SSブログ
新旧の価値観(仕事以上の仕事) ブログトップ
前の10件 | 次の10件

3冊から新井紀子先生の言説を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

AIの壁 人間の知性を問いなおす (PHP新書)


AIの壁 人間の知性を問いなおす (PHP新書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2020/09/29
  • メディア: Kindle版

第4章 わからないことを面白がれるのが人間の脳

統計の嘘とAIの限界


から抜粋


養老▼

同じようなことは、実は医療の世界では、ずっと昔からあります。

統計の話です。

小咄(こばなし)まであります。

難病にかかった患者に医者がいうんです。

「この病気は致死率は99%です。100人いたら99人は死にます」ってね。

患者は真っ青です。

そこで、医者は「でも、あなたは助かります」と言ってニコリとします。

「どうしてですか?」

「私がこの病気を治療した患者さんはこれまで99人いました。その全員が亡くなりました。100人のうち1人は助かります。それがあなたです」。


新井▼

AIの一番の問題はすべてデータに基づいて予想したり判断したりしていることです。

しかもそれを積み重ねていきます。

データというのはすべて過去のことです。

今いる人間についてのことを過去のデータで判断するってことは、昔も今も人間は変わらない。

時間の経過があっても人間は変わらないという前提がないと無理なんです。

でも、そんなことありませんよね。


人間や社会は変わるものなのに、世の中は変わらないという前提で統計というものが幅を利かせていて、それがAIが学習するデータになっているんです。

その上、ブラックボックス化しています。

ある統計を前提として統計を取って、それをまた前提として統計をとるみたいなことが起こって積み重なっているんです。


AIの仕組みも積み重ねですから、第一段階のAIがあって、その判断を前提としたAIが動いて、それを前提としたAIがまた動く。

そんなのが三つぐらい繋がったらもうメチャクチャです。

そういう脆弱な統計を拠り所にして問題が解決できると考えていること自体が、リテラシーが非常に低いということですね。

先生がおっしゃる「バカの壁」です。


先ほど、アメリカでAIを犯罪捜査や裁判で使っているという話をしましたけど、アメリカという国は、どうしてそうなってしまうんでしょうか。


養老▼

それぞれの社会は履歴を持っていますね。

歴史です。

その中で、暗黙の裡(うち)にほどほどに落とし所を見つけるのが伝統的な社会だと思います。

アメリカはその点ちょっと若い社会で、やることが乱暴ですね。

それを伝統的な社会の日本が手本にしているという変なことになっていますね。


新井▼

日本は、どうしてそれを手本にするんでしょうか。


養老▼

一つは敗戦でしょうね。

それからもう一つは、アメリカ流のいいところもあって、新しいものがどんどん出てくる。

AIもそうですよね。


新井▼

この間、とっても面白いビデオを観ました。

アレクサというAIスピーカーは、「電気をつけて」とか、「新井さんに明日の待ち合わせを8時に変更してくださいとメールしておいて」とか話しかけるとやっておいてくれる。

そしたら、オウムを飼っている家の様子を撮影したビデオがあって、オウムが人間の真似をして「アレクサ、電気消して」というんですよ。

すると、電気が消えるんです。

可笑しいですね。

そのうち、オウムの命令で勝手にメールが送られたりするんですよ、きっと。


あんないい加減なものを、製造者責任も考えずに社会に出してしまうところが、アメリカの底抜けなところだなとは思います。

それが新しいことをどんどんやるスピリットなんでしょうね。

自由競争を大切にしたいから、格差があっても仕方ない。

自己責任だから、保険がなくて道端で死ぬ人がいてもいいって。


日本は「お互いさま」の国だったりもしますよね。

キリスト教の国のように教会の活動に組み込まれたチャリティとかボランティアはありませんけれど、袖擦り合うも他生の縁とか、情けは人の為にならずとか、そんな「お互い様精神」のようなことでなんとなくやってきたところがあると思うんです。

でも、なんとなくやってきたことは、壊れ始めたらすぐになくなっちゃったという気もしています。

私の受けている印象では、今まさにそういう感じです。


日本のただ今現在をかなり悲観的な印象を


お持ちの新井先生。


この対談では、養老先生と近しい感性で


お話しされていると感じた。


アレクサに関しては、自分も使っているから


ちょっと異なることを思うのだけど


どこまで依存するかによるのかな、と。


自分たちにとって良いところを活用すれば良い、


って思うがその”良い”っていうのが


養老先生流にいう”ものさし”とか”前提”とかにおよび


面倒くさい流れになるので定義できませんけれども。


自分が気になるのは多くの人もそうだと思うけれど、


働き方が今後AIが進んでことによって、


どのように変わっていくかってことだったりする。



国難のインテリジェンス (新潮新書)

国難のインテリジェンス (新潮新書)

  • 作者: 佐藤 優
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/04/17
  • メディア: 新書

新井紀子

DXで仕事がなくある時代をいかに生き抜くか


から抜粋


佐藤▼

新井先生の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』は、すっかり古典としての地位を確立しましたね。

計算機の延長に過ぎないAIが人智を超えないことや、その技術によって生まれたロボット「東ロボくん」が東大に合格できないことは、広く共有されるに至ったと思います。


新井▼

2015〜16年に見られたAIへの過剰な期待は、いまや「がっかり感」に変わっているように見えますね。


佐藤▼

シンギュラリティ(AIが人類を越える技術的特異点)は来ない。

ただ問題はそこにあるのではなく、AI技術の進展で仕事が消えていく一方、AIでは替えの利かない「読解力」が日本人全体で落ちてきていることですね。

その問題を新井先生は最近、「新文書主義」という言葉で説明されています。


新井▼

はい。

21世紀はテクノロジーの世紀であるとともに、新文書主義の時代です。

対面でのコミュニケーションよりもメールやマニュアルなど、文書によるやりとりの比率がどんどん上がっている。

しかも高度な内容を読み解かなくてはいけませんし、そこでミスをすると大きな損害になったりします。


佐藤▼

新型コロナの感染拡大で定着したテレワークが、それに拍車をかけている。


新井▼

何でも一人で読んで理解しなくてはならなくなりましたね。

テレワークだと、もう隣にいる先輩に「これ、どうするんですか?」とは聞けない。

自分一人で理解できますよね、自力で読めて当然ですよね、という前提で、仕事が行われるようになります。


佐藤▼

芥川賞作家の藤原智美氏も読解力の低下を危惧しています。

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』というエッセイ集で、いまのSNSなどでやりとりされているのは、書き言葉でなく話し言葉で、このため日本人の読解力が急速に落ちていると指摘しています。


資本主義と民主主義とDX から抜粋


佐藤▼

これからの社会がDXによって大きく変わっていくと、当然、制度も大きく影響を受けますね。


新井▼

そこが佐藤さんと話したかったことです。

今の資本主義と民主主義がどんな影響を受けるかは、佐藤さんとじゃないと話ができない


政治形態が変わる時は、最初に新しいテクノロジーが興り、それによって富の配分や必要とされる職種に無理が生じて、革命や体制の変化が起きます。

民主主義もルソーが一所懸命に言ったから生まれたのではなく、先に蒸気機関車のようなテクノロジーが生まれ、産業が機械化されて工業が興り、資本主義が生まれたから、民主主義ができてきた。

