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生態学の2冊から伊藤嘉昭先生を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

まったく自分の柄ではない領域だけど


昨今、進化系の書籍を読んでて


更に養老先生からの岸由二先生の書からの


伊藤先生を知り興味出てきて


勢いで関連書籍2冊を読んでみた。


  1冊目  

動物たちの生き残り戦略 (NHKブックス)

動物たちの生き残り戦略 (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2023/06/25
  • メディア: 単行本

伊藤嘉昭・藤崎憲治・齊藤隆共著

はじめに 


1990年 著者一同


から抜粋


日本やアメリカの「グルメブーム」やカロリーのとりすぎの一方で、アフリカ、アジア、ラテンアメリカではいまも何百万人もの子供達が飢えて死んでいく。

この厳しい食糧事情をさらに悪化させたのが、1988年アフリカに起こった、サバクトビバッタ(飛蝗)の大発生である。

読者もテレビでその壮絶な光景を見たことがあろう。

動物の発生はなぜ起こるか?

これは「個体群生態学」という生態学の一分野の大きな課題のひとつである。

しかしこれを明らかにするには、動物の数の動態に関する徹底的な基礎研究が必要である。


著者の一人伊藤は、二十年前桐谷圭治氏と共著でこのNHKブックスの一冊として

動物の数は何できまるか』を出した。

旧著は野外における動物の数の動態を扱った本としては日本ではじめてのものだったと思うが、幸い何回も増刷でき、これを読んで個体群生態学に入ったという人も出てきた。

しかしこの分野でもその後の進歩は著しく、何年も前から完全な書き直しが必要になっていた。

たとえば同書のアメリカシロヒトリの生命表は、よく高校の教科書にも引用されるが、今日では成虫の羽化で打ち切られた生命表は、多くの場合、個体群動態の説明に不十分なことが常識である。


第三章 トビバッタの大発生


ーー相変異とその類似現象


から抜粋


読者の多くは、アフリカの大地で天を黒くして飛翔するバッタの大群を、テレビで見た記憶があるに違いない。

1988年11月28日のNHKニュース・トゥデイのトップニュースは

「サハラでバッタ異常発生、西半球移動中」であった。

なんともスケールが大きく嘘のような話であるが、これは事実であった。

アフリカ、サハラの半砂漠地帯(サヘル地帯)で大発生したバッタは、その一部が大西洋を超えてカリブ海諸島にまで到達したのである。

このようなバッタの大発生は、古くは旧約聖書の「出エジプト記」にも描かれているし、パール・バックの有名な小説『大地』のなかでも「イナゴ」の大群が飛来して、またたく間に田畑を食い尽くしてしまう状況が描写されている。

バッタの仲間はきわめて古くから現在に至るまで、大発生を世界の各地でくり返し、そのたびに農作物に対して甚大な被害を与え続けていきたのである。


8  日本におけるトビバッタ類の大発生と研究


日本でのトノサマバッタの大発生


から抜粋


日本でも昭和のはじめまでは、トビバッタの大発生と群飛がたびたび起こっている。

徳川時代の文人、大田南畝(おおたなんぽ)・(蜀山人・しょくさんじん)の文章に出てくる「螽(音読み=シュウ、 訓読み=いなご、きりぎりす、はたおりむし)」とは、トノサマバッタのことで、これは1771年の大発生を指したものであった。

これ以前にも1717年、1730年、1770年などに発生した記録がある(長谷川仁氏の調査による)。

明治に入ってからは、1878(明治11)年、1887〜88(明治20〜21年)、1898〜99(明治31〜32)年に千葉県で大発生したほか、1880〜84(明治13〜17)年から1928〜30(昭和3〜5)年まで計4回にわたって、北海道で大規模な発生と群飛が観察されている。


しかし、このような大発生は、後述する南西諸島におけるケースを除くと日本では起こらなくなったし、将来ともその可能性は低い。

かつての日本のトノサマバッタの大発生は、大きな川の下流の、しばしば水をかぶる広大な草原が旱魃に見舞われた時に起こったものであるが、開拓と治水の進歩は、日本からこのような広大な河口草原を消滅させてしまったからである。


第六章 まとめと追記


ーー生態学と人生


種間競争はあるか


から抜粋


個体群の動態における餌と天敵の問題については、不十分ながら取り上げてきた。

しかし、動物は近縁の種にとり囲まれていることも多く、そこでは種間の競争が起こりうる。

これは生物の群集を考えるときに避けて通れない問題であるし、応用にも深い関連を持っている。

たとえば、外国から侵入した害虫の防除のために原産地から天敵だけを選りすぐって導入するのと、できるだけ多くの種を導入するのと、どちらが良いか?

