グールドさんの代表作から疑う事を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2000/03/01
- メディア: 文庫
帯には椎名誠さんも絶賛されている。
1909年、カナダで5億年前の不思議な化石小動物群が発見された。
当初、節足動物と思われたその奇妙奇天烈、妙ちくりんな生きものたちはしかし、既存の分類体系のどこにも収まらず、しかもわれわれが抱く生物進化観に全面的な見直しを迫るものだった……100点以上の珍しい図版を駆使して化石発見と解釈にまつわる緊迫のドラマを再現し、歴史の偶発性と生命の素晴らしさを謳いあげる、進化生物学の騎手グールドの代表作。
序言および謝辞 から抜粋
私のいちばんきらいなスポーツからの例えを使うなら、歴史の本質という、科学が取り組めるものとしてはもっとも幅のある問題へのタックルを敢行したのが本書である。
ただし、ここでは、果敢な中央突破ではなく、じつに驚異的な事例研究の細部を経由してエンドラン攻撃を試みている。
そうするにあたって採用した戦略は、私が一般書を書くときのいつものやり方と同じである。
詳細だけを述べたてても、それほど深くは突っ込めない。
私にはかなわないことだが、詩情をせいいっぱい盛り込んだところで、せいぜいみごとな”自然讃歌(ネイチャー・ライティング)”をものすることができるくらいだからだ。
しかしそうかといって一般性に正面攻撃をかければ、退屈なものか偏向した代物になるのは目に見えている。
自然界の美は細部に宿っている。
理想は、両方のアプローチを兼ね備えていることであり、私が知る最上の戦術は、選りすぐった各論に素晴らしい原理を語らしめるというものである。
私があえて選んだ話題は、あらゆる化石産地のなかでもっとも貴重で重要な、ブリティッシュ・コロンビア州のバージェス頁岩(けつがん)である。
その発見と解釈にまつわる、ほぼ80年間におよぶ人間ドラマは、文字どおりの意味ですばらしい。
軟体性の動物を完璧に保存しているこの最古の動物群を1909年に発見したのは、最高の考古学者にしてアメリカの科学界において最高の権力を握った行政官でもあった人物チャールズ・ドゥーリトル・ウォルコットである。
しかし、伝統的な思考に縛られたウォルコットがその動物群に下した解釈は、生命の歴史に新しい観点を開くことのない陳腐なものだった。
そのため、そこで見つかった比類のない生物たちは大衆の目から遠ざけられてしまった。
生命の歴史を解き明かす手がかりとしては、恐竜をはるかにしのぐというのに。
そして、この仕事は自分しかできだろうと
いうことなのですな。
なかなか興奮されただろうことは想像つく。
このテーマを着想したときは。
最初の文はスポーツに無理くり繋げてるけど
これはドーキンスさんとか他論敵への牽制球なのかな?
それはともかく、人間が傾けた努力や解釈の修正などよりもはるかにすばらしいのが、バージェス頁岩から見つかる生物そのものである。
とくに、正確を期して新たに復元されたそれら生物の常軌を逸した奇妙さがすごい。
五つの眼と前方に突き出た”ノズル”をもつオパビア、当時としては最大の動物で円盤のようなあごをもつ恐ろしい捕食者アノマロカリス、幻覚(ハルーシネイシヨン)という意味の学名にふさわしい形状をしたハルキゲニアなどである。
本書の書名は、二重の驚嘆(ワンダー)の念を込めたものである。
すなわち、生物そのものの美しさに対する驚嘆と、それらが駆り立てた新しい生命観に対する驚嘆である。
オパビニアとその仲間たちは、遠い過去の不思議な驚嘆すべき生物(ワンダフル・ライフ)の一員だった。
それらはまた、歴史における偶発性というテーマを、そのような概念を嫌う科学に押しつけずにはおかない。
それらはまた、歴史における偶発性というテーマを、そのような概念を嫌う科学に押しつけずにおかない。
偶発性が歴史を変えるというのは、アメリカでもっとも愛されている映画の一番
記憶に残るシーンの中心テーマである。
ジェイムズ・スチュアートの守護天使が、彼の登場しない人生の録画テープを見せ、歴史のなかの一見無意味な出来事がその後の歴史にとてつもない影響を持ちうることをまざまざと示す、あのシーンがそれである。
