進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)



  • 作者: 長谷川 眞理子

  • 出版社/メーカー: 岩波書店

  • 発売日: 2006/01/26

  • メディア: 単行本







第6章


ダーウィンとの出会い


から抜粋



いろいろと寄り道をしたが、結局のところ、私は進化の研究をすることになった。


進化生物学の元祖と言えば、19世紀イギリスの博物学者、チャールズ・ダーウィンである。


思い返してみれば、進化の研究をしようなどと思う前から、そしてその後も、私とダーウィンの間には、いくつかの縁があった。




ともかくこうして、高校生のときにダーウィンの『ビーグル号航海記』と『種の起源』を読んだ。


もちろん、内容をよく理解したわけではない。


しかし、『ビーグル号航海記』は面白かった。


それは、ドリトル先生シリーズに魅せられて以来、船で未知の世界に乗り出す探険に憧れていたからだ。




『種の起源』のほうは、なぜ読み通したのだろう?


「世界の名著と呼ばれているものを読み通す」ということだけのために読んだのかもしれない。




意味もわからずに読んだのだから、読んだ、読んだと言っても何も誇れないのだが、のちに進化生物学を専門とし、ダーウィンの著作を翻訳することになったことを考えるとなんてったって、何かの因縁のようなものを感じる。



これには池田清彦先生も養老先生も


奥本大三郎先生も同様のことを


おっしゃっている


(『三人寄れば虫の知恵


第四部「虫屋」の正体 III ダーウィンとウォレス


ダーウィンの『種の起源』は分かりにくいと。


天才なのは間違いないだろうけれどとも。


ゲノムなど時代的に明らかにされていない


ことから考えると、やむを得ないのだろうと


自分は(というか大方)認識しております。


自分はほぼ読んでないので何もいう資格なし。


性淘汰の理論


から抜粋



私が深く進化生物学を学んだのは、ケンブリッジ大学動物学教室に行ってからだ。


所属したのは、アカシカの行動生態の研究で有名な、ティム・クラットン=ブロック博士の研究室である。




ティムの研究室を選んだ理由は、アカシカの雄と雌の繁殖戦略の違いを克明に研究した彼らの野外調査が素晴らしかったので、それに参加したかったからだ。




しかし、ついてすぐにティムが、アカシカではもう、おもしろいことはたいていやってしまったので、今度は別のダマジカというシカの研究をしようと思っていると言う。


ダマシカはレック繁殖する種で、レックにおける雌の配偶者選択の研究がおもしろい。




レックとは何だろう?


雌の配偶者選択とは何だ?


私は、まったく何も知らなかった。




レックとは、ある狭い地域に雄たちがどちらかがを携え、そこへやってくる雄たちに対して、いっせいに求愛ディスプレイをする場所をさす。


レックでは、どの雄と繁殖するかは、雌が選んで決める。


このような繁殖様式を、レック繁殖と呼ぶのである。




雄と雌の繁殖戦略の違いに関する理論は、ダーウィンが最初に提出した。


それは、自然淘汰の理論とは区別して、「性淘汰の理論」と呼ばれている。




ダーウィンは、同種に属している雄と雌の間に、からだの色や角や牙の有無など、いろいろな違いがあることを不思議に思い、自分が提出した自然淘汰の理論では、この性差は説明できないことに悩んでいた。



昨日も挙げた4つ自然淘汰の理論から


ダーウィンは自然淘汰が起これば、


生物はまわりの環境をうまく利用するように


適用的になっていく、と考えていた、とある。



しかし、雄と雌とは、同種に属しているのであるから、同じ環境のもとで同じような適応を起こすようになるはずだ。


それなのになぜ、雄だけが角や牙を持っていたり、雄だけが美しい色をしていたりする動物がたくさんいるのだろう?


つまり、卵や精子の生産に直接かかわらない部分にまで、なぜ性差が現れるのだろうか?


このことは『種の起源』の中にも、少しは言及されている。




それをのちに発展させて集大成としたのが、『人間の進化と性淘汰』という大著であった。


この中で、ダーウィンは、雄と雌とは、たとえ同種に属していても、繁殖のチャンスをめぐる競争のあり方が非常に異なる場合があると論じている。


誰が誰と配偶するかは、雄と雌との社会関係である。


そこで、個体同士が社会的な交渉を持つ場合には、繁殖のチャンスをめぐる競争が生じるだろうが、雄と雌とでは、その競争のあり方が異なるようになる。




同種の雄同士の間には、配偶相手の雌の獲得をめぐって激しい競争が起こることがある。


そうすると、そのような競争に有利な「武器」となる形質である、角や牙、大きなからだなどが雄の間に進化するだろう。




一方、雄どうしが競争するならば、雌は、どの雄との配偶するかを自分で選ぶことができるだろう。


そこで、もしも雌が、たとえばより青い色をした雄を選んだり、より尾の長い雄を選んだりすれば、雄の間には、青い色や長い尾が進化するだろうが、雌には、それは進化しないだろう。


