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ほんとうの環境問題:養老孟司・池田清彦著(2008年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

 



ほんとうの環境問題

ほんとうの環境問題

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/03/01
  • メディア: 単行本


14年前の2008年、東日本大震災もコロナ禍も


ウクライナ戦争もまだない頃に


環境問題を考察されている書籍。


この後、これらは今年に上梓された著書で


アップデートされることになるのだけど。


2007年時点での、「環境問題」の捉え方が興味深い。


「はじめに 池田清彦」 から抜粋


環境問題とはつまるところ、エネルギーと食料の問題である。

現在の日本の食料自給率は39%。エネルギー自給率は4%。

食料についてはいざとなったら、全国のゴルフ場をイモ畑にすれば、

なんとかしのげるかもしれないが、

エネルギーの自給率が4%ではさすがにどうにもならない。

未来のエネルギーを確保するためにどういう戦略が

必要なのかこそが、日本の命運を左右する問題なのだ。

地球温暖化などという瑣末な問題にかまけているヒマはない。


以下、養老先生の考察文章


「環境について、ほんとに考えるべきこと」


●石油とアメリカ から抜粋


僕は常々、文科系の人が書かない大切なことが

いくつかあると思っています。

そのひとつが、環境問題に関しては、アメリカとは

何かということを考えざるを得ないということです。

実は環境問題とはアメリカの問題なのです。

つまりアメリカ文明の問題です。簡単に言えば

アメリカ文明とは石油文明です。

古代文明は木材文明で、

産業革命時のイギリスは石炭文明ですね。

そしてその後にアメリカが石油文明として

登場するのだけれども、

一般にはそういう定義はされていませんよね。

(略)

