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養老先生、病院に行く:養老孟司・中川恵一共著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


養老先生、病院へ行く

養老先生、病院へ行く

  • 出版社/メーカー: エクスナレッジ
  • 発売日: 2022/11/24
  • メディア: Kindle版

「はじめに」から抜粋


相手が中川さんでなければ、面倒臭いからヤダと企画を断るところである。

現代の医療をどう思うかと何度か訊かれたように思うけれど、その根本を考えたいとしばらくの間思っていた。

でもなんだか面倒くさくなってきた。

一番もとにあるのは、統計というものをどう考えるかという点である。

社会全体もそうだが、現代の医学は統計が優越している。

統計は数字で、数字は抽象的である。

では抽象ではないものはとは何か。

感覚に直接与えられるもの、『遺言。』を書いた時点では、その程度で話を済ませたが、その後あれこれ考えたら、感覚所与と意識の間の関係をもっと煮詰めないといけないと思うに至った。

(略)

統計に関する本を集めて、基礎からあらためて勉強しようと思ったけれども、この本にあるように、私は心筋梗塞を起こしたし、その背景にあるのは強い動脈硬化である。

それなら当然、脳動脈も十分に硬化しているに違いない。

その壊れかけた脳みそで、統計の基礎のようなややこしい問題を考えても、不十分な思考になるに決まっている。

気を取り直して頑張ってみても、脳がさらに壊れるだけのことかもしれない。

年寄りの冷や水だろう。

東大医学部の学生だったときに、脳外科の講義で、当時の清水健太郎教授が旧ソ連の医療に触れたのを、今でもよく記憶している。

「ソ連の医師は半数以上が女性である。」と教授はまず述べた。

「ゆえに、ソ連の医学は程度が低い」

今なら教授は即座にクビであろう。

(略)

我ながら、よく時代の変化に合わせて言論活動なんかしてきたよなあ、という感じである。

政治家になんかなっていたら、どこでどんな問題を起こしたか、わかったものではない。

清水教授の発言も「統計的」である。

前半は間違いなく統計そのもので、後半は尺度が明示されていないのでかなり怪しいが、「統計的」とでもいうべきであろう。

統計数字があろうがなかろうが、ヒトは「統計的」に考えるものらしい。

この辺りをきちんと考えたかったのだが、この本の対談をやっている時点では、とても間に合わなかった。


八十代半ばににして、この謙虚さっぷり、


思慮深さと好奇心の塊。


素直なのか、なんなのかわからないが、


キレ物であることは間違いない。


そう感じるのは、贔屓の引き倒しなのか、


自分は養老信者だから。


先生の「統計」に関する論述を新しい著作で読みたい。


でも、もう働かなくてもいいです、寿命とのご相談で。


(同じことをポール・マッカートニーさんにも感じます)


お身体お大事にされてください。ご家族のためにも。


 


第1章 病気はコロナだけじゃなかった


「死をさまよい、娑婆に戻ってきた」から抜粋


検査を久しぶりに古巣の東大病院で実施した後


待合室で昼は何食べようかなあ、と話しておられたところ…


(略)

中川医師がやってきました。

「養老先生、心筋梗塞です。循環器内科の医師にもう声をかけてありますから、ここを動かないでください」

と言われ、そのまま心臓カテーテル治療を受けることになりました。

(略)

