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思想と現実(現代偉人たちの言葉から):2022年6月最終日 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

昭和11年(1936年)、正宗白鳥と小林秀雄両氏が、


トルストイの死について見解の違いから


発展した論争がとても興味深い。



正宗白鳥―何云つてやがるんだ ミネルヴァ日本評伝選

正宗白鳥―何云つてやがるんだ ミネルヴァ日本評伝選

  • 作者: 大嶋 仁
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2004/10/10
  • メディア: 単行本

この論争は、「人類の教師」として仰がれ、理想を求めて「家出」をしたと報じられている文豪トルストイが、実はその妻のヒステリーを恐れて家を出たという「人生の真相」にはじまる。

白鳥はトルストイが

「「左の頬を打たれれば右の頬を向けよ」などと原始宗教の教旨を人民に強いながら、自分はヒステリーの老妻のために、肉を剥がれ骨を削られていたのである」

と言った後で、次のようにいう。

 

彼の妻は、多年彼に対して囚人を監視する看守のやうな態度を持していた。

トルストイは彼女の目を離れて、自由に一行の文章を作ることもできなければ、親しい友人と自由な談話を試みることも出来なかった。

トルストイの深夜の冥想をさへ許すまいとするやうに、彼女は真夜中に爪立足して、夫の寝室を扉の隙間から覗くのであった。

(「トルストイについて」昭和11年、1936年)

 

この白鳥の言には辛辣を過ぎて執拗なものがあり、それゆえ若き小林秀雄を苛立たせもしたのだが、どうしてそこまで執拗になれたのか。

小林の解釈では、妻のヒステリーをめぐるトルストイの煩悶は事実であるにせよ、そういうトルストイを揶揄する白鳥の根性はさもしいものだということになるのだが、果たしてそうであろうか。

思うに、白鳥の執拗ぶりには別の理由が含まれている。

トルストイの妻に対する煩悶は、白鳥にとって決して他人事でなかったと推察されるのである。

白鳥がトルストイに自分を投影した、というのではない。

白鳥の妻がトルストイの妻のようにヒステリックだった、というのでもない。

ただ、「偉大」なトルストイといえども、一人の男として妻という異性の強い「感化」のもとにあったということを、白鳥は「人生の真相」として痛感し、そのことをいいたかったと思われるのである。

さらに思い出したいのは、白鳥が人生の真実を文学作品に見つけようとする人ではなく、日常の生活の一々をに究極の答えを見つけようとする人だったということである。

そういう彼にとって、天才も凡才も本質において区別はなく、妻のヒステリーに悩むトルストイも、そのトルストイを不断に悩ませていたであろう妻も、根本において優劣の差はなかったのである。

そういう考え方をする白鳥であればこそ、たとえば次のような考えを述べもした。

 

老妻ソーフィア・アンドレエヴナにしても、孫や曾孫まで数に入れると、28人にもなる大家族をかかへながら、トルストイの空想の犠牲になって無財産の窮境に陥るのを恐れて、極力反抗したのは、人間性として当然のことなのである。(「トルストイについて」)

 

天才崇拝の小林とちがって、白鳥にはトルストイだけでなくトルストイの妻の立場も見えていた。天才ばかりがもてはやされ、その妻は天才の邪魔をしていたかのように言われるのはあまりにも不当ではないか、そういう思いが白鳥にはあったに違いない。

無論、小林のように人間を天才と凡才に区別したがる人間には、こういう白鳥の主張は理解できなかった。白鳥は小林の思い込んだような下司な見方をしていたのではなく、公平無私な立場から見ていたのである。


(中略)

