は2020年代までに

原発ゼロをめざして、徐々に脱原発を

ベースロード電源とすると決定。

国内で新しい原発を建設するのは

もうむずかしいと判断したのか、

国内の原発メーカーといっしょに、

外国に原発の売り込みに行ったりもしています。

おそらく、国家の方針を支持する

右派の人たちは、原発に賛成し、

国家を信用していない左派の人たちは

反原発、脱原発に傾く。

原発の再稼働に反対する

毎週金曜日の国会前デモで政治に

目覚めたという人も

いるくらいですから、

原発の是非こそ、

いま「国家と個人」の対立関係をするどく

反映しているのかもしれません。


「選挙公約より政党で選べ」から全抜粋


2016年現在の日本を騒がせている

政治的トピックを、

ここまでランダムに拾ってきました。

右派(保守)はこう、

左派(リベラル)はこう、

と無理矢理まとめましたが、

ひとりひとりの考え方はちがうので、

ここで書いたような意見がすべての

右派、左派に

当てはまるわけではありません。

Aの案件は右派の考えに近いけど、

Bの案件は左派に賛成だな、ということも

あるでしょう。

では、あなたの意見を政治に

反映させるにはどうするか。

もちろん選挙に行き、あなたの考えに

近い候補者や党に投票するのです。

しかし、

選挙のとき、あなたはガッカリするはずです。

安全保障政策も、

憲法も、

領土問題も、

歴史認識も、

原発も、

ここで取り上げたようなトピックは、

おそらく選挙の争点に

なっていないからです。

なんだよなんだよ、だまされた!

騙したのではありません。

選挙とはそういうものなのです。

左右の意見がするどく対立するトピックを争点に

したらどうなります?

考えが違う人の票は確実に逃すでしょ。

どんな党でも(与党はとくに)幅広い層から票を

集めたいので、そんな面倒は避けて、誰もが

納得するような政策しか公約にしないのです。

「景気をよくします」とか

「社会保障をしっかりやります」とかね。

公約が破られたり、公約になかった

重要法案が提出されることも

珍しくありません。

「選挙に行け」と若者に説教する人は

「政策をよく見て候補者を選びなさい」

といいますが、

それはタテマエオタメゴカシです。

いいことしか書いてない家電製品の広告と同じで、

公約を見て候補者を選択するのは不可能なのよ。

ではどうするのか。棄権するのか。

そうじゃなくって、ここは党派で選ぶのです。

与党か、野党か。野党だったら、

どの党を選ぶのか。


「エピローグ リアルな政治を選ぶには」から抜粋


なんでワタシがこんな目に

遭わなくちゃいけないわけ?

どうして彼や彼女がああいう境遇に

置かれているわけ?

そう思った瞬間から、人は政治的になる。

その後の政治的リテラシー

(読み書き能力、ものごとを批判的に見る力)

は勝手に磨かれていくだろうと思います。

情報を集め、人と話し、

本を読んで、ニュースも見る。

結局はそういうことの積み重ねしかないのですが、

私憤と義憤と二人連れだと、

おもしろいパワーがでる

すべてのスタートは「こんちくしょう」です。


「政治家のやることはただ一つ、


目標を数値化して達成すること、


それができなかった政治家を辞めてもらう」


と言ったのは村上龍氏。


それがなんでか、昔から


できないんだよな、日本は。


選挙視点に話を戻すと、


かのジョン・レノンも


「選挙は行った方がいい、


少しでもマシな方に票を入れるんだ」


と言ってたから自分はそれを守っている。


最後、斉藤さんの真骨頂で締めたいと存じます。


 


■3■ 忖度しません(2020年)


「続・裸の王様」から全抜粋


アンデルセンの『裸の王様』には続編が

あるのをご存知だろうか。

「これはバカには見えない布で作った服です」と

いう仕立て屋の言葉にだまされ、

裸でパレードをした王様。

みんなが王様万歳を唱える中、

とりの少年が叫んだ!

王様は裸だ!それを聞いて人々も叫んだ。

裸だ裸だ。

以上が『裸の王様』。

 

『続・裸の王様』はその翌日からはじまる。

不機嫌な王に側近が進言した。

「すまぬ、私がウソをついていた」。

そうおっしゃれば民衆は納得します。

だが王は耳を貸さず

「パレードなどはしておらぬ」といいだした。

「私や王妃がパレードに関係していたと

いうことになれば、

それはもう間違いなく退位する」。

さあ、大変。

側近は役人を呼んでパレード関係の文章を

破棄か改竄するよう命じ、市中には

「以降パレードという語を口にした者は逮捕する」

というおふれを出した。

 

驚いたのは例の少年である。

傲慢な王。

隠蔽に走る側近。

忖度で動く役人。

なんだこの国は!

長じて彼は王政の打倒を目ざした。

協力を申し出たのは仕立て屋だった。

愚かな王に仕立て屋も

内心あきれていたのである。

 

続編は童話ではなく大人向けの短編で、

作者はアンデルセンの甥。

検閲から逃れるべく地下で出版され、

明治末期には邦訳もされている(訳者不明)。

邦題はなぜか『桜の王様』。

理由はわからない。

(東京新聞「本音のコラム」2020年4月1日より)


さすが東京新聞、忖度ないなー。


60、70年代のロックの香りする。


余談だけれど、この「続・裸の王様」が


掲載されているページがユニーク、


書籍の表紙めくっての


いわゆる表2・見返しといわれる、


本文に入る前、中表紙さえも前の


見開き2ページにあるのだけど


ここにも斉藤さんのメッセージが


込められているのは、深読みしすぎか。


立ち読みでも読んでいいよ、短いから、


これにビビッときたら、あなた、買ったらどう?


といわれている気がした。


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立花隆著:ぼくはこんな本を読んできた(1995年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

この書籍は初出時、当時ベストセラーになったようだ。


まったく記憶にないのは、仕事漬けの毎日だったからか。


その中から「「実践」に役立つ14ヶ条」から抜粋


 「あくまで、仕事と一般教養のための


  読書についてであって、


  趣味のための読書についてではない。」


これ、10年以上前に出た書籍で


「ぼくらの頭脳の鍛え方必読の教養書400冊:


 佐藤優共著(2009年)」


にも同じものが掲載されている。


元は、40年前の「朝日ジャーナル(1982年)」が


初出のようだけど、不変だったってことなのだろう。


(01)

金を惜しまず本を買え。

本が高くなったといわれるが、基本的に本は安い。

一冊の本に含まれている情報を他の手段で入手しようと思ったら、

その何十倍、何百倍のコストがかかる。

(02)

一つのテーマについて、一冊の本で満足せず、

必ず類書を何冊か求めよ。類書を読んでみてはじめて、

その本の長所が明らかになる。

そのテーマに関してパースペクティブを得ることができる。

(03)

選択の失敗を恐れるな。失敗なしには、

選択能力が身につかない。

選択の失敗も、選択能力を養うための授業料と思えば安いもの。

(04)

自分の水準に合わないものは、無理して読むな。

水準が低すぎるものも、水準が高すぎるものも、

読むだけ時間のムダである。

時は金なりと考えて、高価な本であっても、読みさしでやめるべし。

(05)

読みさしでやめる事を決意した本についても、

一応終わりまで1ページ、1ページ繰ってみよ。

意外な発見をすることがある。

(06)

速読術を身につけよ。できるだけ短時間のうちに、

できるだけ大量の資料を渉猟するためには、速読以外にない。

(07)

本を読みながらノートを取るな。

どうしてもノートを取りたいときには、本を読み終わってから、

ノートを取るためにもう一度読み直したほうが、

はるかに時間の経済になる。

ノートを取りながら一冊の本を読む間に、

五冊の類書を読むことができる。

たいていは、後者のほうが時間の有効活用になる。

(08)

人の意見や、ブックガイドのたぐいに惑わされるな。

最近、ブックガイドが流行になっているが、お粗末なものが多い。

(09)

注釈を読み飛ばすな。注釈には、

しばしば本文以上の情報が含まれている。

(10)

本を読むときには、懐疑心を忘れるな。

活字になっていると、何でももっともらしく見えるが、

世評が高い本にもウソ、デタラメはいくらでもある。

(11)

オヤと思う箇所(いい意味でも、悪い意味でも)に

出合ったら、必ず、この著者はこの情報をいかにして得たか、

あるいは、この著者のこの判断の根拠は

どこにあるのかと考えてみよ。

それがいいかげんである場合には、デタラメの場合が多い。

(12)

何かに疑いを持ったら、いつでもオリジナル・データ、

生のファクトにぶちあたるまで疑いをおしすすめよ。

(13)

翻訳は誤訳、悪訳がきわめて多い。

翻訳書でよくわからない部分に出合ったら、

自分の頭を疑うより、

誤訳ではないかとまず疑ってみよ。

(14)

大学で得た知識など、いかほどのものでもない。

社会人になってから獲得し、

蓄積していく知識の量と質、

特に、

二十代、三十代のそれが、その人のその後の人生にとって

決定的に重要である。

若いときは、何をさしおいても本を読む時間をつくれ。


立花さん、この本ではなかったけど、


やっぱり読書をテーマにした本で、


いわゆるトンデモ本とかも読んでらしているようで、


これは信じちゃダメよ、でも面白い、という


読み方をされているということを付記しておきます。


仕事に関する本だけ読んでるわけではないって意味で。


(最終的にはそれさえ仕事にしてしまう


バイタリティの塊のような方ですが)


それと、ドストエフスキーやトルストイを


古典と呼ぶのはいかがなものか、たかだか100年しか経ってないので、


500年、1000年経過して風化しないものを


古典というのだ的な見解を示されていて、なるほどなあと思った。


「基礎的古典」として立花さん(2009年)が挙げているのが


「聖書」

「旧約聖書略解」

ウパニシャッド

「ブッダ悪魔との対話」

中国古典名言辞典

無門関講話

イスラーム神秘主義性者列伝

ハディース イスラーム伝承集成

歴史


って、それはもう古すぎだろう!


こういう感覚からしたら、


ドストエフスキーもトルストイもニューウェイブだよ!