それは工業が都市労働者を必要としたからです。


佐藤▼

それまでになかった職業です。


新井▼

都市労働者に機嫌よく働いてもらうには、ある程度、生活を豊かにしたり、自由を担保しなくてはならなかった。

また仕事に必要な学問を身につけた方がいいという資本主義の都合から、教育を充実させたり、子どもは働かせないで学校に通わせたりするようになった。

奴隷解放も労働者の待遇改善も、女性の社会進出も同じ流れです。


佐藤▼

つまりそれらはすべて資本主義の要請で、資本主義が発展するために必要なことだったわけですね。


新井▼

だから民主主義は、明らかに資本主義のおかげで生まれたのです。

そしてその資本主義が生まれたのは、19世紀テクノロジーのおかげです。


佐藤▼

今はAIなどのテクノロジーで、それ以上の変化が訪れようとしている。


新井▼

恐ろしいことに、DXによって起きるのは、人を不要とするタイプの変化です。

労働者がいらなくなる。

もっともシンギュラリティは来ないので、全部いらないということはなく、非常に高い能力を持つ人が少数必要な世界になっていきます。


佐藤▼

そうなると、会社の在り方だけでなく、雇用や労働者の意味が変わってくる。


新井▼

アダム・スミスは、資本主義が労働者を必要とするという前提で『国富論』を書き、現在の経済学もその流れの中にあります。

労働者がいらなくなることを想定していない。

そこにはさらに落とし穴があって、「神の見えざる手」以降の経済学は、完全競争によって「一物一価」に近づくことをよしとしたわけですね。

誰かが起業したり資本家が投資したりすると、最初は他に競争相手がいないから価格が不当に高くなりますが、それが完全競争によって一物一価になる。


佐藤▼

同一市場の同一時点における同一の商品は同一価格になる、という考え方ですね。


新井▼

それがどうして起きるのかといえば、情報の非対称性が解消されていくことによって起きるわけです。


一昔前は、商品について一般の人は知る方法がないから、近所の商店街の電器屋さんから商品を買っていたわけです。


佐藤▼

自分で調べ尽くすには、コストと時間とエネルギーがかかりすぎる。

だから電器屋さんへの「信頼」でことをすました方が良かった。


新井▼

そのコストがインターネットによってゼロになってしまった。

情報の非対称性が解消されて完全競争になるのが速すぎるんです。

そうなると、何かに投資しても、その投資を回収する前に一物一価になってしまい、利益が出ません。


佐藤▼

今のお年寄りがいなくなったら、街の電器店はなくなってしまうでしょうね。


新井▼

こうした変化の中で企業が何をするかといえば、やっぱりDXです。

DXで岩盤コストである人件費を究極まで削る方向に向かう。

今の業務をただデジタル化するだけのデジタライゼーションでお茶を濁しているような余裕が企業からなくなり、本気でデジタライゼーションをして業態変化をし始める。

それに成功した会社だけが生き残り、失敗すれば市場から退場せざるを得なくなります。


佐藤▼

そこでは働けなくなる人がたくさん出てきますね。

こうした問題はマルクスからも読み解けます。

『資本論』にこうあります。

「あらゆる利益を横領し独占する大資本家の数の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷属、堕落、搾取の大衆が増大する」。

スキルのある高度人材は資本に集まってきますが、それは一握りで、多くは無知で貧困状態で、人の言うがままに従う大衆となる。


ではどうすれば良いのか、までも


話し合われておられるがここでは問題提起


のみに留めさせて頂きたく


新井先生の主たる言説は一体なんなのか


気になったので深掘りしてみた。



AIに負けない子どもを育てる

AIに負けない子どもを育てる

  • 作者: 紀子, 新井
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


はじめに から抜粋


前著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を出版してから1年半。

多くの方から「腑に落ちた」という感想をいただきました。

まずは、文筆業のをされている方たち。

「物を書いて世に問うのだから批判されるのは覚悟している。けれども、近年あまりに理不尽かつ不可解な非難が多くて議論にならない。よぼど善意があるのかと思っていたが、この本を読んで、『もしかするとそういう人たちは文章を読めていないのかもしれない』と思い始めた」というのです。


次は学校の先生たちです。

小学校では、「算数の文章題を解けない生徒の多くが、『(問題で)何を聞かれているかわかる?』と聞いても答えられない。図にすれば解けるのだろうけど、図にすることができない。だからドリルは満点でも、文章題の答案は真っ白のままという生徒は少なくない。

それを読解力と結びつけて考えたことがなかったが、この本を読んで『確かに読解力が足りないんだろう』と思った」と言います。


私たちが考案した基礎的・汎用的読解力を測るリーディングスキルテスト(RST)は、「同義文判定」という問題群があります。

200字に満たない2つの文の意味が同じか、異なるか、二択で選択します。

この能力は記述式問題の答え合わせをする上で欠かせない能力です。


たとえば、こんな問題です。


・幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

・1638年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

 

以上の2つは同じ意味でしょうか。


中学生の正答率は57%にとどまりました。


「事実について淡々と書かれた短文」を正確に読むことは、実はそう簡単なことではなく、それが読めるかどうかで人生が大きく左右されることを実感するでしょう。

基礎的・汎用的読解力を身につけて中学校、そして高校を卒業させることこそが、21世紀の公教育が果たすべき役割の「一丁目一番地」だと共感してくださる方が一人でも増えることを切に願っています。


おわりに から抜粋


さて、前著の印税により、一般社団法人「教育のための科学研究所」は第6章でご紹介した「視力検査」のような仕組みで、短時間に正確に読解能力値を測るRST有償版の開発に成功し、2018年からRSTを広く提供できるようになりました。

この本の印税で次に「教育のための科学研究所」が何をしたいか。

それは、日本全国の幼稚園・保育園・小学校・高等学校のホームページを無償で提供することです。


私は、2005年から教育機関向けのグループウェアであるNetCommons(ネットコモンズ)をオープンソースで提供してきました。

開発コンセプトは「小学校のパソコン操作に自信のない教員でも簡単にそして安全に情報発信ができる学校ホームページソフトを提供する」こと。

ネットコモンズを使えば、業者に頼まなくても、またパソコンが得意な先生が頑張らなくても、ブログやツイッターで発信する手軽さで、学校ホームページを更新することができます。


ただし、学校が公式に情報を発信するのですから、教頭先生や校長先生が内容に目を通して決裁する必要があるでしょう。

そのための「ワークフロー機能」もちゃんとついています。


ネットコモンズは無償なので、どちらかというと財政的に余裕のない県ーーー鳥取県、北海道、岩手県などーーから導入が進みました。

そういう中で、2011年東日本大震災が起こりました。

被災県はどこもネットコモンズのユーザーでした。

福島県の教育センターには、震災直前に導入されたばかりでした。

ネットで福島県、岩手県の教育センターのホームページにアクセスしてもつながらない…。


一方、クラウド上でネットコモンズを利用していた学校は、地震直後から避難所閉鎖まで学校ホームページから次々と情報を発信し続けました。


一方の文部科学省は、実は各学校の基本情報、たとえば、学校名、住所、電話番号、生徒数、教員数、ホームページアドレス、緊急用メールアドレス、耐震工事が済んでいるかどうかなどの情報を検索可能な形で把握していませんでした。


私は、2012年から、学校のホームページは安全なクラウド上に移し、学校基本情報や緊急情報などを機械が理解できる形で集約すべきだ、とあらゆる機会に説いてきました。


もちろん文部科学省には真っ先にお願いに行きました。


でもどこの省にも「必要なことだし、大変良いことだけれども、うちでは引き受けられない」と言われました。


その間にも熊本や北海道で地震が起きました。


もう待つことはできません。


そこで、「教育のための科学研究所」では、まずは国公立・私立の区別なく、すべての幼稚園・保育園・小中学校に対して、基本的なホームページを無償で提供するプラットフォーム「edumap」を2020年春に向けて準備することを決めました。

好きなだけ使ってくださいと言えるほどお金はないので、1機関5ギガまで。

それ以上は実費を頂きます。


以上のどれかに該当する自治体や学校は、ぜひedumapに学校のホームページを移すことをご検討ください。


1. 自治体内にサーバを設置している。

2. サーバのメンテナンスに教育委員会がお金を払っている。しかし、OSなどのメンテナンスが長期間行われていない。

3. 情報の更新が1ヶ月に1回以下である。

4. 学校内の特定のパソコンからしか学校ホームページの内容の更新ができない。

5. パソコンからでないと読みづらい学校のホームページである。

6. 保護者への情報伝達は紙のおたよりと、日本語でのメール配信か電話連絡である。紙のおたより類をスキャンして、PDFファイルにして学校ホームページにアップしている。


もし、あなたのお子さんが通う学校が、まだ機械可読でない古いホームページを、しかも有償でメンテナンスしているなら、どうかedumapがあるということを、伝えてください

そのことで、教員の多忙感が軽減され、「読解力向上」のような教員が本来するべき仕事に集中することができる日が来ることを願っています。


こんなに高い視座をお持ちの方なのか


と思うか、ビジネスの一環かあ、


と思うかで持つ印象は異なろうと思いますが


どちらにせよ、私が思うのは


自分の思いを形にして世の中へ貢献され


価値が認められているってのは


素晴らしいと思うってことでございましたこと


謹んでご報告させていただきたく


そろそろ夕飯を作り始めたいと思う所存で


アレクサに無洗米に水をつけたので


30分アラームと告げたのでした。


 


nice!(36) 
共通テーマ:

2冊の柴谷先生の書から”エチケット”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

反科学論: ひとつの知識・ひとつの学門をめざして


反科学論: ひとつの知識・ひとつの学門をめざして

  • 作者: 柴谷 篤弘
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1973/01/01
  • メディア: ペーパーバック

表4から編集者の紹介文から

1968年の大学闘争いらい、科学とは何か、研究とは何か、という問いかけは切実な課題となっている。

西欧でも学園は荒れ、科学と技術のもつ本質的な意味の再吟味が呼びかけられた。

これは一方において主としてアメリカにおける科学の進歩と表裏一体をなす、軍事研究の意味が、ベトナム反戦の運動の中において問いただされたことによるが、また他方、公害・環境破壊との関連のもとに、多くの科学者を問題の本質の再吟味へと駆り立てたことにも大きな動機があった。


さらにはここ10年余りの、分子生物学を先鋒とする生物科学の急速な進歩、その根源的な問いには、拍車がかけられた。


すでに10年以上も前に、著者は「生物学の革命」で問題を先取りし、大胆にして啓示に富む呼びかけを行っているが、1966年来、海外にあって、日本および世界における社会の激動に対して著者はさらに眼を研ぎ澄まし、広いパースペクティブに立って、一層広くかつ深くその考察を推し進めたのが本書である。