白鳥を知る者には、彼がいかなる偶像崇拝も嫌いで、「天才」トルストイといえども崇める対象にしなかったことは明らかである。

一方の小林は、何がなんでも「天才」の領域を守ろうとした人であり、ここに対立が起こったのである。

小林の書いたものを見るかぎり、彼が「美」を尊ぶ人であり、「美」を「真」や「善」より尊ぶ人であったことは明白である。

日本が戦争に深入りするにつれ、彼は古美術や骨董に埋没し、古典音楽に耽溺していくことになったが、それは彼が審美生活を人生の中心に据える人だったからである。

そういう審美的態度は、白鳥の長い生涯に一度も現れたことはない。

白鳥にとって、人はなぜ生きるのか、死とはなんなのか、人間はどうしてこんなに愚かなのか、そういう問題にしか関心がなかったのである。


「トルストイの大論争」について、吉本隆明氏が


別書籍で書いているので引用です。



「すべてを引き受ける」という思想 (光文社知恵の森文庫)

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  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2018/02/08
  • メディア: 文庫

▼吉本

このトルストイの死については、正宗白鳥と小林秀雄が大論争をしています。

正宗白鳥が、「いくら偉そうな人でも、死ぬときには夫婦喧嘩みたいなことで奥さんに追い出され、駅まで行ったところで倒れて亡くなってしまう。

人生の実相はかくのごときものである」という意味のことを書いたら、小林秀雄が猛然と反発して、

「思想が実生活から生まれることはたしかだけれども、実生活を離脱しなければほんとうの思想とはいえない。トルストイはまさにそういう人だった」

と言い返した。

つまり、トルストイの思想も実生活から出ているが、しかしそこを離脱して、ちゃんと自立した立派な思想になっている。

あなたのように「人生の実相はこうだ」というのはおかしい、といって大論争になったわけです。

若いころのぼくは圧倒的に小林秀雄の見方のほうがいいよと思ってましたけれど、いまは、いや、これはそうとばかりはいえないぞと思います。

正宗白鳥のいう感じが少しわかってきたからです。

老人っていうのはそういうものだよな、と思います。

老人の絶対的な寂しさと、家族や子どもとのあいだに生まれる孤独感、そういう寂しさが二つ重なったらどうしても弱気になっていきます。

トルストイといえども、それを免れなかったんだ、という感慨が湧いてきます。

ただし、正宗白鳥のように「人生の実相はそういうものだ」といって、そこで考えを止めてしまうと言い足しが何もなくなってしまう。

人間がどうしようもない存在になってしまう。

だったら、多田さん(※)のようにどこかに脱出口を見つけて、生きるだけは生きるさというほうが、真っ当な気がします。

※)多田さん=多田富雄さん(日本の免疫学者)病気で倒れ闘病を奥様がされ、一時は自殺を考えたが、生きる望みとして能を観劇したり、その台本を書いたり、それを演じてもらったりすることで生に繋いだということを「脱出口を見つける」として対談者の茂木健一郎氏が挙げていることを指す


「トルストイ」とは関係ないけれど


「思想」と「実生活」の問題、


「実生活」を「現実」とすると、


かの養老孟司先生が興味深いことをおっしゃる。



無思想の発見 (ちくま新書)

無思想の発見 (ちくま新書)

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 新書

思想は現実に干渉してはならない……それがいわば逆に思想の実存性となる。

だから思想とは、「現実無視の空論」であるしかない。

「現実に合う」思想なら、それはただちに「現実化してしまう」からである。

たちまち思想じゃなくなってしまう


「思想」と「現実」、この比較の考えって、


音楽とか芸術で言うところの


「作品」と「プライベート」みたいだな。


一般社会で言うところの


「仕事」と「プライベート」といったところか。


構造は同じだけど、なんか、レベル感は違うよなー。


余談だけど、それぞれ引用した時の


年齢から考えると面白い。


”人となり”みたいなのが出ているのかな。


年齢って時代と共にあるから、


単純に今の価値基準では測れないものあるけれど。


・正宗白鳥 57歳 (大論争中の昭和11年)

・小林秀雄 31歳(大論争中の昭和11年)

・吉本隆明 87歳(2012年対談時)

・養老孟司 69歳(2005年当時)

・トルストイ 没年82歳


若いころの小林秀雄さんの「天才崇拝」って、


大変僭越なんだけどなんか「わかる」。


ある程度年齢がいくと、経験を積むから、


見えるものが違ってくるってことなのかな。


 


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