種間競争が重要なら前者の方が良いだろうが、そうでなければ後者の方が良いかもしれない。

しかし、種間競争の証明は難しい。

たとえば、戦後、本州の大都市周辺では、ヨーロッパ原産のセイヨウタンポポが増え、在来のニホンタンポポ(実際は地方によって数種に分けられるが)と入れ替わってしまった。

しかし、この原因は二種の競争かもしれないし、単にセイヨウタンポポがニホンタンポポより、大気汚染や環境破壊に強いためなのかもしれない(後者であれば、セイヨウタンポポが侵入しなくても、ニホンタンポポは都市からいなくなってしまっただろう)。

今西錦司氏は、種間競争は全く存在せず、種間のすみわけはそれぞれの種の性質によって生じたものだ、とくり返し主張している(『ダーウィン論』中央新書、1977年など)。


なんであんな多くの樹種が?


から抜粋


熱帯雨林は、なんであんなに多くの種の木が生えているのだろう?

植物は、太陽光線と二酸化炭素と水と少数の無機栄養に、大部分依存している。

いくら光線と水が豊富だといっても、すこしの種の木がうんと個体数を増やしても良さそうなのに、なんで何百種もの木が一緒に生えるのか?

長いこと熱帯雨林は、生物の種と個体数が、ともに飽和してしまった系だと考えられてきたが、それならば内部には激しい種間競争があるだろう。

では、なぜ弱い種が滅んで強い種だけにならないのか?

以前の説明は、降雨林では捕食動物がたくさんいて、植物同士の種間競争が起きないぐらい低い密度に抑えられていること、種間競争によって、親樹の下に稚樹が育ちにくいことなどの結果、多種の木の共存が維持されているというものであった。


最近の議論は、これとだいぶ違ってきている。

熱帯降雨林内やサンゴ礁海域の常設研究所で、何年も続けて研究してきた人達によって、これらの生態系は、決して完成し、生物が飽和した系でなくて、倒木や台風などによる、部分的な破壊と再生がたえず起こっている動的な系であり、そこでは競争はあっても、弱い種の排除には至らないといわれてきている。

この説の証拠は決して十分とはいえないが、新しい角度でたくさんの研究が行われる契機になりそうである。

もちろんこれは、こうした生態系の大規模な破壊を許す理由にはならない。

この説では、この動的なあり方そのものが、これらの系を極度にデリケートなものとしているのである。


これらのことは、日本では全くといって良いほど研究されていない。

それが、この本を個体群の話にしぼった理由のひとつであるが、その個体群の研究さえ、むしろ日本では先細り気味で、生態学の大変革に対応して強く進められているとはとてもいえない。

まして、日本が大きな責任を負っている熱帯降雨林問題などの基礎となるべき研究分野は、大幅に立ち後れているのである。

これではいくら地球環境問題の重視を叫んでも、口先だけのことになりそうだ。

人間が生存を続けられる地球を保持するために不可欠な生態学の強化を、どのようにして達成するか。

このことを真剣に考えねばならぬときがきている。


このほか、興味深かったのは、


第二章 集団と個


ーー野ネズミの社会


2 現象の意味


から、野ネズミの「子殺し」が起こる説が4つあるという。


(1)個体群密度の調整

(2)食不足を補う

(3)親による操作

(4)乗っ取りオスの適応度が増すことによって進化した


とされるが、そのどれもが決め手に


欠けてまだ不明だということだった。


2023年現在はもっと追及されているかもしれない。


 


