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グールドさんの随筆から”遺伝子”と”環境”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


嵐のなかのハリネズミ

嵐のなかのハリネズミ

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1991/08/01
  • メディア: 単行本

 から抜粋

書物は、学者としてのわれわれの生活の源泉であり中心である。

そのような源泉に対する論評は、できるかぎり発展的で啓発的なものであらねばならない。

それが、学問の基礎をなす生産物を尊重している証しというものである。

ところが、実に多くの書評が、狭量で、衒学的で、近視眼的かつ画一的である(これらカ行の言葉に限らず、読者は、たとえば偏狭で、平凡で、不満たらたらといったハ行の言葉を並べることも可能なはずである)。

そのせいで、尊敬に値するジャンルであるべきものが、恐ろしく鼻持ちならないものといしょくたにされている。

その事実は私を打ちのめすが、この悲しむべき状況を逆転させる望みがないわけでもない。

他人の著作に対する論評が、エッセーの領域に入ってもいいはずである。


私は、一貫性は純粋な天恵であるとか、錯綜したこの世における美徳たり得るものだとは考えない。

それは、使い古された(それでいて基本的には説明不能な)アフォリズムにおけるハリネズミの役割を引き受けさせるものである。

それはそもそもアルキロコスに帰せられるアフォリズムなのだが、エラスムスからアイザイア・バーリンにいたる知識人たちによって時代を超えて伝えられてきたものである。

「キツネはたくさんのことを知っているが、ハリネズミは大事なことを一つ知っている」。

多様で危険に満ちた世界にあっては、キツネが備えている融通性の方が大きな利点かもしれない。

例えばコルテスやピサロといった、歴史の中の実在のハリネズミたちが、近代的な破壊の技術を手にしていたなら、何をしでかしていたか考えてみるがいい。


私は、夏はジョーンズ・ビーチで泳ぎ、古無脊椎動物学を専攻したニューヨーカーとして、海の生物に偏執的な愛着を抱いている。

かねがね私は、英語でウニのことをなぜ「海のわんぱく坊主(シー・アーチン)」と呼ぶのか不思議に思ってきた。

ウニと街路にたむろするいたずらっ子たちとでは、どこも似てないではないか。

ウニがそう呼ばれる理由がわかったのは、ヨーロッパではハリネズミが「わんぱく坊主(アーチン)」と呼ばれており、球形でトゲのはえたウニの姿が、ハリネズミの防御姿勢とそっくりだということを知ったあとのことだった。


書名にある「嵐」は、あきらかに否定的な意味を持つものである。

しかし、丸くなるというハリネズミのやり方は、退却や降伏ではない。

敵に対してはがんじょうな背中側を見せ、鋭い針を立て続けつつも、危険が去ればふたたび体を伸ばしてすばらしい陽射しを全身に浴びるのである。


書名については、”訳者あとがき”でも


解説というか元ネタがございます。


グールドさんのこれだけだと


いまいち分かりにくいような。


いったん、グールドさんの書評というか


エッセーでございます。


 


第3部 生物学的決定論


第7章 頭脳の遺伝子


チャールズ・L・ラムズデン、エドワード・O・ウィルソン著


『プロメテウスの火ーーー精神の起源についての考察』


(邦題『精神の起源について』、思索社)に対する書評


から抜粋


大発見には、大言壮語(たいげんそうご)が添えらえて然るべきである。

アルキメデスがシラクサの通りを走り抜けながら「ユリーカ」と叫んだことや、てこの支点をすえる場所さえあれば地球を動かしてみせるとうそぶいたことに、誰が異を唱えるだろう。

しかし、大言壮語は、意識的か否かにかかわらず、失敗を隠蔽するためになされる場合のほうがはるかに多い。

意識的になされる場合、その策略は厚顔無恥もはなはだしいと言うべきだ。

無意識になされる場合には虚な響きがする。


ラムズデンとウィルソンの共著の書名とその内容は、無意識になされた失敗を物語っている。

彼らは、人類の精神の起源後の歴史を理解する鍵、人類進化にとっての”プロメテウスの火”を発見したと主張し、次のように宣言している。

その鍵は

「われわれが遺伝子と文化の共進化と 名付けた、ほとんど未知の進化過程である。それは、生物学的な指令によって文化が生み出されかたちづくられる一方で、文化的な革新に呼応した遺伝的進化によって生物学的な特性も同時に変更されるという、複雑で魅惑的な相互作用なのである」。