目次を拝見すると、柴谷先生のベースである


”科学”が一般で流布している


”科学”とは異なり、その差異や同一性が


なんとなくですみませんが、若干、わかる。


”社会”とか”差別”とかを指摘されているのは


こういうことなのか、がわかる書のようで。


その柴谷先生のこの書、1973年ごろでございますが


この時点では考えが及ばなかった点があったと


約20年後の対談で仰っておられる。



エントロピーとエコロジー再考

エントロピーとエコロジー再考

  • 出版社/メーカー: 創樹社
  • 発売日: 1992/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

3 反科学・論か反・科学論か

科学と反科学のジキルとハイド


より抜粋


槌田▼

科学論なんですけれども、『反科学論』、これは本にも「反科学論」と書かれていて、非常にややこしい名前です。


柴谷▼

それはね、この間大学で講義をしたばっかし(笑)。

全共闘がいろんな動きをした1968、9年の頃に、あれは1968年5月にフランスでも起こりましたし、中国の文化大革命もあったし、アメリカ合衆国はそれより数年前から動いておりましたから、世界的にあの時にあったわけで、その時に「カウンターカルチャー」、「対抗文化」というのがアメリカで流行ったわけね。


「反」がなんとなく流行っていて、「反演劇」なんてのが出ていたんです、「アンチシアター」って。

それで私は科学を今までとは違う面から見ようと思ってまず考えたのは、「反科学」という日本語、あるいは「アンチサイエンス」というものを考えたわけね。


これは概念としてのアンチサイエンスと、実体としてのアンチサイエンスと二通りあるだろうと。

アンチサイエンスの概念としては科学のすべてを否定するような、精神的あるいは社会的な動きである。

もう一つのアンチサイエンスというのは実体であるから、科学とは似て非なる、オルタナティヴなものであるだろうと。

知の体系としての反科学というものがあるだろうと漠然と思って、できればこの両方をやらねばならないというふうに思って、「反科学論」という題で『みすず』に連載した。


71年から連載して73年にいよいよ本にするという時に


何か一つ抜けているなと思った。


どうしても思いつかないけれど、夢かお告げか知らないけれど、もうひとつ意味があるという気がする。

だけれど「反科学論」という題にもうひとつ意味が出てこないんです。

あるはずなのに出てこないんです。

それで概念及び実体としてのアンチサイエンスというので「反科学論」というふうに書いて、実体としてのアンチサイエンスを求めましょうという論旨で通した。


科学の批判をしながらもうひとつの科学を見つけようというかたちで通して出したわけなんですが、それが73年で、それからしばらくすると「反発達論」とか「反建築論」とか、「反日本語論」とかいろいろ亜流が出だしたんで、これはおれのが一番先だなと思っていたら、多分蓮實重彦さんが若い時に書いた本だと思うんですが『反=日本語論』というのがあって、それは「反」の下にハイフンがついているわけね。

「反日本語」というのは当然変なんですから、あれは当然今までの日本語論に対する「反」だということで、それを見た途端に、「あっ、これが自分が思いながらどうしても探り当てられなかったあれだ」というのがわかったわけ。

それが実は『反科学論』を出してから数年後のことです。

もはや後の祭りなわけですね。


槌田▼

僕なんかも「お前は反科学だ」ってやられて説明に困り果てたことがあるわけです。

だから迷惑なことを言ってくささる人がいるのだなと。


柴谷▼

迷惑を?「反科学論」で。


槌田▼

「反科学論」で迷惑というんじゃなくて、「反科学」という言葉が定着してしまいました。


柴谷▼

それは私のせいだけではなくてね、アンチサイエンスというのは英語でずっと定着したんですね。


槌田▼

英語ではそうかもしれませんけど日本語で。

しかもそれは「反科学」という意味が「非科学」とは違うといっても、「非科学」の意味で「反科学」を使って定着させた。


柴谷▼

そうですね。

私は「非科学」のつもりで言ったことはないつもりですけれど、読まないで名前だけで判断する人がいますから、そのワナにかかったといえば、そうなんでしょうね。

これは本来は「反=科学論」の意味なんだということを言ったはずなんですが、数年遅れたんです。


槌田▼

僕に対して「非科学」という時には、「非科学」は必ずしも文字どおりの「非科学」ではなくて、科学者としてのエチケットがないという意味の「非科学」でくるわけですね。

それがなかなか耐えられなかった。


柴谷▼

たとえば科学の世界に、論文をもとにして科学者の業績を判断する傾向があります。

しかし人々のために論文を経ずに貢献する道もあるべきである、と書いた。

しかし、このように『反科学論』を書いていろいろやっているけど、この業績さえも科学者社会というか学者社会というか、アカデミーの中で自身の業績として立身出世のために使われるようになれば、それは世も末であるとどこかで書いたと思うんです。

それがどうしても出てこない。


ところが実際にオーストラリアで昇進したんです。

CSIRO(オーストラリア連邦科学産業研究機構)で、その時は「対社会関係の論文も全部考慮に入れるから全部書いてだせ」というので全部業績の中に入れたんです。

こういうのは非常にユニークで、私が初めてだったらしい。

オーストラリアでは、こういうことも科学者の業績に含まれて、昇進させるべきだという、

驚くべきことですけれどね。


ですから「エチケット」に反していてもいいんだと考えた。


もう一つは私は科学を職にしてオーストラリアで給料をもらって、今はエクスチェンジ・レートが低いけれどその時は高かったから、高給をはんでいて生活は全然不安定でなかった。

もちろん英語でも『反科学論』を書いたけれども、日本人の目につかないから、主に日本語で書きますね。

そうするとたとえば槌田さんがエチケットに反する、非科学的だとか、アタックされたようなことは、私にもありましたが、こたえないわけね。


科学者の中でも無意味な”因習”のような


ものがあるのか、とそれこそ”科学”的では


ないなあと、ちと残念な気もするが。


”科学者”の前に”日本の”、っていう


枕詞がつくのだろうな、この文脈だと。


柴谷先生は元からですが、槌田先生の


言説もなかなかに興味ふかく、共同体から


弾かれているアウトローっぽさが特に。


ところで”エチケット”という表現が


面白いなと思い、インターネット黎明期


”ネチケット”なんてのもあったな、なぞと


趣旨と全く異なるところに目がいく


相変わらずな自分の視座または理解の


ずれっぷりに著者さんたちへの非礼を


詫びるすべもない浅学非才な読書からの


読解力を夜勤に向かうバスの中で


行った次第でございましたことを


ここに謹んでご報告させていただく所存です。


 


nice!(25) 
共通テーマ:

カーソン博士の書評から”せつなさ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

世界がわかる理系の名著 (文春新書 685)


世界がわかる理系の名著 (文春新書 685)

  • 作者: 鎌田 浩毅
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/02/20
  • メディア: 新書

第2章 環境と人間の世界

カーソン『沈黙の春』


書いたのはこんな人 から抜粋


子どもの頃から書くことが好きだった少女は、大人になってペンの力で世界を動かした。

レイチェル・カーソンが生まれたのは、アメリカの東海岸、ペンシルベニア州のスプリンデール。

ペンシルベニア州はアメリカ合衆国発祥の地といわれる歴史ある土地で、南北戦争の激戦地であった。


カーソンの父親は農場を営んでいた。

母のマリアは牧師の娘であり、若い頃に教師をしていたという。

大自然の中、知的な母に育てられた彼女は、感受性豊かな子どもとして伸び伸びと成長していく。

ペンシルベニア女子大学に入学し、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で動物学を専攻。

この時期に、小さい時分から憧れを持っていた海と出会う。

カーソンは海の生き物たちに強く惹かれ、ついには海洋生物学者となる決意をする。


大学院を終えて連邦漁業局の職員として働きながら、彼女は海を扱う放送番組の脚本をしばしば手がけた。

また、政府刊行物のための自然保護地域に関するレポート執筆などを通して、次第にその筆力を発揮するようになる。

その彼女が作家になるきっかけとなったのは、上司にラジオ番組の脚本を見せたことだった。

この上司に科学雑誌への投稿を勧められ、言われるがまま原稿を送ったところ、雑誌「アトランティック・マンスリー」に掲載され、出版界への足がかりをつかむ。

そして44歳の時、『われらをめぐる海』が望外のベストセラーとなった。(1951年)


いきなり『沈黙の春』は書けないよなあ


とは思っていたけれども、鎌田先生の文書で


腑に落ちたとでもいうか。


運も持ち合わせておられたのだろうけれど


それはカーソン博士の本当にやりたい仕事では


なかったのかもしれないと思うと複雑ですな。


企業家や国家と争うというような


資質の方にはどうしても思えないので。



福岡ハカセの本棚 (メディアファクトリー新書)

福岡ハカセの本棚 (メディアファクトリー新書)

  • 作者: 福岡伸一
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2012/12/28
  • メディア: 新書