前者が同性間競争は雄どうしで闘われ、配偶者選択は雌が行う。




これがダーウィンの性淘汰の理論である。


私がこのことについて最初に学んだのは、先に述べてとおり、菅原先生の講義であった。


しかし、当時、配偶者選択に関しては、あまり研究がなかった。




ダーウィンが性淘汰の理論を発表した当初から、実に1980年代初めまでの100年間も雌による配偶者選択の部分は人気がなかったのである。


それはなぜか?




一つの理由は、繁殖期に雄どうしの闘いはさまざまな動物で見られており、雄間競争が存在することは誰の目にも明らかだったが、雌が、なみいる雄たちの中から選り好みをしていることを示す直接の証拠はなかったことだ。




もう一つの理由は、当時の人間社会が持っていた、女性や雌に対する偏見である。


女性はあれでもない、これでもないと、自分の配偶相手を選ぶべきものではなかったし、自分で賢い選択をする能力もないと考えられていた。




ましてや、動物の雌が、確かな目を持って配偶者選びをするなどということは、まったくあり得ないないことだと退けられたのである。




しかし、もう一つ、大きな理由がある。




それは、雌の選り好みが働くと雄の形質がどのように進化するかについての、しっかりした数理モデルなどは存在しない時代だった。


それでも、1980年代になるまで、100年も真剣に取り上げられなかったのは、進化の数理モデルが立てられる時代になってからも、雌による配偶者選択の理論はモデル化が成功しなかったからだ。



この後、1930年に統計学の始祖、


ロナルド・フィッシャーの「ランウェイ」過程や、


1975年イスラエルの進化生物学者アモツ・ザハヴィが、


ハンディキャップ仮説」に触れて、


長谷川先生の研究は加速されていく。



私がケンブリッジ大学動物学教室に行った1987年雌による選り好みの進化の研究は、次々と新しい研究成果が発表され、もっともホットな議論の進む研究分野であったのだ。


またしても私は、そのような世界の研究の最前線について、何のたいした知識もなかった。


ザハヴィのハンディキャップ理論は、ドーキンスの『利己的な遺伝子』の中にも出てきたので、おもしろいなとは思っていたが、性淘汰の研究全体の流れも把握していなければ、数理モデルの難点のことなども知らなかった。


