南方熊楠・水木しげる両先生の”リテレート”を知る [’23年以前の”新旧の価値観”]
過日読んだ熊楠さん関連として
ぜひに読んでみたかったものを読んでみた。
解題ーーなつかしい両生の奇傑の生涯
荒俣宏(博物学者) から抜粋
南方熊楠という人物をひとことで評そうなら、両生の奇傑、これ一語ではあるまいか。
すなわち、文明の窮まるところ倫敦(ロンドン)の学林(アカデミイ)で並いる学者を相手に一歩も退かぬ学術論争をたたかわすと思えば、熊野那智の森での幽霊やひだるを相手にあやかしの呪術合戦に及ぶ。
理性界と幽冥界。
この両方にふかくかかわって、なお、みずからは融通無碍(ゆうずうむげ)。
このような、半分に割いても平然とその生をつらぬけるオオサンショウウオのごとき大妖怪は、明治以後まったくこの大和島(やまとしま)に消息を聞かなかった。
ふつう、幽界に足をつっこめば、理性は溶けてなくなる。
理界に立てば立ったで、霊能は昨夕(ゆうべ)の風邪のようにケロリと吹っ飛ぶ。
まことに両生の知を保ちつづけることは、両刀づかいで千人を斬るよりも至難のわざだ。
いや、もうひとり、わが日本に異数の人物がいたのを忘れていた。
水木しげるさんもまた、妖怪跋扈(ばっこ)するジャングルの人々と、文明世界のリテレートたちとのあいだを行き来できる半理半妖の心やさしい魔王であった。
その水木さんが、逸話と謎に満ちた南方熊楠のどこをどう掬い上げてくれるのか、妖は妖を知るだけに、刮目して待たねばならなかった。
『猫楠』とは、これまたなんとすばらしい迫り方だったろうか。
熊という語は、あまりにも民俗学的な意味を担いすぎていて、熊楠自身、ときには気楽に生きたいと思うこともあったろう。
ハメが外れたときのクマグス、そこに彼の人格の愛らしさ、おかしさがあった。
それを「猫楠」なるタイトルに象徴させたところなどは、まことに心憎い構成である。
また、そのすてきな題名と同時に水木さんが選び出したのが、リテレートなる心踊るキーワードだった。
日本では久しく聞かなかったこの語は、<民間学者>をあらわし、<文士>を意味する。
それもただの学士や文士ではない。
飯の心配にわずらうことなく、学に遊び、しかも人に敬愛の情を抱かせずにおかぬ者。
これならば、ややもすると独善の匂いをただよわすエキセントリックなる語よりも、ずっと熊楠の本質を衝いている。
もちろん、理と識の妖怪は世界の諸相を理解するのではない。
はじめから知っている(リテレート)のだ。
これぞ<脳力>(リテレート)、と断じてよい。
水木さんが描いたのは、そういう妖怪のなつかしい生涯なのである。
解題ーー天真爛漫な森の人
中沢新一(宗教学者)から抜粋
四谷怪談や番長皿屋敷のような、いわゆる都市ものの怪談に出てくる幽霊たちは、人間的な情念が強すぎて、なんとなくうっとうしい感じがしていた。
ところが、水木さんの描く妖怪たちは、情念なんかから解放され、まったくリラックスして、森や川や山や暗がりの生存を、楽しんでいる様子なのである。
なかには、カッとなりやすい奴とか、シツコイ性格の奴とかもいるけれど、そういう性格なら、動物の間にも、よく見かけることができる。
妖怪は完全に自然にフィットして生きている。
ユーモアが好きで(リラックスしている者は、誰だって卑猥なことが好きだ)、それに、純粋で、大のお人好しだ。
だから、僕は南方熊楠という人物がマンガになる時には、ぜひ水木さんに、この難しいテーマと取り組んでもらいたいもの、と思い続けてきたのだ。
南方熊楠という天才が、まさに水木さんの描き続けてきた妖怪たちと、同じような世界を生きたからである。
熊楠は、日本の自然の、もっとも奥深い神秘と親しくおつきあいしながら、あのユニークな思想を育てた人物である。
森の中にいると、彼はリラックスして、脳力という超能力が、フル回転し出した。
霊能者と同じように、幽体離脱したり、見えないものが見えるようになった。
町の中にあっても、天真爛漫な妖怪たちみたいに、すっ裸でその大ふぐりを風に揺らしながら歩いた。
卑猥な冗談がなによりも大好きで、まじめな論文の中でも、しょっちゅう猥談をかました。
彼は森の人として、日本の妖怪たちの世界を熟知していた。
そういう南方熊楠を描ける人といったら、それこそ水木しげるさん以外には、考えられないのである。
あとがきーー幸福学上よりみたる熊楠
水木しげる(幸福観察学会会長)
人生は”有限”のものである。
その有限の中で、人はどれだけ”幸福”であったのか、というのが、幸福観察学会(目下会員は一人)の研究テーマである。
奇人・南方熊楠氏は、若い時は誰のいうこともきかず、自分の思い通りの生活に進んだ。
長じて、リテレート(文士)なる生活、即ち”金”のために働かないという生活方法で、この人生の荒波を乗り切ろうとするわけだが、どうも晩年には、それがうまくいかず苦しむわけだ。
地上に生まれて、”エサ”を求めて歩き回るのが、生命をもつものの宿命なのだが、熊楠は、それをあまりやらず、自分の好きな”道”を驀(ばく)進した。
これは幸福なことで、人のこととか、家族のことなんか考えると、なかなかできないことだ。
また彼は、一生”童心”を失わなかった。
彼の行動をみると、昔のガキ大将を思い出すようなことばかりだ。
いずれにしても、名利にうとい人だけに、その”学問”はなかなか味わい深いものがある。
熊楠さんの印象はこの前の書から
変わってきたのだけどさらにまた変わる。
大英博物館勤務時代の豪胆っぷりは
めちゃくちゃすぎて、イカれすぎだろうとか。
ここまでの変人だったのだろうかという
疑問とともに、だとして
”スピリチュアル”なものとも通じていたのかも
と思ったり、だから水木さんなのか、と
中沢先生の解題に納得したり。
さらに考察を深めるために、
10年以上前に購入して以来
久しぶりに以下のも閲覧でございます。
ほとんど内容を忘れていた。
水木さん84歳の時の日常生活を
追ったTVプログラム。
調布にある自宅から事務所、蔵書倉庫へ密着、
奥様や関係者のコメントもあり。
最大の目玉は荒俣宏さんと二人で
パブア・ニューギニアまで行かれている。
そのときの表情はイキイキとされていて
日本にいる時の沈んだものとは異なるのが印象的。
熊楠さんとも共通するものを感じる。
普通では見えていないものが見えているかの
なんと言えばいいのか形容ができない人物で。
10年前に観た時とはかなり異なる感想が
湧き上がりつつ、昔の8ミリ映像も途中で
挟み込まれていたのだけど
ああ、昭和40年代はこんなだったなあ、とか
奥さん大変だったろうなあ、
家族は大切にしないとなあとか
感じ入る中、妻が具合悪いので夕食は外でと思い
バッテリー上がりの車が戻ってきたので
これから家族で出掛ける予定でございます。