第2章 世界をグリッドでとらえる

不思議さに目をみはる感性


から抜粋


浜辺の小さなカニ。雨に濡れた地衣類(ちいるい)。銀の鈴のような虫の音ーーー。

レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』では、カーソンが夏を過ごした米国メーン州の自然が詩的に語られます。

カーソンは甥のロジャーと一緒に嵐の海を眺めに出かけ、潮の香りを胸いっぱいに吸い込み、苔の絨毯に膝をついてその感触を楽しみます。

カーソンの著作では『沈黙の春』がよく知られています。

1960年代の初めに環境問題について論じたこの本を、私は大学の頃に読み、とても感銘を受けました。


『沈黙の春』でDDTなどの農薬をはじめとする化学物質がいかに地球環境に深刻な影響を与えているかを訴えたカーソンは、孤独な闘いを強いられることになりました。

本は売れ、世界中に反響を巻き起こしますが、一方、化学薬品メーカーや政治家から激しい攻撃を受けるようになったのです。

「根拠のない妄想」「独身女のヒステリー」といった心ない誹謗中傷に耐えながら、それでもカーソンは自分の信じることを語り続けます。


そんなカーソンを支えたのが、彼女自身の中にあったセンス・オブ・ワンダーではなかったか

センス・オブ・ワンダーを直訳すれば、「驚く感覚」。

本書を翻訳された上遠(かみとお)恵子さんは、この言葉をとても的確に「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と表現しています。

カーソンにとってそれは自然の美しさに触れる喜びであり、そこに自分の出発点があることを忘れなかったからこそ、長い困難と孤独に耐えられたのだと思うのです。


私自身のセンス・オブ・ワンダーは、昆虫との出会いにありました。


宇宙の青でも、海の青でもない。

小さな虫の背中にさざなみのように変化する青が凝縮していました。

息を呑む美しさ。

その瞬間が、その感動が、私のセンス・オブ・ワンダーでした。


「残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬(いけい)すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」


センス・オブ・ワンダーは、成長するにしたがって不可避的に失われてしまう。

大人になるとは自分の有限性に気づくことです。

子どもの頃は誰もが果てしない未来を思い描きますが、やがて可能性は限定され、夢は諦めるべきものとして輝きを失います。

まぶしかった世界が色あせる事は喜ばしい事ではありません。

しかし一方、子どもの頃に出会ったセンス・オブ・ワンダーはどこかでわたしたちの中に残り、私たちを支え続けている

もしそのことを思い出せれば、私たちはいつでも自分の原点に立ち返り、希望を持って生きていけるのではないか。

カーソンはそう伝えたかったのではないでしょうか


なぜこんな青がこの世界に存在するのか。


生物学者になった後も、私はこの同じ問いを繰り返し問い続けてきたように思います。


本書のいちばん魅力的な部分は、次の箇所です。


「もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない、『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性』を授けてほしいと頼むでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです」


カーソンは

「私の文章に詩があるのではなく、自然の中に詩があるのです」

と述べています。


さすが福岡博士というか、カーソン博士というか。


言葉がありません、という言葉が浮かびます。


『沈黙の春』だけでは分かり得ない


レイチェル・カーソン博士の尽きない


”メッセージ”というか。


そんな平易な言葉では追いつかないだろう。


なので、言葉にできない。


それにしても、本日は自分で作った


野菜ラーメンを昼に食したのだけど


体調がいまいちで寝てばかりいたら


それらが原因ではないのかもしれないが


頭も痛くなってきたのであまり読書が


すすまない休日でしたがそんな日もある


のだよと言い聞かせる夕刻でございます。


 


nice!(25) 
共通テーマ:

カーソン博士の警鐘を現代日本に照らす書 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

レイチェル・カーソンはこう考えた (ちくまプリマー新書 241)


レイチェル・カーソンはこう考えた (ちくまプリマー新書 241)

  • 作者: 多田 満
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2015/09/07
  • メディア: 新書

第6章 「べつの道」を考える

環境・生命文明社会


から抜粋 


アメリカの環境学者デニス・メドウズ(1942−)らの『限界を超えて』(1992年)は、その20年前に書かれた衝撃のレポート『成長の限界』以後の世界の変化をふまえ続編として出版されました。

現代世界がこのまま経済成長を追求すれば、環境破壊を中心として事態はさらに悪化の一途をたどり、人類社会にはもはや破滅しか残されていません。

破滅を避けるためには「持続可能性を追求する革命」が、今早急に必要であるというものでした。

「すばらしい高速道路の行きつく先は、禍いであり破滅だ」とするカーソンの立場、その破滅を避ける他のための「べつの道」は、「持続可能性を追求する革命」というメドウズらの立場に近いとみることができるでしょう。


21世紀環境立国戦略(2007年)で謳われた低炭素社会、循環型社会、ならびに自然共生社会を統合した社会の構築という基本施策は、今後とも堅持していくものでしょう。

これらは決して目指すべき社会が複数存在するわけではありません。

それぞれの側面の相互関係をふまえ、わたしたち人間も地球という大きな生態系の一部であり、地球によって生かされているという認識のもとに、統合的な取り組みを展開していくことが不可欠なのです。


低炭素社会とは、気候に悪影響を及ぼさない水準で大気中の二酸化炭素などの温室効果ガス濃度を安定化させると同時に、生活の豊かさを実感できる社会

循環型社会とは、資源採取、生産、消費、廃棄などの社会経済活動の全段階を通じて、3R、すなわち

Reduce(リデュース=廃棄物の発生抑制)、

Reuse(リユース=再使用)、

Recycle(リサイクル=再資源化)

の取り組みにより、新たに採取する資源をできるだけ少なくした、環境への負担をできる限り少なくする社会。

自然共生社会とは、生物多様性が適切に保たれ、自然の循環にそうかたちで農林水産業をおこなうことで、自然の恵みを将来にわたって享受できる社会のことです。


しかし、東日本大震災の経験を踏まえ、安全・安心な社会づくりの重要性が再認識されたいま、それを三つの社会像にもうひとつ付け加えるのではなく、それらの根底にあるものと位置付け、持続可能な社会が構築されると考えるべきでしょう。


本来、原発再稼働のための安全基準のように「安全」は科学的根拠を持って国が定めるものの、「安心」は主観的概念であるので、個人ひとりひとりが判断するという指摘がされています。

安全についてのコミュニケーションを十分に取ることで、相互理解が深まり、その信頼関係によって人びとは安心を得るのです。

ここでの持続可能な社会とは、健康で恵み豊かな環境が地球的規模ら身近な地域まで保全されるとともに、それらを通じて世界各国の人びとが幸せを実感できる生活を享受でき、将来世代にも継承することができる社会のことです。


これまでの物量的な豊かさだけではなく、日本人が大切にしてきた人と人とのつながり(礼儀正しさや謙虚さ、思慮深さなど)や、自然との共生など生命のつながり(いのちの共生)を実感できる質的な豊かさに重点を置いた政策が2014年度から整理・展開されています。

環境・生命文明社会が目指す社会は従来の発想や価値観からの転換を迫っています。


カーソン博士の文才は、お母様からの


文学指南があってのことや


『沈黙の春』(1962年)の前に、


海三部作といわれるいわば前哨戦があり


潮風の元で』(1941年)、


われらをめぐる海』(1951年)、


海辺』(1955年)が下支えをしているということ


さらに海ものばかりなのは


”海洋生物学専攻”だったからとか、


遺作『センス・オブ・ワンダー』(1965年)の


重要性、それを踏まえて日本では何ができうるか


までをまとめられている多田先生は


日本レイチェル・カーソン協会の会員で


あるからかカーソン愛が横溢されつつ


迷っている我々の行先に明かりを


灯されているかのような思想書なのでした。


実際は環境問題という括りで考えると


様々なファクトを通して考えないとならないので


慎重にならざるを得ないのでございまして


昨日も投稿したのだけど”脱炭素”という所が特に。


ですが、重要資料であることは間違いない


書だなあと思った次第でございます。


話は唐突に変わりまして


本日連休だったため比較的近くで


古本屋さんが多い町まで行って27冊(8.7kg)


買ってきた事は妻には内緒にしておこうと


思った夜なのでした。


 


nice!(30) 
共通テーマ:

『沈黙の春』から”炭素”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

沈黙の春(新潮文庫)


沈黙の春(新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/05/20
  • メディア: Kindle版