でも、若干興味あるな。


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新世紀デジタル講義:立花隆共著(2000年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「はじめに 立花隆」から抜粋


(略)

読み方は自由である。はじめから終わりまで

順に読まなければ訳がわからなくなるという本ではない。

順に読めば、必ずわかるという本でもない。

しかし、コンピュータにさわったこともなければ、

初歩的な知識も全くないという人は、はじめから

終わりまで読んでもチンプンカンプンだろう。

(略)

標準的読み方としては、序章と「情報原論」までは

順に読み(これとて、関心がなければトバシ読みしてよい)、

あとは自分の持てる知識と関心に応じて、

適宜拾い読み、トバシ読みしていくのがよい。

情報の本は読者のレベルに違いがありすぎるから、

著者の側で厳密にターゲットをしぼりきれない。

その分、読者の側で読み方を工夫して調整して

もらう他ない。

積極的に拾い読み、トバシ読みをすすめるからといって、

これは軽い本ではない。

相当の知識レベルの人でも、「ああ、そうなのか」と

思わずうなる部分が随所にあるはずである。

積極的に拾い読み、トバシ読みをすすめるのは、

それが、情報が氾濫する現代社会において、

情報リッチに生き抜いていくためにまず

身につけなければならない情報摂取の

基本ワザであるからだ。

情報摂取量は、基本的に「情報摂取に費やされる時間」と

「摂取する情報の情報密度」の積である。

情報密度とは、「単位時間の情報摂取で得られる有効情報量」

すなわち「情報の濃さ」といってもよい。

時間のほうはみんな限られた時間しか持っていない

のだから(学習時間としても、一生の持ち時間としても)

大切なのはいかにして、「摂取する情報の情報密度」を

あげるかである。そのための基本戦略は二つある。

一つは、できるだけ濃い情報を選んで摂取すること、

もう一つは、情報を摂取する過程でそれを自分で

濃縮して情報密度をあげることである。

濃い情報を選んでも、それが自分の摂取能力を超えて

濃い場合は、情報摂取の流れを遅くしてしまうので、

スループット全体(流量と濃さの積)は落ちてしまう。

後者の戦略は多少薄めの情報でも、どんどん流して、

その中から有効情報をできるだけ能率よく

拾いあげることで、スループットを上げようという

戦略である。

本の読み方でいえば、厳選された良書を精読、

熟読するのが前者の戦略。

後者は、拾い読み、トバシ読みでもよいから、

できるだけ多読、乱読するという方法である。

これまで、読書法、学習法というと、前者の戦略が

もっぱらよしとされ、後者の効用を強調する人は

あまりいなかった。

しかし私は、自分の多年にわたる経験からして、

大切なのは、前者より後者であると思っている。

そしてこれからの時代、社会の情報流通量は増える一方

(各人の情報接触量は増える一方)なのだから、

後者の重要性がますます増していくと思っている。

つまり、これからの時代、その基本ワザである。

拾い読み、トバシ読みの技術はどうしたって

身につける必要があるということである。

その要諦を一言でいえば、とにかくわかるところだけ

拾ってガンガン読んでいくということである。

わからないところはとりあえず後回しにして、

とにかく先に進めということである。

ひっかかっても、止まってはいけない。

とにかく進むことである。

場合によっては、何十ページにもわたって、

ただページをめくるだけに終わるかもしれない。

それでもとにかく最後までページを

めくってみることだ。

それが決してムダに終わらないということは

やってみればわかる。

そういう経験を経ることによって本当の

多読能力がついていくのである。


ということで紅茶を淹れる時間以外は、一気読みしてみた。


というか、おおよそ自分の読書はこれを模しているのだけど。


「情報原論」から抜粋


哲学を扱うプログラムなんて、いくらだってできます。

ここではそれを深く論じませんが、

人間の頭でやっていることは、それが論理的なことで

ある限り(ここが大事なところです)、

すべてコンピュータにやらせることができます。

要は、人間が頭の中でやっている作業を論理的に解体し、

それをコンピュータにできないのは、論理がない、

シリメツレツなことだけです(世の哲学と称するものの中には

そのたぐいのものが結構あるのは困ったことです)。

ーーーシリメツレツなことは絶対にできないのかといったら、

そうでもありません。

乱数発生回数を利用して、情報処理過程にランダムネスを入れるなど、

確立過程を導入するなどによって、シリメツレツなことを

やらせることができます。

(略)

従って、コンピュータに感情とか感性を導入することも

できます。

芸術的表現をさせることもできます。

要はプログラム次第です。

デザイン(設計)の問題です。あとは、コンピュータに

何をさせたいかという具体的個別的な応用の問題になります。


AIが感情を持つとやばい、って議論は前からあったけど。


20年前から着目してたとは。


というか、感情や哲学が持てるって話してるので


この時点で先んじてる。


私的なことだけど、昨日とある福祉系の研修の最終日、


計画の学習をしたのだけど、


講師曰く、今すでに情報を入力すれば


計画はAIで作成され始めているから


今後はそれを受けての業務になるだろう的な事を仰り


これから先、人間の仕事はどうなるのだろう、と


考えていた矢先だった。


本の話に戻すと、このあと「情報」について


「伊藤博文の情報戦略(1999年)」などから


引用しつつ、情報の定義に話は及び、最後に以下になだれ込む。


よくよく考えてみると、情報というのは不思議なものです。

それは実体があるようで、ないものです。

それはいかなる意味でも、物質ではありません。

しかしそれは確実に物質のあり方に大きな影響を

与えるものです。物質に直接の影響を与えることは

できませんが、物質に作用を及ぼすパワーを

持つ者(物)に対して、そのパワー行使のあり方に

決定的な影響を及ぼすことで、物質のあり方を

大きく変えることができるのです。

情報のパワーは、情報それ自体のパワーではなく

情報力を行使する者のパワーとして発現するのです。

この情報と物質というものの、まか不思議な関係に

思いを及ぼすとき、ぼくが思い出してしまうのは、

道元禅師「正法眼蔵」の次のくだりです。

 

 人のさとりをうる、

 水に月のやどるがごとし。

 月ぬれず、水やぶれず。

 ひろくおほきなるひかりにてあれど、

 尺寸の水にやどり、

 全月も弥天(みてん)も、

 くさの露にもやどり、

 一滴の水にもやどる。

 さとりの人をやぶらざる事、

 月の水をうがたざるごとし

 

情報とは、この「人のさとり」のようなものだと

思うのです。

それは、物質的実体がない、人の頭の中にある

情報(世界の基本的見方にかかわるパターン)に

すぎないのに、確かに、人のあり方を決定的に変えるのです。

それは水に映じた月の像のように、取り出そうとしても、

コンピュータのモニター上の光と影の

パターン(画像の記号列)としてしか取り出せないのに、

この世界の現実のあり方を変えるパワーを持つものなのです。

そういう意味で、先の引用の中にある、

「情報は物質・エネルギーと並んで自然を

構成する二大要素の一つである」

というくだりは、実に含蓄に富んだ表現だと

いうことができます。

物質とエネルギーは別々のものに見えるが、

相対論によって実は同じものであることが

証明されています。物質という視点から見るかぎり、

世界は「物質=エネルギー」という唯一の実体の

あらわれだということです。

しかし、それが世界のすべてかというと

そうではないわけです。

「物質=エネルギー」の他に、もうひとつ情報というものが

必要なのです。

世界は物質という視点から以外に、情報という視点から

見る必要があるということです。

物質のあり方を決定するのは情報だからです。

情報は「世界を構成する二大要素の一つ」というのは、

全く正しいといわざるをえません。

アリストテレスは、世界は質料と形相に

分けられるといいましたが、これを現代風に翻訳すれば、

世界は物質と情報にわけられるということでしょう。

情報とは、形相なのです。


なんか深い。何度も読みたい。


まさに「詩」みたいに思えるのは自分だけか。


そして、立花さん以外で幾人かの研究論文的な


考察を挟みつつ、この本の解説的なポジションで


締めくくられます。そこから以下抜粋。


インターネットと教育 村井純(2002年慶應大学教授)


成功の犠牲者という言葉がありますが、

最近のインターネットやコンピュータに対する

もろもろの誤解がまさにそれです。

インターネットという言葉自体は単なる固有名詞で、

本来はTCP/IPでつながったネットワークというほどの

意味しかありません。

ところが、その登場が社会に与えたインパクトが

あまりに大きかったので、例えば電子掲示板の2ちゃんねる等

だけに着目して「インターネットの世界は匿名だ」という

誤解がまかり通っています。

しかし、技術的にはインターネットの

どこにも匿名性などはない。

誤解が一人歩きしてしまっています。

サイエンスやテクノロジーに対する正しい理解が

欠如していることは、社会にとっても弊害です。

最近では住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)導入に

関する個人情報の取り扱いについての議論もありましたが、

新聞をみると社説などに「マスコミの敵だ」などと書いてある。

しかし、なぜそんな話になるのか、住基ネットとは何か、

なぜ国がやるのか、セキュリティとは何か、IDとは何か、

その原理をきちんと知っている人は少ないでしょう。

なんとその新聞の社説ですら、大間違いの科学的理解に

基づいて書かれているのも散見します。

そしてその間違いの上に議論が重ねられる。

この辺の無神経さは、近ごろますます

酷くなっているように思えます。

デジタル情報の自由な流通基盤をこの社会に造るというのが、

インターネットの本当のゴールだと私は考えています。

インターネットは、数値の情報を扱っているシステムで、

強い信念に基づいてデザインされている自律分散性の

アーキテクチャ(基本理念)があるため、地球上にいる

一人一人の力や知恵を合わせる基盤になり得る。

だからインターネットは社会にとっても重要だということが、

本来のコンセプトなのです。

ところが、本来の理念とは別のものが、

インパクトを持って社会に受け入れられてしまっているため、

かえってその印象が邪魔になり、本当のことを

伝えにくくなっている。

今は、そうした現状も考慮しつつ、デジタル技術の基本的理解を

しっかりしておくということが、ますます大事になってきます。

(略)

私はこの「新世紀デジタル講義」は、まさに

コンピュータサイエンスに対する社会の理解を

一歩進めたと思います。

そして、特筆したいのはこの本がタテ書きだということです。

これは、それだけで意味がある。普通は、デジタル技術を

解説しようと思うと、自然とヨコ書きになるもので、

私の著作もほとんどがヨコ書きです。

タテ書きの本を二冊(「インターネット」「インターネットII」)

だけ出しましたが、その時には

「お前、タテ書きの本を書くようになったら終わりだよ」

と、仲間の研究者たちから言われたものです。

というのも、この分野のタテ書きの本には、

正直言っていい加減な本が多いためです。

(略)

日本のインターネットの初期は東大や慶應などの

コンピュータサイエンティストたちの快適さえを

考えているだけで良かった。

彼らだけがユーザーだったからです。

しかし、現在は世界中の人と産業と行政の幸せを

考えることが必要です。これを政治の世界だ、

ビジネスの世界だ、と枠を作って考えてはいけない。

政治家も財界人も説得できないと、技術が現実的な

価値を持ちえないのです。


Web黎明期のことを思い出して、


こういった議論は盛んだったし


今も是正されているとは言い難いと感じた。


自分はその頃インターネット関連の仕事してたから


なんとなく掴めたところあるけれど、この本が


全くわからんってなると時代に対応していくのは


難しいって話なんだろう。


他、感想だけど


かなり専門的で、かつ質が細やかで


網羅的な内容の価値の高い情報で、


(まさに、これが立花隆さんなんだろうな)


これらの知識とか知見がはっきりではなくても


具備しているか、いないかで人類の行く末は


違ってくるのだろうな、と。


また、そう思う一方で、この本は20年以上


経過していることも事実で


テクノロジーやツールの発達が目覚ましいから


どこまで理解すれば、「具備」と言えるのかも


微妙だなあというのも感じた。


余談で僭越ですけれど、ここら周辺の人たちの知性を


配したチーム編成であって欲しい、デジタル庁。


ビジネスはもういいから、って


誰しも思っているだろうな、と。


読みながら、既得権益ってもう


時代にそぐわないと痛感した。


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池田清彦さんの書籍5冊から [’23年以前の”新旧の価値観”]