書籍名の『動物たちの生き残り戦略』の


”動物”ってのは人類のことも”動物”の種として


指しておられるのだろうと感じた。


  2冊目  

農薬なしで害虫とたたかう (岩波ジュニア新書)


農薬なしで害虫とたたかう (岩波ジュニア新書)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1999/01/25
  • メディア: 新書

第一章 殺虫剤万能からの脱出


まえがきにかえて


から抜粋


この本で私たちは、戦争前に南方から沖縄県に侵入して定着し、大害虫となったウリミバエを

不妊中放飼法(ふにんちゅうほうしほう)」

という農薬を使わない方法で根絶した経験を紹介します。


じつはこの方法は、アメリカ農務省研究部のE・F・ニップリング博士の考案で、私たちの独創ではありません。

しかしこの方法が成功したのは1963年までで、そのあと世界各地で何十回も試されながら十数年成功例が一つもありませんでした。

私たちが成功するには、他の国で使わなかった新しい方法を自分たちでいくつも考えだして使わねばならなかったのです。

この過程をお話ししたいのが第一点。

ところでこの仕事は、東大や京大のような有名大学を出たのでない人たちが、夢中で独学でやり遂げました。

そのあいだの苦労や失敗を含めて「私記」のかたちとし、学歴偏重の日本で、こういう”頑張り方”のあることもお話ししたいというのが第二点です。


環境ホルモンの脅威


から抜粋


最近「環境ホルモン」という言葉が、新聞やテレビでも使われています。

ヨーロッパやアメリカで魚のオスの精巣が萎縮していたり、それを食べている鳥類に性行動の異常が見られたりしたことから、人間男性の精子の数が調べられ、デンマークで精液中のの精子すうが1940年には1ミリリットル当たり1億以上だったのが、1992年には平均6600万まで減ったことがわかりました。

アメリカでも調査がおこなわれ、女性で乳がんにかかる率が増加していることもわかりました。

日本でも多摩川の魚の生殖器に異常が見つかりました(オスのコイで精子がほとんどない個体が30%。雄雌同体の個体も発見された)。


さて、こうなると、どうしても殺虫剤の使用を減らさねばなりません。

しかしそれは、容易なことではないのです。


国や県の試験場のなかでの、農薬偏重への抵抗


から抜粋


日本農業の”農薬一辺倒”時代は、終戦直後アメリカ占領軍から、それまで日本人が知らなかった新しい塩素系殺虫剤DDTBHCを使うよういわれたときに始まりました。

これらの殺虫力はすごく、農家はびっくりしました。

ついでに有機リン殺虫剤(いまは禁止されたパラチオンや、いまも使われているスミチオンなど)も登場します。

そして「害虫防除といえば農薬散布」という時代が始まったのです。

1950年代、60年代に国や都道府県の「農事試験場」の害虫担当職員の大部分の仕事は、殺虫剤の散布試験でした。


食べ物から身体に入ってゆっくりと人体を害する慢性の毒があり、しかも土の中などに長く「残留」する塩素系殺虫剤が大問題だということがわかったのは、1962年にレーチェル・カーソンという人が書いた『沈黙の春』という本が出てからのことです。

この問題と取り組み、塩素系殺虫剤の早期禁止を訴えたのは、農業技術研究所の人たちや高知県立の試験場の人たちでした。

農業技術研究所の金沢純博士は、自分で釣ってきた東京湾の魚にはまわりの海水の何百倍もの濃さの農薬が入っていることを発表します。

魚が体内で農薬を濃縮するのです。

重要な発見です。

しかし氏は農林省から

「君は作物中の農薬を調べていればよいのに、魚などよけいなものを調べて発表するとはなにごとだ」と叱られました。


ともかく、こういうなかから、なんとかして農薬以外の害虫防除法を発展させ、農薬を全廃はできなくとも使用量や使用回数を減らそうという流れが出てきたのでした。

私たちがおこなった不妊虫放飼法の利用も、この流れのなかから出てきたのでした。


DDTについては、肯定論として


創られた恐怖』(1996年)という書籍で


自分は未読なのだけど


実情は分かりかねるところあり


人工のもの全てが悪いってわけでは


ないのかもしれないが


農薬についてはおおよそ害があるのだろう


という気が今はしております。


 