カテーテル治療後は、ICU(集中治療室)で2日ほど過ごし、循環器内科の一般病棟に移りました。

カテーテル治療の前後やICUにいたときは、意識がぼんやりしていて、お地蔵さんのような幻覚も見えました。

お地蔵さんは、阿弥陀様だったのかもしれません。

病院から出るには2つの出口があります。1つは阿弥陀様から「お迎え」が来て、他界へと抜け出ます。

もう1つは、娑婆に戻ります。

現在の病院は後者の機能が大きくなっています。

前者はホスピスと呼ばれる終末医療です。

昔の病院がお寺や教会に属していたのは、この機能が大きかったからでしょう。

しかし、阿弥陀様には見放されたらしく、とりあえず私が出たのは娑婆の出口の方でした。


「いつ死んでもおかしくなかった」から抜粋


今回、主治医の中川さんは、15kgやせたと聞いて糖尿病とがんを疑ったようです。

検査の結果、体重減少の原因は糖尿病のようで、全身をくまなく調べても、がんはみつかりませんでした。

がんは年齢とともに発症率が高くなる病気です。

今までがん検診を受けたことがありませんから、82歳ならがんの2つや3つあっても不思議ではありません。

でも検査を受けなければ、病院にいかなければ、がんがあるかどうかはわかりません。

中川さんは私よりずっと若いのに、膀胱がんが判明して大きなショックを受けたと言っています。

だから私のような病院嫌いは、検査を受けない方がいいと思っていたのです。

もしも、がんが見つかっていたら、それはそれで面倒なことになります。

今回の入院で、いろんな検査をしましたが、大腸内視鏡検査では大腸ポリープが見つかりました。

がん化する可能性があると言われましたが、放置することにしました。

がんであれば、家族は放置を認めないでしょうから、放射線治療くらいはやるかもしれません。

手術はストレスが大きいので選ばないでしょう。

抗がん剤もストレスが強ければやらないと思います。

だから、担当の医者が

「がんは取れる限り取りましょう」

というタイプだと困ってしまいます。

もちろん、患者には治療法を選ぶ権利がありますが、主治医と患者で意見がずれてしまうと、ただでさえ薬ではない治療に余計なストレスがかかります。

ですから、医者選びは大事なのです。


医者選びの基準は「相性」です。

現在の医療は標準化が進んでいますから、基本的に誰が主治医になっても同じ治療が行われます。

一方、人には好き嫌いがあるので、相性が重要です。

夫婦や、教師と生徒の関係にも似ています。

もう一つ、医者選びは自分と価値観が似ているかどうかも重要です。

例えば、もう延命は望まないと思っているのに、主治医が延命を勧めたら、ストレスになってしまいます。

もう治療はここまでという私に対し、じゃあこのくらいにして、あとは様子を見ましょう、と言ってくれる医者でなくてはいけないのです。

こんな私と相性や価値観の似た医者というのはあまりいないのですが、中川さんはその期待に応えてくれたと思います。

大変お世話になりました。


「相性」と「価値観」が合う人って、


養老先生のそれに見合う人は


なかなかおられないだろう。


でも、その二つって重要だってのはわかる気がする。


しかし、そもそもお医者さんとその2点を確認する機会って


診察以外ではなかなかないのが一般の人の場合。


こういう書籍などで実例を読みながら、良い判断の参考に


っていう読み方をさせていただきました。


 


「差異を無視する統計データ」から抜粋


私はタバコを吸っていますが、喫煙者はがんになりやすいというデータがあります。

57歳のときに肺がんが疑われたことがありますが、当時はタバコを吸っていたので、検査の結果が出るまで、その可能性はあると覚悟していました。

結局、肺がんではありませんでした。

がんになる要因は一つではありません。

発症する現実の仕組みは複雑です。

にもかかわらず、がんを予防するためには複雑化を取り払い、単純化して因果関係を絞り込んでいるように思われます。

統計で得られたデータというのは、そのように使うことも可能ですから、場合によっては、原因は1つに特定することもできます。

人間を喫煙者と非喫煙者に分けて、どちらががんの発症率が高いかどうかを調べるとします。

その結果、タバコを吸う人の方ががんになる確率が高いことがわかります。

これによって、喫煙とがんの因果関係が「実証」されるわけです。

 

統計というのは、個々の症例の差異を平均化して、数字として取り出せるところに着目してデータ化します。

逆にいえば、統計においては、差異は「ないもの」として無視しなければなりません。

差異というのはノイズです。

先ほど、「現実の身体とはノイズだらけ」と言いましたが、統計を重視する医療の中にいると、データから読み取れる自分が本当の自分で、自分の身長はノイズであるということになってしまうのです。

本来、医療は身体を持った人間をケアし、キュア(治療)する営みです。

それなのに、患者の身体がノイズだというのは、おかしなことです。

統計は事実を抽象化して、その意味を論じるための手段にすぎません。

統計そのものに罪があるわけではありませんが、要は使い方の問題なのです。


その昔、Webサイトのログデータを分析・考察し


改善に繋げる仕事をしてたので


この論説は似ているような気がして、耳が痛かった。


多くのデータを平均化して、出た差異(ノイズ)は


いったん無視しないと先に進めないのです。


「進めない」ってのは抽象的な物言いだけど


それはお金にならないことを意味していた。


何かを提案する企業としては


それでは、極論すると立ち行かなくなるので


何とかそこに意味を与えていた、昔の仕事っぷり。


なので、医療もそうなのかなあ、なんて


勝手に思ってしまうのだけど。


相手(患者)にとって、それは幸福とはいえないのでは


ないだろうか、みたいな。


これもデジタル(脳化社会)の弊害なのだろうなと。


 