アルベルト・シュヴァイツァーに捧ぐ


シュヴァイツァーの言葉ーー

未来を見る目を失い、現実に先んずるすべを忘れた人間。

そのゆきつく先は、自然の破壊だ。


湖水のスゲは枯れて、

鳥は歌わぬ。

キーツ


私は、人類にたいした希望を寄せていない。

人間は、かしこすぎるあまり、みずから禍(わざわ)いをまねく。

自然を相手にするときには、自然をねじふせて自分の言いなりにしようとする。

私たちみんなの住んでいるこの惑星にもう少し愛情をもち、疑心暗鬼や暴君の心を捨て去れば、人類も生きながらえる希望があるのに。

E.B.ホワイト


二 負担は耐えねばならぬ


から抜粋


害虫などたいしたことはない、昆虫駆除の必要などない、と言うつもりはない。

私がむしろ言いたいのは、コントロールは、現実から遊離してはならない、ということ。

そして、昆虫といっしょに私たちも滅んでしまうような、そんな愚かなことはやめようーーーこう私は言いたいのだ。


化学合成殺虫剤の使用は厳禁だ、などと言うつもりはない。

毒のある、生物学的に悪影響を及ぼす化学薬品を、だれそれかまわずやたらと使わせているのはよくない、と言いたいのだ。


どんな恐ろしいことになるのか、危険に目覚めている人の数は本当に少ない。

そしていまは専門分化の時代だ。

みんな自分の狭い専門の枠ばかり首をつっこんで、全体がどうなるのか気がつかない。

いやわざと考えようとしない人もいる。


またいまは産業の時代だ。

とにかく金をもうけることが、神聖な不文律になっている。


殺虫剤の被害が目に見えてあらわれて住民が騒ぎだしても、まやかしの鎮痛剤をのまされるのがオチである。


昆虫駆除の専門家が引き起こす禍いを押し付けられるのは、結局私たちみんななのだ。

私たち自身のことだという意識に目覚めて、みんなが主導権を握らなければならない。

いまのままでいいのか、この先へ進んでいっていいのか。

だが、正確な判断を下すには、事実を十分知らなければならない。


ジャン・ロスタンは言うーーー

《負担は耐えねばならぬとすれば、私たちには知る権利がある》。


三 死の霊薬


から抜粋


いろいろ数ある殺虫剤は、大きく二つに分けられる。

一つは、一般に《塩素炭化水素》と呼ばれるもので、DDTがその代表であり、もう一つのグループは、有機リン酸系の殺虫剤で、マラソン、パラチオンなど。

共通な点は、まえに書いたように、どれも炭素原子を骨格として構成されていること。

この炭素原始は、また生物界には欠くことのできない要素で、このため、この原子をもとにつくられているものは、《有機》と呼ばれる。

まず手始めに、殺虫剤の構造を調べ、生命の源である炭素原子と関係があるのに、なぜまた死を招くようなことになるのか、考えてみよう。


主要成分である炭素ーーこの原子は、どの原子とも鎖状、環状、そのほかいろいろな形で結合し、またほかの物質の原子ともつながる、ほとんど無限と言っていいほどの力を持っている。

このような自由自在な炭素の働きがあればこそ、生物はバクテリアからシロナガスクジラにいたるまで、信じられないくらい自由自在な形態の変化を見せている。

脂肪、炭水化物、酵素、ビタミンなどの分子と同じように、複雑な錯蛋白質(さくたんぱく)分子のもとは炭素原子である。

また炭素原子は、おびただしい数の無生物の土台で、炭素は生命のシンボルとはかぎらない。


有機化合物には、炭素と水素が簡単に連結したものである。

そのうちでもいちばん単純なものは、メタン(沼気(しょうき)ともいう)で、バクテリアによる水中有機物の分解によって、自然に発生する。

適当に空気と混ざると、炭坑内でおそろしい爆発を起こす。

この構造式はとても単純で、一つの炭素原子に四つの水素原子がついているーーー


さらにこの四つの水素のうち一つなり、また全部をひきはなして、ほかの元素におきかえることもできる。

たとえば一つ水素をとって、その代わり塩素をおくと、塩化メチルができるーーー


また水素を三つはずし、塩素にかえると、麻酔の時に使われるクロロフォルムができるーー


水素を全部とりさり塩素にかえると、四塩化炭素になる。

みんながなじみのドライクリーニングによく使われるのは、これであるーー


このように塩素置換したメタン分子にあたえたいろんな変化の図表で、塩化炭化水素がどんなものか一応説明されると思う。

だが、これだけでは、炭化水素の化学世界の複雑さ、有機化学者がさまざまな物質を数かぎりなく作り出していく魔法の正体はわからない。


たとえば、炭素原子に何が結合するか、というだけではなく、どの位置に結合するかが、大切である。

このような巧妙な操作によって、ものすごく有毒な化学薬品がいくつもつくり出されたのだった。


DDTの成立から、危険性、その被害報告の具体例、


またその他の毒性のある化学薬品の数々を


調べあげているだけではなく、


才能豊かな文章・構成力でしたためられた、


まごうかたなき名著と言える。


ベストセラーで日本でも読み継がれている


不朽の名作と言わざるを得ない。


悲しいのは、この時の警鐘が今もほとんど


有効なのではなかろうかと感ぜられるところで。


解説を書かれている筑波先生の文章もかなり


熱量を感じるものだった。


炭素原子の部分が自分は気になっていて、


中村桂子先生の言説で


SDGsの脱炭素は、実施されると困る、人間が


炭素化合物でできているのだから


ってのとどう絡むのか、詳しくはわからない、


これまた悲しい自分の頭なので、別日に追求したいと


思ったのでありますが、昨夜なぜかよく眠れず、


頭痛と花粉症に苦しんだ休日、それでも家の


網戸貼り替え一式を買ってこれたから良しとするかと


思った次第でございました。


 


nice!(22) 
共通テーマ:

最初期の池田先生の書から”清算”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

構造主義と進化論


構造主義と進化論

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 海鳴社
  • 発売日: 1989/09/01
  • メディア: 単行本

はじめに

から抜粋


本書は「構造主義」という時間とは最も無縁なものと、「進化」という時間に最も関係深いものを架橋しようとする試みである。

本書を書いた動機は二つある。


一つは、前著『構造主義生物学とは何か』(1988年)を書いたあと、進化については、まだなにか言い足りない思いが残ったこと。


一つは、「科学とは不変なるもの(構造、形式、公理など)によって変なるもの(現象、出来事、個物など)をコードしようとする営為である」という私の構造主義科学論によって、変なるものを扱っている科学の代表である「進化論」を解釈しようと考えたこと。


その二つの動機に沿って執筆していくうち、時間論を避けて通るわけにはいかなくなり、それとともに科学的営為の原点とも言うべき、古代ギリシャの自然哲学者たちにも言及してみたくなった。


そんなわけで、ごく常識的な科学史や進化論からみた言説としての本書には、

①少し風変わりな古代ギリシャの自然哲学史、

②新しい歴史的事実の記載は何もない進化論史、

③わけのわからない時間論、

④マユツバものの構造主義進化論の大構想、

などが書かれている。


もちろん私には私なりの成算があるわけで、私の密かな目論見によれば、本書は未来から書かれた進化論史の本なのである。


したがって現時点において、本書が、構造主義進化論のマニフェストとして読まれようが、できそこないの進化論史として読まれようが、時間や名を形式化しようとする形式主義者の稚拙な一試行(いちしこう)として読まれようが、かくべつの不満はない。


池田先生のライフワーク


”進化論”の最初期の書ということで


このあと”進化論”については


何冊も書かれているのだけれど


直近の『驚きの「リアル進化論」』と比較すると


基本ラインはあまり変わってないように


自分は感じた。


細かいところは違いますよ、そらもちろん


30年以上経過しているんだから。


そもそも進化論自体理解しているとは


自分は言い難いし。


そういうことではなくて、


”態度”というか”物腰”というかが


同じってことで。


そういう意味では確かに”まえがき”にあるように、


未来の視座を持った書なのだろう。


ただ、この書は個人的には読みづらいってのは


あるのですが、それは自分の頭がついていけてない、


ってことなのでしょうなあ。


あとがき(1989年3月) から抜粋


1989年1月7日に昭和天皇は死去した。

当時私は本書の執筆に没頭している最中であった。

天皇死去に伴う政府・マスコミあげての騒ぎと、それに便乗した天皇の戦争責任不問キャンペーンを傍に見ながら、私の心は鬱屈し、それはときとして現れる主題からの逸脱と、論敵へのいわずもがなの悪口となって本書に反映した。


それは本書の品格を損なうものではあろうが、もともと品格のない私はあえて書き改めることをしなかった。

文句のある人は私の悪口に数倍する罵詈雑言を私に浴びせるもよし、黙殺するもよし、紙上のものである限り、そのこと自体に異存はない。


柴谷篤弘氏は草稿を通読し、貴重な幾つものコメントを寄せてくださった。

前著の時と同様に深い感謝の意を表したい。


私事になるが、1988年6月1日に私の母は20年近くにもなる長い闘病生活の末に死去した。

母は、私の人生上の小さな失敗を我がことのように悔い、小さな成功を我がことのように喜んだが、私が政治的には必敗の学生運動に関わったときだけは、長いものには巻かれろ式のものいいで私を諌めることをしなかった。

