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ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例:アルフレッド・ラッセル・ウォレス著(2008年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例

  • 作者: アルフレッド・ラッセル・ウォレス
  • 出版社/メーカー: 新思索社
  • 発売日: 2023/06/24
  • メディア: 単行本

原題は、英語だと

Darwinism:


An Exposition of the


Theory of Natural Selection


, with some of its Applications


:Alfred Russel Wallace


 


「Theory of Natural Selection」が


一番言いたいことのようで


中扉には「DARWINISM」の次に


大きくフューチャーされている。


「自然淘汰の理論」にこだわり続けた


ということなのだろうかね。


初版は1889年だという。


ダーウィン亡くなって7年、


ウォレス66歳の時。


 


第一版への序 


から抜粋


本書はダーウィンが用いたのと同じ一般的な手法にもとづいて種の起源の問題を論じたものである。

しかし、『種の起源』から30年近く議論を重ねたあとに到達した観点から書かれた本書には、豊富な新しい事実が紹介され、提唱された多くの新旧両方の理論が取り入れられている。


私はここで、広範な進化の一般的な問題をごく概略的にあつかおうとしたのではなく、聡明なダーウィンの業績について明快な理解を得、彼の偉大な原理の力とそのおよぶ範囲をいくらかなりとも会得できるように、鋭意、自然淘汰説の解説に努めた。

ダーウィンは『種の起源』を、進化の理論を受け入れず、由来の自然の法則にしたがって種から種が生まれることを主張するものを軽視する同時代の人々を目標に書いた。

彼はじつにみごとにそれをなしとげ、「変化による由来」は今や生物界における自然の摂理として、広く一般に受け入れられるにいたっている。

だから、新しい世代の博物学者たちは、この概念の目新しさとか、彼らの父親たちがそれについてはまじめに議論するよりも科学の異端として咎(とが)めるべきものだと考えていたことなど、すでにほとんど忘れかけている。


ダーウィン説に対する現在の批判は、種の変化がもたらされた特別な方法にのみ焦点があてられていて、変化の事実に対しては向けられてはいない。

異議を唱える人々は自然淘汰の作用は最小限にしかはたらいていないとして、その代わりに変異の法則、用不用の法則、知性の法則、知性の法則、遺伝の法則を適用しようとしている。

これらの見解や反論は、かなり強力にそして相当な自信を持って主張され、そのおおかたは今日の研究室の博物学者たちによって唱道されている。

彼らによって、種や特徴や区別のようなものは、その分布や親縁関係と同様、組織学や発生学の問題、また生理学や形態学の問題にくらべれば、ほとんど興味のないことがらである。

そうした分野における彼らの研究は、たしかにひじょうに興味深くきわめて重要である。

しかし、それらは自然淘汰の法則の作用にかかわる諸問題について、確実な根拠のある判断を下す助けとなるようなものではない。

自然淘汰の諸問題はおもに自然の状態における種と種の対外的で生死にかかわる関係におよぶものであって、器官の解剖学とか生理学の問題ではない。

これについてはゼンパーがいみじくも「生物の生理学」と名づけている。


第1章「種」とはなにか、またその「起原」の意味するもの


種の定義


から抜粋


ダーウィン氏の大著の題名は『自然淘汰すなわち生存闘争において恵まれた品種が保存されることによる種の起原』である。

この本の意図する目的と、それが博物学ばかりでなく、他の多くの科学の分野にもたらした変化をじゅうぶん理解するためには、「種」という言葉の明確な概念を確立し、ダーウィン氏の本が最初に出版された当時、一般の人々は種についてどのような考えを持っていたかを知り、種の「起原」を発見するとは、彼はどういう意味で言ったのか、そして一般にはどういうことを意味したのかを理解する必要がある。


こうした初歩的知識がないために、博物学者でない教養人の大半は、反対論者の唱える数限りない反対意見や批判や異論を、ダーウィン学説は不合理であることの反証として、一も二もなく受け入れられる傾向にあり、またそれが原因で、ダーウィンの理論が進化という大問題に関わる幾多の思想や意見全体にもたらした、大きな変化を認めるどころか、理解さえできずにいるのである。


「種」という言葉は、かの有名な植物学者ド・カンドルによってつぎのように定義された。

「種とは、他のいかなるものよりもたがいによく似ており、相互に受精することによって繁殖力のある個体を生むことができるもので、類似していることからそれらはみな一つの個体から発生したと推定される、自己の種を世代を継いで繁殖させていく、すべての個体の集合である」。

