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2つの池田晶子さんの対談から”考える”を考える [’23年以前の”新旧の価値観”]

対談っていうか、話し言葉って


例え編集者の手が加わっていようとも


わかりやすくて、自分は好きで若い頃からよく読む。


その人の考えていること、似た思考の人との対話の中に


いろいろな気づきがあり、そこからさらに横に


リゾームの如く広がっていくとでもいうか。



日本人はどこへゆく: 岸田秀対談集

日本人はどこへゆく: 岸田秀対談集

  • 作者: 岸田 秀
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2005/07/01
  • メディア: 単行本


生きること、考えること 対談者:池田晶子


「ソクラテスの「無知の知」が原点」 


から抜粋


■岸田

人類が科学的な自然観を発達させたのは、

何か理屈を考えて解ると落ち着けるという幻想を

持っているのですかね。

■池田

解るって何が解ることなのか?

■岸田

自分が解ると思えばいいじゃないですか。

なにか理屈をつけて説明して、その説明がなんとなく

納得できれば、それが解るということでしょう。

そのようにいろいろ解らないことが解るようになれば……

■池田

うん、だからその時にナニナニを解った、という対象を

解ることでしょう。そうではなくて、解るということ自体が

そもそもどういうことなのか、何を何で解ると、解るということなるのか。

■岸田

解る、ということは主観的なものでしょうね。

だから自分勝手に世界はかくかくしかじかのものである、

というような幻想的体系を持っていて、その体系に矛

盾なくはめられると、解ったと思うのですね。

■池田

私は、そこで「何が解ったの?」と聞きたくなるのですね。

なぜかというと、存在するということ自体は

絶対不可能だということが解っているからです。

■岸田

不可能なことは不可能だということが

解っていればいいんじゃないですか。

■池田

だからソクラテスの言った「無知の知」というのは

基本の基本、原点はあそこだと思うんです。

解らないことが解った、というのは前に通じるでしょう?

そこが解ると、無性にいろんなことがクリアになるんですよ。

■岸田

それは当然そうなんですけどね。

本来解らないものを、そのうちに解るんじゃないかと

思いながらいろいろ研究するから、こんがらがるわけです。

しかし、こんがらがるほうが好きな人がいるんじゃないですか?

人間の最大の問題は退屈だと思うんですね。

だから生きていることがどういうことかはわからないけれども、

生きていることがどういうことか解らないワカラナイと、

やっていけば、そのうちにわかってくるんじゃないか、

と探求するのも、退屈を紛らすには非常に

いい手段じゃないかと思うんですね。

すべては不可解で解るはずはないとしてしまうと

それは真理かもしれないけど、

することがなくなって困るんじゃないですか?

■池田

それは逆です、考えはじめます

解らないからこそ考えるんですよ。

■岸田

では、なぜ考えるんですか?