それどころか国家がいかにインチキなものであり、姑息で卑怯な人間を再生産するかを(もちろんそのような言い方をしたわけではないが)語ってくれさえした。

だから私の反国家主義は母親ゆずりである。


死に近き母のベッドの枕辺で、本書の構想を練りながら、私には、母が死に逝こうとしているのに私の心はなぜかくも平静でいられるのか、いぶかしく悲しかった。

母はたとえ生きていたとしても、本書のようなものを決して読むとは思われないが(母は私が前著を見せた時も一瞥しただけで扉すら開けようとしなかった)、行動ばかりでなく心まで親不孝であった私のせめてもの気持ちとして、本書を母に献じたい。


個人的なことを滅多に書かれない印象のある


池田先生、実際にはそんなことはないのかも


しれないが、反権力の発芽は、お母様だった


というのは実は自分も似ているというか


自分の母親は威張りくさった態度というものを


忌み嫌っていてそれを受け継いでしまいまして。


(僭越ながら…養老先生シンパになるのも


無理ないよなあと思った。)


かつ、母が亡くなった時に平静だったのも


同じで、でもそれは自分なりに思うことがあり


自分の場合は子供が生まれたばかりだった為


母親が用意してくれていたステージが


変わったから、としか言えない。


抽象的でうまく説明できないのだけれども。


余談だけれども、池田先生はお母様に


献じるものがあるので清算されたと思うけれど、


自分は何を献じたのだろう、などと全く不毛なことを


考えてしまった朝5時起床で仕事してきた身では


なかなか眠くなってお腹減ってきましたので


食事したいと思い始めたところです。


 


nice!(22) 
共通テーマ:

中村・村上・西垣先生の対談から”わからなさ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

ウイルスとは何か 〔コロナを機に新しい社会を切り拓く〕


ウイルスとは何か 〔コロナを機に新しい社会を切り拓く〕

  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2020/10/27
  • メディア: 単行本

第二部 どういう社会を目指すのかーーディスカッション

新型コロナウィルスがあぶり出した社会の問題


予測不能なものに向き合えるのが生き物


から抜粋


村上▼

昔から一つ気になっているのは、さっきから出てきている、確率です。

気象情報で「何%」というと、いかにも科学的になったように見えるけれど、何%と言った時の、100%から引いた方はわからないわけでしょう。

そのわからないということをわからないとして、正面から受け止める

何%とは何を意味しているのかということをきちんと理解して、よくわからないんだけど、それでもそのわからないことに対応しましょうという気持ちで、最後まで我々自身がいられるのか、それでも数字が「%」で出たから、その数字をよりどころにして行動しましょうとなるのか。

ここにさっきから西垣先生が言っておられるポイントの一つがあるのかもしれない。


西垣▼

最近のAIというのは統計処理をやっています。

確率分布を仮定して、計算して答えを出す。

ところが状況ががらりと変わってしまうと、分布そのものが変わるので、AIの計算結果は役に立たなくなる。

そこが問題なのです。

一昨年『AI言論』という本を書きましたが、そこでカンタン・メイヤスーという現代哲学者の興味深い議論を紹介しました。

彼はわからなさに二通りあると言っています。

一つは、英語で言えばポテンシャリティ(潜勢力)。

これは確率的なわからなさで、繰り返しているうちにだんだん見当がついてくる。

もう一つは、ヴァーチャリティ(潜在性)です。

こちらは、対象の挙動が何をもたらすか全く予測ができない偶然性みたいなものなのです。

わからなさにはこの二つがあるのに、我々はみんな大体ポテンシャリティでなんとかなると思っています。


地震を例にすると、首都直下型地震が起きる確率は何々%だとかいいますが、メイヤスーに言わせると

「そんなことはヴァーチャリティだからわからない」

となるでしょう。

彼の議論は『有限性の後で』という本の中に、非常に厳密に書かれています。

要するに世の中の事実の根本には、われわれ人間には偶然としか思えない根本的なわからなさがあるということです。


サイコロを振って出る目を当てるようなポテンシャリティについては、確率計算で予測できるけれど、そればかりではないのです。

AIは過去のデータに引きずられる存在で、まったく新たな環境条件のもとでは役にたちません。

ところが人間などの生物は、新たな環境でもなんとか生き抜こうとする。

この何とか生きようとする直感力みたいなものが弱ると、死にます。

生物種は滅びます。

人間はそのことに気づかないといけないんじゃありませんか。


中村▼

フランソワ・ジャコブという研究者がいます。


村上▼

ジャック・モノーと一緒にノーベル生理学医学賞を共同受賞した人ですね。


中村▼

彼の生物の定義ーー彼自身は、別に定義として言っているわけではないのですが、生物とは何かを説明しています。

1980年代に書いた本ですが、私は彼の考え方がとても好きです。

彼は、生物を

①予測不能性、②偶有性、③ブリコラージュ(あり合わせの材料、道具でものを造ること)、と言っています。

寄せ集めてできた予測不能なものが生物だと、分子生物学者として説明しているのです。

私は直感的に、この説明はピタリと当たっているなあと思っています


「偶有性」は、茂木健一郎先生が


「ブリコラージュ」は内田樹・平川克美先生が


ある対談で話していたのを思い出した。


まったくのノーマークの書でしたが


いつも立ち寄るブックオフの廉価コーナーで


中村先生のお名前があり廉価の中では若干


高めだったが即購入。


予想以上に興味惹かれる書だった。


この3人ではないと語れない対談だったものを


長時間の電車の移動中に読了。


「わからなさ」を「わからない」とすることが


許されない社会というか、


「わからない」と言えない、言うと「経済」が


回らない何かになっているような気がする


ただいま現在の大人の世界。


なぜこのような世の中になってしまったのか、


とはいえ、それでも踏ん張るのだ


いや、もうそんな年齢ではない、と


お三方の中でも押し問答があり、


天井人のような方達でさえもそうなら


下々のものだって逡巡して当たり前


それでも考えておかしいと思えば抗い、


より良い方向にするのが


今を生きる大人の役目なのだろう、と思った


本当に良書でございます。


コロナ禍発生当初の書なので、この後時間が


経過すると一般的には価値が薄れてしまうのかも


しれないが、普遍的な眼差しを秘めているなあと


感じた次第でございますが、明日は


早番仕事のため早く寝たいと思います。


 


nice!(18) 
共通テーマ:

2冊の柴谷篤弘博士の書から”態度”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


あなたにとって科学とは何か―市民のための科学批判 (1977年)

あなたにとって科学とは何か―市民のための科学批判 (1977年)

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

まえがき から抜粋


この本では、まえの本と違って「反科学」ないしは「反科学論」の表現を、ほとんど排除しております。

そのひとつの理由は、わたしの反科学論とはかならずしも同じでない反科学論というのが日本では盛んであるというようなことが書かれたり、一般にわたしの意図が誤解されているということを言って下さる方々があったりして、この表現にこだわることは有益ではないと判断したからであります。


すべてのものがすみやかに風化してゆく消費社会では、たとえ同じ立場を守るためにさえ、われわれは、全速力で変わってゆかねばならないのかもしれません。


これは、わたしの好きな、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の中で、赤の女王(チェスにみたてたはなしなのです)がアリスに語ることばと関連しており、動物の進化における、「赤の女王説」というようなものも出されているくらいです。


いずれにせよ、反科学論は、とうとうたる世相に食いものにされつつあるようで、自衛上、私は、前の本の書名が『反科学=論』ではなくて、『反=科学論』の含みをもつものであることを、ここに改めていってみたくなっております。


しかし今回新たに書いた本では、科学批判という表現をとりました。

これとてもすでに「反科学ないし科学批判」という表現があらわれており、同様風化しきるまでには長くかからぬかもしれません。

赤の女王の説くところにしたがい、つぎに進出すべき立場の呼び名を、今から用意しておく必要があるようです。


柴谷先生の何かと闘っておられる姿は


ものすごくロックと通底する気が勝手にする。


体制とか権力とかへの態度というか。


この頃何冊か拝読させていただき


そのことがわかってきた。


いや、もっとわからなくなっているのかも


しれない。


原稿を書いてから、すでにいくらか時間がたち、その間多くの方々から意義ふかい意見が発表されています。

いまとなっては、この本でわたしの書いたことの大部分は、日本でもどなたかがすでに書かれた内容に過ぎないようです。

人間のもつ遺伝的制約にもかかわらず、そのなかで多様性があらわれ、しかも個々の人間の創造的可能性の限界は、

考えていいとする、この本でのわたしの主張は、構造主義の哲学とも矛盾するところがないようです。


それやこれやを今になって考えてみると、この本で書いたことは、まだまだ不十分であったという気がします。

ある期間、他の業務はすべて投げうって、この本に集中できたら、もっと整った、正確な本が書けただろうという悔いに似たものが、絶えず心にかげりをつくります。

しかし、これこそが、学者の立場であって、生活し行動する市民の立場ではないこともまたきわめて明らかであります。

さまざまの立場・状況のもので努力しておられる、既知・未知の市民のかたがたから、この本をきっかけにして、今後も色々学んでゆく機会に恵まれることを願ってやみません。


1977年4月3日 シドニーにて


 の説明文から引用


学問的な本には、注をつけるのがしきたりです。

その多くは、文献の引用であり、それには二つの意味があります。

ひとつは、自分自身の手によって、知識を生み出したのではなく、他の人の書いたものを利用して記述をすすめる場合、その出典を明らかにして、誰がもともとどのようにしてその知識を手に入れたのか、また元の本の引用・紹介が正しく行われているかを、読者が必要に応じて検討することができるようにする、ということです。