サセックス州、ペットワークス公園でのダマジカの野外調査が始まった。


幸にして、この研究はうまくいき『ネイチャー』に論文を出すことができた。



ダーウィンとの馴れ初め、理論への傾倒っぷりと


疑問や変節されゆく長谷川先生がなんとなく


わかった気がしたと感じた。


第7章 科学、人間、文明について


博士にはなったものの…私の就職歴


から抜粋



私たち仲間うちでは、理学博士などという称号は、「足の裏にくっついたご飯粒」だと言う。


そのこころは、「取っても食えない、取らねば食えない」。


大学や研究所に研究者として就職しようとすれば、博士号は必須である。


しかし、博士号を持っているから採用されるかと言えば、そんなことはまったくわからない。


このことを表した「名言」である。




東京大学理学部助手のあとの就職先を見つけねばならず、ケンブリッジ滞在中から、学科の掲示板に貼られている求人広告にはつねに目を通していた。


どんなところでも、可能性があれば出してみるつもりだった。




日本に帰ってから、状況はますます厳しくなった。


東京大学理学部人類学教室の当時の主任教授が、「女は絶対に東大で教授になれないのだから、早く出ていきなさい」と言った。


1989年である。




ある日、パブア・ニューギニア大学の求人が目に入った。


そのころには、本当に躍起になっていたので、あたりかまわず何でも出してみる気になっていた。


今度は夫が、「だめだめ、それは辞めたほうがいい」と言う。


理由は、オクラホマのときと同じである。


まわり中にあるものがトウモロコシではなくて、熱帯のサンゴ礁なだけだ。


それはそれで素晴らしいかもしれないが、やはり、学問の中心から遠く離れ、何の刺激もなく、いいことは絶対にない、ということだ。


これにも納得して、そこには応募しなかった。




そういうわけで、オクラホマにもパブア・ニューギニアにも応募はしなかったが、ほかにいくつか日本の大学の求人に応募して落ちた。


落ちるたびに焦りがつのる。


最後はまた、もうオクラホマにもパブア・ニューギニアでもいいという気持ちになった。


そうこうするうちに、専修大学法学部に、教養の科学論の助教授として就職した。


1990年である。




これは私の人生の大きな転換点だった。


これまで私は、自分の専門の科学者集団である理学部にしか、身を置いたことがなかった。


それが、まったく学問的に共通点のない法学部に所属し、まったく科学者になることなどない学生たちに、「科学とは何か」を教えることになったのだから。




2000年には専修大学から早稲田大学政治経済学部に移ったが、基本的に状況は同じだった。


途中、イェール大学で1年間、再びケンブリッジ大学で1年間過ごした時を除き、合計13年間にわたって理学部以外に所属し、人文・社会系諸学の先生方とつきあい、人文・社会系の学生たちを教えることになったのである。



東大の主任教授から受けたパワハラ。


今では考えられない。


過日読んだ中根さんは特別だったということか。


それにしても「就活」して決まらずに


「焦る」なんて長谷川先生には


もっとも縁遠い”情動”なのではと


勝手に思ってたのだけど、


人間はわからないものです。


”先入観”や学歴・キャリアからの


”刷り込み”って怖い。


自分だけかもしれんが。


話戻って、長谷川先生、一旦落ちてからの


そこからのリカバリーがすごいし


だから深いのか、と思ったり。


「科学とは何か」を考える


から抜粋



この13年間には、紆余曲折、いろいろなことがあった。


しかし、私にとっての一番の大きな収穫は、科学者でない人々が科学というものをどのように見ているのか、ある意味で、どれほど科学を知らないか、ということと、科学者全般が、いかに社会を知らないかということの両方を実感したことだった。




科学を専攻するのではない学生、および社会人一般が、科学という仕事をどのように理解しているのかに注意を払うということは、理学部にいたときには思いつきもしなかった。


それで、この両者の間に存在する大きなギャップに気づかなかったのだが、それは逆をいえば、私たち科学者自身が、いかに世間とかけ離れているかということでもあったのである。




人間は、自分自身がおかしいということよりも、他者がおかしいということのほうが、気づきやすいのだろう。


自分自身の状態は、自分にとって当たり前であるからだ。




私も、まずは、「科学者でない人々は、なぜこうも科学を知らず、または科学を誤解しているのだろう、なぜこうも科学を知りたくないと嫌っているのだろう?」ということがショックだった。


法律やら社会の仕組みやらに自分が疎いことは棚上げにして。




それから、科学史にも足を突っ込み、ジョセフ・ニーダムの『文明の滴定』、矢島祐利『アラビア科学史序説』など中国の科学やイスラムの科学についても学んだ。


自分でもとてもおもしろいと思ったものもあれば、現場の科学者の感覚とは全く違うと思ったものもあった。




その後の何年にも渡って、こんな勉強をしながら「科学とは何か」を教えてきた結論の一つは、自分は根っからの科学者だということだ。


自分はずっと科学者であり続けるし、それが自分の本性であり、科学史家や科学哲学者にはならないだろうということだった。



現場主義ってことなのかな。


”科学史家”、”科学哲学者”がよくわからないから


わからないけれど。


この後「4枚カード問題」という章で


盟友サラ・ハーディやカナダのマクマスター大学の


マーティン・デイリー、マーゴ・ウィルソンらから


人間の心理と行動について


進化生物学的に研究することを勧められたが


どのようにすれば良いのかわからないところ


「4枚のカード」レダ・コスミデス


ジョン・トゥービーによる研究で目を開かされたと。



従来これに関しては、人間はもともと抽象的思考は不得手なのだが、具体的で日常的な問題ならばよくわかるのだ、というような説明がなされていた。


それに対して、進化心理学者のコスミデスとトゥービーは、違う仮説を提出した。


それは、人間の進化の過程で、互恵的利他行動に関する問題が非常に重要であったからではないか、という仮説である。




コスミデスとトゥービーは、現在の人間の社会に互恵的利他行動がたくさん見られること、そして、原始人の時代から互恵的利他行動は決定的に重要であったろうということから、人間の脳の働きには、互恵的利他行動の問題に特化したモジュールがあるのではないかと考えた。