どうせ解らないんでしょう。

■池田

考えるということは、答えを求めて

考えるわけではないですよね。

だって、解っていることは考えるはずがないでしょう。

ほとんど妄想的なことを言いますが、

宇宙が存在するということ自体が、

多分そういうことなんですよ。

宇宙そのものが在っちゃった自分に

困惑しているわけですよ。

なんで自分はあるんだろう、と

考え続けることによって宇宙は存在している

だから、考えたい、というよりは考えざるを

得なくなるんですね。考えることによって

自分であるわけだから。

■岸田

そのように考えざるを得ない、というのは

池田さんの趣味じゃないのかな。

万人に妥当する普遍的な必然性とは思えないですね。

■池田

たぶん、ある種の解らなさを見つけて、

ひたすら考え続けている人たちは、

結構かくれていると思うんですね。

ひたすらじーっと考え続けている。

あの人ヘンだねとか言われながら。

なぜ在るのかって問いを所有してしまったなら、

そこでまず絶句しますね。

次にこれなんだ?ということになりますね。

むろん、存在は謎なんだから、

考えても考えなくてもどっちでも同じですけど。

■岸田

どっちでもいいけれど、身体が一つしかないので

どちらかを選ばなければいけない。

というのが人生の最大の難関なんですね。

■池田

それは苦しいでしょうね。


「悩む前に考える」 から抜粋


■岸田

そこで解らないことをなんとかして解った気になりたい。

この女と結婚しようかあの女と結婚しようか、

どっちでもいいんだけど、二人とは結婚できないから、

どちらかを選んで選んだことを納得したい、となる。

本当はどちらかに決めるなんて不可能なんだけど、

決めなければいけない。だから、とりあえず、

コッチを選ぶ。すると、なんだか不安ですから、

なんか理屈をつけて正しい選択をしたんだと思いたい。

解らない事を解ったと主観的に思い込むことが必要なのですね。

■池田

その時、間違ったことに気づいて、

やり直すことはできないんですか?

■岸田

そうなると離婚しなければならなくなるので、

面倒臭いから、大差なければこの女でもいいや、

ってことになって結婚し続ける。

その時俺は正しい選択をしたんだ、と

思うことができれば非常に好都合なわけです。

■池田

別なことを考えるとか、いろいろな選択があると思いますが。

■岸田

間違えて結婚したんじゃないか、と考えるとか、

別の女と結婚した方が良かったんじゃないかと

考えることもあると思いますがね。そのように考え始めると、

どっちがいいというはっきりした証明が

できるわけはないから、いつまでも考えていなければならない。

そこで、女なんて誰でも同じだ、俺の結婚は間違いも

正しいもないんだということにして、考える事をやめようとする。

でも、そのためには、女なんて誰でもみな同じだ、という

結論を正しいとしなければならない。

けど、それもはっきりした証明があるわけは

ないから、キリがない。

■池田

苦しいですね。それは考えるというより、

たんに悩んでいるというべきですね。

■岸田

悩むってのは、堂々巡りしているんですかね?

■池田

そうですよ。考えていないから悩むんですよ。

だから学生には「悩む前に考えなさい」と言うんですけどね。

■岸田

考えても解ることも解らないこともあるんですから、

悩むことと考えることとは本質的な違いがあるのかなあ。

■池田

向きが逆ですから。全然違いますよ。

日常生活であれこれの選択で悩むんだったなら、

そもそも日常生活とは何か、生存するとはどう言うことか、

解っているはずじゃないですか。

■岸田

しかし、そんな解らないことを考えなくても、

人生は金儲けだと言う目的を考えて送る人生も

あり得ると思いますよ。

■池田

あり得ますよね。

そう言う人って悩まないのですから、

それはそれでいいですよね。

死んだらそれまでよ、ですから。

でも、あれこれ悩み始める限りは考えるべきで、

悩まない人は別に考えなくてもいいんですよ。

■岸田

考え始めるとキリがないですから、

考えることって、趣味の一種じゃないですか?

釣りとか競馬とか野球とか……

いろいろありますけれど、考えるのが好きという

趣味もあると思いますがね。ちがいますか?


「自分がなくなるのは怖い」 から抜粋


■池田

考えることが他の趣味とは違うことは、

自分の生死そのものを考えるってことであってね。

それは釣り好きな人でも、大病して死ぬかもしれない

と言う時は、死ぬってどう言うことだ、と考えざるを

得ないはずですから。やっぱりそれとは違うんですね。

可能性としては、あらゆる人の趣味になりうるわけです。

なぜそれに人々が気づかないかが不思議ですね。

みんな死ぬ死ぬと怖がりながら、人生をやっているわけでしょう。

じゃあ、その死ってなんだろうと考えればいいじゃない。

■岸田

死ぬとはどう言うことかを考えると、どうなりますか。

■池田

それが宗教になると、死後は救われる、となっちゃうんです。

そうではなくて、死後があるかないかの前に、

死とは何かが解らなければ死後の問題はあり得ないでしょう?

そうしてひとつひとつ詰めていくと、解りやすいこと

だと思うのですが、みんなはそういかないんですね。

■岸田

なぜみんなは池田さんみたいに考えないんでしょうね?

