SSブログ

[その1] 快楽としての読書 日本篇:丸谷才一著(2012年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)

  • 作者: 丸谷才一
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2023/01/27
  • メディア: Kindle版

■話術と散文

池内紀「諷刺の文学」

注目に値する才人が出現した。
普通、諷刺文学論というのは退屈なものである。
かくいう鹿爪らしい本を書く人が、一体どんな顔で
諷刺文学を読むのだろうと不思議な気がする、それが
読後感の大部分であることが多いものだ。しかし池内紀の
場合は違う。見事な語り口で、古代以来の全ヨーロッパに
わたる、その手の作品を論じるのである。

たとへば彼は、「これは本当の話である」といふ書き出しで、
サモサタのルキアノスが船旅の時に出会った
長さ二百五十キロ(原文ママ)の巨大な鯨の話を紹介する。
彼の船はたちまち鯨の口に呑み込まれ、あたりは一面の闇。
が、おそるおそる眼を開くと、乗組員は死んでいないし、
船は大海を走り、いろいろな船(これもまた呑み込まれたもの)
がゆきかふ。と、前方に広い陸地が現れ、そこには遭難した
さまざまのものが住んでいて、土地を耕したり、
神信心をしたり、戦争したりしている。新参者は武器を
持っていたせいで、たちまち天下を平定し、次いで、
鯨の腹の中の森の一つに火を放って鯨を内側から焼き殺し、
無地救出する。
と、こう語った後で著者はいう。

「これは本当の話である。ーーールキアス作の『本当の話』に
収めされているのだから」

しゃれた話術である。かういう人を喰った藝の持主なら、
諷刺を論ずる資格がある。が、奇譚の筋の紹介や人の
喰い方にだけ長じているわけではない。(中略)
他の十一遍も、あるいはパスカル、あるいは大道藝人、
あるいはナチスとダダイズム、あるいはポルノグラフィと
多様な対象を論じて、おほむねまことに切れ味がいい。
この若いドイツの文学者の勉強ぶりは大したものだ。
しかし、それ以上に感心するのは、文体に活気があって、
小気味よいことである。もちろん資質もある。しかし、
いろいろの本で得た知識をすっかり消化されて、自分のものに
なっているからこそ、これだけ上質の散文で、威勢よく
語ることができるのだろう。(中略)(「週刊朝日」1979年2月)

老人生活の随筆でそのあと名を馳せるとは

70年代には思いもつかなかっただろうな。

池内さんはニーチェなどの翻訳、

ドイツ哲学第一人者でも知られてますからね。

古今東西、博学、軽妙洒脱な

澁澤龍彦さんを思い出す。

■詩文繁盛記

石川淳「文林通信」

近代日本文学に文藝時評という批評の形式があって、
これはどうやら諸外国の文学には存在しないものらしい。
その性格を一口で言ってしまうへば月々の文学事情の
詳細な見取り図で、毎月の小説その他の批評記が主な
内容となり、おほむね新聞に発表される。すなわち
文藝時評とは、日本文学の雑誌中心的なあり方に即応
したくなるものであった。その代表的な執筆陣としては、
戦前の川端康成と戦後の平野謙をあげればよからう。
いづれも、あるいは、あるいは中堅の名声を定め、
あるいはまつたくの新進の推薦をして、ほとんど一国の
文運を指導する趣があった。

石川淳が昭和44年12月から2年間、毎月、朝日新聞に
発表して多大な反響を呼んだ文藝時評(それがこの度
「文林通信」としてまとめられた)は、かふいふ
川端・平野型の文藝時評とははなはだ違ったもので、
さまざまの新機軸に満ちていた。

