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M・リドレーさんの書から”中村先生”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


やわらかな遺伝子

やわらかな遺伝子

  • 出版社/メーカー: 紀伊国屋書店
  • 発売日: 2004/04/28
  • メディア: 単行本

M・リドレーを期待されてた方いらしたら、

このブログの読者様、僅少と思うけれど


まずはお詫び申し上げたく存じます。


訳者のお二人のあとがきを読んだら


本文への興味が若干低下してしまった


感じがございまして。


お二人とはこの書の紹介文から抜粋。


中村桂子

1936年生まれ。東京大学理学部化学科卒業。三菱化成生命科学研究所部長、早稲田大学教授などを経て、現在、JT生命誌研究館館長。

ゲノム解読から生命の歴史を読み解く生命誌を提唱。著書に『自己創出する生命』『ゲノムを読む』『生命誌の世界』『「生きもの」感覚で生きる』などがある。


斉藤隆央

1967年生まれ。東京大学工学部工業化学学科卒業。化学メーカー勤務を経て、現在は翻訳業に専念。

訳書にリドレー『ゲノムが語る23の物語』(共訳)、ファーメロ編著『美しくなければならない』、レビー『暗号化』、サックス『タングステンおじさん』などがある。


斉藤さんは初見。


中村桂子先生はかねてより自分が心から


私淑させていただいております柳澤桂子先生や


養老先生との対談を読んだ程度。


この”あとがき”はなんとく中村さんが


主の仕事ではなかろうかと。


訳者あとがき


2004年3月


今年は桜が早そうだというニュースを聞きながら


中村桂子 斉藤隆央


Nature vs Nurture.「生まれか育ちか」という言葉は、英語の場合とくに語呂もよいからだろう、日常語としてしばしば使われてきた。

また、人間を対象とする遺伝学、心理学などの学問の中でも論争のタネであった。

ところで、近年の生命科学研究所がDNA分析を始めたところから、この言葉は、サラリと軽く語ってはいられなくなり、生まれとはなにか、育ちとはなにかを学問の言葉として、より正確に捉え、両者の関係を考える必要が出てきた。


たとえば、死因の上位が、感染症から、がんや心臓病や脳血管疾患に移り、病因を体内に、つまり遺伝子に求めることになってきた結果、ヒトの持つ遺伝子のすべて(ゲノム)を知ることによって病因を徹底的に探り、予防・診断・治療に活用しようという考えが生まれた。


2003年にヒトゲノムの塩基配列解析が終了し、今では、がん、糖尿病、高血圧、アルツハイマー病など多くの病気の遺伝子が解明されている。


1980年代、がん細胞に特有であり、それを導入すると細胞ががん化する遺伝子が、初めて米国で発見された時の、研究者の興奮を今でも思い出す。

10年もすればがんは克服できる…多くの人が考えたが、事はそれほど簡単ではなかった


どの病気についても、それに関係する遺伝子が発見されたからといって、遺伝子と病気が一対一で対応するものではないことがわかってきた(特定の遺伝病を除いて)。

一方で、食べものや運動などいわゆる育ちが病気に及ぼす影響も明らかになりつつある。


近年国が、前述した、がんや糖尿病などの病気を生活習慣病と呼ぶことにしたことでもそれはわかる。

今では、「生まれか育ちか」は、「遺伝子か環境(や生活習慣病)か」という言葉になり、当面は、生まれも育ちも(Nature and Nurture)という、誰もがそうだろうと納得する一方、あいまいとしか言えないところに落ち着いている。