「都市の中には意味のあるものしかない」から抜粋


統計は「意味を論じるための手段」といいましたが、意味はもともとあるものではありません

都市に住んでいると、すべてのものに意味があるように思われます

それは周囲に意味のあるものしか置かないからです。

例えば、都市のマンションの中に住んでいるとします。

部屋の中のテレビやテーブルやソファー、目につくものには、すべて意味があります。

たまに何の役にも立たない無意味なものがあっても、「断捨離」とかいって片づけてしまいます。

それを日がな一日見続けていれば、世界は意味で満たされていると思って当然です。

それに慣れきってしまうと、やがて意味のない存在を許せなくなってしまうのです。

そう思うのは、すべてのものに意味がある、都市と呼ばれる世界を作ってしまい、その中で人間が暮らすようにしたからです。

都市の中では、意味のあるものしか経験することができません

 

でも現実はそうではありません

山に行って虫でも見ていれば、すべてのものに意味があるのは誤解であることがすぐにわかります。

(略)

意味というのは、感覚に直接与えられるもの(感覚所与)から、改めて脳の中で作られるものです。

都市はその典型で、道路もビルも、都市の人工物はすべて脳が考えたものを配置しています。

自分の内部にあるものが外に表れたもの。

人が作るものは、すべて脳の「投射」なのです。

都市化が進めば進むほど、周囲には人工物しかなくなり、脳が考えたものの中に人間が閉じ込められることになります。

都市化も統計化も、抽象とか、解釈とか、脳が考える営みの中で進んできたものです。

がんにかかる人がたくさんいるという事実があり、それを把握するため、個別データを取捨選択して集め、特定の手順で抽象化します。

そして抽象化されたデータは、現実の解釈に使われ、がん予防のための基礎情報になるのです。


「過去の医療には戻れない」から抜粋


未来の医療は個人に合った医療にするとか、オーダーメードの医療にするとか言われています。

ただしそれをやるには、膨大な情報量が必要です。

AI化が進んで、いずれそんな時代がくるかもしれませんが、今は過渡期というか、昔の医療と未来の医療の中間にいるわけです。

その中間にいるときは、どうすればいいのでしょうか。

新型コロナの対策では、みんなが勝手なことを言って、どういう対策をたてればいいのかははっきりしないまま1年以上も終息できずにいます

でもそんなことは、はっきりしなくて当然です。

誰かが1つの論理で決めていかなければはっきりさせることはできません

自分が医療を受けるのも同じです。

自分で決めるしかないのです。

ところが、普通の人は決めるための十分な知識を持ち合わせていません

自分で決めるために、セカンド・オピニオン(納得のいく治療法を選択することができるように担当医とは別の医療機関の医師に「第二の意見」を求めること)という制度もありますが、病気について十分な知識がなければ、結局、確率が高いほうを選ぶしかありません。


未来は未確定、誰にもわからない


面倒臭くなってきたので、また考えよう。


 


第二章 養老先生、東大病院に入院 中川恵一


「養老先生が医療の考え方を変えた?」から抜粋


今回、養老先生が大病を経験したことによって、先生の医療に対する考え方を変えたのではないかと私は思いました。

その理由の一つが、白内障手術で入院していた8月に読んでいた

ライフスパン 老いなき世界』という本の感想です。

出版社から送っていただいた発売される前の見本をいち早く読まれたようです。

(書籍は2020年9月29日発行)

(略)

この本によれば、人類は科学の力で老化を克服でき、若い身体のままで長生きできるようになる日が近づいているのだそうです。

老化の原因がわかったので、それを止める方法も解明されつつあるということで、その一部はシンクレア教授自身も実践されています。

 

養老先生は、この本にずいぶん興味をもたれたようで、私に

「中川君、老いは自然じゃなくて病気なんだよ」と言われたように記憶しています。

それを聞いて私はびっくりしました。

(略)

養老先生のお話や本によく出てくるのが、「都市と自然」という概念です。

都市というのは人工物であり、人工物は大脳が作り出したものです。

自然は変化しますが、人工物である都市は不変です。

夏でも冬でも同じ室温に調整された高層ビルの中に一日中いると、季節などのうつろいゆく自然を感じることができません。

都市は自然を排除しようとするのです。

人工物の象徴である都市を作り上げた大脳も、自然を避けようとします。

その最も忌避すべきものが「死」です。

死は自然であり、大脳も自然(身体)の一部であることを教えるからです。

この「大脳の身体性」こそが、現代社会の最大のタブーだと養老先生は言っています。

養老先生の考え方に従えば、死に近づいていく「老い」もまた自然です。

人間にとって死が避けられないように、老いもまた避けることができません。

これに対し『ライフスパン』では、老い(老化)は病気だと言っているのです。

病気であれば治療ができる。

だから若返りは可能であるという考え方です。

老いや死が自然であると言っていた養老先生が、「老いは病気」だというのは、宗旨替えとも言える発言です。

それで私は驚いたのです。


第四章 なぜ病院に行くべきなのか?