第一にそれは、日本文学の中心が雑誌ではなくなったと
云う事情を反映して、むしろ単行本に主眼を置く。

第二に、取り上げる作品の数が極端に少なくなり、
1回1点、時としては1作品を2回つづきで論ずる
ことを辞さない。

そして第三に、小説をあつかふ比率が大幅に減り、
批評が仕切りに取り上げられる。

と、ここまでのところ、石川の文藝時評の特色と
してすでに指摘されていることだが、もう一つ
見落としてはならないのが、彼が好んで学者の文章を
あつかうことであった。
哲学者、森有正の感想、中国史の宮崎市定の
「論語」についての指摘、
ドイツ文学者、富士川英郎の「菅茶大和頼山陽」、
さらには英文学の福原麟太郎と中国文学の
吉川幸二郎の往復書簡、国文学者、西郷信綱の
「黄泉の国と根の国」に至るまで、東西の古典に
ついての学究の論考がおびただしく論じられて
いるのである。これは文壇中心、小説中心の
文藝時評の間口を、まことに思ひきりよく
広げたものと言わなければならないだろう。(中略)
(「週刊朝日」1972年7月)

文藝時評が西洋にないとは。 しかも

小説以外を取り上げるっていうのを

石川さんが最初にされたってのはすごい。

石川さんがいなければ雑誌「本の雑誌」や

「ダ・ヴィンチ」も今の形で

成立し得なかったかもしれない。

結果的に文藝時評(評論)って、

自分の勝手な推測だけど「哲学」に

近いのではないかな。

そうすると文芸評論家と言われてる

小林秀雄さんも石川淳さんと同じジャンルに入るのか。

ジャンルなんてどうでもいい派なんだけど

整理する上で 便利なこともあるんで

一概に悪くはいえない。

小林秀雄さんといえばこの時期いつも

思い出す講演会、 桜の「ソメイヨシノ」が

多い日本を蔑むような内容

『小林秀雄講演(1)「文学の雑感」』というCDの

「山桜の美しさ」の中から抜粋で、

生涯研究されていた「本居宣長」さんのことに触れられ、

宣長さんは自分の死ぬときは墓に
「山桜」を植えてくれと遺言されてます。
その遺言状には「山桜」の絵まで描いてあります。
「山桜」でも一流のやつを植えてくれと。
「山桜」ってのは必ず「葉っぱ」と「花」が
一緒に咲くんですよ。

諸君らは、この頃「ソメイヨシノ」ばっかりしかないから
桜は先に「花」が咲いて後から「葉」が出るなんて
思っているだろう。
あんなのは、イッチバン低級な桜なんです。
日本の桜の80%は「ソメイヨシノ」なんです。

ところが「ソメイヨシノ」ってのは
明治にできた種類で昔はなかったんです。

なんでこれが流行ったかっていうと、
あれば一番、植木屋が育てやすかったんです。
植木屋が発明したんです。つまり苗を作るのにね、他の桜の
苗ってのはなかなか揃わないんですよ。ところがね、
「ソメイヨシノ」ってやつはすぐ揃うんです。
栽培しやすいんです。だもんでね、植木屋がああいう新種を
発明しましてね、売ったらみんな「ソメイヨシノ」になっちゃった。
それを後援したのは、文部省です。小学校の校庭にはみんな
「ソメイヨシノ」が植えてあるだろう。
あれ、文部省と植木屋が結託して植えたんです。(会場超爆笑)

すごいこと言うよな。今「山桜」って

知ってる人どれだけいるのか

ってくらい普及してしまってますよ。

さらに余談、永六輔さん、1970年台半ば、

「間(ケン)・尺(シャク)・寸(スン)・分(ブ)・坪(ツボ)」

など 日本古来の尺貫法を廃止する、

国際標準の単位を優先する「何もの」かに

反対運動をされていたらしい。

今ではあまり聞かなくなってしまった。

「mm(ミリ)」「cm(センチ)」「m(メートル)」

と 教わったものな、小学校の時。

こうやって新旧の価値観は交代せざるを

得ないのかもしれない。

(「その2」へつづいちゃいます)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。