そして、動物学者のスウェインスンは、それにやや似たつぎのような定義をあたえた。

「通常、種とは、自然の状態で、形、大きさ、色、その他の細目の一定の特徴により、他の動物とは区別される一つの動物を意味する言葉として使われている。それは”本能にしたがって”両親と完全に似た個体を繁殖させる。ゆえに、その特徴は永続する」。


ダーウィンの影響による人々の意見の変化


から抜粋


ダーウィンは博物学のニュートンである。

ニュートンの万有引力の法則の発見と証明は、混沌を排して秩序をもたらし、星の世界に関する将来のあらゆる研究の確固たる基礎を築いた。

いっぽうダーウィンは、自然淘汰の法則を発見し、生存闘争における有用な変異の保存という偉大な原理を証明することにより、全生物界の発展の過程の解明に大きな光を投じたばかりでなく、この先のあらゆる自然の研究の確固たる基礎を築いたのである。


ダーウィンが自身の著作についてどう考えているか、そして彼一人の功績として認められるものはなにかを説明するにあたっては、『種の起原』の序文に述べられた結びの一節を注意深く読まねばならない。

それは以下のとおりである。

「多くのことがいまだあいまいであり、今後も長くあいまいのままに残るであろうが、私は自分でできるかぎり熟慮し、冷静に判断した結果、たいていの博物学者たちが今日までもちつづけてきた、そして私自身以前はいだいていた見解ーーすなわち、それぞれの種はそれぞれ創造されたーーという考え方はあやまりであるということには、なんの疑問もないと考える。私は、種は不変ではないこと、いわゆる同属の種といわれているものたちは、それらとは別の一般に絶滅した種の直系の子孫であって、それはある種の変種と認められたものはその種の子孫であるのと同じことであることを、じゅうぶん確信している。さらに、自然淘汰だけが変化の手段ではないが、それはもっとも重要な変化の手段であることも確信している」。


ダーウィンの研究に対する批判は、彼自身が「長くあいまいのまま残るであろう」と述べている多くの疑問点にもっぱら向けられたものであり、ここに断言されていることはすべて、今ではほぼ世界中で認められていることを、とくに心にとどめるべきであろう。


第15章


ダーウィニズムの人間への適用


音楽的、美術的能力の起原


から抜粋


美術的能力はすでに述べた他の能力の場合と似てはいるが若干異なる道をたどっている。

ほとんどの未開人はその発芽を人や動物の形を描いたり彫ったりすることで若干示している。

しかしほぼ例外なく、それらの図は粗削りで、芸術など解しない普通の子供が作ったようなものである。

じっさい、現存する文明化されない人々はこの点で、角や骨のかけらでマンモスやトナカイを表現した先史時代人とほとんど変わらない。

社会生活の技術になにか進歩があれば、それに応じた美術的技術と嗜好の進歩がある。

それは日本とインドの美術においてひじょうに高度に発達したが、ギリシア史の最盛期にみごとな彫刻において最高の極みに達した。

中世では美術はおもに教会建築と写本の装飾に開花表現されたが、13世紀から15世紀にかけて、絵画芸術がイタリアで復興して完成の域に達し、以降それに優るものは二度と現れていない。

この復興はドイツ、オランダ、スペイン、フランス、イギリスの美術家たちによって厳密に受け継がれ、真の美術的才能は一つの国家に属するものではなく、ヨーロッパのさまざまな民族のあいだに公平に分散していることが証明された。

美術の才能のこうした発達は、彫刻に現れようと、絵画に現れようと、個人の部族の存続や、国家の支配権や存続をかけての闘争における成功には、なんら直接的影響をあたえない、人間の知性の副産物であることはあきらかである。

ギリシアの輝かしい芸術は、国家がそれより後進のローマ人の支配に屈するのを防ぎはしなかった。

いっぽう芸術の復興がもっとも遅かったわれわれアングロサクソン民族自身も世界の植民地化を主導し、われわれ混成民族が生存にもっとも適していることを証明したのである。


数学的、音楽的、美術的能力が自然淘汰の法則にもとづいて発達したものでないことの独自の証拠


から抜粋


数学、美術あるいは音楽の才能に恵まれた人間の数は限られており、その発達の程度にはたいへん大きな変異がある。

すると、人間には本質的にそなわっており、人間と下等動物にほとんど共通な能力とは、これらの心的能力は大きく異なり、したがって自然淘汰の法則によって人間のなかで発達したものではないだろうと考えられるのである。