別な意味からは、そのことによって、人類史のなかで、その知識の樹立が、誰の功績に帰すものかを、公平に示そうということにもなります。

しかし転じて、二つには、著者がいかにたくさんの文献を読みこなし、学が深いかを、読者に誇示することによって、著者の学問的権威らしいものを打ち立て、数多くの文献に接しえない読者による批判と協同を心理的に困難にし、学問と学者を神秘化しようといったしきたりをも批判してゆくべきでしょう。


この本では、その意味で、表に出典に関するただし書きをつけた以外は、本文には、注はいっさいつけず、そんなことを気にせず、読者にわたしの思想を追っていただくことにしました。


しかし、この本を材料として、いっそう深く、自身の考えをすすめたい、と思われる方々のためには、わたしがどのような著者と著書・論文に負うているかを示すことが必要であろうと思われますので、いくつかのただし書きとともに、これを付録の形で、ここに注としてまとめておきます。


すごく誠実だ。


”注”に対しても著者が文責を負って


かつ丁寧な説明もされているなんてのは


学者さんの本にしては珍しいことでは


ないのだろうか。


そもそも今まで学者さんの本を


意識して読んでなかったから


自分が感じるだけなのかもしれないが


柴谷先生の文章の覚悟と巧妙に仕掛けられた


トラップは深く、拮抗しうる知性を持たないと


わからないみたいな気がする。



恐龍が飛んだ日: 尺度不変性と自己相似 (ちくま文庫 よ 6-4)

恐龍が飛んだ日: 尺度不変性と自己相似 (ちくま文庫 よ 6-4)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1995/12/01
  • メディア: 文庫

第4章 真理は一つではない


反論が多いほど有効


から全文引用


養老▼

柴谷先生の書かれたものを読むと急に腹が立つことがありまして、たとえば『今西進化論批判』(1981)の中で、キリンの首はなぜ長い、ゾウの鼻はなぜ長い、というのは、発生の問題だと断言されるのですが、そこでカッとなる。

わたしもですから、この本の書評の確か結論のところで、要するに柴谷氏の言い分は、自分を発生学者としてみてほしいという事の言い換え

だろう、という解釈をした、と書いておいたのです。


柴谷▼

なるべく刺激的というか、反論が多く出るような形で出した方が有効である。

少なくとも、欧米ではその方が有効だと思われているのですが、日本ではどうかわからない。


養老▼

やっぱり有効だと思うんですよ、わたしは。

おかげでこちらも考えますので。


柴谷▼

僕はそうだと思うんですよ、それは。

そういうものであると思うんです。

私自身がまた文句をいわれるとものすごく進歩するのであって、私のように体制の中ではかけはなれて周辺部にいる人間は、本の形にしないと、十分に人の話を聞けないです。


養老▼

確かに、極端なことをやるかいうかしないといけないみたいで。


柴谷▼

でも、私はこれは仮に極端な言い方をしてみせているんだぞ、ということを、自分では意識しているのだけれども、読む方は本気にとる、

仮にこう考えればこうなんじゃないか、これはどういうふうにしたらいいんだろう、ということをいっているんだけれども。

養老さんはそういうふうにとってくださった、最後の発生学の立場からわざといってるんだと。


養老▼

しかし、それはやっぱり頭を冷やした後の話でありまして(笑)。


柴谷▼

カッと怒らせるところが実は狙いなのであって。


養老▼

読んだ時はまずカッと怒るんです。


柴谷▼

その時は、必ず怒った状況を克服するので、相手の方には進歩があるはずである(笑)。

私自身がそうなものですから、刺激的なことで反論されると、得をしました。


アップデイトされ続ける柴谷博士の言説。


だからといって、読んでてくだびれて


退屈ってわけではまったくなく爽快


なのは、面白いと感じる感性が響くからなのだろう。


時代を帯びているため、見過ごされがちな気が


若干したり、自分自身もその全てをキャッチ


できてないとは思うのだけれども


昨今は響きまくりな柴谷先生の言説。


難解なものが多い気がするのだけれども


この書に関していうととても平易で読みやすく


今までで一等、装丁が洒脱。お洒落です。


装丁デザインした人もすごいと感じて


またまた主題と離れてた解釈をするんじゃないよ


といっても元から大した情報処理できない頭なんじゃ!


と思った夜勤に向かうバスの中での読書でした。


 


nice!(33) 
共通テーマ:

石坂公成先生の書から”フェアネス”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

我々の歩いて来た道―ある免疫学者の回想


我々の歩いて来た道―ある免疫学者の回想

  • 作者: 石坂 公成
  • 出版社/メーカー: MOKU出版
  • 発売日: 2000/07/01
  • メディア: 単行本

第1章 少年時代から結婚まで

私の生い立ち


から抜粋


人間には祖先がある。

ヒトの遺伝子が全部解読されても、私がなぜ石坂家に生まれたのかはわからない。

それは運命というものである。


石坂家はもともと埼玉県熊谷周辺の地主で、先祖は源氏の流れを汲む家系である。

祖父の義雄は8人兄弟の末っ子であった。


父弘毅(こうき)は、義雄の長男である。

のちに東芝社長・経団連会長になった泰三は三男であった。

祖父母には8人の子供がいたから暮らしは貧しかったが、子供たちには幼い頃から「四書五経」や『資治通鑑(しじつがん)』を素読(そどく)させるなど、教育熱心な家庭であった。

