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2冊のゴッホの手紙から懐古する [’23年以前の”新旧の価値観”]

硲(はざま)伊之助さん版と


二見史郎圀府寺(こうでら)司さん版の


二つの翻訳本を一部抜粋し比べてみた。


 


比較した手紙は


第500信(1888年6月5日ごろ、ゴッホ亡くなる3年前)


 


(A)ゴッホの手紙 中:硲伊之助訳(1961年)


(B)ファン・ゴッホの手紙【新装版】: 二見史郎・圀府寺司訳(2017年)


 


(A)


親愛なるテオ

親切な手紙と同封の50フラン札とを有難う。

どっちみちゴーガンに手紙を書くとしよう。

旅行が厄介で悩みの種だ。

約束して後で都合が悪くなったら、困ってしまう。

今日ゴーガンに手紙を書いて、それを君に送ろう。

ここの海を見てきたいま、南仏に滞在するであることの意義を切実に感じる。

もっと色を強烈に使わなければーーーアフリカは近いのだ。


(B)


親愛なるテオ

親切な手紙と同封の50フラン紙幣をありがとう。

やはりゴーガンには手紙を書かねばなるまい。

厄介なのはいまいましい旅行の件だ。

彼に旅行を勧めた場合、あとになってそれが彼の気に入らなかったら、悪くとられるかもしれない。

僕は今日彼に手紙を書こうと思っている。

その手紙は君に送るとしよう。

 

ここの海を見た今、僕は南仏にとどまることが、また、もっと色彩の誇張を要するとあらば、アフリカも遠くないのだと感ずることが全く重要だと痛感している。


(A)


ドルトレヒトの馬鹿者たちの図々しさをみたか。

自惚れてるじゃないか。

誰一人見たこともないドガやピサロの作品まで欲しいらしいじゃないか、他の人のは別にしても。

でも若い連中が熱狂するのはよい傾向だ、おそらく誰か年寄りが勧めたのだろう。


(B)


君はあのドルドレヒトのあの馬鹿どもの厚かましさを見たかね。

あの思い上がりを見たかね。

彼らは、ほかの人たちについてもそうだが、まだ会ったこともないドガやピサロと対等につき合って下さるというのだから、ただ、あの若い連中がいきり立っているのはいい兆候だ。

それは多分作品をほめた年長者たちがいたのだろう。


(A)


たとえ物価が高くても南仏に滞在したいわけは、次の通りである。

日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通なのに、日本へ行こうとしないーーーつまり、日本に似ているときは南仏に。

決論として、新しい芸術の将来は南仏にあるようだ。

しかし、一人でいるのはまずい、2、3人で互いに助け合った方が安く生活できる。

君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君はそれをすぐ感じとり、ものの見方が変わって、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩も違って感じるようになる。

長い期間滞在するとすれば、確かに自分の性格も変わってしまうだろう。

日本人は素描するのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。


(B)


たとえよそより高くつくとしても、南仏にとどまろうというのはーーーねえ、そうだろう、みんな日本の絵が好きで、その影響を受けているーーーこれは印象派画家ならみんな同じこと、それなのに日本へ、つまり日本の相当する南仏へ行こうとしないだろうか。

だから、なんといっても未来の芸術はやはり南仏にあると僕は思う。

ただ、二人もしくは三人で助け合って安く暮らせるのに、一人でここに住むのはまずいやり方だ。

君がここでしばらく過ごすといいのだが、そうすれば、このことがよくわかるだろう。

しばらくすると見え方が変わり、もっと日本的な目で見るようになり、色も違った感じがしてくる。

また、僕はここに長く滞在することによってまさしく自分の個性が引き出されてくるだろうという確信を持っている。

日本人は素早く、稲妻のように実に素早く素描する。

それはその神経がいっそう素朴だということだ。


お二人の「あとがき」的なところも引かせていただきます。


あとがき

硲伊之助

(1961年)

ゴッホの手紙…中と下…は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホから弟のテオドルへ宛てた手紙を訳すことにした。

