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柳澤先生の書”生命の奇跡”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


生命の奇跡―DNAから私へ

生命の奇跡―DNAから私へ

  • 作者: 柳澤 桂子  
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1997/07/04
  • メディア: 新書


前回、M・リドレーさん


各章の前に挟み込まれていた


いろんな時代の偉人たちの言葉を


集めてみて全体を俯瞰するというのを


柳澤桂子先生の書でもやってみたく存じます。


「はじめに」と「おわりに」は


柳澤先生ご自身の言葉を引かせていただいて


おります。


それはもう、言葉に尽くせないくらい


でございます。


はじめに から抜粋


年齢を重ねるということは、不思議なことである。

外面的な変化は誰の目にもあきらかであるが、内面的な変化は自分にしかわからない。

私にとって、年をとるということは、「何かがよく見えるようになる」ことであった。


比較的若い時代、おそらく30歳代には、自分と他との関係がよく見えるようになっていくことを強く感じていた。

自分と周囲の人々、自分の空間的な位置、時間との関係、これらのことが次第によく見えるようになっていった。

どこまで見えるようになるのか、おそろしく感じられることもあった。


やがて、見えるものの質が少しづつ変化していくのを感じた

自分との関係の次に見えるようになってきたものは人間そのものであった。


人間の存在、人間の内面、芸術、宗教

これらのものが人類の歴史のなかに位置づけされて、悲しいまでに浮かびあがってきた


人間のかたちはどのようにしてできるか。

生命の歴史のなかで人間はどのようにして生まれたのか。

人間の脳はどのようにしてでき、どのようにして働いているのか。

自己とは何か。

言葉とは何か。

生物学的な死と人間にとっての死とは何か。

芸術とは何か。

科学とは何か。

神とは何か。


これらのテーマについて、生命科学にもとづいて考えたことをできるだけわかりやすく、しかも正確さを失わないように考えていきたいと思う。


第1章 DNAからヒトへ


いとおしく清らかな理想の姿が

私の目と心を捕らえて離さない

彼女の眼差しと声に魅了された

私の全存在をつらぬく何という夢!

(プラウほか/歌劇「ウェルテル」より<訳著者>)


第2章 「火の玉」から「生命の星」へ


星があった。光があった。

空があり、深い闇があった。

終わりなきものがあった。

水、そして、岩があり、

見えないもの、大気があった。

 

雲の下に、緑の樹があった。

樹の下に、息するものらがいた。

息するものらは、心をもち、

生きるものは死ぬことを知った。

一滴の涙から、ことばがそだった。

 

こうして、われわれの物語がそだった。

土とともに。微生物とともに。

人間とは何だろうかという問いとともに。

沈黙があった。

宇宙のすみっこに。

(長田弘/「はじめに…」)


第3章 心が生まれる


光る地面に竹がはえ、

青竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛(せんもう)が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。

(萩原朔太郎/「竹」より)


第4章「私」が生まれる


火星が出てゐる。

 

おれは知らない、

人間が何をせねばならないかを。

おれは知らない、

人間が何を得ようとすべきかを。

おれは思ふ、

人間が天然の一片であり得る事を。

おれは感ずる、

人間が無に等しい故に大である事を。

ああ、おれはみぶるひする、

無に等しい事のたのもしさよ。

無をさへ滅した

必然の瀰漫(びまん)よ。

(高村光太郎/「火星が出てゐる」より)


第5章 言葉が生まれる


わがあゆみゆくところ

ながるる にほいのことばあり

みちほそくして

草たわわなれど

ああ

この わがゆくところ

おほひなる ひとつの言葉あり

(大手拓次/「にほひの言葉」)


第6章 死を思うとき


死はいろいろの言葉で語る

死は歓びの声をもつ

死は天の青春である

死は枝の炎である

死は寂しい夏である

死は一個の卵である

(中村雅夫/「ある価値」より)


第7章 芸術と科学の営み


冬日さす南の窓に坐して蟬を彫る。

乾いて枯れて手に軽いみんみん蟬は

およそ生きの身のいやしさを絶ち、

物をくふ口すらその所在を知らない。

蟬は天平机(てんぴゃうづくゑ)の一角に這ふ。

わたくしは羽を見る。

もろく薄く透明な天のかけら、

この虫類の持つ霊気の翼は

ゆるやかになだれて迫らず、

黒と緑に装ふ甲冑をほのかに包む。

わたくしの刻む檜の肌から

木の香たかく立つて部屋に満ちる。

時処をわすれ時代をわすれ

人をわすれ呼吸をわすれる。

この四畳半と呼びなす仕事場が

天の何処かに浮いているやうだ。

(高村光太郎/「蟬を彫る」)


第8章 人はなぜ祈るのか


鬱蒼としげつた森林の樹木のかげで

ひとつの思想を歩ませながら

仏は蒼明の自然を感じた

どんな瞑想もいきいきとさせ

どんな涅槃にも溶け入るやうな

そんな美しい月夜をみた。

 

「思想は一つの意匠であるか」

仏は月影を踏み行きながら

かれのやさしい心にたづねた。

(萩原朔太郎/「思想は一つの意匠であるか」)


おわりに から抜粋


これからますます科学技術や医学は進歩するであろう。

21世紀は特に脳の科学が進歩して、人間の理解が進むであろう。

その反面、薬で人格をコントロールできる可能性が生じ、社会問題になるのではなかろうか。


人口問題をふくめた南北問題、民族紛争、環境問題など、問題は山積している。

しかし、どの問題をとってみても、一人ひとりの意識が改革されなければ、ほんとうの意味で解決したことにならないと私は考えている。

それは回り道のようではあるが、結局、それしか解決がないと思えるのである。

ここでも、情報の力は強いはずである。


そのような気持ちで、私は今日もペンを執る。

何というはかない歩みであるかと思いながら、私にできることはそれだけしかないのである。


人類はいずれ絶滅するであろう、いつの日かーー。


けれども、その最後の日までに、この地球に生存した生物の一種として、少しでも精神的な高みに登っていてほしいと願う


また、私たちは自分の意志でこの世に生まれてくるのではない

そして、必ず死ぬ運命を負わされている

考えてみれば、これは非常に不合理なことであるが、これからも人間は生まれつづけるであろう。

子どもを産まずにはおけない遺伝情報までもたされているのである。

ここに、生命世界の残酷さがある


100年に満たない人生のなかにはたくさんの喜びもあるが、悲しみも苦しみもある

私達とおなじ運命を負わされ、私たちのあとに生きる人たちが、少しでも幸せな生を送れるように、社会を住みよくしておきたいというのが私の心からの願いである。


大変僭越ではございますが、わたくしも


同意させていただきたく存じます。


この書は素晴らしい”良書”でございます。


以下の著作は柳澤先生がこの書の


参考にされたと書かれておられる。


『生命の神秘』レナルト・ニルソン

ヒトはいつから人間になったか』R・リーキー 馬場悠男訳

記憶は脳のどこにあるのか』酒田英夫

乳幼児の世界』野村庄吾

 

子どもとことば』岡本夏木 


柳澤先生の言葉に触れるとなぜか


謙譲語になってしまうのだよね、自分は。


初版は1997年の世紀末だったため


21世紀を慮っておられる書きっぷりなのですね。


21世紀に入ってから、また直近の


コロナ禍、戦争をどのようにご覧になって


おられるのだろうか。


 


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