マツ☆キヨ

マツ☆キヨ

  • 作者: マツコ・デラックス
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/02/17
  • メディア: Kindle版

「原発事故後の日本」から抜粋

■池田■
原発を推進したい人たちはずっと、
CO2(二酸化炭素)は環境に悪い、
CO2を出さない原発はクリーンな発電だ、
などと言い続けてきた。
だけど、CO2は汚染物質でも有害物質でもないし、
むしろ自然にとって、人間にとって、必要で大事なもの。
原発事故で撒き散らされる放射性物質の方こそが
明かに有害な汚染物質でしょう。
CO2排出量削減キャンペーンなんていうのも、
偽善もいいところで、原発のような利権と結びついた
ペテンだったということに多くの人がいま
ようやく気づいてきたわけだけど。
今度の事故で、当分は原発を推進することが難しいから、
代わりに太陽光発電をという動きが出ているけれど、
太陽光なんて金がかかるだけだな。
■マツコ■
太陽光でなんてそんなに発電できないでしょう?
■池田■
エネルギー効率は悪いね。
エネルギー収支比(ERP)はせいぜい2あるかないか。
■マツコ■
石炭はどうなっているの?
いま、日本の商社がオーストラリアの炭鉱を
買ったりとかしているでしょう。
■池田■
石炭は日本にもまだ少し残っている。
危ないから、掘る人がいないけど。
石炭火力発電所はエネルギー効率もわりといいよ。
■マツコ■
じゃあ、いいんじゃないのかな。オーストラリアの
炭鉱は深く掘らなくても、露天で掘って採れるのよね。
なのにその石炭が発電にあまり行かないことにも、
何か利権が絡んでいるのかもしれないね。
■池田■
CO2排出を問題視する人がまだいるからね。
でも「環境にいい」と言われてハイブリッド車も
ずいぶんもてはやされたけど、あれだって、
つくるのに金とエネルギーがたくさんかかるから、
ほんとうは得かどうかわからないし、
環境負荷が低いかどうかもわからない。
電気自動車なんかは最悪でしょう。
そういうことを考えれば、やっぱり石油で動くのが
最も効率が良くて、その石油のかわりになるような
新エネルギーの開発をしなければどうしようもない。
でも、それで原発に走ったのは大失敗だったよね。
東京電力もそうだけれど、原発依存率の
高い関西電力なんかも原発のコマーシャルをばんばんやって
「原発はクリーンなエネルギー」だということを
宣伝してきたんだけど。
このあと、マツコさん、原発推進のキャンペーンの
CM依頼が来てて断ったと仰り、といった流れからの
核燃料の話にスライドしていく。

■池田■
高レベル放射性廃棄物すなわちガラス固化体を
あまり作らないようにやるのが核燃料サイクルで、
それはつまり、使用済み核燃料を処理して
プルトニウムや燃え残ったウランを取り出し、
再び核燃料として使おうというシステムね。
使用済み核燃料を再処理して取り出したプルトニウムと
ウランを混ぜてつくる燃料がいわゆるMOX燃料で、
それを使う高速増殖炉が「もんじゅ」。
でも「もんじゅ」は1995年にナトリウム漏れ事故を
起こしてからトラブル続きで、今も運転停止の状態にある。
つまり核燃料サイクルが全然うまくいかないから、
高レベル放射性廃棄物がただひたすら貯まるんだよ。
2020年にはガラス固化体が四万本になるといわれている。
日本みたいに地震がある国の地下に埋めて、
大きな地殻変動が起きて、そのガラス固化体ごと
壊れたらどうする気なんだろうね?
■マツコ■
怖っ!
■池田■
本当に、おっかない話だよ。
それに今、運転を休止している「もんじゅ」も、
実はずっと危ない状態のまま。
2010年8月26日に三トン以上もある炉内中継装置を
原子炉容器の中に落っことしてしまって、引き抜けないまま、
にっちもさっちもいかなくなっていた。
2011年6月24日に引き抜く作業がやっと完了したが、
再稼働するのは無理だろうね。
復旧の担当課長は今年になって自殺しちゃったよ。
■マツコ■
じゃあどうすんの?ただもうその状態でずっと置いておくだけ?
■池田■
維持費だけで一日に5500万円もかかっているんだけどな。
このままただひたすら、何十年もかけて冷却されるのを待って、
廃炉にしていくしかないと思うよ。
「もんじゅ」にはこれまで2兆4000億円くらいの金がかかっているんだけどね。

「もんじゅ」は平成28年、廃炉が決まったことは

周知のことでございますが、この時は本当に

理解できませんでしたよね。存在自体が。

同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える。

同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える。

  • 作者: 池田清彦
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2015/06/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
「地球の気温が変動する本当の理由」から抜粋

日本では、原発をやめたくない口実に、
政府はCO2を悪の権化のように扱っているが、
人為的なCO2の増大が地球温暖化の主たる原因だという
仮説は、既に崩壊して久しいのである。CO2は確かに
温暖化効果ガスの一つだが、そのコントリビューションは
極僅かで、地球の気温はほとんど人為とは無関係な要因に
よって変動している。
約8000年前前に最終氷河期であるウルム氷期が終わると、
地球の気温は現在に比べ摂氏1.5度ほど高くなり、
この温暖な時期は3000年程続いた。日本では縄文時代にあたり、
青森の三内丸山遺跡では、今は、もう少し南に生える栗を植えて、
常食にしていたことがわかっている。
今よりも海面が高く、現在の東京は下町は海だった。
それから地球の気温は徐々に下がり始め
紀元前1000年ごろには現在と同じくらいの気候に
なったと考えられている。栗の栽培ができなくなった
三内丸山は紀元前2000年ごろには崩壊した。
その後、気温は950年ごろから再び上昇に転じ
1250年ごろまで、中世温暖期といわれる、
現在より摂氏0.5度かそれ以上に高い時代になった。
今では雪と氷の台地となっているグリーンランドは、
名前のように西南部の沿岸部は緑の大地だったようで、
開拓者が入植し農業やブタの飼育なども行っていた。
しかし1250年ごろから地球は寒冷化して、
小氷期と呼ばれる時代に入り、これは1850年ごろ終わった。
地球の気温はここ一万年のスケールでも上がったり
下がったりしているのである。
これらの気温変動は人為的なものでないことは確かである。
縄文時代に人類がCO2の濃度を人為的に
上昇させたなどということはあり得ないからだ。
それでは、1000年くらいの間に何が最も大きな
気温変動の原因かといえば、太陽の活動である。
この間に太陽の活動が低下した時期が5回あった。
太陽の活動が低下すると黒点数が少なくなる
(略)
CO2濃度が上昇したにもかかわらず気温が低下した
1940年から1970年にかけては、太陽の活動も
低下したことがわかっている。
現在、太陽の活動が低下しているので、将来の気温変動で
心配すべきことは温暖化よりもむしろ寒冷化なのだ。
地球は既に小氷期に突入しつつあるが、人為的CO2の
増大によりかろうじて、気温が定常状態に保たれているという
可能性だってなくはないのだ。
そうであれば、CO2はどんどん排出したほうがいい
ということになる。
日本では政治的な理由により人為的温暖化を信奉するように
との同調圧力が強いが、温暖化対策にお金を使うより、
寒冷化に備えたほうがいいと思う。
将来の地球の気温変動は今の科学では予測不能なのである。
北極の海氷は減少傾向にあるがこの10年間はほぼ同レベルだし、
南極の海水は観測史上最大を更新している。
今後どうなるか。本当のところは誰にも分からないのである。

前後してしまうけど、「まえがき」から抜粋

さて、どうしたものか。
一番いいのは人口を半分くらいにして減らすこと。
人口を増やそうというのは安い労働力が必要な
グローバル資本主義の要請であって、
生態学的に考えれば、同じ資源であれば、
人口が半分くらいになれば、一人頭の資源量は
二倍になるのだから、人口は減った方がいいに
決まっているのだ。
そうすれば、ベーシックインカムといった、
国民の全てに等しくお金を支給するといったことも
可能になるだろう。
まあ、私が生きている間は無理でしょうけれどね。

環境問題の噓 令和版 (MdN新書)

環境問題の噓 令和版 (MdN新書)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: エムディエヌコーポレーション
  • 発売日: 2020/10/06
  • メディア: 新書

「国が検討すべきはベーシック・インカム」から抜粋

おそらく、あと半世紀もすると、ベーシック・インカム
一般的な制度となるだろう。一番極端な話をすると、
エネルギーを産生することから作物や製品の生産まで
全部AIに任せることができるようになったら、
働く人がいらなくなる。
そうすると何が起こるかというと、日本なら日本という国で、
AIを国営化して、AIに全部やらせる。
AIが日本の人口、日本人の嗜好などのデータから、
この食品がこのくらい、この製品がこれぐらい必要だ、
と必要に応じて生産して、それを日本人に配る。
配るといっても人によってニーズが異なるので、
均等に配るわけにはいかないから、
結局買ってもらうしかない。
例えば年頭に、1人アタマ何百万円か配って、
それで自分の好きなものを買いなさい、ということになる。
その金の8割は貯蓄には使えないようにする。
一年ぽっきりで、8割は全部使い切らなければダメですよ。
2割は、不動産を買うなり、車を買うなりするために
取っておいていいですよ、ということにせざるをえない。
8割のお金は一年券、2割は永久券で、ほぼ全ての商品を国が
製造すれば、ベーシック・インカムは
またほぼ全て国に戻ってくる。
ベーシック・インカムを人間が一律に受け取る、という
世界になると今の世界の経済システムが全く変わってしまって、
世界的なグローバル・キャピタリズムは潰れてしまう。
そうなると人口が少ない方がシステムに適合的になる。
そうなるまでには、まだ当分時間がかかるだろうけれど、
ベーシック・インカム社会でなくとも人口があまり大きくない、
こぢんまりとした社会の方が人々は幸せのような気がする。
ポスト・グローバル・キャピタリズム、ポスト・コロナ社会には、
こまわりのきく適度な大きさの共同体の方が適合的だ。
現在の世界で言えば、例えばデンマーク。
医療もタダ、学校もタダ、教育もタダ。その代わり税金が
むちゃくちゃ高い。
貧しい人でも、収入の半分くらい税金に持っていかれる
システムなんだけど、それでも、お金がなくったって暮らしていける。
いざとなったら全部国が面倒見てくれるし、
年とっても大丈夫な仕組みになっている。
それから、お金のない人はほとんどタダ同然のアパートを
国が貸してくれる。
そういうシステムでやっている国もある。
それは人口がある程度少なくて、まとまりが良くて、
という国でないとできない。
日本は人口が一億二千万人もいて、ちょっとでかすぎるかなあ
と思うんだけれども、県レベルでやるんだったらできる。
例えば沖縄県だとか。そういうことになると、県ごとに
細かく独立してしまった方がいいかもしれない。

