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3冊(+1記事)の養老孟司・池田清彦先生の対談から [’23年以前の”新旧の価値観”]

年寄りは本気だ: はみ出し日本論 (新潮選書)


年寄りは本気だ: はみ出し日本論 (新潮選書)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/07/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

第8章 日本人の幸せって から抜粋

■養老■

池田君はずっと承認欲求の話をしていたけど、

それも含めて社会は二面性をもっている。

これは哲学者のマルクス・ガブリエルが書いているんだ。

彼はドイツ人だから気づいていると思うんだけど、

一つの側面は、いわばアメリカ流の「生存」で、

生きるか、死ぬかというやつ。単に生存を再生産する、

あるいは、それを賭けて闘争する場が社会だという考え方。

もう一つは、「意味ある人生」のあり方を、

ある程度、社会が決めるという側面。

社会はその二つの側面をもっていて、それが実際に

いろんな社会制度をつくるときの基準にもなっている。

福祉でいえば、「生きていられればいい」というレベルを

保障すればいいのか、それとも「健康にして文化的な生活」を

約束するのか、というふうに。

日本の社会は完全に後者だったんだ。

家制度、家族制度、国家を含めて、人が大勢集まるところに、

何らかの意義や意味を見出していた。そのことのマイナス面を

挙げれば切りがないないけれど、池田君がいう承認欲求は、

少なくともそういう共同体が成り立っている社会では

いられなかったと思う。

メンバー全員が、平等に同じ意義を追求しているわけだから。

でも戦後は個人を強調することでそれを消してきた。

そういう共同体的な目標は、封建的ということでつぶされていった。

その結果が今、まさに出ているんじゃないか。

その意味で、日本社会は戦後、大変な実験をしたと思うんだ。

一つの社会が、1000年以上続いた伝統のかなりの部分を

切って捨てたわけでしょう。

そうして、そこにいた一億近い人たちが、新しい考え方で

生きていけるかどうかの実験をやった。それを主導した人たちは、

自分たちがそんなことをしたとは思っていない。

でも、とにかくそれによって、さまざまな問題が生まれてきた。

それを今、見ている気がする。

今は個人個人がそれぞれ自分で生きる意味を

見つけないといけなくなったわけだけど、

アウシュビッツの強制収容所に入れられて、

『夜と霧』を著した心理学者の

ヴィクトール・E・フランクルが書いているように、

人生の意味は自分の中にはないんだ。


(略)

■池田■

僕は話が通じない相手には、適当にニコニコしてごまかすようにしている。

物理学者のマイケル・ポランニーのお兄さんで、

経済人類学者のカール・ポランニーの名言は

「愚かな人には、ただ頭を下げよ」。

それが僕の座右の銘。

■養老■

僕の座右の銘は「どん底まで落ちたら、掘れ」。

これは、ピーノ・アプリーレという

イタリア人ジャーナリストが書いた

『愚か者ほど出世する』という本に出ていたんだけど。

■池田■

それもいいよね。

もう一つ、僕の座右の銘は

「人生は短い、働いている暇はない」。

これは自分で作ったんだ。

■養老■

名言だよ。正しいことをいっている。(笑)