科学は、偶発性という概念を扱いあぐねてきた。
しかし、映画や文学は、常に偶発性の魅力を見出してきた。
映画『素晴らしき哉、人生!』(It’s a Wonderful Life)は、本書の主要なテーマを象徴していると同時に、私が知る限りではもっともみごとに例示している。
その映画は昔の同僚の後輩から
勧められて何年か前に観た。
名作と言われているだけあって単純に面白かった。
あの時代に守護天使がああいう役割で出てくるってのも
びっくりしたのだけど、グールドさんがいうと
もう一度見たくもなりますな。
ちなみに「羅生門」も進化論の本質は
藪の中と言わんばかりに
メタファとして使われていた。
文庫版のための訳者あとがき
渡辺正隆 から抜粋
「バージェス」というキーワードを、インターネットの検索にかけてみる。
するとなんと、バージェス動物の仮装博物館が、日本も含めた世界中にたくさん開設されているではないか。
『ワンダフル・ライフ』日本版が出版された7年前には想像もできなかったことだ。
なぜ、バージェス動物はそれほどまでに人々の関心を呼んでいるのだろう。
最大の理由は、進化の謎解きという要素が楽しめる素材であり、しかもどの生物も見かけが妙ちくりんで、その多くは絶滅して子孫を残していないことかもしれない。
恐竜が人気のある理由として、大きくて絶滅しているからだという見解がある。
バージェス動物の大半は、せいぜい数センチ程度ときわめて小さいが、世に流布しているのは奇怪な生き物の拡大図や拡大写真である。
恐竜はわれわれの想像力を駆り立てるが、バージェス動物も、小粒ながらなかなかどうして、といったところなのだろう。
バージェス動物とは、カナディアンロッキー、スティーヴン山に連なる山系の高度2400メートルの斜面に露出しているカンブリア紀中期の頁岩(けつがん)層(バージェス頁岩)から見つかる化石動物群である。
この動物群のすごいところは、固い殻をもたないため普通ならば化石として残りにくい生物(本書では「軟体性動物」と訳した)が、精緻な構造をとどめた化石として保存されている点である。
しかも、それらの生物が生息していた時期は、さまざまな多細胞生物の爆発的出現(「カンブリア紀の爆発」)が起こった時期の直後にあたる。
したがってこの化石層が見つかったことで、それ以前は固い殻をもつ動物化石(三葉虫など)だけで語られていたカンブリア紀の爆発の規模が、実はもっとすごいものだったことが判明したのだ。
本書『ワンダフル・ライフ』では、バージェス頁岩の発見とバージェス動物のドラマチックな研究史、そして生物の進化劇を解釈するにあたってこの大発見がもつ意味が解き明かされている。
世界的に著名な古生物学者、進化生物学者、著述家であるスティーヴン・ジェイ・グールド博士は、本書を執筆するに至った動機を、自分の専門分野においてなされた大発見の興奮を、一人でも多くの人に知ってもらいたかったからと述べている。
しかしそこにはもう一つ、秘められた意図(公然の秘密?)があった。
それは、生物進化の歴史における個々の生物グループの栄枯盛衰は、必然的な結果ではなく、むしろそのほとんどは偶然のなせるわざだったという自らの進化観、そして科学的な研究は必ずしも客観的な真理の探究ではなく、そこには科学者の主観や先入観の混入も避けがたいという科学観を喧伝する上で、バージェス動物をめぐる物語以上の題材はないとの判断である。
とはいえ、この後新たな発見もあり、
この書の表紙に書かれている
超印象的な動物イラストの
「奇妙奇天烈動物ハルキゲニア」が上下逆さまだったと。
どっちがどうなのかよくわからないけど、静止画だと。
他にもグールドさんは『八匹の子豚』23章、24章で
アップデートしたものをご披露されている模様。
未読ですがそれさえもさらに新しい発見や
誤りもありそうで、なんともはやではございますが。
これら『ワンダフル・ライフ』以後の研究動向とグールドに対する反論に関しては、バージェス見直しの立役者三人衆の一人で、現在はケンブリッジ大学教授となっているサイモン・コンウェイ・モリスの著書『カンブリア紀の怪物たち』(講談社現代新書、1997)に詳しい(ただし、この日本語版のカバーでも、英語版ーーーThe Crucible of Creation,1998ーーーのカバーでも、アノマロカリスはまだ水中を悠然と泳いでいる)。
