2冊から養老先生のお母様を少し知る [’23年以前の”新旧の価値観”]
養老先生のお母様の自伝と
お母様の知人の女医さんと
養老先生の対談を読んだ。
「バカの壁」で話題沸騰だった頃に
出版社から持ち込まれた企画なのかなあ
なんて思ったり。
それでもいいよな、と思わせる良書で
女性がひとり子育てしながら働くなんて
今も大変だけど、無条件に大変だった時期の
貴重なドキュメントで、かつ
愛溢れる随筆のような自伝だった。
①
第3章
ひとりでは生きられない
■愛する人へ
から抜粋
「僕は良い人間だから早く逝く。君はわがままな人間だから、なかなか死ぬことができないよ。
それを『業』というんだ。立派な仕事も持っているし、君なら大丈夫だと信じているーーー」
三十三歳の若さで病に倒れた主人の言葉がいまも蘇ります。
私のもとを永遠に去ったのは昭和17年11月のことですから、あれからかれこれ50年の歳月が流れたことになります。
「君はわがままな人間だから、なかなか死ぬことができないよ」
という『予言』はまさに的中しました。
私は94歳になりましたが、まさに『業』なのでしょう。
少女の頃は心に決めたように自由に生きて、今もまだ求めがあれば聴診器を手にし、こうして原稿用紙に向かっているのですから。
私はいまでも、毎朝、目が覚めると心の中で「パパ、おはよう」と元気よく挨拶します。
90を過ぎたおばあちゃんがってお笑いになるかもしれませんが、本当に、もう50年来の習慣なんです。
もっとも、主人は33歳のままですから、こんなおばあちゃんになってしまった私の朝のあいさつをどう思っていることやら、おい、もう恥ずかしいからやめてくれよ、あちらの世界で苦笑いをしているかもしれません。
若い時分に、「恋愛至上主義」という考え方が新しい風のごとく巻き起こった時代がありました。
女医を志して学問に励んでいた私には、そのときはまだ別世界の話でしたので、へぇ、そういう考えもあるのかといった程度のことでしたが、弁護士だった前夫との結婚、二人のこの出産と準備、私より10歳若い年下の「パパ」との出会いといくつものハードルを超えての結婚、三人目の出産、そして、最愛の人の死ーーーと、女性としての数々の喜びや悲しみを経験するうちに、「恋愛至上主義というのは、もしかしたら真実なのかもしれないな」と思えてきたのです。
「私という存在があるからこそ、山も河もあるんだ。好きなように生きることこそ、生きるということなんだ」
あらためて申し上げるまでもないかと思いますが、私の人生は、永遠に33歳の夫とともにあります。
戦後の私の物語もまた夫とともにあるのですから、なによりもまず、私にとって掛けがえのない夫について知っていただこうと原稿用紙に向かった次第です。
私にとっては忘れられない夫の思い出を記させていただきます。
ある日、秋の風にまかせて洗いざらしの髪を病室の窓際で乾かしていました。
ベッドで手招きする夫に誘われ、彼の片手に頬を寄せました。
夫は「君の髪、麦の香りがする」と洩らしました。
そして「かわいそうに」と。
夫が息を引き取ったのは、それからほどなくのことです。
誰か、これ、映画にしてください。
よろしくお願いします。
②
対談者(1997年7月収録)
大森安恵
東日本循環器病院・糖尿病センター所長
1932年高知県生まれ。
著書に『女医のこころ』『女性のための糖尿病教室』等。
“人間らしい生活”という価値観
■女性は実在、男性は現象
から抜粋
■養老
先生は母を知っているので少々やりにくいです。
■大森
実は知り合いの編集者の方が先生と同じ鎌倉にお住まいで、鎌倉に見事な山桜があると聞いたので遊びに出かけたのです。
あいにくの雨で山桜を見ることはできませんでしたが、お母様の昔話に花が咲きました。
先生は小さい頃、母に
「孟司、孟司、頭はでかし」
と言われた、秀才の誉れ高いお子さんだったそうですね(笑)。
■養老
そんなことはないんですよ。
小学校に入るころ、母に
「この子は知恵遅れじゃないか」
と知能検査に連れて行かれた(笑)。
「口を効かないからだ」と。