第10章 ウリミバエの配偶者選択と精子競争


配偶者選択とはなんだろう


から抜粋


生物の進化ーー私たち人間もその産物ですがーーを明らかにする研究に道をひらいたのは、イギリス人のチャールズ・ダーウィンだということは皆さんも知っているでしょう。


ダーウィンは『種の起原』がひろく受け入れられたのちに、自然には自分の考えと合わないように見える現象があることを心にとめ、なんとか説明しようと努力していました。

そのひとつに、なぜシカのオスは大きな角をもつのか、またなぜクジャクのオスはあんな美しい大きな尾をもつのか、ということがあります。


ダーウィンは1871年に出した『人間の由来と性選択』という本のなかで、これらは「配偶者を見つける」のに役立つ性質であり、これらの性質をもつオスがもたないオスよりよく子供を残せたのでこういう性質が広まったと考えました。

つまり、性を通じた選択(性選択)で有利なので、ふつうの自然選択では少し不利なのに進化できたと考えたのです。


この本の中で、ダーウィンは性選択を

(1)同性内性選択、(2)異性間性選択

の二つに分けました。


このうち(1)は、今世紀の初め頃には多くの生物学者に承認されました。

カブトムシのオスの角がそうです。

しかし、(2)が成り立つためには、メスが「どのオスの求愛も受け入れる」のではなくて、配偶相手を選ばねばなりませんが、「下等な動物なんかに配偶者の選択なんかできるものか」と考える学者が多かったためです。

世界で初めて配偶者選択を証明した研究といえるものは、スウェーデンのアンデルソンという人のアフリカのコクホウジャク(オスだけに長い尾がある鳥)の研究で、発表はごく最近、1982年のことでした。


第12章 農薬を減らすには:基礎と応用


不妊中放飼法


から抜粋


これまで書いたように、この方法は農薬を使わないこと、根絶に使えるほとんど唯一の方法であることが優れていますが、使える条件が極めて限られているであるととが問題です。

(1)大量増殖と不妊化が安価にまた生存と求愛への障害なしにできること、

(2)密度が低いのに害が大きい害虫であること(1ヘクタールに数十万匹いるのが当たり前のイネのウンカなどは、これを防除するのに必要な数の不妊中をつくることなど無理でしょう)なども必要ですが、

(3)対象地域が小さく隔離されていることも必要条件です。

この点では侵入直後の昆虫には適しています。

沖縄のミバエ大量増殖施設が、県のもので、日本中どこへの害虫侵入に際しても使える施設とならなかったのは残念なことでした。


伊藤嘉昭先生について


先月読んだ書と被るところあり


キャリアからの横ヤリ入られて


予定を狂わされた


壮絶な人生の自伝タイトルは


楽しき挑戦』じゃなくて、普通なら


恨みはらさでおくべきかエリートども』だろう


って書いたのだけど、今回読んだ本でも


あらためてよくわかったのだけど、


そんな恨み節で人生棒に振っている


暇や発想がなかったってことかなと。


フェアネスだと感じた。


 


自伝に書かれておられたけど、


悪いキャリアたち(全員ってわけじゃないよ)から


島流しのように梯子外された様を振り返り


この方が(研究メインの仕事従事したのは)


結果的に自分に合っていたっていうのは


器の大きさを窺わせる言葉だった。


 


不妊虫放飼法について、その施設の巨大さを


俯瞰写真で見て驚いた。


一大事業であったのだろうし、これからも


力を入れるべき所なのだろうと。


 


それから今日のニュースのひとつ。


ガラパゴス諸島に不妊化した


蚊10万匹放出 エクアドル(3/11(土) 12:55配信)


伊藤さんを知らなかったら


スルーするところだった。


 


余談だけど映像でも残ってないかと


探ってみたらやっぱりありました


良い時代になりましたねえ。


カンペなど読まずにスラスラと


自説をご説明する姿が最高です。


虫はちょっと気持ち悪いのだけど。


クワガタやカブトムシは好きです。


 


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