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M・リドレー氏の書から”楽観論”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2013/07/10
  • メディア: 文庫


各章立ての前にその章を象徴するような


文章を引かれているのが印象的。


ドーキンスさん始め三島由紀夫先生や、


多くの作家さんがよくやる手法でもあるけれど。


それを仮に”イントロ”と呼ばせていただくとして


それだけ集めて全体俯瞰してみたら、


何か見えるのだろうかと。


表紙をめくって最初のイントロから


ーーアダム・スミス『国富論』より

分業からじつに多くの利益が得られるのだが、そもそもこの分業が始まったのは、それによって世の中全体が豊かになることを人間の叡智が見越してその実現を意図したからではない。

それほど広範な恩恵に与(あずか)れるなどとは誰も思っていなかった。

分業は、人間の持つ、ある性向(=物事の傾向)のせいで、きわめてゆっくりと、わずかずつではあるが、必然的に達成されたのだ。

それは、物と物とを交換するという性向である。


プロローグ


アイデアが生殖(セックス)するとき


のイントロから


ーーアダム・ファーガソン

『市民社会史』より

ほかの動物の場合、個体は幼少期から成熟期あるいは高齢期へと進みながら、一生のうちに己の本質が到達しうる最高峰をきわめる。

これに対して人間は、個体ばかりではなく種(しゅ)としても進歩を遂げる。

どの世代も、それまでに築かれた土台の上に新たなものを積み上げていくのだ。


第1章 より良い今日


ーー前例なき現在ーー


のイントロから


ーートーマス・バビントン・マコーリー

「サウジーの『対話』の批評」より

私たちが来し方を振り返ったときに進歩しか目に映らないというのに、行く末に目を転じたときに凋落(ちょうらく)しか予測できないとは、これまたいかなる原理に基づいているのか?


第2章 集団的頭脳


ーー20万年前以降の交換と専門化ーー


のイントロから


ーーイアン・マーキュアン

『土曜日』より

彼はシャワーの下に立った。

四階から無理やり送り込まれてくる人口の滝。

この文明が崩壊し、ローマ人たち(今回のローマ人たちが誰であれ)がついに去り、暗黒時代が始まったら、これなど早々に消えてなくなる贅沢の一つだ。

やがて、泥炭(でいたん)の火の脇にしゃがんだ老人たちが、信じられないという顔で耳を傾ける孫たちに語るのだろう。

真冬に裸になって清潔なお湯の噴流を浴びたこと、香りのついた石けんのこと、琥珀色や朱色のどろっとした液体を髪に擦り込んで艶を出し、実際以上にボリュームを持たせたこと、加湿棚に用意されていた、トーガほどもある真っ白な厚手のタオルのこと。


第3章 徳の形成


ーー5万年前以降の物々交換と信頼の規則ーー


のイントロから


ーーニーアル・ファーガソン

『マネーの進化史』より

お金は金属ではない。そこに刻まれた信頼だ。


第4章 90億人を養う


ー一万年前以降の農耕ーー


ーージョナサン・スウィフト

『ガリヴァー旅行記』より

誰であれ、これまでトウモロコシの穂が一本、あるいは草の葉が一枚しか育たなかった土で、2本、あるいは2枚出すことに成功した人は、もっと人類の称賛を受けてしかるべきであり、すべての政治家が束になったもかなわないほど、国に対してきわめて重要な貢献をしている。


第5章 都市の勝利


ーー5000年前以降の交易ーー


ーーP・J・オローク

『国富論解説』より

輸入はクリスマスの朝、輸出は一月に届くマスターカードの請求書。


第6章 マルサスの罠を逃れる


ーー1200年以降の人口ーー


ーーT・R・マルサス

『人口論』より

重大な疑問が今のところ未解決である。

人類はこれから加速度的にこれまで思いもよらなかった無限の向上へと進むのか、それとも、幸福と惨状のあいだを永遠に行ったり来たりすることになるのか。


第7章 奴隷の解放


ーー1700年以降のエネルギーーー


ーースタンレー・ジェヴォンズ

『石炭問題』より

石炭があれば、ほぼどんな偉業も可能である、というより容易である。

石炭がなければ、以前の難儀な貧困にあと戻りだ。


第8章 発明の発明


ーー1800年以降の収穫逓増(ていぞう=少しずつ増えること)ーー


ーートーマス・ジェファーソン

アイザック・マクファーソン宛ての書簡より

私のアイデアに共鳴して受け入れるものがあっても、私のアイデアが減るわけではない。

それは私のロウソクから火をもらうものがあっても、私のロウソクが減らないのと同じである。


第9章 転換期


ーー1900年以降の悲観主義ーー


ーージョン・スチュアート・ミル

人間の「無謬(むびゅう=誤りのないこと)性」に関する演説より

余人が絶望するとき希望に燃える人より、余人が希望を抱くとき絶望する人が広く賢人と讃えられるのを、私は目にしてきた。


第10章 現代の二代悲観主義


ーー2010年以降のアフリカと気候ーー


ーーH・G・ウェルズ

『未来の発見』より

過去のすべての始まりの始まりであり、いま起きていることも、これまでに起きたことも、ひとつ残らず夜明けを告げる。

暁(あかつき)の光にすぎないと信じることは可能だ。


第11章 カタラクシー


ーー2100年に関する合理的な楽観主義ーー


ーーボブ・シール&ジョージ・デイヴィッド・ワイス

「この素晴らしき世界」より

赤ん坊の泣き声を耳にし、その成長を目にする。

この子たちは私よりはるかに多くを学ぶだろう。

そして私は思う。

なんてこの世は素晴らしい!


