奇想の源流―島田荘司対談集



  • 作者: 島田 荘司

  • 出版社/メーカー: 有朋書院

  • 発売日: 1996/05/01

  • メディア: 単行本




養老先生の対談がお目当てで拝読。


あとがきの養老先生のなにかが


わかるようなエピソードも興味深い。


 


脳が造った国・日本


第二章 日本人論


●脳の支配は江戸時代に始まる から抜粋



養老▼


一番申し上げておかなきゃいけないのは、本来個人と肉体とはイクォールだということです。


個人というのは身体の上に成り立っているんだと。


こんな当たり前のことが江戸以降現在まで、日本ではないままできた


さっき言ったように、死体を隠したり、人間の自然性をできるだけ排除してきたためです。


たとえば、戦国の大名はそれぞれ個性と結びついていますよね。


ところが、徳川の六代将軍、七代将軍はどうか。


ぜんぜん、個人としてのイメージがないでしょう。


もはや、個人ではない。


それは符号でいいんです。身体性は問題にされない。


もっと解りやすく言えば、茶の湯というのは利休がいなくたって、誰かが担いでいってくれるんです。




島田▼


その『だれか』という、肉体を持った個性を正面に出させないというやり方で、平和を維持し続けてきたと。



”個人”とされているのは”心”と


呼び替えても良いのかも。


よくわからないけれど。


この後、予測社会に横たわる弊害や


今でいう”デジタル”社会の


到来の問題などに話は及び


東洋西洋に考察の対話が展開。


●ニュートンと宮本武蔵は脳からみれば同じこと から抜粋



養老▼


西洋にはニュートン力学ならニュートン力学というのがある。


ニュートン力学って何かというと、ある重さの物を持ち上げて止めることができる。


これは重力で引っ張られているんです。


重力以上の力を加えますと、これは上に上がっていく。


力が足りなければ下がっていく。


それが力学の教えるところなんですが、ピタッと止められるというのはどういうことかというと、ぼくの脳が重力の法則をきちっと理解しているということですよ。


ニュートンがやったことは、自分の身体の中に、脳の中に入っているそういう運動のプログラムの基本的な方式を、ああいう形で外に出したということ。


じゃあ、日本人はそれをどういう形で外に出したかというと、宮本武蔵をご覧なさいと言うんです。


生涯で五十数度戦って一度も敗れたことがない。


一回やるごとに命懸けですよ。


と言うことは、相手のそういう、今のニュートンの法則を含んだすべての身体の動きというものを、自分の中に取り込んだうえで、かつ相手よりも先に動く。


武蔵とニュートンは重力の法則という普遍性を共有していたということです。


もし人間の頭をコンピュータと考えると、そのコンピュータのプログラムの目的のほうにどんどん伸ばしていったのが宮本武蔵


そのプログラムはどういうものかということを、動いているプログラムを横から観察して、こっちへ出したのがニュートンです。



●死について考えることの必要性



島田▼


でも、今のお話は西洋の人にはとても解りにくいでしょうね。


やはりそこにある種の物差しが必要だと思いますけど。




養老▼


それは、いわば普遍的なもの、客観的なものであるはずですね。


いったい、その物差しは何ですかという話ですよ。


神がある世界では、すべてが最終的には神の属性として説明されていきますけど、日本は神がありませんから、その物差しは人間規定の問題に関わってくるんです。


人間規定というのは、人間というのはどういうものかというところを見る。


ところが、これは非常に怖いというか、まずいということがあるんですね。


たとえば、ならば胎児は人間かということになる。


妊娠中絶が日本ぐらいバーッと普及した国はないわけです。


胎児は人間ではないということですね。


もっと極端に、われわれの社会ぐらい死体を差別する社会もない


死んでいる人は仏


つまりそこからもうすでに人間でなくなっているんです。


だけど、あなたも死体になるし、ぼくもなる。


そういうものがなぜ人間じゃないのか。


たとえば、ヴェトナムから二重体児がきた時、絶対に「日本でこういう子が産まれましたか」とか「今いますか」「どうなりましたか」という質問はでない。


あれが人間かというのがあるからですよ。


つまり、日本の場合、人間規定を変えちゃうと救済措置がないわけです。


人間とはこういうものだということで社会ができていますから、それに引っかかることは全部、人間というのはどういうものだという議論にならないように片付けるのがやり方です。


だから、脳死臨調は何のためにあるのかというと、脳が死んだ人は死んだ人かという哲学的議論をやるためにあるんじゃないんです。


そういう議論にならないようにするにはどうするかがテーマなんです。




島田▼


人間とは何なのかという解釈を披露したとたん、彼が責任を背負うからですね。


誰も責任を負いたくない


だから、そういう危険を避ける方向へ持っていく。



●普遍性という考え方



養老▼


普遍性というのは、人間ならこうだよということが言えるか言えないかということです。


自分のやっていることに関して。


それも、正しいとか正しくないとかじゃなくて、人間であればこうだというほとんど絶対的な基準ですね。


だから逆に、右脳、左脳ということがどのくらい絶対的なものかという話になってくるわけで。


人によっては、使い方によってこうなるとかああなるとか、そういうことがある程度わかってくれば、いろんなトラブルは減るだろう。


一番よく解るのは、日米の野球の違いですよ。


日本の場合は決まった時間に集まって、決まった長さの練習をする


でも、身体の事情なんて全部違うんだから、なんでそんなもので統一するんだというのがアメリカ人の考え方でしょう。


そこのものすごい食い違いって、おかしいんですよ。




島田▼


コーチが選手をみんな同じ打撃フォーム、投球フォームにしてしまって、逆らうやつは試合に出さない。


それと全く同じことを、日本企業でもやっているわけです。


人材を限りなく歯車に近づけて、全体としての予測可能性を高める




養老▼


それを我慢してやっていたら、ある程度の成績をおさめて、ある程度の収入を得られてね。


でも、ある程度ということでは、やっぱり不機嫌になるんじゃないか。


日本という社会の物差しが人間規定にとどまっている限り、世界にも稀なくらい相当に正気でそのことを考えなきゃいけないんじゃないか。


それにしては、日本人はずいぶんと怠けているんじゃないかなと思う。



●日本語が日本人を不機嫌にしている?



