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①中村桂子先生の関連書4冊から”人間”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

中村桂子先生を存じ上げたきっかけは


二年くらい前、図書館に通い始めた頃に


リユースコーナに置かれていた


多田富雄・養老孟司先生との


鼎談の書を持ち帰ったのが始まりです。



「私」はなぜ存在するか―脳・免疫・ゲノム

「私」はなぜ存在するか―脳・免疫・ゲノム

  • 出版社/メーカー: 哲学書房
  • 発売日: 1994/09/01
  • メディア: 単行本


 


その時は全く読めない(理解できない)と


思ったもののなにかひっかるものがあり


ステイしておりましたが昨今の読み散らかし後


先日軽く読んでみたらスッと読めた。


(まだ全部読んでないけど)


そして昨今の自分のテーマというか


”サイエンス”や”自然”などの流れから


中村桂子先生単体のこの書を


仕事前に図書館で借りて読みいたく感動し


仕事後にブックオフに寄ったらあったので


購入した次第です。(って前置きが長いよ!)



科学者が人間であること (岩波新書)

科学者が人間であること (岩波新書)

  • 作者: 中村 桂子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/08/22
  • メディア: 新書

はじめに

大地震のさなかで から抜粋


2011年3月11日の大地震と津波、それによって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故は、日本列島に暮らすものとしての生き方を考えることを求めるものでした。


その一瞬前まで誰もこんなことが起きようとは思ってもいなかったのです。

実は私はその時、東京大学構内での会議に出席していました。

これまで体験したことのない揺れに外へ飛び出し、地盤が安全だと言われて安田講堂の前に行きました。

講堂の脇にある地震研究所からも研究者が出てきて、大地震の最中に、まさに専門家のただなかにいることになったのです。


とは言え地震直後は何も情報がないので専門家も私たちと変わりません。

地震がいつどこで起きるかという問いに対して学問ができることは、得られる精度最高のデータを用いて確率計算ですが、一方、被害に遭った人たちにとっては、地震発生は百パーセント起こってしまった出来事です。

これは病気についても同じで、ゲノム(遺伝情報)や生活習慣を調べてがんや糖尿病などになる確率は出せても、ある個人がいつどの臓器のがんになるかはわかりませんし、すでに病気にかかってしまった人には、確率は役に立ちません。

ここが、学問が日常と接点を持つことの難しさです。

けれども、だから学問は無意味ということではなく、この違いを分かったうえで学問を生かしていかなければならないのだと、震災後さまざまな場面で強く感じました。


よく科学は難しいと言われますが、日常私たちが何気なく接している自然や人間ほど難しいものはないわけで、科学はむしろその中から考えやすい、やさしいところをとり出して扱っているとの言えます。

それなのに社会の側では、科学は進歩しているのだから答えを出してくれるはずと、自然や人間そのものとも言える地震や病気についての判断(とくに予測)をここに期待し、科学もそれに答えようとしてしまうのです。


この書を書かせたのが未曾有の


大災害だったという事実が切ないのだけど


自分としてはこの書は本当に興味深い。


ここではこの書のきっかけしか引けないけれど


近代社会の歪みなど指摘されている点と


中村先生の分析の礎となる書物が多く掲載されている。


という流れから、中村先生個人にも興味が湧いて


最近の書も読ませていただきました。



老いを愛づる-生命誌からのメッセージ (中公新書ラクレ, 759)

老いを愛づる-生命誌からのメッセージ (中公新書ラクレ, 759)

  • 作者: 中村 桂子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2022/03/09
  • メディア: 新書

