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米原万里さんの小説から世界平和を祈願 [’23年以前の”新旧の価値観”]

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)


嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2012/09/01
  • メディア: Kindle版

養老先生が薦めておられたので読んでみた。


プラハのソビエト学校に通う日本人マリと


ルーマニア人のアーニャの交流


家族たちの話。


気になった箇所をピックアップ。


The Pen is mighter than sword.

(ペンは剣より強し)

ーーー言論は、武力では抑え込めないものだ、という趣旨のこの有名な成句は、イギリスの政治家で、小説家、劇作家でもあったジョージ・ブルワー・リットンが、その戯曲「リシュリュー」のなかで、用いてから、たちまち広まった。

ところが、この名文句を、ロシア人が口にするのを聞いたことがない。

どうやら、ほぼ同じような意味のロシア古来の次の諺(ことわざ)の方が人口に膾炙(かいしゃ)しているせいかと思われる。

что написано пером, нельзя вырубить топором

(ペンで書かれたものは、斧では切り取れないよ)

斧というところに、何かほのぼのとした生活臭が感じ取れる。

そして、この慣用句は、「武力に対する言論の優位」という意味もさることながら、もう一つ、「筆禍は取り返しがつかない」という意味に使うことが多い。


日本語学校の習性で、つい正式ノートに鉛筆で書き込んでしまう私に向かって、数学の先生も、ロシア語の先生も諭した。

「マリ、一度ペンで書き込んでしまったものは、斧でも切り取れないのよ。

だからこそ、価値があるの。

すぐに消しゴムで消せる鉛筆書きのものを他人の目に晒すなんて、無礼千万この上ないことなんですよ」


よくアーニャとプラハの街を散歩したものだが、時々、悪ガキどもにはやし立てられることがある。

「やーい、チンヤンカ(中国人)、チンヤンカ」

そんなとき、アーニャはカンカンになって怒り、相手がどんなに大人数でも立ち向かって行って蹴散らしてくれる。

そして、心配そうに私の顔をのぞき込んで慰めてくれる。

「マリ、気にしちゃ駄目よ。人種差別ほど下劣な感情はないんだから」


幼少期をマリはプラハで過ごすが


やがて母国日本に戻り社会人・通訳の仕事に就く。


その後、出張でルーマニアを


訪問したマリは、街にいる人たちの不安げな


表情や風景から違和を感じる。


払拭されたはずの独裁政権の影、


人種差別の名残等など。


そんな中、息抜きとして


ホテルの近くにある世界で唯一の


イディッシュ・ユダヤ系の劇場は


古びて汚れてしまっているとはいえ


残され現役で存在、その時の演目


ミュージカルを観劇。


ユダヤ人に優遇的ではなかった、


独裁政権が劇場を容認していたことの意外性を


伝えると案内の青年ガイドはこう答える。


「ハハハハ、そういうものですよ、現実は。

差別していればいるほど、それを隠蔽しようとするものです。

世界で唯一のイディッシュ語の劇場なんて、これほど分かりやすいアリバイはないじゃありませんか。

チャウシェスクはなかなかの曲者です。

これを餌にイスラエルはじめ、世界中に散らばるユダヤ人からの資金調達をもくろんでいましたからね。

これは、一定の成功を収めています」

 

「あなたがガイドになってくれてホント良かった。この国に対する私の皮相な見方を、いちいち覆してくれるんですもの。

これ以上の案内人はいないと思うなあ。つくづく自分のノー天気加減を思い知ったわ」

 

「それだけ、あなたは幸せだったってことです」

 

「たしかに、社会の変動に自分の運命が翻弄されるなんてことはなかった。

それを幸せと呼ぶなら、幸せは、私のような物事を深く考えない、他人に対する想像力の乏しい人間を作りやすいのかもね」

 

「単に経験の相違だと思います。人間は自分の経験をベースにして想像力を働かせますからね。

不幸な経験なんてなければないに越したことないですよ」


アーニャとのやりとりももちろんだけど


上記の青年ガイドとのやりとりも興味深かった。


アーニャとその兄ミルチャ、ご両親、


祖国の変遷、環境の変化など各視点から


政権・国のイデオロギーに翻弄される様や


時を経てわかったことが描かれて


どれが真実・本当のことなのか?


と言ったらミステリーみたいだけど


そんなテイストを持ったシビアな小説だった。


本当のことなんて、


本当はさほど重要ではないのかもしれない、


ハッピーでいられるならば、って思ったり。


解説 斎藤美奈子 から抜粋


あの米原万里が独我独尊の自分史なんか書くはずはないわけで、お読みになれば分かる通り、本書は20世紀後半の激動の東ヨーロッパ史を個人の視点であざやかに切り取った歴史の証言の書でもあります。

個人史の本も、個別に存在してはいるものの、両者をみごとに融合させたという点で、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はまれに見るすぐれたドキュメンタリー作品に仕上がったのでした。


とはいえ、本書を読んで「あー良かった。日本は平和で」と単純に胸をなでおろすのは、あまりにノーテンキというものです。

中東欧とは事情こそちがえ、日本もまた複雑な東アジアの歴史と民族の問題を背負っていることに変わりはないからです。

本書がもうひとつ優れているのは、著者と同世代の女友達のみならず、彼女らの家族、とりわけ父母の世代の歴史にまで視野が及んでいることです。

娘の世代が六〇年代の各国共産党事情にふりまわされたのだとしたら、父の世代はそれぞれの国で非合法時代の政府運動を戦った歴史がある。

マルクス・レーニン主義はいまでこそ「時代遅れ」と蔑まされていますけれど、もとはといえば貧困を救済し、平等を実現するための理想主義から始まったことを忘れるべきではありません。


抽象的な人類の一員なんて、この世に一人も存在しないのよ。

誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ

(略)

それから完全に自由になることは不可能よ。

そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない

アーニャに向かってマリが投げるこの台詞は、通訳という仕事を通じて異文化間、異言語間のコミュニケーションに心を砕いてきた米原万里ならではの実感であると同時に、私たち読者に対する強烈なメッセージでもあるように思います。


深い、深すぎるだろう、米原さん。


エッセイ、小説、翻訳、通訳と


八面六臂の活躍とはまさにこの事だよなあ。


養老先生も書いておられたけど、


惜しい人でございますよ。


2006年没から、17年も経つのか。


ロシア・ウクライナ戦争を


どのようにご覧になったろうか。


 


斉藤さんの解説にある


マルクス・レーニンが時代遅れってのも


今となっては隔世の感あり、


レーニンはよく存じないけど


マルクス「資本論」は資本主義の限界と


共に昨今よく見聞きいたします。


時代の流れは早いと感じざるを得ない今日この頃。


 


今日は子供の入学式、ニック・ドレイクを聴きながら


仕事休みなので、野菜多めのラーメンを作り


妻と子供を送り出したところです。


人数制限がありパパは留守番となりました。


 


1日も早く世界に平和が訪れてほしいと、


切に願う次第でございます。


 


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