石油問題に関しては、アメリカが

世界の中で最も敏感で、

ヨーロッパではそれより鈍かった。

日本のほうはさらに鈍かった。

そして最も鈍かったのが、古代文明を作った

中国でありインドだった。

文明というのは石油なしでも作れるという考えが

頭にあった順から鈍かったということです。

アメリカが戦後一貫して促進してきた自由経済とは、

原油価格一定という枠の中で敬愛活動をやらせることを

その実質としていました。

原油価格が上がってはいけない

というのは、上がった途端にアメリカは

不景気になっちゃうからね。

ものすごく単純な話なんですよ。

自然エネルギーを無限に供給していけば、

経済はひとりでにうまくいっていた。

それを自由経済という美名で

ごまかしてきたのが二十世紀だったわけです。

一人当たりのエネルギー消費では、日米の差は、

僕が大学を辞めるころには二倍あった。

ヨーロッパ人の二倍。

中国の十倍です。

科学の業績などをアメリカが独占するのは

当たり前でしょう。

戦争に強いとか弱いとかにしてもね、

日本は石油がないのに戦争をするのがどれだけ不利だったか、

ということです。それだけのことなのです。

それからこれも文科系の人は書かないことですが、

ヒトラーがソ連に侵入した理由が、歴史の本を読んでも

どうも分からない。

答えは簡単なことで、石油です。

当時もソ連は産油国だったのですよ。

コーカサスの石油が欲しかったから、

ドイツはスターリングラードを攻めた。

そこをはっきり言わないから色々なことがわからない。

日本の場合も、「持たざる国」と言い続けてきたけれど、

根本にあるのは石油、つまりエネルギー問題です。


●文明とエントロピー から抜粋


ですから、環境問題の根本とは、文明というものが

エネルギーに依存しているということです。

そしてそのときに、議論に出ない重要な問題があります。

それは、熱力学の第二法則です。

文明とは社会秩序ですよね。

いまだったら冷暖房完備と

いうけれども、普通の人は夏は暑いから冷房で気持ちいい、

冬は暖房で気持ちがいい

というところで話が止まってしまう。

しかし根本はそうではない。夏だろうが冬だろうが

温度が一定であるという秩序こそが文明にとっては

大切なのだと考えるべきなのです。

しかし秩序をそのように導入すれば、当然のことですが、

どこかにその分のエントロピーが発生する。

それが石油エネルギーの消費者です。

端的に言えば文明とは一つはエネルギーの消費

もう一つは人間を上手に訓練し秩序を導入すること。

この二つによって成り立っていると言えます。

人間自体の訓練で秩序を導入する際のエントロピーは

人間の中で消化されるから、自然には向かいません。

文明は必ずこの両面を持っています


余談だけれど、養老先生が東大を退官したのは


定年まであと3年を残した1995年のこと。27年前か。


いま日米のエネルギーの差はどうなっているのだろう、


想像するだに恐ろしい(というだけじゃなくて調べろよ)。


さらにエントロピーとは、weblioから引くと


「不可逆性や不規則性を含む、特殊な状態を表す概念。


「混沌」を意味。熱力学において、使われ始めた。」


別のページで簡単にいうと「「覆水盆に返らず」と


いう故事と同じ」だと。


僕が代替エネルギーを認めないというのは、

どんな代替エネルギーを使おうが、エントロピー問題には

変わりがないからです。

結論的には、ぼちぼちにエネルギーを使って

人間をぼちぼち訓練するしかないと思う。

それしかない。

いまはちょっと石油に依存がひどすぎます

つまりこっちは適当に我慢し、

適当にエネルギーを使うしかないんですよ。

丸儲けはありえない。

そんなこと、いつだって当たり前だが、

石油文明はそれをごまかしてきた。

ただで秩序が手に入ると、暗黙のうちに約束してきたんです。

(略)

日本のように省エネが進んだ世界モデルのような国が、

この上さらに炭酸ガスを減らせという議論をしている。

何を考えているのかと思う。

日本はこれ以上減らないですよ。

アメリカを半減させる方が先でしょう。

それでアメリカはヨーロッパや日本並みになる。


「●本気で考えていない」 から抜粋


それから、炭酸ガスが蓄積すると

こういうことが起こる、といった予想が

色々とされていますが、自分のところで

計算したのかと問いたいですね。

京都議定書(気候変動に関する

国際連合枠組条約の京都議定書)の後で

環境省が年間一兆円の予算を組んで、

一人当たり1日で一キログラムずつ減らせとか

言っているわけですが、そんなことをする前に、

炭酸ガスが増えたらどうなるのかという計算を

自分たちでするべきですよ。

そこが信用ならなかったら

IPCC(Intergovernmental Panel on

Climate Change=気候変動に関する政府間パネル)も

信用する気にはならない。

シミュレーションは自分でやらなきゃ駄目です。

自分でやって間違えたら訂正する。それが責任を

持つということでしょう。それを他人の予想に

従って動くほど馬鹿なことはない。

世界の科学者の8割はこう言っている、と環境省は

言うわけだけれど、それを言ってはいけない。

商売をやろうとするとき、他人の儲け話を鵜呑みに

する人はいないでしょう。

つまり本気になっていないということです。

そして、ちゃんと考えていないという点では戦前と変わりがない。


「●環境問題とは何か」 から抜粋


環境に関しては、いくつかの部分に

分けて考えることが大切です。

一方の極にあるのは自然環境問題です。

これはいまではほとんどもう話題にもなりません。

昔、「自然保護」と言われましたが、

もうほとんどどうしようもありません。

言っても無駄という感じがします。この時代に

高尾山にトンネルを掘って、自動車を通そうというんだから。

もう一つの問題が、ゴミ問題。これは廃棄物が典型ですね。

それからエネルギー問題。加えてどういうふうにして

生活を暮らしやすくするかという問題です。

それから、いちばん最後に、国家安全保障問題としての、

あるいは世界の安全保障問題としての環境問題がある。

このように、おそらく三つの大きな極がある。

極端に言うと相互に矛盾する場合もあるし、

全体の繋がりとしてきちんと見て判断できる人が

少ないのではないかと思います。

(略)

