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養老先生関連の2冊から”母親”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


からだの見方 (ちくま文庫)

からだの見方 (ちくま文庫)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/12/01
  • メディア: 文庫


解説から本文を考察できることもあり


よく最初に読んでしまいます。


場合によっては、それだけ読んで本文は


拾い読みで終えてしまったり。


内田春菊さんはこの頃、『ファザーファッカー』で


名を馳せていた頃で。自分もその頃若かったから


かなり衝撃的な内容だったと記憶してます。


インザネームオブ解説 内田春菊 から抜粋


まずお名前が覚えやすいのが良い。

育ち盛りの若者に限らず、あの有名居酒屋チェーンののれんをくぐったことがある人は少なくないはずだ。

それからあの髪の毛の多さ。

今でもあんなに多いんだから思春期にはさぞかし髪型に困られたことと想像される。

あれだけ頭をつかってる人があんなに豊かだと、薄くなっているほうは立場がない。

さぞかしねたまれていることだろう。


そしてあの芸術とも言えるあの早口。

人と違う時間軸で生きているのかもしれないと思わせるほどだ。

養老さんの脳こそが他の解剖学者に狙われているに違いない。

あのローテンションの早口のまま真顔で冗談をおっしゃるので、初対面の人間はほとんど笑うきっかけを逃す(と思う)。

これから養老さんと対談する予定のある人は<笑>と書いたプラカードを持っていって、これは冗談だと気づいたら急いで出すといいかもしれない。


最近、マザコンもいいものだと思うようになった。

漫画の業界では言えば、あの時代に医師の資格を持ちながら漫画家を職業に選ぶことの出来た手塚治虫さんを一番支えたのはお母様ではなかったか。

養老さんのお母様は開業医でいらっしゃるそうだ。


2度目の結婚で生まれた養老さんは、他のご兄弟とは一人だけお父様が違うという。

それも、養老さんを残してお亡くなりになったと聞く。


養老さんはご自分が子供のころぜんそく持ちだったことを「まあ育て方が悪いんですね」とおっしゃっていたが、息子を一人残して夫に死なれたらただでさえ可愛い末っ子を冷静に育てるのはかなり難しい。


養老さんは一見ぶあいそだが、しばらくするとチャーミングなのがよくわかる。


お母様がどんなに養老さんを愛したかがオーラが出ているのだ。

私は手塚治虫さんとはついにお話しする機会がなかったが、それに近い空気を出しておられたのではないかという気がする。


養老さんと対談したことを誰かれかまわず自慢していたら、頼みもしないのに養老さんのお母様の著書を送ってくれた人がいた。

まだお母様の書かれた部分は読んでいないが、そこに寄せた養老さんの文章を読んで転げ回ってしまった。

これこそマザコンを克服した息子の書いた文章だ。

子どもを産むと人生には面白いことが増える。


子どもを愛情持って育てるとってことですよね。


だとすると同意だし、パパの立場でも


何かのレベルみたいなのが上がる気がするので


面白いことは確かでございます。


正確にはものの見方が”深く”なる、か。


正確性を追求しなくても全然いいんですが。


そしてまたもや勝手な推測だが養老さんは恋に弱いと思う。

回りから見ても絶対わからないだろうが、きっとしょっちゅう恋しているはずだ。

あのいつもの表情を変えないままで、たとえば大学で相手とすれ違うと高校生みたいにどきどきしているに違いない。


それから、ああなんでこんな気持ちになるんだ、これはいったい脳の中でどんなことが起こってこうなるのだと思いながら解剖したりしているのだ。

きっとそうだ。

でなければあんなに髪の毛が多いはずはない。


だから女性のみなさんは養老さんがどんなに冷静な顔で自分のかばんからプラスティネーションの贓物などを取り出しても、けして無理して「素晴らしいですね」などと言わず、きゃーっと叫んで養老さんに抱きつくのが礼儀だ。

みんながそうして養老さんを予定より長生きさせるべきだ。

私もそうする。


最後の件は言い得て妙な気がして


つまり、この頃の養老先生は


子どもみたいだということだろう。


今はご病気もされ、違うかもしれないが。


三島由紀夫さんも学生さんから、小説家なのに


ボディビルやヤクザ役で映画出演等を揶揄され


「なぜ嫌われるようなことを率先してやるんだ」


と聞かれて


「あえて嫌われることをやる、それがダンディズム」


と笑いながら答えている音声がございましたが


養老先生が臓物をとり出す心境はそれに


近いのではなかろうか。


 