「まえがき」から養老先生で抜粋


池田はじつに頭の良い人で、なにしろ天下の英才を

集める東大医学部にいた私が言うのだから、

間違いあるまい。

もちろん「良い悪い」を言うには物差しが必要である。

池田の場合はものごとの本質を掴んで、ずばりと表現する。

そこがきわめて爽快である。

しかも理路整然、理屈で池田にケンカを

売る人はほとんどいるまい


「あとがき」から池田先生で抜粋


かつての国民国家は、国民の多くが抱く

同一性(共同幻想)がよく似ていたので、

国家としてのまとまりがよかった反面、

別の同一性で固まった別の国民国家とは、

よく戦争を起こしていた。

現在は、国民国家の上部に

グローバル・キャピタリズムが

国家横断的に被っていて、政治や経済の主体が

国家にあるのか

グローバル・キャピタリズムにあるのか

定かでない状況になっている。

グローバル・キャピタリズムに

乗り遅れたロシアのような国が

十九世紀的な戦争を始める一方で、

グローバル・キャピタリズムはもっと巧妙で

ソフィスティケートされた形で、

世界支配を狙っていて、日本はその

格好の標的にされている。


新潮社が新刊書を紹介している小冊子で


無料配布されていた「(2022年8月号)」から


池田さんの、この本を作ることになった


経緯と心意気にシビレます。


環境問題を考えたらこうなった」から抜粋


養老さんと対談して本にまとめようと話が

持ち上がったのは、4年ほど前のことで、実際

何回か対談をしたのだが、話題が多岐にわたって

なかなか収拾がつかなかった。

そうこうしているうちに、2020年になって

新型コロナウイルスによるパンデミックが始まって、

あまつさえ、養老さんは心筋梗塞で入院。

幸い一命は取りとめたものの、対談の企画は滞ったままだった。

2021年の秋に、パンデミックが小康状態になった頃、

やっと環境問題を軸に対談をまとめようかという

話になったところで、2022年になるや否や、

オミクロン株が大流行し、踵を接してロシアが

ウクライナに侵攻するという驚天動地の事件が勃発した。

これらを踏まえて、急遽追加の対談を行なって、

やっと出来上がったのが

『年寄りは本気だ はみ出し日本論』である。

というわけで、対談は新型コロナのワクチンと

ウクライナ紛争の話から始まる。

感染症や戦争は環境問題ではないだろう、

と思っている方もいるでしょうが、

「人間の活動によってもたらされる災厄」を広義の

環境問題と呼ぶならば、「感染症」や

「戦争」も立派(?)な環境問題なのだ。


(略)

この世界の現象はすべて連続的だ。

ヒトは連続的な現象を恣意的に分節して何らかの同一性を捏造する。

平洋戦争中の日本人の一部は国体を守ために命を懸けた。

国体って国民体育大会じゃないよ。

国体とはそれを守ろうとしている人の頭の中にある概念である。

もっとはっきり言えば妄想である。

おそらく、今のプーチンも「ロシアの国体」を守るべく戦争をしているのだろうと思う。

もちろんそれも妄想である。

私は妄想を馬鹿にしてこのことを言っているのではない。

すべての概念は恣意的に分節された同一性、すなわち究極的には妄想なのだから、人は妄想なしには生きていけない。

問題は同一性が異なることだ。

さらに問題なのは多くの人は自分の同一性こそが

最も正しい同一性だと信じていることだ。

戦争も差別もすべてここに起因する。

世界中のすべての人の同一性をそろえてしまえば、

世界は平和になるだろうが、言語も文化も違うので

それは不可能だし、そもそも、多様性がなくなって面白くない。

せめて、自分が信じる同一性も所詮は妄想だということを理解して、

今の時点で最も合理的な妄想は何か、と考える人が増えたら、

世界は多少は真っ当になるだろう。

この対談からそのことを読み取ってくださるなら、

嬉しい限りである。


コロナ禍、ウクライナ戦争、環境問題、と


直近の時事をもとにお互いの哲学や


情報交換をされ、とても読んでいて


面白い対談でございました。


このお二人は、話がとても通じているのが


よく分かります。


共通言語、共通非言語が多いのだろうなと。


本当のところの仲はわからないけど、


まあ、悪くはないのだろうね、


虫を通しての師弟関係というか


大人になってからの虫の世界に


引き込んだのは池田さんのようで、


感謝してるとおっしゃるくらいだから。


2020年以前のお二人はどのような


感じだったのだろうか、と興味が出て読んでみた。



生の科学、死の哲学―養老孟司対談集

生の科学、死の哲学―養老孟司対談集

  • 作者: 養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 清流出版
  • 発売日: 2004/07/01
  • メディア: 単行本


「暗黙のうちに社会が隠しているもの」から抜粋


■池田

それにしても今の世の中、

「そういうことを考えて、いったいなんの

役に立つのか」という。

 

■養老

お医者は診療報酬がよっぽど大事、という世界。
それは「あるところ以上は考えてはいけない」と、

暗黙のうちに社会が禁止しているのです。

寅さんのセリフの「それを言っちゃあ、おしめェよ」が

たぶん学問で、「大学に塀がある」は私の意見です。

しかし、今は開かれた大学ですから、

「それを言っちゃあ、おしめェよ」を言ってはいけない。

つまり、塀が亡くなってしまった。

塀とは、戦前の日本はとくに学問に対する

政治の干渉があったから、社会が学問に不当な干渉を

することから護るためであるけれど、逆の面がある。

大学は「それを言っちゃあ、おしめェよ」を

いって良いところであって、

そのためには世間と切っておく。

それが大学の塀の意味です。

社会に持ち出したら害があるから、塀の中に入れておく。

 