国の仕組みはそういうのも一考あり(っていうか個人的にはそれがいい)、

ではエネルギーについてはどうなのだろうかというと、

これが一筋縄ではいかない。

なぜならエネルギーの奪い合いが戦争やら、人災をもたらすので

それを解消するには、について。

自給率の低い日本が今後、エネルギーに活路を見出すものとして、

CO2が環境に悪影響でないことを前提として「火力発電」を上げておられる。

「地球温暖化と科学的リテラシー」から抜粋

(略)
新エネルギーとして日本に可能性があるものは、
他にはメタンハイドレード藻類である。
マスコミが持ち上げている太陽光発電は
コストパフォーマンスが悪くて話にならないし、
風力発電は日本の風土には向かない。
風力発電はコンスタントに風が吹くオランダには
向いているが、強風がときどき吹いて、それ以外の時は
あまり風が吹かない日本向きではないし、
人家の近くに設置すると低周波による健康被害の恐れもある。
先に述べたようにメタンハイドレードは可採量が多く、
潜在的には有望なエネルギー源だが、今の段階では
まだ採掘にコストがかかり過ぎる。また埋蔵量が多い
南海トラフは大地震の発生が懸念されている場所であり、
採掘が地震を誘発する恐れもある。実際、アメリカでは
シェールガスを採掘するようになって、地震の回数が増えた。
残るのは藻類である。今のところ有望なのは、単細胞の藻類である。
中でも有望なのはボトリオコッカスと、藻類というよりも
むしろカビに近い従属栄養生物のオーランチオキトリウムである。
前者は光合成を行なって増殖して、細胞の中に油脂を作り、
校舎は有機物を栄養源にして増殖し、
同じく細胞の中に油脂を蓄える。
ただ、ここでも問題はコストである。藻類の細胞の中の油脂を
取り出すのに、今の技術ではコスト(1リットル約500円)がかかり過ぎる。
せめて150円くらいまで下げれれば、石油を輸入することなく、
国産の藻類燃料だけですべて賄える。
藻類燃料の第一人者、渡邊信は琵琶湖の2分の位置の
広さがあれば、日本の全石油消費量を産出する藻類を育成できる
と主張している。付言すれば、藻類燃料は空気中のCO2を
固定化してこれをまた空気中に戻す燃料なので、CO2は増えない。
いわゆるカーボンフリーである。
政府はこういう技術にこそ税金を投入して、開発を進めるべきだと思う。

「あとがき」から抜粋

(略)
国民も政府も金を儲けることが最大の目的で、そのために
一致団結して頑張ろうといった旧来の社会モデルに
しがみつくのをやめる必要がある。
人々が、同調圧力に絡め取られて、政権があらぬ方向に
走り出す方向に走り出す原因の一つは、金がなければ
大変なことになるという国民の焦りと恐怖なのだ。
しかしエネルギーと資源と人口が、今後も右肩上がりに
伸び続けることはあり得ず、グローバル資本主義
いずれデッドロックに乗り上げるだろう。
これからの世の中、そうなる前に、
なるべく早く旧来の経済モデルから
抜け出した社会が、最大多数の、最大幸福
実現することになるだろう。
人々に幸福をもたらすのは、結局は金ではなくて、
その人に固有の時間の使い方なのだ、ということを
多くの人が理解して、人々の個性と多様性を尊重する
社会が来ることを願うや切である。
2015年5月 
池田清彦

いい加減くらいが丁度いい (角川新書)

いい加減くらいが丁度いい (角川新書)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/09/08
  • メディア: 新書

「制度と社会のホンネとタテマエ」から抜粋

すべての人は、生まれる時代も親も条件も選べない。
気づけば、今ここで生きている、という事実があるだけだ。
だから自分の存在は、能動的な権利行使の彼岸にある。
自分の命や体は自分の努力によって得たものではないので、
自分の所有物ではない。私が臓器移植や自己決定による
安楽死に反対するこれが一つの根拠である。
生まれたばかりの時は、母親(やそれに代わる育児者、
以下面倒なので単に母親と表記)に
されるがままであった乳児はしばらくすると、
泣いたり、笑ったり、むずがったりして、自分の意思を
表明し始める。
能動的な権利行使の萌芽である。母親はそれを見て、
乳児の意思を忖度して、いろいろやってあげるわけで、
ここに密接なコミュニケーションが成立する。
母親の感情は、ダイレクトに乳児に伝わるため、
愛情を持って育てられた子と、そうでない子は、
共感能力のような必ずしも言語を介さない
コミュニケーション能力の発達度合が違ってくる。
これは乳児の将来の性格をかなり左右する要因になる。
乳児はそのうち幼児になり、小学生になり、しばらくすれば
大人になって、リバータリアン的にいえば、他人の恣意性の権利を
侵害しない限り、いかなる能動的な権利も行使できる人になる。
とはいってもアホな法律がいっぱいあるので、リバータリアニズムを
徹底すると逮捕される危険がある。
現状では、そのあたりは妥協して暮らすしかない。
法律に違反しない限りは、リバータリアン的に生きた方が
気持ちいいと私は思うけれど、他人の言いなりになって生きていた方が
楽という人もいるだろうから、それもまた恣意性の権利なので、
私は別に刺したる文句はない。私の邪魔をしないで、
勝手に生きてくださいね、と思うだけだ。
最近、天然の茶髪の生徒が無理やり黒い髪に
染めさせられている高校があるというニュースが耳に入ってきて、
びっくりしている。
リバータリアン的にいえば、悪の権化のような学校である。
私ならばさっさとやめてしまうけれど、なかなかそうも
いかない事情があるのだろう。
日本に限らず、どこの国でも、現時点で徹底的に
リバータリアン的に生きようとすると、実力と自信が
必要なのかもしれない。
すべての人がリバータリアンとして生きても問題ない世界が
くることを祈っているが、他人をコントロールしたくて
仕方のない人が多いこの世では、人類が滅亡するまで
私の望みがかなえられることはなさそうだ。

「首相がウソをつく国」から抜粋

首相、大臣をはじめとして、重要な公職に
ついている人たちが、すぐにバレるウソをついたり、
すぐにバレる不正を働いたり、さらには都合が
悪いことは忘れたと言い募ったりすることが多くなった。
日本はなぜこんなにウソつき大国になってしまったのだろう。
敬愛する内田樹は「困難な成熟(2015年)」の中で、
すぐバレるウソをつく人が多くなったのは
寿命が短くなっているからだ、という秀逸な考察を
おこなっているが、寿命とは個人の平均寿命ではなく、
己が依拠する共同体がどのくらい生き延びれば
自分としては満足するか、という主観的な時間の
ことだ、と私は勝手に解釈した。
たとえば、企業年金がなければ、
あと半年で定年になる人は、その間に会社が潰れて、
きちんと退職金が出れば、2年後に会社が潰れても
とりあえず文句はない。
しかし10年後に定年を迎える人はこれでは困る。
この二人の会社に対する接し方は微妙に異なることになる。
会社に対してウソをつくにしても、ばれそうな
度合いにはかなり温度差があるだろう。
会社の経営者であれば、短期的な利益が上がれば、
その後でその後で会社が潰れても構わないと考える人と、
自分が死んだ後も会社の経営がつつがなくいくことを
考える人とでは、行動規範は全く異なるだろう。
前者はウソをついてもとりあえず儲かれば、
ウソがバレて会社が潰れてもいいや、
と考えるかもしれないが、
後者はすぐばれるウソをつくことはないだろう。

なんか暗くなってしまうのだけど。

池田先生のおっしゃることって年々過激になっていくのは、

タイトル名をリストされているのを見ると感じます。

歳を重ね、定年もされると、どこにも気兼ねせず

忖度もなくなるってことなのかなあ、

といらぬ考察をしてしまう。

(良し悪しあるでしょうけど)

でも、口幅ったい言い方させていただくと

人間って言いたいことって結局、そんなに変わらないのだろうと、

思うのはかなり前の書籍の「はじめに」にある。

最後に一部引用です。

科学はどこまでいくのか (ちくま文庫)

科学はどこまでいくのか (ちくま文庫)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/11/01
  • メディア: 文庫

ここ50年ほどのあいだに、科学はとてつもなく巨大になり、
自然環境を変えるほどになってきた。その結果、様々な
悪影響が現れ出したのは周知のことである。
我々は巨大になりすぎた科学をなんとかコントロール
しなければならない
そのためには、まず、科学や科学者とは何かを知る必要があり、
さらに、それらの生理や生態や病理についても知らねばならない。
科学は自己増殖性という本性をもつゆえに、
自分自身で自己をコントロールすることができない。
長い間人々は、科学にコントロールされ続けてきた。
しかし今や、普通の人々が科学を
コントロールしなければならない時代になったのだ、と私は思う。

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4冊の書籍から読書と知性の考察(2022年8月) [’23年以前の”新旧の価値観”]

(1)名作うしろ読み:斉藤美奈子著2013年)


「はじめに」から抜粋


<国境の長いトンネルを抜けると雪国であった>(川端康成「雪国」)

<木曽路はすべて山の中である>(島崎藤村「夜明け前」)

本は読んでいなくても、なぜかみんな知っている名作文学の書き出し、

すなわち「頭」の部分である。では同じ作品のラストの一文、

すなわち「お尻」はご存知だろうか。

ご存知ない?ですよね。

だったら調べてみようじゃないの。

それが本書のコンセプトである。

名作の「頭」ばかりが蝶よ花よともてはやされ、

「お尻」が迫害されてきたのはなぜか。

「ラストがわかっちゃったら、読む楽しみが減る」

「主人公が結末でどうなるかなんて、読む前から知りたくない」

そんな答えが返ってきそうだ。

「ネタバレ」と称して、小説のストーリーや

結末を伏せる傾向は、近年、特に強まってきた。

しかし、あえていいたい。

それがなんぼのもんじゃい、と。

お尻がわかったくらい興味が半減する本など、

最初から大した価値はないのである。

っていうか、そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に

必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。

読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。

私たちはシェークスピア「ハムレット」の最後で

ハムレットが死ぬことを知っている。

夏目漱石の「坊ちゃん」のラストで坊ちゃんが

四国を去ることを知っている。

知っていても「ハムレット」や「坊ちゃん」の

魅力が減るなんてことはあり得ない。

きのうきょう出た新刊書じゃないのである。

やや強引に定義し直せば、人々がある程度内容を

共有している作品、「お尻」を出しても

問題のない作品が「古典」であり「名作」なのだ。

未読の人にはこのようにいってさしあげたい。

つべこべ文句をいっていないで、読もうよ本を


(2)忖度しません:斉藤美奈子著2020年)