ウィルソンが1975年に著した『社会生物学』の最終章で提唱された人間社会生物学は、乱暴な遺伝的決定論を採ることで文化を無視したと言う批判を浴びた。

それに応える形でラムズデンとウィルソンは文化を発見し、人間の精神の進化にまつわる本質をすベて説明するために、正のフィードバック・ループを構成する半分の要素として文化ーーー残る半分の要素は遺伝学ーーーを用いている。


要するに、われわれ人類の歴史と現状を規定する三つの重要な観点と言えるかもしれないことがらが、この、ちっとも異例ではないーーーしかも新しくもないーーー進化様式で説明できると言うことを長々と論じた書が『プロメテウスの火』なのである。

その重要な観点とは次の三つである。


ラムズデンとウィルソンの重要な観点その01
人類の進化の歴史において精神を起源させる引き金となったのが、遺伝子と文化の共進化だった。それによって、生命の歴史における主要な出来事のなかでも、おそらく他に類例を見ないほどの速度で脳の大型化という進化が促進された。

ラムズデンとウィルソンの重要な観点その02
重要な人間行動の普遍的側面の多くは遺伝的基盤に根ざしており、文化に制約を加える後成的規則を提供している。

ラムズデンとウィルソンの重要な観点その03
人類文化のあいだに見られる差異は、比較的最近に起源し、往々にして表面的なものを考えられてはいるが、遺伝的影響をまぬがれてはいない。それは、遺伝子と文化の共進化という効果的な過程によって形成されているか、少なくともその強い影響を受けているのがふつうである。

野望を高く掲げたラムズデンとウィルソンにとっては残念なことに、第一の観点は確かに正しい指摘ではあるが、彼らがはじめて提唱した考え方ではない。

それは、ダーウィン以来、精神は進化によってどのように起源したかをめぐる推測の中核をなす考え方だった。

第二の観点も異論のないところではあるが、少なくとも現時点でわかっている例に関してはありふれた指摘である。

それに対して第三の観点は異論の多い指摘であり、確証されれば革命的な発見とさえ言えるが、それが全般的に見られる現象であるというのはもちろん、その現象が多く見られるという主張さえ、ほぼ間違いなく誤りである。


すごい一刀両断っぷり。


かのウィルソン氏でさえも。


というか自分の自信ある分野なら


誰であろうとも、ということで


かつウィルソンさんは知らない仲では


ないわけだからね。


私は、”氏(天性)か育ち(環境)か”大論争においては、”育ち派”と見なされている。

しかし、私は、人間の行動が生物学的な影響を受けているという考え方に大騒ぎする理由など何もないと思っている。

ただ、すでにいろいろな人たちが幾度となく繰り返してきたことではあるが、このことだけは今一度はっきりとさせておくべきだろう。

すなわち、このカテゴリーはばかげており、”氏か育ちか”論争なるものなど存在しないのだ。


人間の社会行動は生物学的影響と社会的影響が分かちがたく複雑に混じり合ったものであるということは、すべての科学者にとどまらず、良識を備えた人なら誰もが知っていることである。


氏と育ちのうちいったいどちらが人間の行動を決定するのかということが問題なのではない。

この二つは不可分なものだからだ。

社会組織がとりうる形態に生物学的資質が課す約束の程度、強さ、性質が問題なのである。


生物学的な普遍性が存在することは誰も疑わない。

われわれ人間は眠り、食べ、年を取らねばならないし、子づくりを断念したいとは思わない。

人間社会の制度のほぼすべては、そうした避けられない命令の影響を受けている。

従って、ラムズデンとウィルソンが列挙している命令の簡単なリストも、彼らが規定した後成的規則の細目も、”氏派”偏重の弁護や社会生物学の擁護とはならない。

そうではなく我々が問うべきは、普遍的と特定できるものはどのようにして形をなし、拘束を課しているのかである。

少なくともラムズデンとウィルソンが列挙したリストから得られる答えでは、まったくだめである。

そういうわけで私は、社会的行動の決定要素としてことさら遺伝を引き合いに出す彼らのやり方を、ありふれた、論じるに値しないものと見なしている。


いや、そうだとしたら書評しないだろう。


これは論じているうちに入らないということなのか?