■池田

私は前からそう思っていましたよ。

私のような者を野放しにしておくと、

革命を起こそうと考えるから、とりあえず塀の中に入れておく。

 

■養老

大学が何か社会的に貢献しなければいけないと

思われているのは、現在の社会を固定しているから

そう思うのです。もし戦前に日本に民主主義の

導入を考えていたら、当然、不逞の輩になった。

いまはものごとを歴史的に、

長い目で見ることができなくなっている時代です。

 

■池田

本質的な意味で保守的になっていますね。

「世の中を変えなければ」「改革しなければ」と言いながらも、

何をしているかと言えば、現在の社会を変えたくない

という願望でみな動いているのです。

教育改革も、改革したら困るから。

改革しないようにしないようにやっているとしか、

私には思えない。

本質的な部分が変われば、何が起こるかわからないから

不安なのでしょう。何かの陰謀なのですよ。

 

■養老

全くそうだと思うのは、ジャーナリズムがそうですよ。

脳死問題にしても、肝心なところを議論したくないがために

いろいろな議論をする。隠しているのです。

 

■池田

こんな話を聞きました。

受験を前にした高校三年生の数学の家庭教師に行ったら、

その生徒は”100引く77”ができない。

計算は計算機任せ、コンビニの支払いはお札で済ます。

「何も生活に困らない」と言うわけです。

だんだんすごい世界になっちゃいますよ。

そう言う人が大学に入ってくるとすると、

私でさえ「教えるのは嫌だよ」と思ってしまう。

 

■養老

私もいまでも覚えている。「もう教えるのは嫌だ」

と思ったのは、メスを、出刃包丁を握るように

突き出して持つ学生が入ってきた時です。

これで手術をやられたら患者さんが殺される。

大学に入ってメスの持ち方を教えるなんて、

おかしいですよ。

「こいつの日常生活はどうなっているのだ」と。

もうだめだと思いました。

 

■池田

家庭で常識を教えるのは当たり前で、それが当たり前で

なくなってしまった。

だから「教育で何とかしろ」と言う話ですね。

やはり確かに何かを隠蔽している。極端に言えば、

その子が大学に入る必要などないわけでしょう。

昔は16、7歳から働いていた。

いま労働すべき人はみな遊んでいます。

老人問題とか言って、働く人が不足して老人ばかり

増えると言うけれども、若い人を働かせないのだもの。

大学院の数ばかり増やしてどうするのだろう。

 

■養老

この前、池田君、怒っていたでしょう。

「円周率が3になった」と言って。

 

■池田

学習指導要領が変わって、2002年度から

小学校で難しいことは教えないらしいけれど、

円周率3の円を描くのは難しいですよ(笑)。

だから、優しくしているのか難しくしているのか、

よくわからないなあ。

(2000年11月収録)


20年以上前の対談だけど、


最近の対談に劣らず、興味深く面白かった。


あまりお変わりないお二人な印象だった。


それにしても、池田さんの直感と、言い切りが


すごいと思ったのは2007年のこの本でもでした。



バカにならない読書術 (朝日新書 72)

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/12
  • メディア: 新書


作家の吉岡忍さんも交えて三人で読書について、鼎談。


「ミステリーといえば」から抜粋。


■吉岡

本と映画の両方で『ダ・ヴィンチ・コード』が

大ヒットしたでしょ。

欧米キリスト教社会の根幹にある問題を

ミステリーとして描くのは、一般市民レベルでも

本格的に宗教離れが始まったということなのかな。

「死海文書」の解読がさかんになったのもその一環だね。

 

■養老

表立って言えなかったことが言えるようになってきたんだ。

死海文書なんて、実際の話自体がほとんどミステリー。

小説の形をとっているけど、出てくる情報量も半端じゃないし、

きっと本当のことをそのまま載せている。

 

■池田

かつて吉本隆明が「マチウ書試論」で

キリストは実在しなかった、と書いた時には

びっくりしたけど、あれは当たりだな。


あまりにもやばくて、コメントは控えさせていただきます。


 


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