■池田

不思議ですね。自分が生きているのだから。

考えるのは当たり前だと思うんですけどね。

怖がられる対象かどうかを考えましょうよ、と

言うのですがその前で尻込みしてしまうのかもしれませんね。

■岸田

死と言うものを考えるのが怖いんでしょうね。

■池田

自分がなくなるから怖い。「無」に対する怖さかもしれませんね。

でも、「無」とはないことなんでしょう、というと

禅問答みたいになりますけど。


池田さんって僭越ながら、知らなくて


岸田秀さんの対談で初めて知った。


まったく岸田さんにひるまない。


というか自分の考えを述べてるだけっていう


意識なのだろうな。


相手が先生だろうが、誰だろうが。


なんか引っかかるところ多くて、


まだ書籍は読んでないのだけど。


その流れで養老先生との対談を読む。



生の科学、死の哲学: 養老孟司対談集

生の科学、死の哲学: 養老孟司対談集

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 清流出版
  • 発売日: 2004/07/01
  • メディア: 単行本


「”考える”とは、”言葉”とは何か」から抜粋


■池田

”きちんと考える行為”というのは、ある意味で

筋肉の行為みたいなところがありますね。

普通はそこまでいかないから、”考える”を何か

思い悩むことと勘違いしている。

ちゃんと考えると、すごく健康に「あ、筋肉を使っている」

という感じがするんですけれど。

養老

僕はよく「身体を使え」と言いますね。

つまり「身体を使わないと頭を使えないよ」と。

もともと”考える”というのは身体の動きを

含めて成り立つことだと思うのです。

生まれたばかりの赤ん坊に近い子供は、

当然ものを考えていないと大人は思っていますけれど、

それはたぶん全身で考えているからですね。

一歩歩けば、見えてくるものの姿が違って、

もう一歩歩けばまた違ってくる。

つまり自分で出力して入力して、ぐるぐる回す。

外の世界で考えているわけです。

それがある程度できてくると、一歩動けば、

ものの形や大きさがどう変わるか、

抽象的なルールとしてのみこめてくる。

それが脳みその中に十分入ってくると、

今度は脳の中だけで擬似的に入出力を回すことが

できるようになるから、それが”考える”ということだろうと。

数学者は、今まで外を含めて回っていたものが頭の中で

出して入れて、出して入れてと。

■池田

そういう言い方をすれば、そうでしょうけれど。

でも、私はその手の行為のことは敢えて

”考える”という言葉で言わないのですけれど。

■養老

僕は基本的なものを叙述する枠組みが

理科系になっていますから、そういうふうに説明するのです。

それが根本的には、人文系との自然観の違いなのです。

■池田

私は”考える”という言葉を「本質的な事柄を考える」と

定義して使っていますから「脳の中で回る」と

いう言い方は決してしませんよ。

■養老

人間というのは、同じことをやっても

二通りの説明ができる。

それはもしかしたら”主観”と”客観”。

■池田

そうですね。主観と客観。

見えるもので説明するか、

見えないもので説明するかですね。

■養老

そう。「頭を使え」と「身体を使え」という話は、

ちょうどそれになっている。

「身体を使え」というのは、いわば客観的な説明です。

■池田

見るもので言えばそういうことです。

だけど”脳”という言葉を使えば、

だいたいの人はブツとしての脳を

イメージしてしまうでしょう。

そこは危ないところがあると思うのですよ。

■養老

それはわかります。僕がそう説明するときは、

僕はブツとしてのイメージがあるから。

極端に言えば僕は脳を何千個も扱っていますから。

ところが僕の本を読んでいる人に、脳みそを

触ったことがある人なんて、ほとんどいないわけです。

当然落差がある。

こっちがあまりにも当たり前と思っている感覚が

普通はゼロですから。

誤解しないはずがない。”当たり前”というのが、

いかに人によって違うかということをしみじみ思いますよ。

僕が考えるときというのは、わりあい歩きます

”歩く”と”考えている”はほとんど同時です。

授業では、立ってしゃべる。立つと必ず動くのです。