そして、「4枚のカード問題」に見られる認知のバイアスは、期せずしてそれを表しているいるのではないかと考えたのである。



なんかむずいけど、4枚のカード問題


別に本があったら読んでみたい。


それは置いといて、長谷川博士の変遷が窺えて


納得、深さとユニークさとチャーミングさと


知性を備えている人って、そうそういない。


スムーズなキャリアパスからではこうならない。


余談だけど、前回紹介した自分の小学校時代の


担任は、ひとクセある人で


哲学者たる風貌で教えとか言葉が


他の教師とはまったく次元の異なる人だった。


後日同窓会で知ったのは、教師になる前


税務署に勤めてて、差し押さえ係を


やっていた経験があり、財政破綻した家族の


子供が泣いている横で、淡々と


差し押さえシールを貼ることに


嫌気がさして教師になったという経歴だった。


長谷川先生と若干被るのはさまざまな経験から


見識を広めているところでした。


まったく新しい総合人間科学をめざす


から抜粋



私は、早稲田大学政治経済学部で、「地球環境問題の行方」というゼミをやっていた。


このテーマを選んだ理由は、環境問題が、現代社会の抱えるもっとも困難で緊急な複合問題の一つだからである。


これは、単一の分野の研究や活動で解決できるものではない。


政治も経済も、生態学も進化生物学も、心理学も社会学も、全てが関連している。




私は科学者で専門は行動生態学である。


アフリカのタンザニアで国際協力の仕事をした経験もある。


これらの話を私から提供するかわりに、政治経済学部の学生たちからは、政治や経済の切り口から環境問題に関する彼らなりの分析を聞いてみたかったのだ。


そして、理系と文系が合わさった考察をしてみたかった。



特定地域に密着した保全活動の例から、


原発問題、農業と食料自給、人口問題、オゾン層破壊、


森林伐採と紙の使用、環境教育、そして


サミュエル・ハンチントン著の『文明の衝突』を


学生から教わったと記される。



読んでみた結果、ハンチントンの本書の議論には賛同しなかった。


なるべく厳密な定義と理論をもとに、理論の検証性のある実証的なデータを出して議論していくのが常道である自然科学の観点からすると、ハンチントンの議論は、単に自説の展開だけであるかのように見えて不満足だった。


しかし、『文明の衝突』からヒントを得て、文化システムを進化生物学的に研究する興味が深まった。


文化とはなんだろうか?


文化は人間性にどのような関係にあり、どのようにして生み出され、どのようにして人間を変えるのだろうか?




リチャード・ドーキンスは、『利己的な遺伝子』の最後で、文化の伝達を考える手だてとして、一つ一つの文化要素を「ミーム」と名付け、遺伝子の伝達を分析するのと同じように、ミームの伝達を分析する構想を展開している。


これは、一つの方法である。




一方、従来の文化人類学は、どんな文化が作られかはまったく任意であるとしていた。


母系社会もあれば父系社会もある。


黒が不吉とみなされる社会もあれば、白が不吉とみなされる社会もある。


つまり、何でもあるのだ。




しかし、私には、この問題設定はなはだ不満であった。


なぜなら、文化は所与の物であるとは言っても、個人はそれぞれ、文化の中のある要素じゃ受け入れ、ある要素は受け入れないということをする。




個人が新しい文化を生み出しもする。


文化が捨てられることもある。


個人は、文化のまったくの奴隷ではない。


また、どんな文化が生み出されるかは任意だとは言っても、逆立ちして歩くことが普通であるという文化は存在しない。


文化の任意性には、生物としての人間が持っているなんらかの制約が反映されているはずだ。




ミームの考え方は面白い。


それを採用するとしても、もう少しシステム全体を見渡す視点で、文化とその動態とを分析できないものだろうか?




そのようなことを探っているときに読んだ『文明の衝突』は、この本が扱っていることと、扱っていないこととの双方を通じて、私に新たな道筋を示してくれた。




一つは、歴史的な流れに沿ってシステムの動向を概観し、異なるシステムどうしの競合関係を分析することである。扱っていないことの一つは、このシステムを、複雑適応系として分析することだ。




この校舎の考えには、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』と、サイモン・レヴィンの『持続不可能性』を読んだことが大きく影響した。


人間を取り巻く生態系、人間の持つ社会・経済システム、文化システムを、複雑適応系として捉えて分析していくというのは、まだ、考えが広がり始めたばかりである。


今後、しばらくはこの方向で考えてみたい。




人間を科学的、進化的に研究するには、研究者の側にかなりの度量が要求されると思う。




動物の行動と生態、進化の研究が、結局のところ最終的に私を導いてきたところは、人間とは何かであった。



動物を研究してきたが、人間とは何かに


たどり着いたと。


人生を、極めようとすると


結局はそうなるのかもしれないなあ


動物行動学だけの話ではないよなあ、と思いつつ


これは本当に良書とよべるものだったなあと、


残暑厳しい休日に思いつつも


ブックフで16冊購入、Amazonから10冊届いた為


図書館に届いている3冊は後回しにして


パパが夕食を作り始めないとって思っている


ところで今夜は春巻きとシューマイです。


作るわけじゃないよ、買っただけです。