それは当たり前でね、何か言おうとすると母がしゃべっちゃう。
■養老
東京医科歯科大学解剖学の和気健二郎教授のお母様がやはり東京女子医大の出身なんですが、彼も三、四歳の頃まで全然口を利かなかったらしい。
女医さんの息子は言葉が遅れる(笑)。
■大森
私の先輩には素晴らしい先生がたくさんいらっしゃいます。
吉岡弥生先生もご苦労されたと思いますが、周りを支えた人たちがすごかったんですね。
その一人が養老先生のお母様。
とてもとんでいた方のようですね。
■養老
当時、寄宿舎は”姥捨山”と呼ばれていたとか。
その歳になったらお嫁に行けないと(笑)。
■大森
その歳といっても、二十歳前後ですからね。
お母様のこととはダイレクトに関係しないかもだが
興味深かったので以下も抜粋
■大森
医者という職業は女性に合っていると思うんです。
細かい仕事ですし、男の人よりいたわりの気持ちはあると思います。
こんなことを言ってはいけないかしら(笑)。
■養老
女性の方が体のことについては具体的できちんとしています。
男は抽象的ですね。
免疫の多田富雄先生と中村桂子先生と三人で話したんですが、いみじくも多田さんが結論的にポツンと言いました。
「女は実在で、男は現象だ」と。
現象がウロウロしているわけです。
患者さんが頼りないと感じるのもわかります。
■医療の世界のフェミニズム
から抜粋
■養老
私の母なんか偉いとよく言われるけど、要するに変わった人ですよね。
実際、母はいろいろな意味で迷惑な人でしたし、そそっかしい人で、よく往診先から電話が来て「先生がゲタを片方間違えて帰った」と(笑)。
■大森
でもあの時代にきちんとした結婚観やご自分の意思をもっていたのは立派です。
■豊かな心で機嫌よく暮らす
から抜粋
■養老
最近はお医者さんも忙しすぎますよね。
余裕がない。
あれでは患者さんのためになりません。
女医さんも忙しいでしょう。
■大森
女性は出産・育児の期間もあります。
子供ができると現役を退いてしまう方が多いのが残念です。
でも、子育てをしながら一般医学界に遅れをとらないでやっていくというのは大変なことです。
■養老
男でも、フルに仕事をするのはよくないんじゃないか。その特徴が出ているのは受験戦争です。
全員がギリギリまでやろうとする。
でも結果は、全員が半分しかやらなかった場合と変わらないと思う。
できる人はできる、できない人はできない。
万事がそうです。
人口過剰の特徴ですよね。
ある意味で。
やらないと人に取られちゃうから。
でも、そんなケチな社会に暮らしていて人間幸せかということをそろそろ考えないと。
東南アジアの田舎などでは若いものが一日中、日なたぼっこをしている。
そういう人生もあることを日本人は頭に入れておくべきです。
悪いことだと考えてしまうんですね。
そして、動かないときをどう過ごすかは価値観の問題です。
■大森
お母様も開業医として忙しかったと思いますが、病気だけじゃなくて人間を治すという医療を実践されましたよね。
とても豊かな生活をした方だと思います。
■養老
ほとんど年寄りの話し相手でしたけれど、あれが重要なんでしょうね。
年寄りの話なんかだれも聞いてくれないから、みんなグチをこぼしに来ていた。
■大森
きちんと聞いてあげるのが素晴らしいです。
人口増加で問題になっていた頃、
高齢化社会に警鐘が始まった頃かな。
今では人口減少が新聞に出ており、
幸か不幸か、後期高齢者という
ネーミングも定着し
超高齢化社会だという。
自伝と知人の女医さんと
先生の対談を読んで
誠に僭越ながら思うこと
養老先生のお母様は、古風で人情味があり
そして本物の知性を備えた方、
事情あり再婚され愛する人と別れ
その最大の理解者の父親と
きちんと別れの挨拶を
できなかった4歳の養老先生は
なるべくして大成されたお方のようで
これも自然選択によるものなのかと
昨今ダーウィンを考察中のため
思ったり。
自伝は暖かい書籍で、いつまでもその風雅が
残るような良書だったと
夜の勤務先で思い出したことを
ご報告させていただきます。