②日高先生とローレンツ博士の対談から”無常”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
前回からの続きで
動物雑誌『アニマ』1976年3月号より
歴史は繰り返すか から抜粋
日高▼
その忘れることと関係があるのですが、人間は昔の経験したことを忘れる。
そして歴史は繰り返す、といういいかたがあります。
これはきわめて陳腐なようにも思えますが、必ずしも否定しきれないようにも思えます。
そのへんはどうお考えですか?
ローレンツ▼
さて、それは疑問ですね。
私は歴史そのものが繰り返すとは思っていません。
もし古典物理学が考えたように、宇宙に厳密な因果法則が存在すれば、すべての因果関係を知り尽くしているカント・ラプラスの「精霊」がいて、きたるべきすべての結果を知っているでしょう。
現代物理学では何事も正確には決定されていないことがわかっています。
そして種の進化、系統発生においては、どの段階もすべて歴史的事象であって、決して繰り返しません。
ですから私は、ある個人の人生の中でも何一つ繰り返すことはないとおもいます。
そして、もちろん宇宙論の見地から言えば、これはある帰結を生ずるのですが、私はそれについて語るだけの知識を持っていません。
しかし、アリ・ババ、いや、アリ・ババは御伽話の人物ですね(笑)、ベン・アキバは「かつて起らなかったものは起こらない」と言いました。
私はそれを逆にして、「かつて起こったことは起こらない」と言いたいのです。
これを最初にいった歴史家は私の知る限りでは、アーノルド・トインビーです。
私は多くの点で彼の意見に必ずしも同意しませんが、それをいったのは彼が最初だと思いますし、歴史主義の貧困について、またカール・ポパーも知性あふれた論文を書いています。
日高▼
人間は歴史に学ぼうとしているし、歴史に学ばねばならぬと思っています。
しかし、ぼくにはわれわれが歴史から学ぶことができるとはとうてい思えないのですが…。
ローレンツ▼
次のような諺があります。
「歴史が示すのは、われわれが歴史から学びえないということだ」。
これは悲しいけれども事実です。
人間はしばしば誤ちを繰り返していると思います。
その実例は科学の歴史がいくらでも見せてくれるでしょう。
日高▼
進化のおこるしくみについては、現在、突然変異と自然淘汰で説明されていますし、先生もその立場で考えておられますね。
けれど、一つの種というものはきわめて自己完結的にできあがっていて、現状に適応している。
そのものからまたべつの種ができるプロセスが、それだけで理解できるとはどうも思えません。
これについて先生は、本心というか、ほんとうのところどうお考えですか。
ローレンツ▼
わかりません。
しかし、私は突然変異と自然淘汰だけが進化をひき起こす唯一の要因だというつもりはありません。
けれど、確実にいえるのは、私の系統発生的な研究の経験では、それ以外の要因を考えねばならないような例には、一度もでありませんでした。
ですから結局、私はダーウィン自身よりも、はるかにダーウィン主義者なのかもしれません。
エルンスト・マイヤーもそうですし、その他きわめて多くの遺伝学者、系統学者もみなそうです。
自然淘汰の効果を信ずる理由は多々あるのです。
日高▼
しかし、動物をみているとどうもわからなくなってくるのです。
自然淘汰だけで説明できるのかどうかが…。
ローレンツ▼
私もそうです。
人間はいつも疑問を抱いていますし、科学者は疑問を忘れてはなりません。
あなたもご存知のとおり、私はポパー主義者です。
カール・ポパーは私の子供時代からの友人ですが、認識に関するポパーやドナルド・キャンベルの理論によれば、科学的発見の論理、図形の一致、事実と理論の一致、誤ったものの排除など、すべて人間の認識活動には進化におけると同じ原理が予見されているのです。
科学から哲学へ から抜粋
日高▼
先生も『鏡の背面』で認識の問題を論じられておられますね。
あれは哲学者としての先生を知る上で、たいへん興味深く読みました。
ローレンツ▼
どんな分野の自然科学者も最後には哲学に向かいます。
ハイゼンベルクしかり、ワイゼッカーしかりです。
生物学者も物理学者も最後は哲学者になります。
日高▼
先生は初め医学部に入られ、結局は動物学をおやりになったわけですね。
途中では哲学もおやりになったと聞いています。