叔父の話によると、祖母・ことは、大変よくできた人だったそうで、針仕事をしながら父や叔父が素読するのを聞いて、間違いを指摘したということである。

父は子供の頃に読んだ漢籍の一部を大切にしていた。

私も漢籍がいっぱい入っていた大きなつづらが納戸の棚の上に並べてあったのを覚えている。


小学校の3年生か4年生の頃だったと思うが、ある日、風呂場で父が私にたずねた。

「おまえ、世に中に出て、一番大切なことはどういうことか知っているか?」

私は「もっと勉強しなければいけない」などと言われるだろうと考え

「勉強するということですか?」と答えたのだが、父は、

「勉強するのも大事だが、世の中に出ると”着眼”ということが大切だ。

”着眼”というのは、目の付け所ということだ。

今のおまえにはわからないだろうけれども、どういうことに目をつけるか、何が大切かがわからないと、いくら努力しても効果がない。

よく覚えておきなさい。」


二つ目は、やはり小学校時代に、私が膝を擦りむいて帰って来た時のことである。

私がちょっとした怪我をするのは日常茶飯事だったが、あまり頻繁なので、母が気にして父に頼んで注意してもらったのだと思う。

父は私を呼んで坐らせた。

父や母と話をする場合は、立ってものを言うなどということは許されず、いつも正座であったが、膝が痛いくらいでは足を投げ出すことは許されなかった。

父は、

「『身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝(こう)の始めなり

という言葉がある。おまえが暴れて怪我をするのは勝手だけれど、怪我をすれば親は心配するものなのだから、それを頭に入れておきなさい」

と言った。

話はそれで終わらないで、

身を立て道を行い、名を後世に揚(あ)げ、以(も)って父母を顕(あらわ)すは孝の終わりなり

まで教えてくれた。


お父様の授けてくれた格言


厳格な雰囲気がすこぶるいたします。


格言自体も格調高くて、近寄れない雰囲気がする。


内容は何となくしかわからないけれど…。


でも親の言葉とか行動とかは子供にとって


影響甚大なのは、僭越ながらすごく伝わります。


子供たちの中では、男である私だけが特別な存在であった。

家というものが重んじられていた時代で、両親は私が跡取りであることを意識していたと思う。

ただし、私が将来何をするかについては、自由な考え方だったようである。

自分が自分のしたいことができなかったので、自分の息子にはやりたいことをやらせてやりたいというのが父の念願だったように思う。


余命2ヶ月の東大生


から抜粋


東京大学医学部に入学したのは昭和19(1944)年の9月で、終戦の1年前だった。


昭和20年に入ると、空襲が頻繁になった。


学校から突然、勤労奉仕に行くように言われ、我々は高崎の郊外に連れていかれて、麦刈りと田植えを手伝わされた。


当時は誰が考えても、日本が敗戦を迎えることは時間の問題であった。

日本が降伏するということは考えられないことだったので、我々は米軍が数ヶ月以内に本土に上陸してくるであろうと思っていた。


我々は二人ずつ高崎郊外の農家に泊まり、昼は専ら畑仕事をしていたが、時々近所の家で働いている同級生と会った時に話題になったのは、

「我々があと1ヶ月で死ぬのなら、それまでに何がしたいか?」

ということだった。


誰も死ぬことを怖れてはいなかった。

中学の同級生の中には特攻隊で戦死した人もいたし、高校時代を一緒に過ごした文科系の学生は学徒出陣で戦地に行っていたから、我々が戦うのは当然と考えていたのである。

同級生の中には、「映画が見たい」「女の子と遊びたい」と言って笑っていた人もあったが、私は

「明るい光の下で本を読ませて欲しい」

と思った。


そういう生活を強いられていた我々にとって、8月15日の終戦は全く予期しないことであった。


終戦までは自分の国を守るために死ぬことは当然だと思っていた。

特攻隊で死んでしまった中学や高校の同級生もいたから、死ぬことに抵抗感はなく、次は自分の番だと思っていた。

しかし、99パーセントは死ぬと思っていたのに、終戦によって急に生きることになると、自分が今後どうするべきかわからなかった。


この体験は、それから先の私の人生に大きな影響を与えた。

終戦当時は、日本が存立しうるか否かさえ定かではなかった。

どのような世の中になっても、医者が必要なことは確かであるが、日本にとって、将来、研究者や学者が必要になるかどうかさえもわからなかった。

しかし、自分が当然死ぬ運命にあったことを考えると、生きられるのなら、せめて自分のしたいことに自分の人生を賭けてみたいという願望が強かったのも確かである。


私と東大医学部で同期だった人たちの中から基礎医学に進んだ人が10人以上いたのは、そのためではないかと思う。

あとになって当時の日本の状態を考えると、常識のある人から見れば、我々がいかに世間知らずで無謀だと言われても仕方ないが、我々が戦争の体験から得た人生観は現在の人の常識を超えていたものだと思う。


基礎医学に進む、ということが何を示されているのか


分かりかねるモノを知らない初老なのでございますが


なかなかそちらにはいかないってことなのかと。


なんでだろう。一旦置いておこう。


なぜならば、”あとがき”で少しだけわかるから。


あとがきから抜粋


私が日本の方にわかっていただきたかったことの一つは、”自然科学者というものがどんなものか?”ということである。

日本では、よい大学を出て、多くの専門知識を持っていれば、一人前の研究者になれると信じている人が多いようだが、そんなことは科学者にとって大きな要因ではない。

基本的には、科学者には自由がある。

それはこの職業の最大の魅力なのだが、職業である以上は、何らかのかたちで世の中のためにならなければならない。

私は日本政府が考えているような、科学技術の経済効果のことを言っているのではない

学問の進歩に貢献することのほうが基礎の研究者にとっては大切なことである。


しかし、自分が”これは大切なことだ”と考えてやったことでも、結果的には他の研究者の役に立たないことが多い。

その意味では我々の職業は報われない商売である。

医師や弁護士なら、多かれ少なかれ世の中のためになるのだが、基礎研究者の仕事は、何の役にも立たないことがある。

下手をすると自分の娯楽になってしまい、職業として成り立たなくなる。

この点は、過去50年間気になっていたことだった。


我々の仕事は、自分の得た結果を他の人が利用してくれなければ意味がないのだが、若い日本のエリートの中には、自分の得た結果をなるべく自分のものだけにしておいて、他の人には利用させたがらない人がいる。

これは、日本のエリート教育の欠陥によるものと思う。

どんな職業でも同じことだと思うが、科学者が、”自分さえよければよい”という態度を取ると、科学の進歩は社会に貢献するどころか弊害を招くことがある。


私が科学者としての経験を書いた理由の一つは、若い方にも”科学者というものはどうあるべきか?”ということを考えてもらいたかったからである。


本当にフェアネス、公正な人物である


と言わざるを得ない。


読書というか、本は素晴らしいと思う。


なぜなら実際に会ったら、思っていたのと


異なり話してもまるで理解できないなんてことも


あり得るだけに余計そう思ったりして。


余計な感想は置いといて


この本は石坂先生が日本・アメリカでの


研究奮闘記が刻まれているけれど


泥臭くなく飄々とされている。


それと”私”よりも”我々”が多く使われていて


時に同級生、同僚、仲間、そして言わずもがなの


奥様との愛あふれる交流が描かれる。


奥様とのことは特に晩年の手紙のやり取りが


涙なくては読めない素晴らしいパートナーシップ


なのだけど、それは先日の方が濃密なので


ここでは、石坂先生の成り立ちと、


日本の科学者への思いをピックアップさせて


いただきつつ、若い科学者には絶対に


読んで欲しいとサイエンスにはあまり縁のない


自分が力説してもなあ、とうなだれつつも


花粉の強い朝、休日のためそろそろ風呂と


トイレ掃除してきます。


 


nice!(44) 
共通テーマ:

柴谷篤弘博士の”驚愕”の料理本を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

オーストラリア発 柴谷博士の世界の料理


オーストラリア発 柴谷博士の世界の料理

  • 作者: 柴谷 篤弘
  • 出版社/メーカー: 径書房
  • 発売日: 1998/02/01
  • メディア: 単行本

 


目次 に挿入されている訓示的な短文から


あなたがどんなものを食べているか

言ってみたまえ。

あなたがどんな人物か言ってみせよう。

[伝]フランスの美食家

アンテルム・ブリヤ-サラヴァン

A.Brillat-Savarin(1755-1826)


柴谷博士のプロフィールが他にないものだったので


引かせていただきます。


”職歴”や”著作”はWikiの方が詳しく出ております。


学位

理学博士、医学博士


専門領域

昆虫分類・形態学、動物学、細胞生物学、分子生物学、発生生物学、理論生物学(構造主義生物学・進化論)のほか科学批判、自然保護、差別論、隠蔽研究(政治・社会・文化論)など広い範囲にわたる


こんなに広い専門領域ってすごいのだけど


ご本人的には地続きなものなのか。


”昆虫分類”が”隠蔽研究”と地続きではないよなあ。


まえがき から抜粋


私は生物学者で、料理の研究家でも食品や料理店の専門家でもない。

ただ、ながいあいだ、外国生活をしたため、日々の生活を送るうえでの日常的な意識と、外から日本を見る目が、一般の「日本男子」とちがってきたようだ。

それに生まれつき好奇心が旺盛なために、外国住まいのあいだ、いろいろな国や民族の言語にも料理にも興味を持った。

それがオーストラリアという多文化主義の国で、自分の日常生活のなかに入り込んでしまい、我が家の食卓は、すっかり多文化主義的になった。


1989年以来日本に住みつくようになり、このごろは年齢のせいか億劫になり、一頃は仕事で多忙を極め、また退職金は資金が豊かでないため、旅券も期限が切れたままで、あまり外国へ出ていく習慣がなくなってきたようだ。

レストラン事情や食品事情はそのあいだ、日本でも外国でも急速に変化しているはずである。

だからこの本で書いた私の経験には、時代遅れの面も多いだろう。


だが、「食」は私たちの日常生活にはりついて、時とともに、また地域によっても文化によっても、大きく変わる。

また変わらずにはすまない。

ことに、このごろのように、いろいろの国の料理と食べ物が生活の中に入ってくると、同じものを外国から受け入れるやり方にも、国柄・文化の違いが出てくるだろう。

だから、私は時代と地域といろいろ行き来しながら、日本での現在の外国の食文化を受け入れ状況と、それをさらに学国から眺めたらどう見えるだろうか、というようなことまで、この本で書いてみようとした。


できれば、日本でのわれわれの現在の食事情における偏りを、すこし広い観点から描いてみたかった。

だから「オーストラリア発」なのであり、「世界料理」であって、あえて「民族料理」とか「エスニック」とかを、鍵言葉にしなかったのである。

つまり、いろいろな時期の諸国の料理事情を書きながら、たえず、様々の次元での現在の日本との差異を意識してきたのであった。

つまりは、私は1997年末における日本の食事情のことを、裏側から書いたのかもしれない。


柴谷先生が書く料理本なので、


一筋縄ではございませんで様々な国の


食事情たる随筆や日本の差異を記されているのは


”まえがき”にある通りなのだけれども


まさかの”レシピ”もあり、また手に入りにくいから


日本の食材で代用するなら、ここで買えるとか


日本で食べれるレストランなどの当時の一覧も


掲載されている。


随筆の中には、ここは安い(コーヒー付き800円)


なども!


さらに驚愕するのは”あとがき”に


四半世紀近く台所を一緒に使い、買い出し、料理と

後片付けの実践の中で助言・批判をし、また諸外国・日本各地の料理店での経験をわかちあってくれた伴侶


としての奥方への感謝の言葉を記されている。


柴谷先生らしくないといえば、これほど


らしくない本も他にないだろうという意味でも


貴重な雰囲気を醸し出している書なのですが


そろそろ朝の買い物に出かけないと、と


家の雰囲気が醸し出してきた朝の空気感の


我が家でございました。


 


nice!(33) 
共通テーマ:
前の10件 | 次の10件 新旧の価値観(仕事以上の仕事) ブログトップ