はじめにから抜粋

いつの間にか年を重ねて、本年86歳。

正真正銘の老人です。

「老い」という言葉にはどこかマイナスのイメージがあり、よい意味に受け止められてはいません。

なぜマイナスかといえば、一つは、人間には寿命があり、老いるということは死に近づいていることが明らかだからでしょう。

そしてもう一つは、能力が落ちていき、これまでできていたことができなくなることが少なくないからでしょう。


老いをマイナスとしてばかり捉えるのでなく、なかなか面白いところもあると思っている気持ちを語ってみたくなりました。

それだけでなく、私の場合、生きているってどういうことだろうという問いに正面から向き合い、しかもそれを小さな生きものたちが生きている姿に学ぶという生命誌の研究を続けてきましたので、そこから生まれる思いを語りたい気持ちもあります。


それは人間を生きもとして見るということです。

他の生き物を見るのと同じように。

そうすると、生まれる、育つ、成熟する、老いる、死ぬという自分の一生をちょっと離れたところから見ることができるようになるのです。


私はたまたまこのような分野の勉強をしたのですが、年を重ねるにつれて、生き物としての自分を外から見る気持ちになれるのは面白いなと思うようになりました。


中村先生のライフワーク”生命誌”にも


強く興味引かれる。そして自分にとって


天界の対談ともいえるくらい神々しい


柳澤先生との対談もそれを後押ししてくれる。


柳澤桂子―生命科学者からのおくりもの KAWADE夢ムック

柳澤桂子―生命科学者からのおくりもの KAWADE夢ムック

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: ムック

生物学のロマン時代に出会って

対談 柳澤桂子 中村桂子


1秒と35億年 から抜粋


中村▼

私たちの社会は二項対立というのか二者択一で考えがちですが、こっちもあっちもあるということなんですよね。


柳澤▼

生命の歴史が35億年、宇宙の始まりからですと150億年。

それを思うと人間の一生なんて本当に短い。

だからといってメチャクチャに生きていい、というとやはりそうではないと思います。

長い長い時間の中の今、しかも人間として生きているという、その奇跡を考えたら、1秒だって大事ですもの。


中村▼

そう、そう。

と同時に、あまりあくせくすることもないじゃないかと、おおらかな気持ちになれますよね。

その二つは両立できるのではないでしょうか。

私は生き物は矛盾を上手にのみこんで、矛盾のままに生きるシステムを開発してきたものだと思うんです。


柳澤▼

矛盾に耐えてきたものだけが生き残ったとも言えるでしょうね。

私たちは直線でものごとを考えがちですよね。

でも、直線ではなく、サークルで考えた方がいい場合もあると思うんです。

無限大と無限小はつながっている、1秒と150億年は環になってつながっていると考えたらどうでしょうか。


中村▼

ウイルスは1番下等なものと昔は考えられていましたよね。

でもよく調べてみると、遺伝子をあちこち動かしたり、まるで世界を支配しているような面もあるわけ。

ですから1番高等と言われてきた人間より上にいて、まさに環になっているとも言える。


柳澤▼

ウイルスみたいに図々しくて調子のいい生き物はいませんものね。

人に頼って、自分だけ殖えようとするんだから。

その点では最も進んだ生き物といえるかもしれません。


中村▼

環で考えると、高等とか下等という概念も無くなりますね。


柳澤▼

環をどこで切るのかを人間が決める限りは、生き物の本性として、人間を高等にしたがるでしょうけど。


中村▼

複雑さで言えば人間が1番。

それから1番最後に生まれてきたことも確かでしょう。

でも高等かどうかは…。


柳澤▼

地球を汚すという点では1番下等と言うこともできますね。


興味深すぎて、夜勤明けの頭では


受け取れきれないものあり、


そもそも地頭悪いからって話もございますが


ここにきてまた新たなテーマというか、


元からあったテーマとリンクしたというか


本が増えるので困ったなあ、とか、


読む時間がないなあ、とか、ぼんやりと


思いながら最近はもう歩きながらも


読書している始末でますます養老先生の


読書術が参考になってしまい


まあいいんですけれども、と思いつつ


急に寒くなってきた関東地方、体調管理しながら


仕事、読書に励みたいと思う秋の夜なのでした。


 


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