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路地裏の資本主義:平川克美著(2014年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

 株式会社が「フィクション」だというご説明でございます。


(それと「価値観」について)


少し長いけれど抜粋引用。


妙に説得力があるのは、やはり、


平川さんの仕事の経験(成功や失敗)や、


介護の経験など、実人生の生き方からくる


「筆力」と言わざるを得ない。


■フィクションとしての株式会社

 

成熟した資本主義国家の常として、市場が飽和し、人口が減少し、

自然過程としての経済成長が望めなくなった今、

それでもなお経済成長を実現するためには、もっとも

効率的に利益を生む分野へと資源を集中させる必要が

あります。それが、大企業優遇であり、非効率分野の

切り捨てへと向かわせることになります。

経済成長戦略、消費税の増税、企業が最も活動しやすい

特区の制定、貨幣の量的緩和、原発再稼働の動きなど、

どれをとっても庶民の暮らしを楽にするためのもの

というよりは、大企業優遇のための政策であり、

中小零細企業や一般庶民の暮らしは、

一向に楽になる兆しはありません。

それもこれも、当今の政治というものが選挙に

お金がかかり、活動にお金がかかり、それらの資金を

大企業から調達しなければならなくなっており、金主の

意向にはなかなか逆らえないというところから

来ているのではないでしょうか。


人口が減少して、商品市場の拡大が望めなくなった

先進国の最大の問題は、総需要の減退です。それでも、

ほとんどの国の政府担当者は、経済成長戦略を掲げています。

 

それは普通に考えれば無理筋だと誰にでもわかる。

しかし、経済成長すれば多くの問題が解決する、

自分の生活も向上するという期待から、その無理筋を

見ないようにしているのではないでしょうか。

ただ株式会社にとっては、この無理筋を通すかどうかは、

死活的な問題であり、なんとか成長の隘路(あいろ)を

見つけ出す必要があります。

 

そうでなければ、株式会社というシステムを

成り立たせている、右肩上がりの経済的背景の喪失と

ともに、株式会社そのものが世界から消えていかなくては

ならない運命にあるからです。

だから株式会社は必死です。世界を見渡して、まだまだ

成長している国を探し出し、その成長の果実を

取り込もうとするわけです。同時に、そういった国の

安い労働力を使って商品を生産すればコストも下げられる。

とはいえ、それぞれの国には自国の産業を守るための

関税障壁や、市場防衛のための習慣や規制があります。

そこで登場したのが、グローバリズムというイデオロギーです。


いったい、株式会社はいつ、どのような状況で

生まれてきたのでしょうか。いつの間にか、

わたしは株式会社が長い歴史をつらぬいて

人間社会の文明をつくってきたのだと思い込んで

いました。会社は、人間の歴史と同じくらい古い

ものだと錯覚してしまったようです。

もちろん、株式会社の起源は、東インド会社で

あるといったような教科書的な刷り込みが

なかったわけではありません。知識として

知ってはいましたが、東インド会社と今日の

株式会社が実感として結び付かないのです。

それらは、本来的に別物なんじゃなかろうかと

思っていたわけです。教科書的には、株式会社の

起源とされるオランダの東インド会社は、

アジア地域での権益を独占するために考え出された

商社の連結であり、今日的な意味での株式会社

とは言い難いということです。

 

しかし、もし東インド会社が今日の株式会社の

原型でないとすれば、株式会社の誕生はそれ以降

ということになります。もしそうだとするならば、

株式会社という制度の驚くほどの歴史の浅さは、

この制度がひとつのフィクションに過ぎないという

事を物語っているのではないでしょうか。

 

■身体が発する声に耳を傾けよ

 

株式会社は人間が発明した、資本調達のため

のシステムであり、フィクションです。それが、

一つのフィクションに過ぎないということに気が

ついたとしても、あまりに巨大化して人間生活の

細部にまで影響を与えてしまっています。

リーマンショックのときに、保険会社が倒産を

アメリカ政府は公的資金を使って食い止めました。

その時の理由が「大き過ぎて潰せない」でした。

 

ひとつの会社でさえどのような事が起きているわけ

ですから、世界中に根を張っている株式会社の

ネットワークを簡単に解体させることなど

できない相談です。

しかし、だからといって、株式会社の価値観が

政府の価値観になり、やがては一般大衆の

「価値観」になるのを放置していれば、

わたしたちの生きている世界は

どうなっていくのでしょうか。


その「価値観」の利潤最大化、コスト削減、


労働生産性向上、外部化できるところは


外部化する、などを行うべき、それに


馴染まないところも、たくさんあるといい、


「医療」「教育」は質の劣化、


顧客選別につながる恐れがあるため


行うべきではないと指摘されている。


この2つはビジネスとは馴染まないとも。


(「政治」もビジネスでやって欲しくないですけどね)


文明の発展は、どんな過酷な自然条件の中でも、

たったひとりきりでも生きていけるような条件を

作り出す道具や機械を生み出してきました。

過酷な自然条件をマイルドで一定の環境に

保つために、自分の身体をコントロール

しながら自然と折り合いをつけていく術を

蕩尽(とうじん=財産を湯水のように使いはたすこと)

してしまうことになるからであり、

その兆しが見え始めているのが現代という

時代だろうと思います。


「会社人間」と言うのは前近代的なんだろうなと。


自分自身のキャリアを振り返ってみて身につまされる。


 


平川さんの文章はとてもわかりやすい。好みの問題


なのかもしれないけれど。


 


余談だけれど、「心」よりも「身体」って言ってたのは、


横尾忠則さん。


今流に言うのなら、「マインド」「メンタル」よりも


「フィジカル」を優先するべき、みたいな感じなのかな。


「心」のアウトプットが「身体」なのかもしれない。


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