内田樹編著から仲野先生の”平成のゲノム”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2019/03/30
- メディア:単行本
内田樹先生が音頭をとり
集まった執筆者さんたちの書籍。
テーマは”平成を総括”てことで
全くの初見だったのですが
仲野徹先生の文章を読んでみた。
余談だけど表紙がポップで良いと感じた。
生命科学の未来は予測できたか?
仲野徹
ヒトゲノム解読 から抜粋
ゲノム解析が進んで、病気についてさまざまなことが詳しくわかってきた。
いまでは、比較的安価に、がんのゲノムを調べることも可能である。
がんの原因は遺伝子の変異である。
がんの発症に関係する遺伝子数個に変異が生じて細胞はがん化するのだ。
だから、がんのゲノムを調べてどの遺伝子に異常があるかを調べることにより、がんのことを詳しく知ることができる。
わかるはずだったのに、わからなかったこともある。
糖尿病や高血圧といった生活習慣病には遺伝性のあることがわかっていた。
だから、ゲノムをしらべると、どの程度そういう病気になりやすいか、かなりの確度でリスク判断ができるだろうと期待されていた。
というよりも、誰もがわかるはずだと思っていた。
しかし、これについては、少なくとも現時点ではほとんどわからなかった、というべきレベルにとどまっている。
一方で、やってみて正確にわかった、ということもある。
ヒトとチンパンジーのゲノムはわずか1.2パーセントしか違いがない、というのもそのひとつだ。
人間同士の差異はもちろん遥かに小さくて、わずか0.1パーセント程度でしかない。
もうひとつ、ゲノム解析でわかった驚くべきことは、「人種」などというものは、遺伝子レベルで見た場合、すなわち、生物学的には存在しない、ということだ。
人種という概念は生物学的なものだと思われがちだが、決してそのようなことはない。
歴史、文化、言語など、さまざまな要素が混ざり合って成立しているにすぎなかったのだ。
人類発祥の地であるアフリカの異なった地域の二人、たとえばエチオピアとスーダンの二人、のゲノムの違いは、それぞれの人と日本人との間のゲノムの違いよりも大きいのである。
個人間の違いが「人種」間の違いよりも大きいというのはありえない話だ。
したがって、背理法で、人種などというものは存在しない、ということになる。
ものすごいことを仰っているような。
最新のゲノムラボでのファクトから。
だとすると今まで考えてきたサイエンスとか
影響しないのだろうか。
いや、どう考えてもするよなあ、と素人考え。
歴史、文化、言語を、いわゆる”ミーム”と括ったとし
それしか違わないって事でしょ”ヒト”と”ヒト以外”が。
だとすると自分はこのご時世にあってると思った。
ご時世に合うとかいうものなのか分かりかねますが。
ちと一足飛びな感じ否めないけれど
”人間も自然の一部であり繋がっている”って
ことになるのではなかろうかと。
個人間のゲノムの違いは、それぞれの個人がかけがえがないものであり、その多様性が重要であることを物語っている。
一方で、人種などというものは存在しない。
さらに、チンパンジーとの違いの小ささ。
各個人によって考え方は違うだろうけれど、こういったことが常識として認識されれば、人類とはどういうものか、ということにも大きな影響をおよぼしていくはずだ。
ヒトゲノム解析は、病気といった個人の問題だけでなく、人類のあり方にも新しい考え方を投げかけたのである。
ヒトゲノム解読以降、何がわかったかについては、コリンズの『遺伝子医療革命ーーゲノム科学が私たちを変える』(NHK出版)がとてもいい。
平成という30年間は、ゲノムの解析が
大幅に解析された時代であると仲野先生のご指摘。
自分と平成30年を重ね合わせると
社会人一年目から始まって30年、
今思うと幻想の中にいたような、あっという間。
というか、まだ総括する気になれないし、
なる必要もないのだろうね市井の人間にとって。
だからこそ、こういう書はありがたい。
気づきが多かった。
余談だけど仲野先生はかのノーベル賞の
本庶佑先生のラボにおられたようで
これまた違う意味で興味深い。
それにしても、内田樹先生の編著から
ゲノムを読む事になると思わなんだなのですが
そもそもゲノムを自分が読む事自体笑止千万で
それはそれで置いといて
この書に話を戻しましてこの他の執筆陣さんたちも、
なかなかに一筋縄ではいかない方達ばかりで
でもそれは権力構造からの目線だとそうなり、
一筋縄側から見たら「え?何が」みたいな
”普通”なことなのだろうと思った秋の朝
今日は暑くなりそうというのと、
仕事遅番で内容も拘束時間帯も
ヘヴィーだよと思っている所でございます。