日野原重明著:生き方の処方箋(2003年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
デーケン:死は生のエネルギーですか
日野原:そうです。然し現実には井上靖さんでさえ、70歳のお父さんが亡くなった時
「父に死なれてみて、初めて私は父という一枚の屏風で死から遮られていたことを
知ったのである。
・・・父に亡くなられて、私は初めて自分の行手に置かれている死の海面を見た」
というような意味のことを書いている。あれほど感性の優れている作家でさえ、
ややもすると自分の死を考えない、いつの日にか必ず死がくるということを
私たちは忘れているんですね。死というのは人間の身体の一部、その死を身体の芯に
持ちながらどう今日を生きるか、それを考えるのがデーケン先生の
「死への準備期間」でしょう。
余談だけれど、聖路加病院を作るとき、
災害時多くの人を受け入れられるような作りに
日野原さんがされたそうだけど、
周りからは経済合理性から反対されたと。
しかし、95年のオウムのサリン事件時、
多くの被害者を受け入れることが
できて手当をされたということを別の書籍で知った。
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