「ヘルスリテラシーが低い日本人」から抜粋


私ががん検診を勧めるのは、早期がんであれば、多くのがんは治癒できるからです。

しかし早期がんは自覚症状がありません。

逆に自覚症状が出てきてから発見されるがんの多くは進行がんです。

治癒できない確率が高くなります。

日本でのがん検診の受診率は2から3割程度です。

(略)

ヘルスリテラシーの国際比較調査によると、国・地域別のヘルスリテラシーの平均点(50点満点)では、オランダが37.1点でトップ。

アジアではコロナ対策でも優等生の台湾が34.4点と最も高かったのに対して、日本ではミャンマーやベトナムよりはるかに低い25.3点の最下位でした。

(略)

養老先生は臨床医ではありませんかが、医者(解剖学者)ですから、普通の人よりも高い医療リテラシーを持っています。

ただ医療に関わることは、自分の哲学に反することでもあるので、病院に行くというだけであれほど悩むのです。

第一章でご本人が書いていましたが「医療界の変人」です。

怖いから病院にいかないという人たちと同じように考えることはできません。


若い人たちにもがんが増えているため、


検診に行くよう警鐘を鳴らされておられる中川医師。


養老先生の宗旨替えを驚かれているけど、むしろ


自分は養老先生は本当にフレキシブルな頭だなあ、


と感嘆してしまう。


頑なに自分の哲学を守ろうとせず


他者の意見を取り込む姿勢は見習わないとって思う。


知性の高い人の特徴のような。


簡単にいうと頭の柔らかさ。


そして「あとがき」でございます。


中川医師は養老DNAを継承されていることが窺える。


「あとがき 中川恵一」から抜粋


養老先生は私が東京大学理III(駒場)から本郷に進学した1981年、解剖学部第二講座の教授に就任され、医学の基本である解剖学を教えて頂きました(実習及び講義)。

私は不良学生で、医学部の講義にはあまり出ませんでした

(解剖学習などはしっかり履修。念の為)。

今とちがって、各自が勝手に勉強しろと、いうおおらか(?)なムードがあり、講義では出席もとっていませんでした。

それでも養老先生の講義には欠かさず、出席していました。

率直に言って、他の先生方の講義と違って、面白かったからです。

当時から、今に至るまで、養老先生を尊敬しています。


こういう関係性のもとで、診療していただけるのは


ほぼ皆無だろう。幸運な関係性だと感じた。


普通はドクターと話す機会すら、なかなかないからなあ。


でも、この書籍というか養老・中川両先生が


教えてくれたことはたくさんありまして


知識をできるだけ集めて自分で判断するってこと。


医者選びは大切ってこと。


相性や価値観を合わせる前にできること、それは


まず書籍(情報)に触れることだって思った。


それが信頼に足るかの判断力も


養っておくことも重要でしょうね。


それから、この本のもう一つの魅力、


愛猫の「まる」が具合悪くなった時の


「まる」への病状の処置対応から推察される


医療への態度など、両先生の視点から


炙り出されてて興味深かった。


特に中川先生目線からは、養老先生が


「まる」にされる対処や処置がご自身のそれと


矛盾しておられると指摘されてる点。


わからなくもない論理展開なのですけど


よく考えると「まる」は


家族同然なんだろうけど


とはいえ、養老DNAを持っているわけではないし


むしろ、養老先生の方が「まる」の影響を


受けていそうだからね。


先生にしてみたら一匹の飼い猫としての


往診や処置をしたってだけで


特に矛盾ではないんだろうけど。


余談だけど、養老先生のDNAを継承している


お弟子さんって他にもたくさんいそうですよね。


ちょっと「反社会的(反骨)」で


かなり「捻くれもの」で


素晴らしく「頭脳明晰」で。


二つ目まではあるんだけど、


どう考えても三つ目が圧倒的に足りない。


自分はそのグループに入れてもらえなそうだと思った。


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