近親憎悪みたいなものなのだろうか。


社会生物学の前提 から抜粋


細分化と適応論に部はこれだけの致命的な欠陥があるにもかかわらず、ラムズデンとウィルソンは、社会生物学社としての自分たちの将来になおも自信を持っているようである。

彼らは次のように書いている。


人間社会生物学は、初期の分子生物学とほぼ同じ立場である。

すなわち、鍵となるメカニズムがいくつか特定され、基本的な現象を以前よりも正確な新しいやり方で説明できるだけの状態にある。

この分野はいまだ未熟な状態にあるが、生物学と文化の両方を考慮に入れなければならないとしたら、これが進むべき唯一の道であるように思える。


私には、ラムズデンとウィルソンは分子生物学と人間社会生物学との決定的な違いを見落としているように思える

分子生物学にとって、還元論的な研究プログラムは実際にうまく機能したし、大成功を収めた(ただし、ゲノム全体の凝集力を考える段になって、今や限界にぶつかっている)。

早い話、分子生物学はその大部分が化学である

しかし、化学では通用する還元論的なやり方は、人間の文化に関してはうまくいなかいだろう。

恋に落ちることを化学反応の一形式として説明するにしても、それは隠喩として語っているだけである。

それは、詩人にとっても科学者にとっても大きな間違いである。


訳者あとがき


渡辺正隆 1991年7月 から抜粋


いささか異色なことではあるが、本書は書評集である。

しかし、安直な新刊案内を寄せ集めたものと早合点していただきたくない。

ここに集められているのは、いずれも書評に名を借りたエッセーだからである。


著者であるハーヴァード大学比較動物学博物館教授スティーヴン・ジェイ・グールドの科学エッセーの邦訳は、すでに4冊が早川書房から出版されている。


ダーウィン以来』『パンダの親指』『ニワトリの歯』『フラミンゴの微笑』の4冊である。


本書の『嵐のなかのハリネズミ』という書名について触れておくべきだろう。

著書の序でも述べられているように、これはギリシア時代の詩人アルキロコスの詩の断片として知られている「キツネはたくさんのことを知っているが、ハリネズミは大事なことを一つ知っている」ということばに由来している。

この謎めいた断章については、古来さまざまな解釈があるらしいのだが、グールドが書名の由来をこのアフォリズムに求めるにあたっては、1909年にラトヴィアに生まれ、オックスフォード大学に学んでそこの教授となった政治哲学者アイザイア・バーリンの1953年の著書The Hedgehog and fox(『ハリねずみと狐』1973年)という著書に負うところが大きい。


この本には、「トルストイの歴史観をめぐるエッセー」という副題が付されており、『戦争と平和』に見るトルストイの歴史哲学を考察した小著である。

その中でバーリンは、作家、思想家、人間一般をハリネズミ族とキツネ族に分類し、「いっさいのことをただ一つの基本的ヴィジョン、いくらか論理的に、またはいくらな明確に表明された体系に関連させ、それによって理解し考え感じるような人々

ーーーただ一つの普遍的な組織原理によってのみ、彼えらの存在と彼らのいっていることがはじめて意味を持つ」(引用はすべて日本版の河合秀和氏の訳文による)人々が前者で、

「しばしば無関係でときには互いに矛盾している多くの目的、もし関連しているとしてもただ事実として、何らかの心理的ないし生理的な理由で関連しているだけで、道徳的、美的な原則によって関係させられていない多くの目的を追求する人々」が後者であると定義している。


そして大胆な二分法を適用するならば、

ダンテ、プラトン、ルクレティウス、パスカル、ヘーゲル、ドストエフスキー、ニーチェ、イプセン、プルーストがハリネズミ族、

ヘロトドス、アリストテレス、モンテーニュ、エラスムス、モリエール、ゲーテ、プーシキン、バルザック、ジョイスがキツネ族だとしている。

では、トルストイはどちらなのか。


バーリンがこの本で提出している仮説は、トルストイは本来はキツネだったのに、自分はハリネズミであると信じていた、というものである。


グールド自身はみずからハリネズミを自認し、生物界の多様性とそれを生んだ進化の歴史的偶然性を一貫して尊重し続けると同時に、遺伝的決定論、適応万能論、通俗的社会生物学、還元主義などに頑なに異を唱え続けている。

吹き荒れる嵐の中で、ただただ身を固くして針を立て続けているハリネズミに自分のイメージを重ねた結果が、この書名というわけである。


また、原題ではハリネズミという単語にUrchinをあて、それよりも一般的でバーリンの書名にも使われているHedgehogを使っていないのは、前者の単語には「わんぱく坊主」という意味があることを踏まえた上でのようだ。


バーリンさんの二分法が面白い。


グールドさんはハリネズミか、


ならばドーキンスはキツネなのか。


おおやけにはそう見えるかもしれないけど


結局二人は同じ、ハリネズミなのだろうなと。


余談だけど、自分はどちらだろうかと考える。


曰く言い難しではあるけれど、自分は多分


キツネに強烈に憧れている


ハリネズミなんだろうなあ、と


夜勤明け、頭が少し痛いけれど


早く朝食とって風呂洗いしないと


トイレ掃除は一昨日やってますので


ってどうでもいいこと報告しております。


 


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