「文学はいつも現実の半歩先を行っている」から抜粋


文芸書は売れません。

文学はいまやマイナーなジャンルです。

そういう話は耳にタコができるほど聞いてきたし、

数字を見ればその通りだからあえて否定はしない。

ただ、文学の世界が尻つぼみかというと、それも大きな間違い。

「前はこんなのなかったな」と感じさせる作品は続々と

誕生している。

「老人の逆襲」ともいうべき高齢者文学の増加。

多様なセクシュアリティ。

方言や舞台設定を含めた「地方の復権」。

そして古典のリノベーション。

現実を異化し、読む人の意識を活性化させる

文学は常に現実の半歩先を行くのである。


「認知症が「文学」になるとき」から抜粋


空前の高齢化社会を迎えた今日、

認知症は特殊な病ではなくなった

(略)

文学の世界でも、認知症の高齢者と

その家族を描いた文学作品が急増している。

認知症を描いた作品といえば、

有名なのはやはり、ベストセラーになった

有吉佐和子の小説「恍惚の人」(1972年)だろう。

義母が突然死した後、認知症(当時の用語では

「老人性痴呆症」)の症状が進行していく義父。

介護は妻に任せっぱなしの夫や、われ関せずの息子に

イライラを募らせながら奮闘する主人公に、

社会福祉主事はいうのである。

「これくらいなら、ホームに入れなくても、

家で充分面倒を見てあげられますでしょう。」

もう少し後だと耕治人の晩年の三部作

「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」

「そうかもしれない」(1986年~88年)が

思い出される。

ここで描かれるのは80歳を超した夫婦の老老介護だ。

ある時を境に物忘れが激しくなり、料理ができなくなり、

洗濯ができなくなり、やがて夫を認識できなくなる妻。

特別養護老人ホームに入った妻は、ナースの

「ご主人ですよ」

という声に促されていうのである。

「そうかもしれない」。

文学史をもっとさかのぼれば、また別の例もあり、

島崎藤村「夜明け前」(1935年)の主人公・青山半蔵

の晩年の姿は若年性認知症が疑われるし、

安岡章太郎「海辺(かいへん)の光景」(1959年)は

認知症の母を息子の目から描いた小説といっていいほどだ。

精神科の重い扉の向こうの重症病棟に寝かされ、

ろくな手当も受けていない母。「老耄(もう)性痴呆症」とは

どんな病気かと問う主人公に医師は答える。

「さア、われわれにも良くは、わからんですな。」

今日の認識はその頃と大きく変わった。

21世紀の認知症文学はどんなものなのだろうか。


として以下の書籍を挙げられる。


ねじめ正一認知の母にキッスされ

坂口恭平徘徊タクシー


ここでちょっと読書から離れるような長い寄り道。


世にいくつか出ている「知性」系の書籍を、疑問を呈しながら、自論を展開される。


「バカが世の中を悪くする、とか言っている場合じゃない」から抜粋


さて、このような混迷状況を見るに見かねて、

いわば待ったをかけたのが、

森本あんり「反知性主義ーーアメリカが生んだ

「熱病」の正体」だった。

日本の論壇で最近よく聞く「反知性主義」は

<どちらかと言うと社会の病理をあらわす

ネガティブな意味に使われることが多い>が、

もともと<単なる知性への反対というだけでなく、

もう少し積極的な意味を含んでいる>と森本はいう。

この本が描き出すのは「アメリカ化(土着化)したキリスト教」

ともいうべき「信仰復興運動(リバイバリズム)」を

中心とした反知性主義の歴史、換言すれば

アメリカの精神史である。

アメリカに入植したピューリタンは厳格な聖書解釈を

重んじるため、もともと高学歴者が多く、

極端な「知性主義」の社会だった。

牧師の養成を目的に設立された東部のエリート大学などが知性主義の代表だ。

(略)

反知性とは

<最近の大学生が本を読まなくなったとか、

テレビが下劣なお笑い番組ばかりであるとか、政治家たちに

知性が見られないとか、そういうことではない>

と森本はいう。

<「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする

能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む>。

つまり「反知性」とは「ふりかえり」が欠如した知性に対する異議申し立て

<知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に

拡大使用していないか。

そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。>

そ、そうだったのか!反知性主義とはバカの別名どころか

「反体制」「反権力」「反権威主義」「御用学者批判」などに

むしろ近い態度のことなのだ。

だとすると、知性(権威)の側からバカを論評する

「知性とは何か(佐藤優)」や「日本の反知性主義(内田樹)」こそ、

悪しき知性主義の見本ってことになりません?

むろん佐藤優や内田樹は、日本を代表する知性の持ち主で

あるから、本来の反知性主義が何かは重々承知の上で、

あえて意味をズラし、劣化する日本社会に警鐘を

鳴らしたのであろう。

あろうけれども、日本の知識人は

バカの悲しみに鈍感なところあるからな。

「日本の反知性主義」の中で、反知性主義(本来の意味での)に

もっとも近いのは、

小田嶋隆「今日本で進行している階級的分断について」だろう。

<東京の場末の町で生まれ育った者にとって、

「反インテリ志向」は、あらかじめ宿命として気が付くと

ビルトインされている「天質」のようなもの>

と語る小田嶋は「ヤンキー」なる語を無自覚に振り回す

インテリ層を痛烈に批判し、

<反知性主義をめぐる議論は、知性云々を軸にした

対立であるよりは、「分断」の

ストーリーなのだと思っている>

と書く。

それは学歴や偏差値や戦後民主主義という名の

「優等生思想」によってもたらされる分断なのだと。

反知性主義(今日の文脈での)を批判するインテリ層は、

まずは自分の胸に手をあてて、知性や教養が嫌われた理由を

真摯に考えるべきではあるまいか。

<反知性主義に対抗するために重要なのは、

知性を復権することだ。それは主に読書によってなされる>

(「知性とは何か」佐藤優著 2015年)などと

説いたところで、状況を変える足しになるとは、正直、とても思えない。


読書と離れてしまったようだけど、


「知性」ってかなり昔からだけどよく聞く言葉で


自分も興味大ありなのだけど、この視点には頷いた。


今の社会だとどうしても「学歴偏重」で、高学歴の方達に


よって牛耳られてるのが現状なんだけど、そういう人たちが


作ってきた価値観に乗っかっているのが現実で、


低学歴の人たちは、価値のあるものを産み出せない


仕組みになっているのだよね。


産み出せても、かっさらわれているかの如く。


でもそれも「コロナ禍」「戦争」などを繰り広げている人類が


この後、どのように変貌するのか、興味深いところだ。


すでに新しい価値観の人たちが出てきているように


感じますけれども。


今後、どのように現実となり、積み重なっていくのか。


で、読書に戻るようで戻ってないようななんだけど


(3)「ぼくは本屋のおやじさん:早川義夫著(1982年)


本が好きだと、いい本屋になれないか」から抜粋


本なんていうのは、読まなくてすむのなら、

読まないにこしたことはない。

読まずにいられないから読むのであって、

なによりもそばに置いておきたいから買うのであって、

読んでいるから、えらいわけでも、知っているから、

えらいわけでもないのだ


サブスクとか電子書籍が幅をきかす中、40年前のこの本の威力は


自分の中では未だ衰え知らず。本に限ったことじゃないよなと。


で、今度こそまた読書に戻ります。


かくいう自分は最近、小説をほぼ読んでなくて、


なんだろうと思ったことが、


たまにしかないけど、これを読んだら


なんか似ているかもと思い、最後に引用いたします。


「知の塊」「ジ・インテリジェンス」


であるところの立花隆さんの言葉です。


(4)読書脳ぼくの深読み300冊の記録:立花隆著(2013年)


「まえがき」から抜粋


フィクションは基本的に選ばない。

二十代の頃はけっこうフィクションも読んだが、

三十代前半以降、フィクションは総じてつまらんと

思うようになり、現実世界でもほとんど読んでいない。

人が頭でこしらえあげたお話を読むのに

残り少ない時間を使うのは、勿体無いと

思うようになったからである。

選択で気を使うのは、取り合わせである。

私の場合、関心領域が広いから、領域の取り合わせ、

本の内容のむずかしさ、肩のこらなさなどの

取り合わせにも気を使いながら、

次に取り上げる本を選んでいる。

もう一つ気を使っているのは、

あまり知られていない本だが、

「こんな本が出ているといいうことそれ自体に

ニュース価値がある(人に知らせる価値がある)」

と思うような本に出会ったときは、それを

積極的に取り上げるということである。

その反対に世評が大きすぎる本の場合は、

ワンランク下の力の入れ方にして、取り上げないか、

取り上げても軽い言及にとどめるということである。


と引いておきつつ、余談だけど、斎藤美奈子さんの本を読んで、


小説っていいかもって思った。


(どっちでもいいよ!好きにしなさい、反知性の自分より)


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ビートルズ神話 エプスタイン回想録:片岡義男訳(1972年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

ビートルズ神話 エプスタイン回想録

ビートルズ神話 エプスタイン回想録

  • 出版社/メーカー: 新書館
  • 発売日: 2024/03/16
  • メディア: 単行本
ビートルズのマネージャーだった、

ブライアン・エプスタイン氏の1964年当時の回顧録。

当時の雰囲気がなんとなくわかる。

ブライアンしか知り得ない情報ってのも価値があり

貴重なんだけど、メンバーに出会う直前、出会い、

レコード会社との契約までの前半部分が

知ってることも多々あるが

本人が語るのは威力があり、自分としては、

かなり面白かった。

でも30歳手前で自叙伝を書くってのもなんでだろと思うけど

その心境は「あとがき」に詳しいため、一部抜粋。

こうして校正刷りを読んでいてふと思うのですが、
マネジメント契約を結んでいるアーティストたちの
パーソナル・マネジメントで多忙をきわめているさなかに、
わざわざ時間をさき、まだ30歳にもなっていないというのに
自伝などを書いたのは一体なぜなのか、その理由を私は
いろんな人たちから問われるに違いありません。
こういったぶしつけな質問に対する回答の常として、
理由はさまざまであるとこたえるよりほかにありません。
しかし、基本的には、ビートルズその他のアーティストが
登場してきた時の状況を私の観点から正確に、
早い時期に書き残しておきたかったからです。
いろんなことがたくさん書かれてきましたかれど、
誇張されすぎていたり不正確だったり、あるいは
とっぴょうしもないことであったり、誤解を招きやすい話
ばかりなので、ここで正確なことを詳しく書いておけば
いろいろと役に立つだろうと私は考えたのです。
それに、一般の方々にもかなり興味を持って
いただけるのではないかと思うのです。
とにかく、私は楽しみながらこの本を書きました。
一冊の本であろうと一枚のレコードであろうと、
あるいは生のステージの公開であろうと、
何かを創り出す作業にとっての基本となるものは、
みなおなじなのだと、時たま私は考えることがあります。
(略)
大ヒットとなった数多くのレコードがいかにして
世に出ていった、そのときどきの状況を、こんなふうに
したりげに書きつづったおかげで、私の運(つき)も
ちょっとかわるかもしれません。
かわればかわったでそれはしかたのないことですけれども、
いま私がマネージしているアーティストたちが
望むかぎりいつまでも、私は、このアーティストたちが
一流のエンタテイナーとしての存在を続けられるよう、
あらゆる努力を惜しまない覚悟です。
私が心から感謝の念を表している次のような人たちが
いてくれてこそ、この本もこうして書かれたのだという厳正な
事実を私は忘れるものではなく、ここに書きとめておきます。
その人たちとは、
私の母、父、弟
私がマネージしているすべてのアーティストたち
マーシーサイドの若い人たち
そして、最後になりましたけれど、ささげる感謝の念の
大きさにまったくかわるところのないデレク・テイラーにも、
お礼を述べなければなりません。この本を書くにあたって、
彼の持つプロフェッショナルな体験が非常に
貴重なものとなり、負うところたいへん大であったのです。
1964年8月
ロンドン・ベルグラビアにて
ブライアン・エプスタイン