生物の発達には、なんらかの新しい原因や力が作用をおよぼさざるをえなくなった段階が少なくとも三つあることを指摘しておこう。

最初の段階は、最も最初の植物細胞が、もしくはその基となる生きた原形質が最初に現れた時の、無生物から生物への変化である。


つぎの段階はいっそう驚異的で、まったく物質やその法則や力による説明のおよぶところではない。

それは、動物界と植物界の根本的な区別をなす感覚ないし意識の導入である。

ここではこの結果を生み出したのはただ構造が複雑になったからに過ぎないという説はまるで話にならない。

原子の構成の複雑さがある一定の段階に達したときに、その複雑であることだけが原因で、必然的に《感じる》ことができて自己の存在を《自覚》する《自我》が存在し始めたと仮定することは、まったく不合理なことと思われる。

ここでわれわれは、たしかになにか新しいものが生じたことを知る。


第三の段階は、われわれがこれまで見てきたように、人間には、彼を野獣のはるか上の最高位に据え、彼にほとんど無限の進歩の可能性をあたえる。

多くのもっとも特徴的でもっとも高貴な能力が存在することである。

おそらくこれらの能力は、生物界一般の、そして有機体である人間の肉体の、進歩的な発達を決定したのと同じ法則によって発達したのではないだろう。


無生物界の物質から人間まで登り詰めるこの三つの異なる発達段階は、ある未知の宇宙の存在をはっきりと示している。

それは物質界が完全に従属する霊の世界である。

この霊の世界に、重力、凝集力、化学作用、放射能そして電気といった、われわれの知る驚くべき複雑な力は帰属しているとして良いだろう。

これらの力がなくては、物質界は今の形のまま一瞬たりとも存在することができないであろうし、たぶんまったく存在しないだろう。


結語


から抜粋


われわれは、我が英国のもっとも偉大な現存する詩人とともにこれを確信することが可能である。


 人生は価値のない金属ではなく、

 役立つ器を作るために、

 暗黒のなかから掘り起こして、

 燃え上がる恐怖であつく熱し、

 あふれ出る涙の槽(ゆぶね)に浸けて、

 運命の衝撃で鍛え上げた役立つ鉄である。

 (テニスン『イン・メモリアム』より)


かくしてわれわれは、ダーウィン理論は究極まで議論を突き詰めても、人間は霊的存在であるという信念に叛くものではないどころか、それに確固たる支持をあたえるものであることを発見する。

それは人体が自然淘汰の法則にしたがって下等動物からいかに発達してきたかを示している。

しかしまた、そのような発達を遂げたはずがなく、別の起原をもつにちがいない知的道徳能力を、われわれがそなえていることをも教えている。

そしてこの起原については、霊の見えざる世界にしか適切な原因を見つけることはできないのである。


晩年はこの流れの研究をされ


交霊会とか出ちゃったり


たま出版が喜びそうなネタに


加担してしまうが故に


浮かばれなかったってのは


あまりにも有名。


だけどなあ、霊っていう結語は


自分も嫌いではなくあり得る話とは思うけど


学術界でそれを言ってしまうとなあ、って


思いは禁じ得ない。


 


それはいったんおいておいて


ウォレスさんのお人柄って実は


看過できず興味ありなのだけど…。


 


訳者さんの解説にもあるけれど、


良い人すぎてダーウィンとの共著でもある


『種の起原』をあくまでも主は


ダーウィンの言説であり自分は


従のような意味合いが強く、


後年各方面から称賛(批判もあったようだが)


されながらも自身は


「自然淘汰説を体系的に解説した本書に、


みずからの造語である『ダーウィニズム』の


書名をあたえて、この学説は最終的に


ダーウィンのものであると宣言している。」


まさに謙虚そのもので、人としての見本だとの


思いは消せない。なので、


なんでスピリチュアルに傾倒したのかなあ…。


だからこそしたのだよ、という声も


聞こえそうだけど。


 


もしもこの先、霊というものが実証されたとしたら


ウォレスさんの評価ってガラッと変わるんだろうけど。


 


そんなこと自分がとやかく心配することじゃ


ありませんね。


自分は自分の仕事をきちんとやりませう。


失礼しました。


 


ちなみに「たま出版」馬鹿にしたわけでは


ありませんからね。


何冊か持ってましたし、


UMA系は今も好きだし


ネス湖もストーンヘンジにも


行ったことあるし。


幽霊はあまり興味ないのだけども。


人間の知らなくていいことも沢山あり


知っていることなぞ、わずかだって


思っておりまして、だからこそ


韮沢様、これからも頑張ってください。


応援しております。


何もお役には立てませんが。


 


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