最近いちばん大きくなっているのは日常に

関わるゴミ問題、あるいは産業廃棄物問題ですね。

加えて石油の値段や灯油の値段などの日常的な

エネルギー問題、いわゆる「エコ」と呼ばれているものです。

その上で、最右翼に安全保障問題があるのです。

ですから、僕は現代社会の問題は環境問題だと言うのです。

なぜかと言えば、それを全部一つのものとして

見なければしょうがないからです。

何か一つだけ見ると言うのでは駄目です。

バランスの問題ですから。

ぼちぼちで行くしかありません。


「環境問題という問題」から抜粋


■池田

(略)

法律というのは、人々がうまく生きていくためにあるはずだった。

いまはそうではない。法律は、それを守るるためにある

ということになってしまっている。

だから本当につまらない些細なことでも

ゴチャゴチャ言って問題化してしまう。

(略)

環境問題に対する日本人の感覚にもそういうところがあって、

何のために環境のことを考えるかということよりも、

環境のための法を守ること自体が大事

というようなことになってしまうんだよね。

そこから外れたことを言うのは許されない感じになってしまう。

■養老

すぐに倫理問題にしてしまう

■池田

外来種排斥問題にしても、例えばいまから外来種の

ブラックバスを排除しようとしたって費用のことは隠して、

効果についてだけしか言わないで、

それで最終的には倫理問題にしてしまう。

それに意を唱えると、

「おまえは外来種がどんどん入ってきてもいいのか」

という言い方を必ずされる。

「非道徳的だ」とか

「モラルがない」という言われ方をしてしまう。

「京都議定書なんて守るだけ無駄だ」

などと言うと、

「炭酸ガスをどんどん出してもいいのか」

と、そんな非難を浴びてしまう。

そう言うことではないんだって。

何にせよ本気で問題に取り組むなら、

何のためにそれをやるのか、

それでどう言う効果があるのかと言うことを

考えてやった方がいいよ。何のためにもならないことを

本来的には人はやらないでしょう。

■養老

「何のため」と言うことで言えば、日本人にとって

かつては中間項が大事な役割を持っていたと思う。

中間項の最たるものが「家」で、かつてあった

「お家の存続のために」というのはわかりやすい。

それがいまでも残っているのが、政治家と同族経営の

会社でしょう。日本人は「家」という中間項を

壊してしまったものの、西洋型のような個人主義に

なれないでいる。かつてあった「お家のために」

というのが、一時は「会社のために」というふうに

なっていたけど、会社もまた

グローバリゼーション云々ということで

リストラを始めたりして、「家」にも

相当していたような中間項ではなくなってきたので、

人々の中での長期見通しが立てづらくなった。

日本人が社会のことを考えるには、ある程度の

長期スパンが必要で、そのためには中間項が

しっかりあった方がいいんですよ。

そうでないと、社会の安定性が保てない。

いま、若い人たちが、

「自分に合った仕事を探している」とか、

わけのわからないことを言って、

仕事をしなくなっているけれど、

そういうのは社会の安定性を阻害しているよね。

■池田

いまの日本は、家にしても会社にしても、

共同体がズタズタになってしまっている。

それで、個人が、中間を飛ばして、自治体とか

政府と結びつこうとしている。

真ん中のバッファがないから、

そういう人たちをコントロールするためには、

瑣末な法律をいっぱい作らなければならなくなったんだよ。

昔の共同体に代わる中間項を、

どうやってうまくつくるかというふうに考えないと、

たしかに、この先、大変かもしれないですね。

■養老

いまなら市民運動だったりNPOだったり、

いろんな中間項のようなものが、あることはある。

でも、それらはまだあまり必然性を伴った形で

上手くできてはいない。


「あとがき 養老孟司」 から抜粋


自然環境について、私は長年、何もいう気にならなかった。

見ていられない。そういう感じだったからである。

本当に目を瞑ってしまったから、中年時代には虫も捕らなかった。

子供の頃から知っていた山野が、その姿を変えてしまうのを、

見たくなかったのである。

いまとなっては、もうほとんどヤケクソ。

(略)