すごく人柄が伝わってくる本だった。

なんでかひらがなが多くて、それも、

なぜか良い人柄のような印象として感じた。

こういう人物だからこそ、ビートルズもマネージメントを

任せ、スタイルを変えることにも協力的だったのかなと。

それから思ってた以上に、ビートルズ自体が

いろんな面でイニシアティブを握っていたというのが

面白かった。大人の言いなりにはならねえぞ的な。

かといって自由奔放な若者のセンスだけで

動いていた感じでもなく、まさに互恵関係とでもいうか。

本能的な感覚を、お互いが信じてたんだろうな。

「第三章 発見」から抜粋

ビートルズという名前には、なにか人を惹きつける
神秘的なものがあるのではないだろうかと、
いまになって私は考えたりしています。
現在、ビートルズは世界規模で大成功をおさめた
スターになってしまっていますから、彼らの成功の
原因となった要素を明確に分析することはもうできません。
しかし、ビートルズが、ビートルズという名前のかわりに、
たとえば、リヴァプール・フォーといったような
散文的な名前であっても、やはりこれだけの成功を
おさめ得たかどうかということになると、
こんなことは考えてみてもしょうがないのですが、
やはり、ビートルズ、という名前が持っている不思議な
力みたいなものをどうしても考えてしまいます。
私の生活のなかにある日、ビートルズが
入ってきたのですが、その入ってきかたには、
ひとつの興味深い局面を見ることができます。
ビートルズの四人が、私のレコード店に来ているのを、
何度も見かけていた、という事実です。
もちろん、そのときは、その四人の若者が
ビートルズだとは、知らなかったのです。
皮のジャケットを着てジーンズをはいた、
薄汚れた感じの四人の若者が、午後になるとしばしば
私の店にやってきて、店の女の子たちと話をしたり、
カウンターのところにたむろしてレコードを
試聴したりしているのを、私は多少なりともうるさく
思ったことが少なからずありました。
気さくでいい若者たちなのですが、身なりがむさ苦しい
感じで、ワイルドなところもあり、髪は明らかに
長すぎるのでした。
午後のひまつぶしなら、どこかちがうところで
やってくれるといいのだが、と私は店の女の子に
言ったことがあります。しかし、彼女たちが言うには、
その四人の若者たちは、みな態度はきちんとしていて、
話をすると大変に面白く、たまにはレコードも
買っていくのだ、ということでした。
それに、レコードの良し悪しの判断が、
その若者たちはとてもたくみなのだと、
店の女の子たちは言っていました。

「第五章 これだ!」 から抜粋

EMIでの最初のレコーディング・セッションでは、
ビートルズは、「ラブ・ミー・ドゥ」を録音しました。
ポールとジョンが共同で作った、一度聞いたらちょっと
忘れられないような曲です。
当時はまだとても珍しかったのですが、ハーモニカを
使ったのです。このハーモニカをつかうことも
そうですけれども、ビートルズは非常に
いろんなことを創案して実際に行って見せたのですが、
いろんなん人たちがさかんに真似したおかげで、
そのいずれもが、いまではすっかり陳腐なものに
なってしまっています。
「P・S・アイラブユー」も、同時に録音しました。
ジョージ・マーティンもエンジニアたちも、
この二曲を気に入ったようでした。
しかし、まだEMIからレコーディング契約を
取り付けることはできず、録音を終わってEMIから
出てきた時には、希望で胸いっぱいに膨らん
でいきましたけれど、おかねはなく、経済的な状態は
不安定なままでした。
卑俗なネオンの輝くレーパーバーンで仕事をするために、
ビートルズはまた飛行機でハンブルグまで飛び、
私はリヴァプールのレコード店へひき上げて
そこの仕事をしながら、EMIからの連絡を待ったのでした。
7月に、連絡が来ました。
パーラフォン・レコードとのレコーディング契約に、
私は署名したのです。ビートルズも、
いよいよこれで大スターの道に立ったわけでした。
パーラフォンのトレードマークは、
ポンドのしるしの£なのです。
ビートルズがやがてかせぎ出す運命にあった、
まるで信じられないほどの額のおかねの、
これは象徴だったのでしょう
私は、そのときまだドイツにいたビートルズの
四人に電報を打ちました。
「イーエムアイトケイヤクデ キタミンナニトツテモダ 
イジ ナコトシカモスバ ラシイコト」
という電文でした。
ビートルズの四人は、それぞれに絵葉書を
送ってくれました。
ポールは
「印税前渡金を一万ポンドほど電報為替で送ってください」
と、書いてよこしました。
ジョンは、
「それで、いつ私たちは百万長者になれるのでしょうか」
と書き、ジョージからの絵葉書は
「新品のギターを四丁、さっそく注文しておいてください」
とありました。

ビートルズが初々しいです。成功してからの話は

あまり面白くないというか

まあそうだろうなみたいなことだった。

ジョン・レノンの辛辣な態度というか、でも老成もしてたとか。

大人気の台風の時に彼らがどうしていたとか。

ビートルズに関連した人たちのチーム力というか

リレーションシップが良い「仕事」と

「結果」につながる様が面白くもあるんだけど。

ブライアンやジョージ・マーティンがいて、いわゆる

「大人」が環境を整えてくれたので、

「仕事」がしやすかったのだろう。

それにしても奇跡的な出会いや出来事の連続で、これも

強運というやつなのかな。

この本には出てこないけど、この後(65年以降)も

色々致命的な失敗もしてるんだけど、「音楽」の力で

失敗を跳ね除ける様がすごいし、何と言っても

最後に「アビーロード」だからなあ。

有終の美とでもいうか。

ま、「仕事」って言うとアレだけど、

「音楽」が純粋に素晴らしいんだよね。

余談だけど、解説の片岡義男さんの解釈が

面白かったので以下に引用。

書籍名について、原文の方がよく中身を表してると思った。

解説 片岡義男

この本は、1964年にイギリスとアメリカで刊行された、
ブライアン・エプスタイン著「地下室いっぱいの音」の、全訳だ。
ブライアン・エプスタインは、ハンブルグや
リヴァプール以外のところではまだ無名のグループだった
ビートルズの可能性に目をとめ、マネージャーとなって育て上げた人物だ。
題名にある「地下室」とは、ビートルズが地元のリヴァプールで
出演していたクラブ、キャヴァーンのことだし、
「音」は、ビートルズの演奏を指している。
ビートルズが、ブライアン・エプスタインのような、
不思議な、しかもある意味では非常に優れた人物を知り、
彼にいっさいをマネージされたことは、たいへんに幸せな
ことだったのだという事実が、本書を含めて、
ブライアン・エプスタインに関していろんなところで
断片的に書かれたものを読むと、よくわかるのだ。
「地下室いっぱいの音」は、本来は
ブライアン・エプスタインの自叙伝であり、
彼個人の生い立ちからはじまり、ビートルズとの関係は、
キャヴァーンではじめて会ったときから、
アメリカで大成功をおさめてひとまず世界的に有名な
グループにしたてあげた1964年いっぱいくらいまでについて、触れてある。
わずかな材料をもとに判断するしかないのだけれども、
学校に通っているあいだずっと、そして、家業の家具店を
真剣に手伝う気になりはじめた頃まで、エプスタインは、
自分の周囲の状況に、肉体的にも心理的にも、
うまく適応できず、常に何かといえば周囲から
いじめられる弱い者であったらしい。
エプスタインにとってもっとも苦手な状況はたとえば
軍隊みたいなところで、事実、彼は、一種のノイローゼと
判断されたうえでそれを理由に陸軍から除隊されている。
(略)
ブライアン・エプスタインは、たいへんに
クリエイティヴな才能を、ちょっと奇妙なかたちで
持っていた人だったと言えるだろう。
ビートルズと知り合うまでのブライアンが、
よく言う挫折した人であったのかどうか、
これはよくわからないけれども、自分のクリエイティヴな
才能を具体的に発揮させる道をさがしていたことは、たしかだ。
と同時に、いわゆる旧世代と、いわゆる新世代との、価値観
生き方の完全な違いみたいなことも、
どうひかえ目にみても少なくとも心情的には、
重要な触れあいをブライアンは体験していたのではないかと、
推測できる。
1950年代の半ばから1960年代にかけて、
人間が生きていくことに関する価値観の転換
若い世代の側から本能的におこなわれ始め
そのおこなわれつつある実際のありさまを、たとえば
ビート・ミュージックとして、ブライアンはリヴァプールのなかに
自分の目で見ることができたのではなかっただろうか。
自分が適応することのできなかった世界は、
まぎれもなく旧世代のほうのものであり、
それにくらべるととてつもなく自由でエモーショナルで、
芸術的ですらある新しい世代のほうに、ブライアンは
傾斜したのだろう。
年齢的にも、当時のブライアン・エプスタインは、
両方の世界を見わたせる位置にいたし、
生活にはまるっきりこまらないという柔軟な立場も、
大いに幸いしたに違いない。
1966年8月のおわりにサンフランシスコで
おこなったコンサートを最後に、ビートルズは、
4人いっしょはステージに一度も出ていない。
この時が最後のステージになることを
ブライアンは知っていて、自分でそう発言してもいた。

よく知られているように、

ブライアンの最期は謎とされているけれど、

この本を読むと、ビートルズとの関係がものすごく強力で、

だからこそ、ビートルズがステージを辞めて

レコーディングに専念すると、音楽的素養のない自分への

これからが見えるようで落胆が激しかったことがわかり

(勝手な推測ですが)若干辛くなってきます。

これもまたよく言われることだけど、

後期ビートルズにブライアンが

生きててマネージしてたら解散しなかったのでは、

みたいなのもわかる気がするが、両者は66年ごろから

成長度合いというか波長というかバイブレーションが

合わなくなってきたのだろう。

その状態では、どっちみち解散または独立は

したのだろうなと個人的には思う。

本の話に戻すと、最も印象的なところは、

ブライアンが最初にビートルズのライブを見たとき、

なんか惹かれるものがあった、ってところで。

ブライアンは自分は音楽はよくわからないって

違う箇所で書いてあるんだけど、

音楽って聴くものというより、身体で感じる(浴びるもの)ものと

言っていたのは、かの大瀧詠一さんでした。

ブライアンも身体が反応したってことなんだろうかね。

そういえばブライアンをテーマにした映画ができると

Webニュースで見たのは2年くらい前か、

もし公開されるのなら観てみたいと思った。

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ピーター・バラカン著:ラジオのこちら側で(2013年) [’23年以前の”新旧の価値観”]



ラジオのこちら側で (岩波新書)

ラジオのこちら側で (岩波新書)

  • 作者: ピーター・バラカン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/01/01
  • メディア: Kindle版

1970年代前半に日本に興味を持った外国人は、


いるにはいただろうけど、実際に住んで仕事まで


するってのはあまりいなかったのではないか?


