立花隆さんの随筆から”ウクライナ戦争”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 立花 隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/12/26
- メディア: Kindle版
クリミア戦争を覚えているか から抜粋
クリミアの編入問題で、ロシアのプーチン大統領がすっかり悪者扱いされている。
アメリカからは、ウクライナの土地ドロボー呼ばわりまでされているが、この問題、それほど単純ではない。
クリミアの住民投票で、圧倒的多数がロシアへの編入を望んでいるという結果が出たし、ロシア議会の議決でも、プーチンのこの決定は圧倒的支持を受けている。
「ロシアとクリミアは共通の歴史を持ち我々の心の中でいつも両者は一体不可分だった」と語るプーチンの40分間にわたるTVの放送演説に、ロシアの人々は涙まで流して聞き入っていた。
日本では、この問題が、もっぱらウクライナ問題の一部として論じられているが、もともと、クリミア問題は、ウクライナ問題の一部ではない。
そもそもウクライナは、ロシア革命以後生まれた国だが、クリミア問題は帝政ロシアの時代からある。
ロシアの啓蒙専制君主として名高いエカテリナ二世がポチョムキン大将の協力の下にタタール系のクリミア汗国を滅してロシア領として併合した(1783)のがはじまりだ。
クリミアを語るなら、本来クリミア戦争から語るべきなのだが、日本人でクリミア戦争を語る者はほとんどいない。
なぜなら、クリミア戦争が起きた年(1853)は、日本にペリーの黒船がやってきた年で、それからしばらくの間、日本人の記憶は日米和親条約とその勅許にまつわる幕末の動乱話がもっぱらになってしまっているからだ。
そもそも日本人には、明治維新以前、世界史という枠組みで、同時代のできごとをながめる視点が存在しなかった。
同時代の外国で、どのようなできごとが起きつつあり、それが同時代の世界ないし日本にどのような影響を及ぼすかを考える視点も材料もなかった。
日本人が、世界の列強諸国との付き合い方を一歩まちがえると、とんでもないしっぺ返しを受けるものだということを身をもって学んだのは、おそらく日清戦争の三国干渉からではないか。
クリミア戦争が起きた当時は、そういうニュースを聞いても、何が何だかさっぱりわからなかったにちがいない。
実はクリミア戦争は、19世紀に起きた最も訳がわからない戦争で、どことどこが何を争って起こした戦争で、どう決着がついたのかも、日本では今もってもうひとつ理解されていない戦争である。
19世紀は、帝国主義の時代と呼ばれる。
ヨーロッパの諸列強が世界各地に植民地を拓いて、帝国を築き、覇権を争い有利な利権分配を求めて世界を分類しあった時代だ。
世界分割が一通り終わったところで、利害の調整問題から、グループにわかれて、世界全体が戦いあう世界大戦が20世紀に二度も起きたことはよく知られる通りだ。
だがこの世界大戦、突然、火のないところに起きたわけではない。
第一次大戦が起こる前に、その前哨戦ともいうべき、もうひとつの世界大戦が起きていた。
それがクリミア戦争である。
別の言い方をすれば、決着が付かなかった小世界大戦(クリミア戦争)を、大々的に展開したのが第一次世界大戦といってもいいのかもしれない。
第一次世界大戦はある意味で、数百年間にわたって中近東世界を支配してきたオスマントルコの崩壊過程でもあったが、その最初のきっかけが、クリミア戦争であったという言い方もできる。
クリミア戦争は、黒海に突き出たクリミア半島をロシアが軍事化し、ここの黒海艦隊を置き、それまでの国会の覇者トルコ艦隊を打ち破ったのがはじまりだ。
それによってロシアは黒海に待望の不凍港(セバストポリ)を持った。
ロシアがトルコに戦争をしかけた主たる理由は、ギリシア正教の庇護者をもって任じているロシアが、トルコ帝国の一部であるキリスト教の聖地エルサレムの、それまでギリシア正教が保持していた管轄権(特にキリストが十字架にかけられたゴルゴタの丘の聖墳墓教会の)を、フランスの求めに応じて、トルコがカトリックに譲り渡してしまったことに異をとなえたからである。