先生が動物学者におなりになったいきさつ、そして『鏡の背面』のような本を書かれるにいたったいきさつについて、おうかがいできればと思います。
ローレンツ▼
あの本は全く哲学的です。
どうしてそこにいたったかを、お話ししましょう。
私は父の希望で初め医学を勉強しました。
父はかなり著名な外科医で、私にもそれを望んだのです。
医学の勉強中、ウィーン大学の医学部で、えらい解剖学者のホフシュテッターを知りました。
けれど彼は偉大な比較解剖学者でもあり、秀れた比較発生学者でもありました。
私はこの人のおかげで、今存在している動物の比較から進化の系統樹を再構成する方法論を教えられたのです。
それに私は動物が好きで、動物のことをいろいろ知っていました。
私はごく自然に比較解剖学の方法が行動にも通用でいることに気づいたのです。
要するにそれだけのことです。
ずっと後になって、私は人間の行動に興味を持つようになりました。
そのときに私はカントを読み、大きな影響を受けました。
そして結局、この『鏡の背面』を書くことになりました。
そのきっかけは私が捕虜としてロシアにいたときなのですが、それはまたべつの話になります。
日高▼
日本の若い動物学者にひとことおっしゃってくださいませんか。
ローレンツ▼
一人の老動物学者として若い動物学者たちに言いたいのは、科学とはただものを測ったり、定量化したりするものだとは信じないでほしいということです。
生物学で一番大事なのはまず自分の眼を見開いて、生き物を観察することです。
そして生き物をその環境の中で把え、生物と環境の相互作用を見きわめることです。
そうすれば、人間が自分自身の環境に対して、どんな罪を犯しているかがよくわかるでしょう。
およそ50年前の対談とは思えないほど
悲しいが現代にも通じる文明への警告と
とれるのは自分だけの妄想だろうかね。
最近よく拝読する中村桂子先生にも共通する何か。
ダーウィニズムのことも言及されているけれど、
これはまた別の機会に深掘りしたい。
この対談は日高先生のローレンツ博士の気遣いが窺え
それが今西錦司先生はあまりお気に召さなかった様で。
でもそこが”ジェントル”で”粋”で日高節炸裂に感じた。
ツーショットではないが、写真もありお二人とも
強烈な個性だと感じた。
日高先生40代半ば、ローレンツ博士73歳くらい。
検索しても出てこないし、今の時代として
資料的な価値はないのだろうか。
ぜひ映像も見たいものでございます。
『ソロモンの指輪』から抜粋
コンラート・ローレンツは、今でこそノーベル賞を受賞したオーストラリアの動物行動学者として、日本でもよく知られるようになったが、1950年代にぼくが彼の書いた『ソロモンの指輪』を訳していた頃には、日本ではほとんど知られていなかった。
ローレンツは1903年11月、ウィーン郊外のアルテンベルクに生まれた。
ウィーン大学教授で外科医であった父、アードルフ・ローレンツが、アメリカのある大富豪の手術をして得た莫大なお金で建て増しした、豪華な大邸宅の庭や、近くのドナウ川の川岸にある入江のようなところで、幼いコンラートは毎日動物たちと遊んだ。
夫人のグレーテは、当時動物たちと一緒に遊んだおさな友達である。
この6月(1982年)、ぼくは2年ぶりにローレンツをアルテンベルクに訪ね、今はもうすっかり老夫婦になった二人に会った。
広大な庭の一角に、崩れかかった小屋があった。
「あれが私の最初の動物小屋です」とコンラートはいった。
日高先生のローレンツ博士への謝辞が
横溢している随筆で、縁とか時間とか
無常とかを感じさせる深い随筆でございました。
このほか、追悼の随筆もあり息子トーマスさんや
最愛の妻グレーテさんが亡くなってから
一人になってしまったローレンツ博士を
慮っている様子が窺え、切なくなるので割愛しつつ
本日偶然古本屋さんで、『ソロモンの指輪』の
ハードカバーを見つけて、訳者あとがきを
立ち読みしたのだけど、寄稿された日が
ローレンツ博士の誕生日だったようで、
乾杯と結んでおられた。まだ対談する前のようだから
50年代のいつか、だったのか、
これまた時の流れを感じるなあと。
ここのところ急激に年末感が増してきた
世間がだんだん慌ただしくなってまいりましたため
休日の今日は本屋さん巡り以外は
大人しく家で過ごさせていただきました。
さつまいもを食べながら投稿している次第です。