コンウェイ・モリスといえば、あのハルキゲニアの発見命名者であり(ただしご本人は、Hallucigeniaを英語式に「ハルシジーニア」と発音している)、『ワンダフル・ライフ』の中では、とんだやんちゃ坊主として描かれている御仁(ごじん)である。
彼にしてみれば、とりあえず分類不能動物用の”がらくた箱”に入れておいた妙ちくりん生物を、すべて新しい門かユニークな節足動物として独立させられ、生物の異質性はカンブリア紀の時点が最大で、あとは偶然に翻弄されるままに減少してきたというグールドの進化観に都合の良いように利用されたのだから、おもしろいわけがない。
コンウェイ・モリスに言わせれば、我田引水もいいところだろう。
いきおい、口をついて出る批判も辛辣になるわけである。
しかし、コンウェイ・モリスも述べているように、バージェス動物にはまだまだ正体不明のものが多く残されており、それらの処遇に決着がつくのは当分先のことになりそうである。
また、コンウェイ・モリスの前掲書に関しては『ワンダフル・ライフ』にも批判的な同業者たちから、主張や考え方に独特の癖があって偏っているとか、そもそも最初におまえが分類をまちがえたのが悪い、所属不明動物をやたらにつくりすぎたせいだという批判も寄せられている。
グールドやドーキンス、カール・セーガンなど、ベストセラー作家となった科学者は、やっかみ半分も手伝って、とかく揶揄されがちだが、『ワンダフル・ライフ』のおかげで一躍有名人となったコンウェイ・モリスも、有名税を免られないようだ。
グールドとドーキンスは相反する進化論(グールドは偶発性も重視する断続的進化論者、ドーキンスは自然淘汰の作用を最大限に重視する漸進(ぜんしん)的進化論者)の持ち主で、言わずと知れた宿敵同士である。
そのドーキンスは、最新作(Unweaving the Rainbow,1998)でコンウェイ・モリスの「バージェス本」を賞賛し、『ワンダフル・ライフ』に関しては、科学を語るには詩的創作力も必要だが、これは自らの歪んだ進化論をことさら大げさに謳い上げた悪い詩の典型であると酷評している。
ただし、ドーキンスの進化論にも問題があると評するコンウェイ・モリスは、なるほど食えない御仁である。
なんだかなあ、生物学者さんたちの世界というか。
”生物学者”っても厳密には異なるのかもしれないけど。
いろんな言い分があるのだろうけども。
それをビジネスにしている出版社もいるわけで
それを楽しんでいる輩もいて、
自分もその一人なのかもしれないので
まあ、いいっちゃいいんだけども。
深い世界なのだなあ、と。
ここで新たにコンウェイ・モリスさんという
自分にとっては未知なお方が出てこられまして
悩ましいところですけど。
コンパクトなバージェス本を上梓したコンウェイ・モリスは、『ワンダフル・ライフ』を冗長だと評している。
しかしそうだろうか。
ハルキゲニアやアノマロカリスの化石がいかに復元され、紆余曲折を経ていかにその正体が暴かれたかという研究者の悪戦苦闘の様子まで第三者のペンでビビッドに描かれているからこそ、『ワンダフル・ライフ』は大勢の読者から歓迎されたのではなかったか。
恐竜は、復元図や骨格標本を見るだけですごいが、化石の発見や復元にまつわる研究史を知ると、恐竜への関心はさらに募る。
『ワンダフル・ライフ』は、いまだに読み応えがあるし、読む価値があると思う所以である。
訳者渡辺さんは、1993年に
バージェス頁岩を想い、
聖地巡礼の旅をされたと。
その時の顛末も書籍があれば読んでみたい。
話戻って、グールドさんの書籍は
かなりマニア度が強く全てを読み通すのは
かなりしんどくて、現時点ではできなかった。
それだけが原因の全てではないけれど。
モリスさんの言い分もなんとなく
わかる気もするのだが、
椎名誠さんが絶賛するだけあり
ピュアで愚直なところも興味深く、
他の書籍も読みたくなる。
余談だけど、この本読んで、恐竜って
そんなに魅力的かなあと思いつつも
小さい頃、アメリカだかどこかで
恐竜の卵の化石が見つかったという本を読み
すぐさま近所の草むらに自転車で出かけ
探索していたのは遠い昔であったことを
思い出した次第でございます。