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荒俣宏先生の読書本から”シンクロニシティ”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


喰らう読書術 ~一番おもしろい本の読み方~ (ワニブックスPLUS新書)

喰らう読書術 ~一番おもしろい本の読み方~ (ワニブックスPLUS新書)

  • 作者: 荒俣 宏
  • 出版社/メーカー: ワニブックス
  • 発売日: 2014/06/09
  • メディア: 新書


 


"読書"についての本も自分は好きで


特に興味ある人の読書術は看過できない。


興味なくても読書術みたいのがあると


つい読んでしまうのだけど、荒俣先生のは


圧倒的に前者で、僭越ながら同じ匂いを感じ


読んでいて声をあげて笑ってしまいました。


はじめにーーー読書はおもしろいはずだが、実際はつらい


から抜粋


読書する習慣はどうやったら身に付くか。


私自身、いま読書することは暮らしの「一日常」になっており、食堂でご飯がくるまでの待ち時間に本をひろげたり、風呂につかりボーっとする間も、バスタブに板をして、その上に本を置いて読んでいます。


ただし、正直に申しますが、本気で読書が好きになると、いろいろとデメリットも発生してくるのを覚悟しなければなりません。

まず、家庭をお持ちの方なら、本の置場に困ります。

といって、電子書籍がそれを解決するというのは、大きな勘違いだと思います。


本を真剣に愛し、読み込むならば、現状に流布している電子書籍の完成度では、とうてい満足できなくなってくるからです。


はっきりもうして、今の電子書籍は本の歴史に例えれば「グーテンベルク以前」の状態に過ぎません。

まずだいいちに、いま買える電子書籍は、紙の本の電子コピー、すなわち書写しにすぎないからです。


ですから、本好きとは、まだ数十年のあいだは、紙の本を愛する人を意味する言葉として流通していかざるをえません。


私がこの本でおすすめすることは、読書を終生の友とし、この有益な友を出来る限り有効に活用するための、基本的な心構えを考える、と言うことに尽きます。

いろいろデメリットやつらいこともあるけれど、それを上回る楽しさがある、ということなのであります。


ところで、現代は人と本との距離が大きく広がった時代であるように思えてなりません。

まず、個人の家に本が置かれなくなりました。

本が邪魔者になり、家具としてはおろか、シンボルやインテリアとしてもパワーをなくしてきたようなのです。

ちょうど、身の回りに昆虫や鳥がいなくなってしまい、それを見るためには動物園に出かける必要が出てきたのに近いと思います。


これでは、本との付き合いも親身になりませんし、ましてや「座右の書」といった感覚も醸成されません。


たとえば、同居する家族がたくさんいるのも、いいところがある代わり、ウザくなるところもあるのです。

しかし同居していればこそ味わえる喜びや悲しみが、そのデメリットを耐え忍ばせていたのです。


しかし、私たち団塊の世代あたりから、今度は逆に家族同居の暮らしのメリットを切り捨てる暮らしが選ばれるようになりました。

その結果起きたのが、今の社会の問題点でしょう。


知の世界にも同様のことが発生しているのではないでしょうか。

楽な本ばかり読んでいるうちに、なんだが「利口・バカ」みたいな人が増えてきました。

そうではなく、何年も手許(てもと)に本を持ち続けるという、腰をすえた付き合い方が、じつはその人の人生を頑丈にする要因の一つになるのではないか、ということがこの本の提案です。


そういう意味で、本書は、身の回りにいつも本を置く生活のノウハウをお示ししたいと思っています。

その最大のポイントは、


本を読むという手間を惜しまない

本棚には読まなくても本を並べる楽しみがある

・真の読書は、読むことに直接の利益を期待しないことである


それでも、読書は、それを日常実践せずにいられなくなるような意味も、価値も、あると思います。

まるで、毎日決まった時間に食べるご飯のようなものだからです。


で、書名につながるとおっしゃる荒俣先生。


読書=人生そのもの、基本同意でございます。


電子書籍についての見解、自分は主に


立ち読み程度に捉えています。


電子も買ったりもしますが愛着は


紙ほど持てないのは確か。


しかし、一言でいうなれば”便利”なのですよねえ。


「本好き」が数十年「紙の本」を指すというのは


ちとわからないとは思います。すんません!


で、ここがいちばん、読者のみなさまには気にかかるところでしょうが、そんなに毎日読書をして、お前はいったいどんな偉い人間になったのだ、という疑問が残りますね。

正直に、はっきり申します。


聖人にも、悪人にも、また偉い物識(し)りにも、なれません。

ただ一つ、メリットといえば、人生に退屈せずに済んだことです。


ただし、実績ではなく、可能性ということに目を向ければ、読書には大きな可能性が秘められています。


私には、まだ知りたいこと、したいことがたくさんあるからです。

それが実現する方向へ手助けをしてくれるのが、この厄介で場所塞ぎだけれども、手許に置いて大事にするべき本の山である、といってよろしいかと思います。


仲良くなった本は、自分をどこかに導いてくれる「先達」にも変身出来る、ということでしょう。


本は借りるのも、まあいいけど


買ってこそだ、とおっしゃる。


興味深くユニークだと思ったのは


読書よりも”体験”が一番、というのは


よくある話。他人の体験を味わえるというが読書


ってこれまたよくある話。ここからが荒俣先生節。


「脳は実物とヴァーチャルを識別しない」と。


「他人の体験も自分の体験のように扱える」、


そこが脳の怖いところだ、とも。深い深い。


さらに、本にまつわる人との悲喜交々が。


荒俣先生の上をいく読書マニアの方や


つのだ☆ひろさんや松岡正剛さんとのエピソードも。


まったくの偶然で松岡さん主催のサイト


閲覧中のWebのタブを開いてて放置中だった。


まさにこのタイミングで読んだこの書は


養老先生が虫屋をあらわす言葉を借りるなら


「感性が近いので感度が拾う状態」かと。


それを人は”シンクロニシティ”と呼ぶのかも。


確か養老先生とも対談されてたな。


余談だけど、松岡さんは存じ上げてましたが


よく知らず、NHKのサブカルチャーの番組


深い示唆を教示されていた哲学者然とされてて


興味が出てググったのでした。


荒俣さんとは関係ないが親交がおありだった


日高敏隆先生とのエピソードも興味深かった


というこの良書とは全然関係ないなあーと思いつつ


今日も暑いのかなー、


早く涼しくなればいいのになあ


と虫の声が微かに聞こえる


秋の初めなのでございます。


 


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