この非常に仲のいい兄弟が取り交わした手紙の数は厖大なもので、文庫に入れる関係上、適当に取捨する必要があった。それで本書は、兄が弟を訪ねて突如パリに現れた時から、アルルで画室を整備してゴーガンが来るのを待っている時期までを纏めてみた。

下巻の方は、引き続いてゴーガンとの共同生活とその破綻から、最後の日々までの書簡を訳す予定になっている。

 

なお、上巻が出版されてからこの中身がでるまでに、長い時日を費やしてしまい、読者諸君と岩波書店には大変ご迷惑をおかけしてしまった点については、衷心からお詫び申し上げます。


硲伊之助先生は忙しかったのだろうね、陶芸の方で。


芸術家視線での言葉なので読んでて馴染みやすい気がした。


続きまして二見先生。


編者あとがき

二見史郎(2001年) から抜粋

 

これまで「神格化」されてきたファン・ゴッホの伝記を修正する研究が近年発表されてきている。

父親がフィンセントを精神病院に入れようとした「ヘール事件」そのほか、これまで伏せられてきた文章は公刊されてこの選集にも入れられている。

テオについての出版物も兄弟の往復書簡への手がかりを与えている。


売れない画家の兄は弟に依存したが、弟は兄の仕事を共同で進めるという一体感を強めていくーーーあつれきと感謝、不満と感動を縒(よ)り合わせる絆の物語がこの書簡集である。

これほど自分の気持ちをさらけだす文章はめったにない。


社会のしきたりと型にはまらないフィンセントは親を困らせた。

彼が描く木の根は人間の根につながる。

彼の根元(ラディカル)志向は人間が自然に寄生して生き、やがて土と化してゆく現実をまっとうなこととして受け入れる。


セザンヌもゴーガンも自然と都市文明の落差を敏感に意識したことでファン・ゴッホと共通するだろうが、日々の仕事、自然から受ける感動、女性や貧しく、恵まれぬ人びとやすぐれた人物の仕事への関心などを長文で語る目録さながらのフィンセントの書簡集はドキュメントとして、また記録文学として抜群の価値を持っていると思う。

 

 

また彼が浮世絵に強い関心を抱いたことだけでなく、一莖の草から宇宙に及ぶ自然への没入が日本の芸術家に見られるとして、その賢者を理想と考える面でも日本の読者はフィンセントになお深い親近感を覚えるのではないだろうか。


二見先生(圀府寺先生)版は


比較的最近出たため言葉が近い感じがして


ゴッホ・テオ以外、ゴーガンの書簡・素描や他の方の手紙もあり


有名な精神病院収監事件は


アルル在住民の請願書が残っているのを


池田満寿夫先生が30年くらい前、解説されていたので


知っていたけど父親もプッシュしていたとは。


その時の番組で手紙を朗読していたのは山崎努さんで


なぜかエンディング曲がストーンズだった。


 


結論、翻訳文としては自分はどちらも甲乙つけがたいが


新しさと、網羅的な資料価値という意味で


二見さんのものを推す感じでございます。


ただ重いのだよね、分厚くて。


 


余談だけど、自分が高校生の将来を考えるころ


絵が好きだったので


という単純な理由で画家になりたいと思ったりした。


そんな頃だったか父親の仕事場を見る機会があり、


プロダクトデザイナーを雇い入れていたのだろう


そのデザイナーの机を見せてもらった。


当時父親はウォークマンの類似品を


企画・設計・卸業・販売をしていた。


プロダクトは自分には向いてないと感じたが


デザインという仕事があることを身近に知った。


 


その後、グラフィックの道を探ることになった。


デザインの専門学校に通うことになり、時を合わせ


高校の先生からデッサンを勉強しろと言われ


美術部の先生にマンツーでデッサンの指導を


放課後卒業までの1−2ヶ月間してもらった。


絵で食べていくのは難しいぞ、と言われた。


その先生は確か銅版画家だった。


デザイナーを目指しつつ


画家になりたいと思ったのか


そんな話をしていた。


 


なんていうことを読書してブログを書いてて


ふと思い出してしまった次第でございます。


 


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