島田▼


ぼくは言葉の問題も大いにあると思いますね。


たとえばタクシーに乗った時、行き先を告げても返事をしないで走り出すタクシーがいるのは日本だけです。


この不機嫌さは何なんだろうか。


これは、言語構造の問題に直接関わるんじゃないかと。


つまり『解りました』とほどよい恭順の意で返答する言語が日本語には存在しないんだと思うんです。


とりあえずは。




養老▼


まったくその通りですよ。


運転手と客というのは、日本語の敬語システムのなかに非常に押し込みにくいんですね。




島田▼


そうなんです。


「うん」と言うと、ちょっとぞんざいすぎる。


「はい」と言うと恭順の意が強すぎる。


英語だと「シュアー」とか、適当な言葉があるわけですね。


どこの国の言葉にもある。


だけど、日本語にはないんです。


つまり、日本人の今の辛さ、鬱気質というのは、日本語それ自体から、かなり導かれているんです。




養老▼


確かに敬語が邪魔していますね。




島田▼


だから、なんとか言語構造を変えるとか、それこそ新しい物差しを作るということをやらないと、日本人が今直面している辛さと言うのは、永久に解消しないと思いますよ。




養老▼


そこでも結局人間は何か、というところに戻っていきますね。


一番いいのは、遺伝子操作とかで人間のハードをいじって、ぼくらの考えていることぐらいは全部考えることができて、しかもそれ以上になにか考えてくれる人間を創ればいいんです。


それを昔から人間は神様と呼んでいる。


そういう人間を創れば、われわれはもう御用済みですよ。


すべて預けておけばいいんだから。


そうなれば、日本人でも機嫌が良くなるかもしれない。



昨今話題のAIとの共生、すでにこの頃から


着目されているといえるような。


90年代に考えられていたコンピュータと


現在のAIではかなり変節していると思うけれど


ここで指摘されてることは最近の養老先生と


同じで普遍な気がした。


とはいえ細かいところは違いますよ、


なんせ30年くらい前なんだから。


ところで、作家であるところの島田さんは


ご自身の著作の一冊について


質が高い位置でキープできたのは


養老先生のご支援の賜物とおっしゃる。


以下、抜粋。


あとがき 養老孟司氏について



養老さんの存在がなければ、間違いなく半分以下のクウォリティになっていた。


それが何かといえば、『世紀末日本紀行』である。


この本において、またその前段階の写真週刊誌連載の時点でも、主張にインパクトを持たせるために、どうしても奇形児の写真が欲しかった。


奇形児の標本は、どの大学病院にも必ずあるはずである。


しかし八方手をつくしても、返ってくる回答は「当方にはそのような標本はありません」の一点張りで、ほとほと途方に暮れていた。


誰もが人権問題の発生や、「身体障害者父母の会」からのクレームを恐れるのである。


むろんそれが常識というもので、実際その頃、ほんの豆粒ほどの奇形児の白黒写真を載せ、回収になった女性週刊誌があった。


そこでこの対談で知り合った養老さんを東大に訪ね、撮影の許可をお願いした。




二度ばかり大学前の喫茶店で彼と話し、この時の話が当対談よりもむしろ面白かった記憶があるのだが、確か三度目、なかば諦めかけて訪ねたら、あっさり許可してくださった。


事なかれ対応の大洪水にあって、養老さんのこの度胸にはまことに頭が下がった


彼の勇敢な人生観は、この対談の中にも多少覗いている




当時の養老先生はまだ、ぼくのような人間が知る人ぞ知る存在だった。


東大の医学部解剖学教室の教授だったのだが、やや専門違いの脳に興味を持たれて、『唯脳論』『涼しい脳味噌』などのエッセー集を書き。これがベストセラーになっていた。


もちろん当方もご多分にもれず、こういう本を愛読していた。


その後、養老さんはさかんにテレビに出られるようになり、先の吉村(作治)さんに迫るほどの有名学者になった。


しかし養老さんは、先の吉村さんに較べると、同じ学者なのにどうしてこうも違う人がいるのだろうかと感心するくらい性格の違う人だった。


どちらかというといつも不機嫌な顔をして、まわりをはらはらさせるのだが、その心根には圧倒的な優しさと、熱い挑戦心を隠している人だった。



対談自体は隔世の感もありながらも


基本路線は変わっておられない養老先生で


爽快でございました。


写真の許諾のエピソードは


この頃は教授職を辞そうとされてる頃だからか


などマニアックな考察をしてしまった。


余談だけれどこの夏の暑さを


予感させるただいま現在、セミが鳴いており


これから買い物に出かけるのに


熱中症に注意しようと思った休日でした。