それできっと会議が嫌いなのです。座った瞬間に頭が

働かなくなってしまう。だから会議中に本を読むのかな。

でも理科系では「言語は身体運動から始まる」という。

■池田

言語が身体運動ですか。どういうお話でしょう。

■養老

結局は、手真似、身振りですね。子供が言語を

身につけるのは身体の動きから。真似すること自体に、

あるいは人の行動自体に反応する

神経細胞があることがわかってきた。

■池田

また神経細胞ですか(笑)。

■養老

そう。これはミラーニューロンと言って非常に

おもしろいのです。なんでわかったかというと、

サルに電極を入れる。

■池田

またもう(笑)。

先生、そんなこと本気で信じているのですか。

■養老

いや、だって事実だもの。

■池田

私は絶対認めません。騙されませんからね(笑)。

だって、「オハヨウゴザイマス」という言葉の意味など、

どこにもないですからね。物質じゃないのだから。

だから、真似して覚えていくしかないというなら、同意します。

■養老

自分が相手のやっていることと同じことをすると、

さらに強く反応する。

そういうことですけれどね。

■池田

それはある状況下で、言葉が与えられたあとの

反応の仕方の話でしょう。

■養老

だから、サルは研究者がアイスクリームを食っていると反応してくる。

■池田

だから、それはサルの場合で。

■養老

いや、人間にもありますよ。

■池田

じゃあ、いちばん初めの場面に言葉の意味というのはどうやって現れたのか。

■養老

その話はないです。

■池田

それが知りたいのですよ。サルの話は措いておいて。

■養老

それはまた別の話でね。……言葉の意味が現れるのは、ご本人の頭の中。

■池田

頭と言いますか、意識ですよね。

意識は頭の中にあるものではないから。

■養老

だから、言葉は、むしろ中間におかれるわけです。

■池田

はい、そうです。

■養老

いまの人はそう思っていない。

■池田

思っていませんね。言葉の意味なんて本当に、先生が「石みたいに動かない」とおっしゃった、その通りですよ。言葉はうごかない。

■養老

言葉は、自分で勝手に動かせると思っている人がほとんどだから。

■池田

そうですね、自分が言葉をしゃべると思っていますが、逆なんです。

「言葉がわれわれによってしゃべっている」。

人文系の表現でそういうのですけれどもね。

■養老

別の言い方をすれば、だからこそ、人文系は成り立つ。自然科学の人はそう思っていませんもの。

■池田

思っていませんね。でも人文系の人だって、言葉は人間の発明ではない、と知っている人は少ないですよ。

■養老

”コミュニケーション”という言葉は、僕は大嫌いだから言わないのです。

■池田

私もそうです。”コミュニケーション”とか、”言葉を道具として使う”という言い方は嘘ですよ。

われわれが使われているのですから。

■養老

ある意味でそうですね。言葉が人と人の間におかれて動かないものだという感覚は、いまの人はほとんど教えられていない。

だから、僕は借金の証文で説明する、「10億円のデフレが続いても、証文は目減りしないだろう」ってね。

■池田

『14歳からの哲学』を書くのでも、全部で30項目を立てて、順番として最初に持ってきたのが

「考える」。

その次に「言葉」です。

■養老

それはどうしてもそうなりますね。

■池田

言葉の不思議ということにまず気がついてもらわないと、世界の不思議には気が付きませんから


いやあ、すごい。池田さん。


「私は騙されませんよ」「サルの話は措いておいて」


だからね。


養老先生がたじろいでるのが痛快。


自分は養老信者みたいなものなんだけど、


たじろがされている知の思考っていうか


こういう視点ってすごく良い。


「考える」「存在する」ってのは


やはり哲学的な命題なのだろうね。


余談だけど、横尾忠則さんと草間彌生さんの


対談でも途中決裂しかかったのがあったけど


それを思い出した。


現場にいた編集者はさぞ汗を


かいていたことだろうねと


全く余計なお世話&思考にとらわれたのでした。


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