それと日本って映画「わたしは、ダニエル・ブレイク(2016年)」


を観るとイギリスの社会制度等をベースにしているのが


良くわかるけど(類似点多いんだろね、人口とか王室制とか)


イギリス視点だからこそ、類・相違点ってのが


あるようで、70年代の女性の社会進出やポジションの比較


歩き方、話し方などの違和感とか


ピータさんならではで、とても面白かった。


(当時聴いてらした「プレイリスト」もあり


この本の目玉なのだろうけど


自分は何故か文化の違いとか、


イギリス視点とかが興味あるもので)


来日したきっかけは某音楽出版の会社が


海外事業部で採用があってのことで


著作権周りの仕事をされていたようだ。


イギリスでレコード会社に勤めてて、


日本語も勉強されてたから


音楽の目利きとして採用されたのだろうね。


「1アンイングリッシュマン・イン・トーキョー(1974~1979)」


「タテ社会はつらい」から抜粋


すべてが冒険で新鮮だった一年目が終わり、

二年目になると、今度はしばらくの間、何もかもが嫌になって、

アメリカでも移住しようかと思ったこともありました。

もともと会社員に向いていない自分にとって、

会社の中での人間関係(とくにゴマすりやおべっかなど)が

最大のフラストレーションになっていました。

その時の気持ちを母親に手紙で伝えたら、

変わったのは日本じゃなくて、自分だと

言うことをあなたはわかっているわよね?

という返事が届きました。

それを読んだとき、嫌いなことばかりにとらわれていた

自分の気持ちがふわーっと流れて消えたのを覚えています。

それでも、日本社会で上手くやっていける自信がなかったのも確かです。

東京に来て間もない頃、上司とレコード会社回りをしていた時に

「話についていけないということもあると思うけれども、これは腹芸だから。」

と言われたことがあります。

「腹芸」の意味を知らなかったので説明して

もらいましたが、いまだに理解しにくい文化です。

日本での人間関係は、僕が思っていたより

タテ社会」でした。音楽やミュージシャンも混ざって

団体で温泉に繰り出したりもしましたが、面と向かっては

本心を言ってもらえない、相手によって話し方をまるっきり変える、

へりくだっていたかと思えば人をアゴでつかう、

といったことがカルチャー・ショックでした。

敬語の使い分けも、大学で勉強しただけでは、

自然にはできません。会社で周囲の真似をするのが一番の

上達方法でしたが、何年もかかりましたし、慣れた今でも

時々違和感があります。


ピータさんこの時、23歳くらい。


仕事の悩みを母親に相談するなんて、不遜な言い方に


なるかもしれないけれど、ウブな感じを受ける。


それにしても「腹芸」ってなんだよー、


自分は中年過ぎてるけど知らなかったのだけど、


当時なら十分あり得そうだよな、今もか。


知らない自分が幸せだ。


でもなあ、流行の音楽の仕事に


「腹芸」はないだろう。


「感性」で仕事しないとならないのに。


今もそうかもしれないけど、大きな会社だと


重鎮みたいな古い価値観の抵抗勢力が


いたのかもしれないな。


その後、他社から原稿書きの仕事がきて受けて終われ


それが掲載され問題になり会社に居づらくなったようで。


他社に記事執筆して掲載はまずいでしょう。


さらにその後、YMOの事務所に移って


継続して仕事されたようです。


アーティストサイドにいた方が、まだ似合ってるですよ、自由な感じで。


そして…


「DJからブロードキャスターに」 から抜粋


YMOや矢野顕子のさまざまな仕事をしていた

ヨロシタ・ミュージックには、ラジオの仕事と並行して、

80年代の暮から86年の夏まで、5年半程所属しましたが、

84年から急にテレビの仕事もやることになりました。

洋楽のミュージック・ビデオ中心に紹介する番組。

84年に始まった「ホッパーズTV」(TBS)です。

この企画を立てた人は、ぼくのDJを聴いてくれていて、

こういう司会がいいと思ったそうですが、

その依頼の電話にはちょっと驚きました。

僕自身はラジオでやりたい人間でしたから、躊躇しましたし、

その頃、「テレビの音楽番組の面白いものはない」と

思っていたのです。

ヴィデオ・クリップで見せるといっても、

大体は曲を1分くらいでカットしてしまうし、

そもそもテレビの音質は良くないし、

テレビで仕事をしたいと考えたこともありませんでした。

最初は断ったものの、丁重な依頼だったので、

事務所からさほど遠くないTBSまで歩いて、

ディレクターの話を聞きに行くことにしました。

彼は

「これまでのロックのテレビ番組と違って、

音楽本位の番組にする。見せるもの(ヴィデオ・クリップ)は

全部、最後まで見せてカットしたり、

フェイド・アウトしたりはしない。音はモノラルで良くないから、

レコードからステレオの音を全部ダビングして編集し直して、

可能な限りいい音で流す」

というのです。さらには

大ヒットだけではない。面白い番組にしたい

というので、その意欲に僕自信が刺激され

「やってみようか」

という気持ちになりました。

依頼が年度末ギリギリで、翌年の4月から始まる新番組でした。

YMOのメンバーには、「お前が評論家になるんだあ!?」と

ずいぶん冷やかされました。

(中略)

予算のかかる、コマーシャル出身の作家の豪華な映像も

多かったのですが、ファッションカメラマン出身の

ジャン・ベプティスト・モンディーノが、

トム・ウェイツの<ダウンタウン・トレン>

スティングの<ロシアンズ>のヴィデオを手掛け、

ミュージシャンの姿が目に焼き付く作品を作っていました。

僕が好きなヴィデオ・クリップの一つに、

エルビス・コステロの<アイ・ウォナ・ビー・ラブド>があります。

三分間写真のブースで撮影中の男に、カーテンの隙間から

誰かが顔を出してキスをすると

白黒映像がキスをする瞬間カラーになる、というものでした。

特別な編集もなくアイディア一発ですが、低予算の名作だったと思います。


ちなみに「ベストヒットUSA」には一目置いておられたようで、


あれとは違う路線でということだったようです。


「TVの威力」から抜粋


自分がテレビ番組を担当するようになると、

ある程度の数の人々に影響力を持つようになりますが、

影響の力そのものは、自分でコントロールできるものとは限らない、

ということを客観的に理解できたのはもっと後になってからです。

(略)

80年代のイギリスのロックで人気のあったザ・スミスや

ニュー・オーダーといったバンドは、面白い映像のものが

1-2曲あったので番組で紹介しました。放送がきっかけで、

ザ・スミスが一番好きなバンドになったと、

教えてくれた人もいました。たしかに当時のテレビで、

「ホッパーズ」以外に、ザ・スミスのビデオを流す番組は

なかったはずです。

視聴者が好きな音楽、好きなミュージシャンと出会えたのですから、

それは素晴らしいことだと思いますが、

紹介するぼくの方がとくに情熱を持っているわけではない場合もあり、

それはいちいち番組の中では言わないのです。

1度か2度「これはちょっと……」と感想を付け加えると、

あっという間に「毒舌家」のレッテルが貼られました

一人で選曲することができ、音だけで良し悪しが判断できる

ラジオのほうがやっぱりぼくには向いているようです。


歯に衣着せぬつもりはなくて、事実を言ってるだけなのに


「毒舌家」って心外だろうな。わかるなー。


この後、「CBSドキュメント」(アメリカの「60ミニッツ」という


骨太の社会派ドキュメンタリー番組を挟んで


冒頭と最後にコメントする深夜番組、1988−2010年放送)


を担当され、政治的にノンポリだったピーターさんは、


子供が産まれたこともあり、音楽からだけではない政治と生活を


思考するようになった、とのこと。これもわかるなー。


この番組の時「杜撰(ずさん)」「情状酌量の余地」という日本語も


番組をやりながら覚えていったと書かれている。


語彙力や知性が強化されたってことなんでしょうね。


でも、テレビにしろ、日本の会社(風土)にしろ、


ピーターさんには合わないですよ。


「忖度」しなさそうだもの。


この後、FM NHKで番組持って、インターFMにでも担当し、


話しっぷりを買われ、社長就任を打診され、


それは辞退するも役員に収まるまでに。


会社員は合わないと思ってたのに、よく受けたなあと思うけど


それには、いくつか理由がありそうだ。


新たな番組で、ご自身が若い頃聴いていたラジオは


マジックそのものだったという感覚を


再認識できるものを提供することが実現できそうだ


ということと、一介の社員とかDJでいるよりも


上層レイヤーであれば音楽業界自体にインパクトのある


提言ができると考えたから、というのが要因だったようで。


そういう今後のピーターさんのステートメントも込めての


プロモーションも兼ねて書かれたこの書籍(初出2013年)


だったようだが、本はここまでで人生はまだまだ続く。


ピーターさんの思惑とは別に問題が勃発してしまったようだ。


そこから1年半ぐらいして、なのかな。


14年6月の記事からWebニュースから抜粋


僕が執行役員としてもっとコマーシャルなことをやっていれば

こういう事にはならなかったんだろう。でもね、それはたぶんできない

だから最初からそういうコマーシャルな事を求めていた

InterFMは、僕を起用する事自体がある意味間違っていたかもしれません。


として番組降板、役員も辞めてしまわれたようだ。


この言い方がピータさんらしい。


日本で役員なんてやることは


(なんとなくしか想像つかないし


今会社員でいる人にはこんな言い方申し訳ないけど)


くだらない日本の慣習を強いられるピーターさんには


まったく似合わない。


定期的に役員会議とかあるだろうしね。


(海外で役付きになっても同じかもしれんけど)


辞めたことで、本来あるべきところに収まったのだろうね。


ピーターさんの旅はまだまだ続く


余談だけど、若い頃、「ホッパーズ」「CBSドキュメント」も観てた。


「ホッパーズ」では忘れられないインタビューがあり、


このブログの3月24日の再掲だけど、ご容赦。


1988年ごろ、ドアーズの三人がPRのため来日して、


ピーター・バラカンとTVでトークした内容。


 ▼ピーター

 「初期の作品は、クレジットが「ドアーズ」名義になっていたのは、

 ヒッピー文化と関係ありますか?」

 

 ▼ジョン・デンズモア

 「ヒッピー?どういう意味?」

 

 ▼ピーター

 「分かち合うとか・・・」

 

 ▼ロビー・クリーガー

 「ジムは、ミステリアスな雰囲気を好んでいたんだよ。

 この曲は誰が作ったとか、聴いてる人に悟られたくなかったんじゃないかな」

 

 ▼レイ・マンザレク

 (笑いながら同意)