はじめロシアの黒海艦隊がトルコ艦隊を打ち破ったのに、ロシアの強大化を警戒するフランスとイギリスがトルコに加担して、黒海に艦隊をいれ、ロシアの基地セバストポリに軍を上陸させて、壮絶な白兵戦の果てに難攻不落とうたわれたセバストポリ要塞を陥落させた。
この戦争に自ら志願して従軍し実録を書いたのが、19世紀ロシア最大の国民作家トルストイ(当時砲兵少尉)だった。
彼の「セヴァストーポリ物語」は、たちまち大評判になり、早速これを読んだツルゲーネフは友人への手紙に
「『セヴァストーポリ物語』を書いたトルストイの文章ーーーあれは奇跡です。私はあれを読みながら涙を流し、萬歳(ウラア)を叫んだ…」
と激賞した(米川正夫訳昭和16年刊の解説)。
それまでほとんど無名の作家だったトルストイは、これ一作で、たちまち大作家になった。
この作品は、「12月のセヴァストーポリ」「5月のセヴァストーポリ」「8月のセヴァストーポリ」の三部作からなり、それぞれ手法がみなちがう(第一部は特別の主人公もいないルポタージュ。第二部、第三部は多数の登場人物が出る小説だが、それぞれ心理描写法も客観描写法もちがう)という不思議に現代的な作品である。
クリミア戦争から兵器は一層破壊力を増し、戦場は残虐さの度合いを増した。
トルストイさんの作品からの抜粋が
戦場の生々しさを伝えるもので
いくつかここで引かれておられるが
カットさせていただきます。
微に入り細を穿った記述に、戦場の全容が描き尽くされていく。
あらゆる階層の人物が登場し、あらゆる心の内が解剖されていく。
「セヴァストーポリ物語」はロシア人に広く読まれ、この作品を通して、クリミア戦争は万人の体験になった。
これを読むことでロシア人はクリミアと一体化した。
前線を巡閲する大将が、「諸君、死んでもセヴァストーポリを渡すまいぞ」と叫ぶと、兵士達が答える。
「死のう。ウラアー」読者もここで心の中でウラアーと叫んだのだ。
ツルゲーネフのごとく。
しかし結局ロシアは、クリミア戦争で大敗した。
敗北の主因は、イギリス、フランスの先進国に比してロシアの救い難いほどの後進性にあるとロシア人は上(皇帝)から下(庶民)まで自覚した。
そして、官民をあげて、急速な近代化が始まった。
クリミア戦争から15年、1870年には、ロシア中に鉄道が敷かれ、モスクワからセバストポリまでの直通列車すら走るようになった。
社会全体の近代化が、社会の階級構成を変え、社会思想を変えていく。
セバストポリへの直通列車が走るようになってから半世紀もたたないうちに、ロシア革命が起きた。
クリミア戦争百年はとっくにすぎ、今年(2014年)は第一次大戦百年。
もうすぐロシア革命百年だ。
クリミアには百年以上の民族の記憶が詰まっていることを知るべきだ。
この随筆は、今のウクライナ戦争を
単純な侵略戦争ではないのではと
考えさせられる。
とはいえ、とうてい容認できるものでは
ないのは明らか。
じゃなんなのよ。
自分なぞが考えても及びもつかないけれど
考えてしまう。
ロシア国内でも多くの人がプーチンを
支持しているのが、なんとなく分かっていたが
これでさらに少し分かった。
にしても、ロシアは振り上げた拳を
速やかに下げれるような理由を
仲介できる国なのか国とは異なる組織なりが
見つけてあげるしかないと思うし
それを本当は望んでいると思う。
難しい問題を孕んでいるだけに
ハードルがかなり高くリスクある外交だから
誰もやりたがらないのは自明だけれど。
内政干渉ってことでプライドが許容できず
国民も納得できないってことなのか。
内政干渉の件は、昨日もニュースで
タリバンが女性への自由を抑制していることが
報道されていたけれども。
→アメリカ政府がタリバンと協議 女性教育の復活など求める 2023年8月1日
From BBC
今は2023年ですぜ、なんとかならんものなのかな。
人間の感情や情動は普遍だという表れなのか。
余談で言いたいだけだけど
立花さんの読書からの思考はすごい。
トルストイの出世作まで読んでおられる。
トルストイってこういうことしか自分は知らない。
さらに本物の余談、ロシアが近代化を
進めなければ鉄道が敷かれてない可能性あり
(いつかは敷かれただろうけど)
大瀧詠一さんの名曲もうまれてなかったかと
思うと心中複雑なんてのを考えるのは
アホな自分だけだろうなと一笑に付しますな。