今日だって、たまたまNHKテレビを見ていたら、

アナウンサーが欧州の大企業の社長さん達に会って、

炭酸ガス排出問題について尋ねていた。社長さんは意気揚々、

要するにこれで儲かると踏んでいるのである。

排出権取引というやつ。

オランダやノルウェーが例に出ていたが、

ロイヤル・ダッチ・シェルというのは、どう見ても

オランダ由来の石油メジャーだよね。

ノルウェーは北海油田で儲けているよね。

あんたらが石油を売ってるんだろ。

それが炭酸ガスになるんだよ。

それなら石油節約と大声で言うわけさ。

品薄という評判が高くなって値段は上がるし、

石油の枯渇は伸びるし、いいこと尽くめじゃないか。

念のためだが、日本から石油は出ない。

尖閣沖でも掘りますか。

大会社の社長ともあろうものが、

儲かりもしない仕事に「倫理的に」精を出しますか。

いい加減にせいよ。

そう怒鳴りたくなって、テレビのスイッチを切った。

アル・ゴアは温暖化問題は倫理問題だと述べて、

欧州から褒めてもらった。

ノーベル平和賞。

裏がないわけないでしょ。

世界一炭酸ガスを出しているのは、アメリカなんだから。

ゴアという人は政治家ですよ。

私が住んでいる神奈川県からかつて選出されていた

参議院銀の秦野章は

「政治家に倫理を求めるのは、

八百屋で魚を飼おうとするようなものだ」

と述べた。つまり炭酸ガスを出さないというのは、

倫理なのである。

それなら息を止めて、みんな死んでしまえ。

という風に私はヤケクソなのである。

でも一億玉砕、本土決戦という戦争を、

どちらもなしに通り抜けたし、みんなで棒を持って覆面で

闘う人たちには、エライ目に会わされたから、

大勢でやる政治活動はやりたくない。

そういうわけで、池田さんと二人で、

ブツブツ言うしかないのである。

新潮社もこんな本を出して、

どういうつもりなんだろうなあ。


新潮社さん、こんなことおっしゃられていてよいのでしょうか。


まあ、いいから出版したんだろうな。


しかし、こんな終わり方の「あとがき」ってないよなあー。


この書の主軸テーマじゃないから、まあいいか。


東日本大震災の前の、環境問題について、


お二人の貴重な、2008年時点での見解で面白かった。


いまではCO2と言っているのはこの頃は、


炭酸ガスって呼んでいたのですな。


コーラとかサイダーの会社は焦ってたろうな。


これも、まあ、いいか。


「環境問題」は複雑だから横串で、わかる人が


判断していかないと、っていうことと、


この時点で挙げられていた3点


「自然環境」


「ゴミ問題」


「国家安全保障としての環境問題」


が斬新、というか、これ、いまだにみんな


バラッバラっに考えて、尚且つそれぞれ


利権が発生しているよね。それもこの


コロナ禍でさらに細かく分かれている


気がするんだけど。気のせいかね。


京都議定書の指針となっているのが、


IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)と


いう組織で、政治家が選んだ学者達なので


政治的バイアスがかかっている、


っていうのも知らなかった。


それじゃリアルな仮説立ちようがないし、


立てたとしても、バックデータがあやふやすぎて


よく知らない人しか説得できないよね。


ちょっとキレものとかは何となくわかっちゃうだろし


本当のインテリのこのお二人は言うに及ばず。


全てこの方達の意見を全て鵜呑みに有効に使うのは


難しいのはわかるけど、参考にして戦略とか作り


実行に落として分析、効果検証、改善のぐるぐる回しが


できないものなのだろうか、その音頭を誰か


取れないものなのか、って思ってしまうのは


早計なのだろうかというのを


いつも考えさせられるお二人でした。


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