ここで著者の登場である。

Natureが遺伝子として具体的に解明されてきたというのに、生まれも育ちもではあまりにもあたりまえでなさけないではないか。

そこで、研究の現場でなにが起きているかを徹底的に聞き歩いて、両者の関係を明確にしようというわけである。

その結果出てきたのが、本書の原題となっているNature via Nurture,「生まれは育ちを通して」なのである。


この場合、対象は先に例にあげた病気だけではなく、性格、知能など、より複雑なものも含めてのことである。

それにしても、人々はなぜここまですべてのことに結着をつけたいのか私のようにいい加減な人間は、こういう話はどちらもというところがあってもよかろうにと思ってしまうがーーということは本書のよい読者ではないのかもしれないがーー生まれと育ちをめぐる論争は、科学が進歩したがゆえに、以前にも増して盛んであることが本書を読むとよくわかる。


著者のタイトルは考え抜いて、執筆の意図を表現するものを選ぶものであるから、訳書もできるだけそれを生かすのが著者への礼儀だと思うが、今回はあえて「やわらかな遺伝子」という題に決めた。

英語ではNatureとNurtureおよびvsとviaの両方の語呂が洒落た感じを出すのだが、日本語にしてしまうとそれがうまく生きないこと。

生まれという言葉には、すでに遺伝子決定論の匂いがついており、本書で扱っている”環境に対応して柔軟にはたらく遺伝子”というイメージはこの言葉からは生まれそうもないこと。

この二つの理由からである。


遺伝子のやわらかさは、あらゆるところに見てとれる。

研究の現場ではこのことに気づいている人がふえつつあると思うのだが、通常の「遺伝子」のイメージはまだ「○◯の遺伝子」であることが多い。

この本にあげられているたくさんの例から、ぜひ融通無碍(ゆうづうむげ)ともいえる遺伝子の働き方を読み取ってほしい


DNAの二重らせんの発見以来半世紀、生命現象全般、そして最近になってとくに人間の病気や性格や能力などをDNAで解明しようという研究が積み重ねられてきた。

その結果、理解が大いに進んだとも言える一方、これまでの科学の方法でなかでの課題が解けるのだろうかという問いも生まれているように思う。


科学の時代、「生まれか育ちか」という問いを立て、「生まれは育ちを通して」という答えを出すまでの長い物語を綴ってきた著者は、最後を「万歳!」で締めくくっているが本当にそうなのだろうか


そんなことをあまり気にせず暮らしていた頃をなつかしく思い出しながら、著者の基本にある現代科学ですべてが理解できるという信念をそのまま受け止めるのは、ちょっとおあずけにしておきたいという気持ちがある。

生命、人間、宇宙などが研究の対象になってきた今、恐らくそこから新しい知が生まれてくるだろうと思うからだ。


これからの社会での生命観についてはそのような知の探究とそこから得られたことを基盤にしてゆっくり考えていく必要があると思っている。


M・リドレーというサイエンス・ライターは、ていねいな取材で手にした材料を、みごとに料理して、これみよがしではないけれどちょっと洒落た風合いに仕上げてみせる腕を持っており、読んでいて楽しい


著者の考え方に全面的に賛同するか否かは別にしてこのような明確な問題意識を持ち、メッセージを出し続けるライターは、今とても大事な存在だと思っている。

考えるための一級の素材を提供してくれるのだから。


最後に著者を持ち上げられるけれど、


学者である厳しい眼が”訳者あとがき”にも


現れていて本当に素敵です。


優しさはそのまま強さに、


言いたいことは柔らかく。


いや、リドレーさんの本文も素敵で読んでますよ。


かのドーキンスさんの激励文もグッと伝わるし


第9章「遺伝子」の7つの意味なぞ興味炸裂で


深い着眼点や洞察力だあ、と。


実際、夜勤勤務の時にこの書を計2回も持参、


いや、休憩中ですよ、もちろん仕事に支障なき程度に


仕事の質は落とさないように努めつつって感じで…。


でも過日読んだ「進化は万能である」の方が


読みやすいのかなあとか正直思ってしまったことは、


まあいいでしょう。こちらの方が前の出版だし。


余談ですが今日は妻も仕事軽めで


自分は休みだから子供の英語の参考書を購入しに、


その後二人でランチでもした後に


届いている本を取りに図書館に行って参ります。


 


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