文芸時評(上巻)1976 -1983:奥野健男著(1983年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
「三島由紀夫伝説(1993年)」を上梓された時
と文庫になっても読んで興味が湧き、
今回改めて タイトルの書籍を拝読です。
初出は産経新聞の文芸批評で掲載されていたもの
をまとめた書籍。
内容は、時節を絡めた含蓄ある短文も面白いのだけど、
お読みになり取り上げてる 「数」がすごい。
毎月やってたと思うとすごすぎる。
常軌を逸した小説(というか文章)中毒、なのかな。
単に、仕事だから、とは、とても思えない。
評論されている文章量にばらつきはあり、
2−3行だけのものもあるのだけど、
とにかくすごい「数」を読んでおられる。
自分が今興味のある、「加齢」「老い」に
関するもの 3つだけピックアップ。
■初老の男と哀愁と虚無(1976年10月26日)
10月5日、武田泰淳氏が亡くなられた。氏は日本の
文学者としては珍しい、つねに世界全体を考える人
であり、また含羞の人であった。その文学については
多くの追悼特集が編まれるであろう来月号の時評で
触れることにするが、日本の文壇の目配りの行き届いた
公平な理解者をまたひとり失ったことになる。
僕は高見順、伊藤整、三島由紀夫、川端康成、
そして武田泰淳の5人の文学者を、日本文壇の旧と
新との、左と右との、芸術派と社会派との、
かけはしとかねて考えていたのだが、その5人が
次々と亡くなられた今日、日本の文学はまとめ役を
失い、何かばらばらになってしまったような
気がしてならない。
<この月の対象となる書の著者名・タイトルのみ>
森乾「金鳳鳥」、富士正晴「こころならずも・・・」、野口冨士夫「夜の烏」、澁澤龍彦「三島由紀夫覚書」、立原正秋「昼の月」、岡松和夫「愛の巣」、中上健次「化粧」、三浦哲郎「おらんだ帽子」、金鶴泳「冬の光」、長部日出口雄「見知らぬ町」、高橋たか子「結晶体」、中井英夫「星の不在」、夏之炎「北京のいちばん寒い冬」、小田実「ラブ・ストオリー」
■老年に向かう心理を鋭く(1980年4月22日)
この時評を書き終えた直後、サルトルの訃報に
接した。僕らの世代を含めて、日本の戦後文学は
サルトルの影響下に成立したと言っても過言
ではない。サルトルの哲学、文学をもう一度検討
することが現代文学にとって喫緊時であろう。
<この月の対象となる書の著者名・タイトルのみ>
石川淳「狂風記」、中村光夫「形見」、上林暁「許嫁者の死」、小沼丹「山鳩」、津村節子「母の部屋」、高橋三千綱「木刀」、岳真也「潮路」、秋元藍「闇の中の語部」、吉村昭「月下美人」、畑山博「束の間のはたち」、宮内勝典「グリニッジの光を離れて」、中野孝次「季節の終り」、尾辻克彦「牡蠣の季節」
■”老いとボケ”から現代批判(1983年12月24日)
年末のあわただしいときだが、文芸時評は
新年号が対象である。いつからこんなことに
なってしまったか、つまびらかではないが、
雑誌が一ヶ月、あるいは二ヶ月も先の月を
先取りして刊行される習慣を是正することが
できないだろうか。季節を先行したい
ファッション雑誌なら仕方がないが、そんな必要
のない文芸誌あたりから一月号は一月はじめに出す
というようになおして欲しい。
<この月の対象となる書の著者名・タイトルのみ>
野上彌生子「春雷」、井伏鱒二「旧・笛吹川の跡地」、大岡昇平「純文学」、埴谷雄高「世代について」、永井龍男「冬の梢」、深沢七郎「極楽まくらおとし図」、芝木好子「風花」、中野恒子「停車場で」、小沼丹「夕焼空」、水上勉「狐について」、三浦哲郎「夜話」、三木卓「鎧戸」、宇野千代「三浦環の片鱗」、庄野潤三「楽しき農婦」、日野敬三「砂の街」、吉行理恵「桃花の蕾」
村上龍「限りなく透明に近いブルー(1976年)」も
取り上げられていて、「新しい文学」とされ、
時の流れを感じる。
村上龍さんは、今は 「カンブリア宮殿」を
TVでやっている関係で 「昔はパンクだったのに」と
いう人もいるようだけど、 自分はそう思わない。
根源的なところは変わってないし、
「オールド・テロリスト(2015年)」を読む限り、
アップデイトされ続けて今がある気がするから。
話ずれてしまいまして、余談だけど、
奥野さん、 30年くらい前、JR恵比寿駅前にあった
「みずほ銀行(富士銀行だったかも)」に用事があり
出て行こうとしたら、逆に入ってこられて、
ほんの一瞬 ただすれ違っただけなんだけど、
ご自身最近人からよく言われるって
おっしゃっていたように
岡本太郎さんにそっくりだと思った
記憶が蘇りました。
コメント 0