コロナ後の世界を語る:朝日新聞社編(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 作者: 養老孟司 他
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2020/08/11
- メディア: 新書
あとがき から抜粋
先行きの見えないコロナの時代だからこそ、一つの型にはまったオピニオンでは物足りないかもしれない。
多くの人たちの知の結晶というべき、無数のオピニオンとことばから自ら選り抜き、そして向き合いたい。
■養老孟司(解剖学者)
ヒトとウイルスの、不要不急の関係がいかに深いか、それはヒトゲノムの解析が進んでわかった事である。
ヒトゲノムの4割がウイルス由来だという報告を読んだことがある。
その4割がどのような機能をもつか、ほとんどまったく不明である。
むしろゲノムの中で明瞭な機能が知られている部分は、全体の2%足らずに過ぎない。
つまりヒトゲノムをとっても、そのほとんどが不要不急であり、急であることが、生物学的には例外ではないのか。
私が学生のころ、胸腺は何をするところか、その働きは不明だった。
免疫学が進んで、それが免疫細胞の教育機関であることがわかって、なぜ幼弱な動物では胸腺が大きく、成体では小さいかも理解ができるようになった。
「はたらき=機能」は枠組みに依存して決まる。
胸腺の機能は免疫系という枠組みがあって初めて理解ができる。
ジャンクDNAについても、遺伝情報を担うという枠の中では機能がない。
しかし別な枠組み機能があっても、何の不思議はない。
そのもの自体から機能という枠組みを推定することは困難である。
機能は他者との関係を意味するからである。
■福岡伸一(生物学者)
ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場した後、はじめてウイルスは現れた。
高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。
つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。
それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。
なぜそんなことをするのか。
それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。
親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝播しうる。
それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。
おそらく宿主に全く気付かれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。
その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらす事もありうる。
しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報交換と包摂に役立っていた。
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。
病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。
そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。
私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
■五味太郎(絵本作家)
ーー急に学校が閉められて先の見通しも立たず、大人も子どもも心が不安定になっていると聞きます。
それじゃ、逆に聞くけど、コロナの前は安定してた?居心地はよかった?ふだんから感じてる不安が、コロナ問題に移行しているだけじゃないかな。
こういう時、いつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあその元は本当に充実してたの?と問うてみたい。
おれはもともと、今の学校や社会は、子供に失礼だと思っている。
ーー失礼、ですか。
子供にとって教育は「権利」だと憲法に書いてあるのに、6歳になったら必ず小学校に行き、しかも学校や先生はほぼ選べない。
特に初等教育プログラムって、ほとんどが「大きなお世話」だとおれは思う。人格形成とか学習能力とか…。
もちろん、誰も悪意でやってるわけじゃないんだけど、全員座ってじっと先生の話を聞くって、子供の体質には合ってない。
おれの娘は2人とも途中で学校に行くのをやめたけど、学校に向いている子と向いていない子、あるいはどっちでもいい子がいる。
学校に行きたくない子供に親が行きなさいというのは、子供が「お風呂が熱い」って言ってるのに、親が「肩まで浸かって100まで数えなさい」って言うようなものです。
ーー耳が痛いです。
そうでしょう。これに耐えれば卒業証書、修了証書、そして退職金と続いていく。
で、疲れちゃって、考えるのをやめていく。
それを繰り返しているうちに、自分が何がしたいのかわからなくなっていく。
わくわくしながら仕事に行っている人ってどれぐらいいるのかな。
ガキたちには、むしろこれがチャンスだぞって言いたいな。
心も日常生活も、乱れるがゆえのチャンス。
だって、学校も仕事も、ある意味ではいま枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまらなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問いやすいときじゃない?
働き方も国会も学校も、色んなことの本質が露呈しちゃっている。
五輪の延期も、オリンピックよりも人の命って結構大事なんだなってやっと再認識したんだろうし、優先順位がはっきりしてくる。
感染者が何人、株価がどう、と毎日ニュースで急カーブのグラフばかり見せられて、グローバルと言っても、心でグローバルしてたんじゃなくてお金がグローバルしてただけなんだなとしみじみ思うよね。
こうなると、世界の全体像は誰もわからない。
せっかくなら、前よりもよくしましょうよ。
眠い。夜勤前、中の休憩中、明けに読んだ。
経済・政治とは切っても切れない、
コロナ禍の今後。
それとは違う知の視点からのご意見が面白かった。
不要不急とは・共生・前向きに。
悲観的になってても良いことないですからね。
余談だけれど、上記抜粋の他、
ユヴァル・ノア・ハラリ(歴史学者)、
ブレイディみかこ(保育士・ライター)、
横尾忠則(画家)、坂本龍一(音楽家)さんたちの
ご意見もございます。
(って、朝日新聞社の回者じゃないですよ、私は)