中村桂子先生の書から”ゲノム”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
過日のブログにもチラっと書いたのですが
哲学書房という出版社から出ている
を読み中村先生曰くこの鼎談の理解を深めるなら
『免疫の意味論(多田先生)』や
『唯脳論(養老先生)』と、
この書を読んでおいてほしい、というような
主旨のことを書かれておられたからでした。
序章 発端の知ーーゲノムから何が見えるか
自己創出する生命が見えてくる から抜粋
「ゲノム」。
これは前にも述べたように、ある生物の細胞内にあるDNAの総体を指す。
ヒトであればヒトゲノム。
チンパンジーであればチンパンジーゲノムを持っている。
ヒトゲノムとチンパンジーのゲノムは大変よく似ているが、ヒトはヒトであって、決してチンパンジーではない。
しかも、同じヒトでも一人一人が皆異なるゲノムを持っているのである。
つまり、ゲノムという単位をとることによって、細胞、個体、種というような、DNA研究が始まる以前の生物学で重要な役割を果たしていた単位が呼び戻されることになる。
分子生物は、DNA研究によって、すべての生物を普遍的に理解するという素晴らしい手段を手にいれた。
しかし、生きものについての素朴な問いは、ヒトはなぜヒトであり、チンパンジーはなぜチンパンジーなのかというところにある。
普遍では終わらないのである。
これまではDNA研究は普遍を追求する手段、多様性については、マクロの生物学におまかせというように二つの分野が分離していた。
しかし、ゲノムを通して見れば、普遍性だけでなく多様性へもアプローチできる。
普遍性と多様性とが、ゲノムという全体を表現するものでありながらそれを構成しているのはDNAという完全に分析可能な物質であることがわかっている。
恐らく、DNAの全てを解析すれば、ゲノムの全体像が見えてくるだろう。
つまり、普遍と多様、総合と分析というように、これまで二項対立的に見えていた事柄がゲノムを通すとひとつのものとして見えてくる。
これが最も重要な点である。
人間の知の中では、常に普遍と多様への関心が絡み合ってきたのではないだろうか。
生きものの場合、それは明確で、生命という普遍的な本質を知りたいという気持ちと同時に、眼の前にあるもののひとつとして同じでなく豊かにたようであることの不思議をそのまま多様なものとして知りたいという気持ちがある。
著名な物理学者ハイゼンベルグは、「理解するということ」と題して、「”多様”を”一つ”にできた時にわれわれはわかったというのだ」と言っている。
確かにそうだが、それだけでは身のまわりの自然については、その一面をわかっただけで「一つだけれど多数なのはなぜか」という問いは残されたままなのである。
これまで科学は、前者を主としてきたが、最近の環境問題などは、統一的理解を深めることが多様な自然の把握につながらなければ無意味であることを呈示している。
科学が特別視され、社会から遊離した存在になってしまっている理由の一つはここにあると思う。
普遍と多様への関心は日常的なものであると同時に、これまでの知の歴史の中で大きな問いを立てた人々がひとしく問うたことでもあった。
Unityとdiversity。
アリストテレスは、これを一つのキーワードとしている。
先日たまたま観たレオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会場の入り口には、彼の関心は、統一性と多様性の結合にあったと書かれていた。
日常から学問まで貫いて、普遍と多様という問いがあり続けたのだ。
その中で、統一性の方だけ向いている学問が大きな意味を持てるはずがない。
もちろん、科学がこれまで取ってきた、普遍・客観・分析・還元という視点の有効性は認めた上で、科学が知の中での位置を確立するには、そこから踏み出す必要がある。
「ゲノム」は柳澤桂子先生の書でも
深く出てきたのですが、いかんせんなかなか
ハイレベルで、難しいのだけど
なんとなく自分なりに咀嚼しての理解。
それにしても30年も前からすでに
”多様性・ダイバーシティ”など使われていて
さすがだなあと見上げさせていただく。
さらにこの書から感じたこと、
「生命誌」を図として考え作成、その説明や、
表がすごくわかりやすい。
表については、”基本理念”を
①生命(神話)、②理性(ギリシア、中世、近代)、
③生命(新しい生命)の三つとし、その3点から
”知の体系”の自然とのかかわりが
”技術の性格”に展開されていて
ヒトがいかに自然から離れてしまい
今どこにいるかが分かるというもので。
(表を文字で説明する不毛さを痛感するな、これ
もしくは自分の表現力の限界)
その表以外にも、中村先生は図解が多く
グラフィック出身の自分なぞは助かる。
余談で、この書の終わりにも書かれているが
今はない出版社”哲学書房”というところの
中野さんの一声で書籍を思い立ったという。
遡ること中村先生の処女作『生命誌の扉をひらく』
というのもあり、それも同じ編集者さんとの
仕事の一つでWikiによると中野さんは07年に63歳で
亡くなられ「印税0=中野モデル」というのを確立し
今も継承している学術系の出版社があるということが
関係者さんのブログに書かれていた。
ビジネスで「印税0」なんて成立するの?という反面
だから質の高い執筆者や書籍が揃っているのかと
なんとなく納得しそこから曲解のような思考に至る。
つまり”本質”という”ゲノム”抜きに
物事を語れねえぜ、ってなぜか吉本隆明先生風に
夜勤中に思った事それはそれで一旦置いといて
中村先生の書に話を戻してこの一冊で”生命誌”の
なんたるか、を理解したとは全くもって言い難く
何度も読み返したり類書を紐解きながら近づく事に
なりそうだと思ったのと、哲学書房の初版で読んだ
この書の著者近影の中村先生がお綺麗で
とても素敵だなあと思った2023年10月最終日、
最近は今日はハロウィーンの日って事なんですかね、
兎にも角にも明日から11月で仕事場の
運用システムが変更される為実際どうなるのだろう
と内心ビビっている火曜の夕刻でございました。