内田春菊さんに話もどし、米原万里さんが


養老先生の印象を語ってらしたのを思い出した


それと、笑い転げた初版のまえがきは


自分はほとんど覚えてないのだけど


昨日のフィールドワーク(古書店巡り)で


購入した文庫本には養老先生の解説が


ございました。



ひとりでは生きられない ある女医の95年 (集英社文庫)

ひとりでは生きられない ある女医の95年 (集英社文庫)

  • 作者: 養老 静江
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2016/09/16
  • メディア: 文庫

解説 養老孟司 から抜粋


この本が最初に出版されたとき、母は存命中だった。

単行本初版の「まえがき」に、「こういう文章は、母親が死んでから、書くものであろう」とのっけから書いてしまった。

20年前に母は死んだので、今後は解説を書けという。

余計なことを書かなきゃよかった


親のことは知っているようで、知らない。

子を知ること、親に如(し)かずというが、親を知ること、子に如かずとは聞かない。

だから客観的な解説など、できるはずがない。

以前、九州の叔父の家を訪ねたことがある。

「お前のお父さんとお母さんの恋文がミカン箱いっぱい残っているが、持っていくか」と言われた。

冗談じゃない。そのまま逃げかえってきた


亡くなって20年というと、ぼちぼち母親を客観化出来そうだが、そうはいかない。

なぜって、その人が亡くなると、考える機会も無くなるからである。

母の思い出は固定してしまって、断片的な光景がときどき出てくるけれども、意味がわからない。

まことに「去る者は日々に疎し」である。


要するに親は親であって、それはどうしようもない。

良いも悪いもないし、受け入れるしか仕方がない。

母親が私の人生に与えた影響は大きいが、だからといって、どうこういうこともない


思えば、変な親だったかもしれない。

明治生まれの女医だから、教育には熱心だった。

でも私に何か教えたこともない。

自分で教える暇がなかったのかもしれない。

小学校から家庭教師をつけられた。

でも学校の勉強ではない。

家庭教師をしてくれたのは、義兄の旧制高校の同級生で、東洋史の専門家だったから、『十八史略』の白文を読まされただけである。

小学生にそんなものを読ませやがって

漢文なら四書五経が普通だろうが


えっと。養老先生って元東大教授でしたよね。


ならずものじゃないですよね?


母の人生は母のもので、私はそのほんの一部にすぎない。

私が50歳を超えて、医学部の教授をしていても、「お前がいちばん心配だ」といっていた。

どこか、母親bの価値観に合わない生き方をしていたからであろう。

こちらは小さい頃からそういう言われ方に慣れているから、なんとも思わなかった。

「また言っている」と思っただけである。


ただ母が死ぬ前年に私がオーストラリアで虫を採るというテレビの番組に出たのを見て、

「子どもの頃と同じ顔をしていたから安心した」といった。

親というのは、そういうものらしい。

たしかに現役の間は、私も多少は無理をして生きていたのである。


お前が幸せなら、それでいいんだよ。

子どもに向かって本音でそれをいう母親だった

だから私が無理をしているのを見ると、イヤだったのであろう。

でもまあ、世間で生きていれば、多少の無理は仕方がない。

そういえば、つい最近、大学の同級生が死んだ。

最後の電話が「お前も無理をするなよ」だった。

父親の遺言も「十できるものなら、六か七にしておけ」だったと母親がいっていたのを思い出す。

やっぱり人生、無理はいけないんでしょうなあ


母親とはそういうものなのだろうね。


子ども時代の面影が消えてたら心配でしょう。


それを消し去るのが大人になると勘違い


しがちですからね、子供というのは。


母との関係性っていつまでも


釈迦の掌という構造ですな。


自分も母を亡くして早13年だけど


同じような気がするなあ、と。


この書自体は過日投稿したが本当に良書です。


しかしこの解説、最後の一文は明らかに不要です。


あれ、これ池田清彦先生にも同じことを


書いた記憶が


お二人はかなり似ているんでしょうなあ。


余談でかつ僭越で、これは自分で


いうべきことではないかもしれないが、


かくいう自分も、”同類”なのだろうなと、


偏差値はまるで似ていないのが残念至極な


残暑厳しい秋の休日、図書館へ行こうと


目論んでいるところです。


 


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