訳者あとがき


訳者を代表して 柴田裕之


から抜粋


マット・リドレーといえば、『赤の女王』『ゲノムが語る23の物語』『徳の起源』『やわらかな遺伝子』といった、進化や遺伝、社会についての邦訳で、日本でもすでによく知られている。


そのリドレーが、

「過去20年間に、人間とほかの動物の類似性について4冊の本を書いた。だが、本書では人間とほかの動物の違いに取り組む」

と宣言し、

「人間が自らの生き方をこれほど激しく変え続けられる原因はどこにあるのだろう?」

と問い、生物学や進化、歴史、経済などじつに多様な観点に立って著したのが、この『繁栄』だ。

原題はThe Rational Optimist: How Prosperity Evolvesで、そのまま訳すと『合理的な楽観主義者ーー繁栄はどのように進化するか』とでもなろうか(原書や著者についてご興味ある方は、著者の英語サイトをご覧ください)。


過去を振り返るときに人はともすると感傷的になり、昔の良い面や今の悪い面にばかり目が行くが、本書(とくに第1章第9章)に挙げられた膨大な証拠を見ればはっきりする。

そう、答えは、ノーだ。

今は昔に比べて、けっして悪くはない

いや、これほど良い時代はかつてなかった。

人類全体として見れば、世の中は多くの面で確実に改善されている。


では、その進歩の原動力とは何か?

読者はプロローグ冒頭の写真を覚えていらっしゃるだろうか?

あの石斧とマウスの対比が、著者の言わんとしているところを鮮やかに象徴している。

煎じ詰めれば、交換と専門化だ。


その付近にあった石を拾い、自ら加工して仕上げた石斧。

多くの場所から多くの人が集めた多くの材料を、無数の人が蓄積・交換・発展・専門化させてきた知識やテクノロジーを駆使して加工し、仕上げたマウス。

この交換と専門家が人類の発展にどう寄与してきたかを、著者は石器時代から現代まで、証拠を積み重ね、鋭い分析を繰り返し、壮大なスケールで検証する。


その過程で、どれほど多くの知見が得られ、定説や常識が覆され、誤解が解かれることか!

農耕の発展、都市化、人口変動、エネルギー変遷、有益な知識の加速度的生産ーーそのすべてに交換(交易)と専門化が重大な要因として絡んでり、社会の水準の向上に貢献していることが示される。


続いて、未来に目を転じるとどうなるか?

これまでずっと悲観論がもてはやされてきたが、過去になされた悲観的な未来予測の多くは完全に外れた

リドレーに言わせれば過去のたんなる拡大版として未来を予測するから悲観的になる。


知識は無尽蔵で、アイデアや発見、発明が枯渇することなど理論的にもありえない。

これが著者の楽観論を支える最大の理由だ。

交換や専門化が妨げられなければ、良い思いつきがひょっこり生まれたり想像もできないような解決策が出てきたりする。


著者は悲観的なことばかり言う社会で育ったが、気づいてみると、現実には社会は良くなっていた。

だから、世界が良くなると誰も教えてくれなかったことに怒りを覚えていると言う。

そういう背景があったからとはいえ、相変わらず悲観論者が幅を利かせ、楽観論がさげすまされる世の中にあって、堂々と合理的な楽観論を打ち出す著者の勇気と、その楽観論を支える証拠をよくぞこれほどと思うほど集めた努力は、やはり称賛に値する。


本書は今の世を、大きな歴史の流れの中で客観的に見つめ直し、共有や協力、信頼、自由、秩序が普遍化したボトムアップの民主的な世界という未来像を提示して、私たちを元気づけてくれる。


不合理な楽観主義に染まり、これまでたどってきた繁栄への道のりを逆行するのではなく、合理的な楽観主義者として、経済発展やインベーション、変化によって、全人類の生活水準のさらなる向上を目指すべきだという著書の主張は、たとえ異論があろうと真剣に考慮する価値がある。


悲観論の方が、ビジネスになりやすいという


これまた悲観的な事実。


M・リドレーさんはそこが圧倒的に異なるのは


前にも何冊か読んでいたのだけど


今回思ったのは、自分の悪い癖で


なぜそうなのだろう、ということ。


そして、だから自分は自伝や


その人の近くの人が書いた評伝を読み


考察を重ねてしまうのかということ。


それは全くの余談なので、どうでもいいですが


第9章のR・カーソンの件。


本当にレイチェルの予測は外れたと


言えるのかという疑問。


だとしても彼女の功績は少しも曇るものではないが。


それと少し外れるがM・リドレーさんと


翻訳の柴田さんのリレーションシップは


成熟していると言わざるを得ない。


私の度重なる質問に一つひとつ根気良く答えてくれた


っていうのは、なるべく正確に日本の読者に


伝えたいということの現れなのだろうなと。


第10章に日本の人口増加のロジックなどまで


調べ上げて、気候変動の話の時、よく出てくる


IPCC”のバックデータのあやふやさなど


指摘されているのだけど、ここからも


日本が重要なマーケットであると


考えておられるのだろう。


それを”あざとい”などと称する輩もいるかもしれんが


リドレーさんは学者であると同時に作家なんだから


そんなところを気にするんじゃないよ!と言いたい。


って誰も言ってないかもしれないなあ、と


天気の悪い休日の朝、今日は大人しく


本の整理や読書で過ごし


明日は晴れるだろうと楽観的に考えるのでした。


 


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