今でこそ、バンドの内情がわかる本とかで、確認できるけれど


80年後半日本で、こういうコメントはとても珍しく、


若かった自分は驚いた記憶がある。


ビデオ録画したものを何度も観て、このほかいくつか質問してて


覚えてるのはレイの子供が中学生になって、


「The End」を聴いたら「パパ、これってすごいヘヴィーだね」って


言ったと言ったらロビーとジョンが大笑いしていたとか。


50歳過ぎた今でも、忘れてないのでした。 


それと余談の余談、電車の中ででピーターさんが、


CDを開けてライナーノーツを熟読している姿を


拝見したこともありました。


お声がけできないくらい集中されてた。


「ああ、似てる人種かも」って思った。


 


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小林秀雄の哲学:高橋昌一郎著(2013年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

序章 小林秀雄の魅力と危険性ー「文学の雑観ー質疑応答」 


「哲学者」としての魅力 から抜粋


小林が哲学を意識していたことは、彼の作品に

折にふれてはプラトンやアリストテレスをはじめ、

デカルトやパスカル、ニーチェやアランが登場する

ことからも明らかである。

彼は雑誌「文藝春秋」で開始した文芸批評の連載を、

古代ギリシャ哲学者ゼノンが提示したパラドックスから

引用して「アシルと亀の子」と名付けた。

ものの見方や考え方そのものを徹底的に掘り下げた

「私の人生観」や「考えるヒント」のような著作に至っては、

そのまま広義の哲学入門書だと言っても過言ではないだろう。

とはいえ、小林は彼自身を哲学者とみなした訳ではなかったし、

アカデミックな職業的哲学者に批判的だった事実から推測すると、

そのようなレッテルを貼られることを好まなかったに違いない。

「アシルと亀の子」の連載を終えた当時の小林が

《毎月雑誌に、身勝手な感想文を少し許り理屈ぽく

並べ並べして来ている内に、いつの間にか批評家

という事になって了った》(「感想」1930年)

と自認しているように、あくまで彼のスタンスは「批評家」だった。

その小林が

《哲学者の全集を読んだのはベルグソンだけです》(「人間の建設」1965年)

と告白するほど傾倒し、1958年5月から1963年6月まで

五年以上に渡って雑誌「新潮」に掲載した唯一の哲学評論が、

「感想」(ベルグソン論)である。


第六章 直感と持続ー「感想」


ベルグソンの哲学 から抜粋


アンリ・ベルグソンは、1859年に生まれた。

国立高等師範学校を卒業後、日本の高等学校に相当する

リセの教員として働きながら、「時間と自由」や

「物質と記憶」を執筆した。1900年に国立の市民大学に

相当するコレージュ・ド・フランス教授に就任し、

一般市民を対象に講義を行った。ベルグソンの講義は常に

大好評で、講堂から聴衆が溢れ出るほどだったという。

1907年の「創造的進化」によって「生の哲学」を確立、

一方では「笑い」や「思想と動くもの」のような

哲学的エッセイが文学的に高く評価されて、

1927年に「ノーベル文学賞」を受賞した。

1932年に「道徳と宗教の二源泉」を執筆した後は引退し、

1941年。ナチスドイツ占領下のパリで、

肺炎のため81歳で亡くなっている。

ベルグソンはいわゆるアカデミックな哲学界に

身を置いたことはなく、常に専門家ではなく一般市民を

対象に、講義や講演を行った。文学者のポール・ヴァレリーが

「ベルグソンは大哲学者で大文筆家であるばかりでなく、

偉大な人類の友人だった」と葬儀で弔辞を述べているように、

「学者」というよりも「友人」としてパリ市民に浸透していた。

小林は、そのようなベルグソンの生き方に共感して

「敬愛の情」を抱いたに違いない。

とはいえ、ここで重要なのは、ベルグソンも小林も立派な

「友人」であるかもしれないが、それと同時に

「危険な思想家」でもあるという点なのである。

ベルグソンの「哲学入門」は、次のような前提で始まる。

《哲学の定義と絶対の意味をそれぞれ比較すると

哲学者の間に一見相違があるのも拘らず物を知るのに

非常に違つた二つの見方を區別する點ではぴつたり

合つていることに気が附く。第一の知り方はその物の

周りを周ることであり、第二の知り方はその物の中に

入ることである。第一の知り方は人の視点と表現(表象)の

際に使ふ符合(象徴)に依存する。第二の知り方は視点には

関わりなく符合にも依らない。

第一の認識は相対に止まり、第二の認識はそれが可能な場合には

絶対に到達すると云へる。(「哲学入門」)

 

読者が哲学入門書を読み始めたところ、最初のページに、

人間の認識には「物の周りを廻る」方法と

「物の中に入る」方法の二つがあると書いてあったとする。

そこで読者は、どうすれば良いのだろうか。

最善の答えは、そこでその本を閉じることかもしれない。

そもそも人間の認識には「物の周りを廻る」方法と

「物の中に入る」方法の二者択一しかないのか、

他に方法はないのか、「物の周りを廻る」とか

「物の中に入る」とは具体的にどういうことなのか、

人間は「五感」を通して外界を知覚しているが、

その「五感」による認識とベルグソンの「認識」は

何が違うのか……などと、数えきれないほどの疑問を

抱くのが<思索する読者>である。

この点については、序章で詳しく述べたとおりである


ベルグソンさんについて、小林さん視点での論じられているのは


解りやすくて、ありがたい。それ以外にも瑣末な生活レベルの記述も


小林さんの「人となり」を感じられる。


文化勲章受賞 から抜粋


1967年11月、65歳の小林は、「文化勲章」を受章した。

授賞式から帰ってきた小林夫人は、

一緒に参列した受賞者たちの写真を見ながら、

「皇居で、この方たちの奥さんといろいろ話したけれど、

みんなえらい奥さんばかりだったわ。

内助の功っていうのかしら、随分苦労して旦那さんに

つくした方たちだったわ。

私だけよ、ぼんくらで何もしなかったのは」

と言ったところ、小林が

「ああ、ぼんくらだよ、お前さんは」

と返したのを見て、妹は兄が

「ぼんくらのよさをそのまま受け入れている愛情を感じた」

という(高見澤潤子「兄 小林秀雄」)。


無私の精神 から抜粋


1975年3月、小林が雑誌「諸君!」に発表した

「信ずることと知ること」では、

「科学思想によって危機に瀕した人格の尊厳」を救助するという

<哲学>が、最後に繰り返される。まず小林が紹介するのは、

次のような逸話である。

ある婦人が、遠い戦場で夫が戦死した同時刻に、

夫の周囲の兵士の顔や塹壕の光景を見た。

医者は、そのような夢の多くは現実とは無関係だが、

偶然現実に対応する夢もあり、その一例だろうと答える。

しかし、ベルグソンは、

「精神感応と呼んでもいいような、未だはっきりとは

知られない力によって、直接見たに違いない。

そう仮定してみる方が、よほど自然だし、理にかなっている。」

と考える。そして小林は

「経験科学という場合の経験というものは、

科学者の経験であって、私たちの経験ではない」

という観点から、ベルグソンの考え方を擁護する。

さらに小林は、ベルグソンと同じように「理智」によって

「整理された世界」を拒否し、

「世界が果たして人間の生活信条になるか」という点だけが

「興味をひく」ことを強調する。

《私がこうして話しているのは、極く普通な意味で

理性的に話しているのですし、ベルグソンにしても、

理性を傾けて説いているのです。けれども、これは

科学的理性ではない。僕等の持って生まれた理性です。

科学は、この持って生まれた理性というものに加工をほどこし、

科学的方法とする。計量できる能力と、

間違いなく働く智慧とは違いましょう。

学問の種類は非常に多い。

近代科学だけが学問ではない。

その狭隘(きょうあい=せまいこと)な方法だけでは、

どうにもならぬ学問もある》

(「信ずることと知ること」1957年)

ここまで書いてきて、どうしても不思議に思っていることがある。

それは、なぜ小林ほど知的に優れていて、

感性の豊かな天才的人物が、現実の「科学」が解き明かしてきた

「宇宙」や「生命」についての脅威的な発見や理論に興味を持たず、

「オカルト」や「擬似科学」をナイーブに

受け入れてしまうのか、ということである。

本書執筆に際して、改めて膨大な量の小林の

全作品を読んでみたが、大自然や大宇宙に対する

畏敬の念のようなものはどこにも感じられず、あるのはすべて、

人間と人間の創作物への愛情か、自然といっても

「花鳥風月」についての考察ばかりだった。

小林は、1961年4月にガガーリンが有人宇宙飛行を

成功させた頃には「忠臣蔵」を書いていたし、

1969年7月にアームストロングが月面に着陸した頃には

「新宮殿と日本文化」について対談していた。おそらくこれが、

興味のないことにはまったく目を向けない小林の

「職人気質」なのであろう。

たしかに、文学や芸術もすばらしいが、

なぜ小林が人間の「狭隘」な世界だけにしか興味を

持たなかったのか、私としては、心底不思議に思う次第である。


わからないこともある、


わからないからってないってことには


ならないだろう、


ってのがあるのではないかねえ。


いわゆる「無知の知」なのでは。


私自身、超能力とかUFOとか好きですが、


全てのオカルト現象(と呼ばせてもらうが)を


肯定するわけではございませんが。


知らないことの方が多い、ほとんどのことは知らないことだ、と


言ったのは大瀧詠一さんと対談しての、内田樹先生の言葉でした。


小林秀雄さんって、話し言葉の方がわかりやすくて面白いってのは、


以前にも書いたけど、そんな中で


「ユリ・ゲラー」の超能力の話をされてて


昔はあんなことよくあった、不思議がるのはおかしいぜ、


みたいに言ってた。


「科学」が万能ではない、っていうことを


よくご存知の方だったのだろうね、理論でなく身体で。


長めの余談なんだけど、小林さんの講演で


話していた内容でこんなのがありました。


正宗白鳥氏の家に、遊びに行った時、奥方がワインを


出してきたのを見て酒豪の小林さん「しめた!」。


ワインの栓を開けたところで、電話が鳴って奥様席を外し、


いつまでも戻らない。


正宗氏は下戸だから酒呑みの気持ちが解らない。


話に夢中になっている。


小林さん密かに「飲みたまえ」と言えばいいのに


と思っているが、尊敬する年配者に


そんなこと言えない。正宗氏の視点を小林さん察する。


→「話したいから話している」


 →「飲みたいって言わないから気がつかない」


  →「話を聞いてくれてるから話している」


   →「飲みたいなら飲みたいって言えばいいじゃないか」


って、いう思考なのだろうな、正宗さん全然間違ってない。


でもね……小林さん笑いながら


論理が正しいなんて、つまらんことですよ」と仰る。


最高にクール。時代を超越している偉人。


これ日常生活で使っちゃあ、ダメですからね。


今風に言うなら、NHKのチコちゃんの


「つまんねー奴だなー」とほぼイコールなので


社会生活・日常生活に支障出ますのでね。


タグ:小林秀雄
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