「移行期的混乱」以後 ──家族の崩壊と再生」が
正式書名。短くタイトルにさせていただいとります。
解説はまた内田先生でお得です。
表紙の袖部分から抜粋
「経済成長神話」の終焉を宣言し、大反響を読んだ『移行期的混乱』から7年後の続編にして、グローバリズム至上主義、経済成長必須論に対する射程の長い反証。
解説・内田樹
第一章 人口減少の意味を探る
恣意的な記憶 から抜粋
最近つくづく思うことがある。
歴史であれ、現在起きている事柄であれ、人は誰でも、自分が見たいことだけを選択的に見ており、覚えていたいことだけを選択的に覚えているということだ。
それは、自分の経験に照らし合わせてみればすぐに分かる。
わたしの場合、かつて観た映画の中に、確かにあったはずのシーンが、映画を見直してみたら見当たらないということが何度かあった。
記憶とは過去の残像であると同時に、過去の再生であり、過去の再生には現在が必要なのだ。
そして、過去の出来事の断片を拾い集めて、自分の物語を作るとき、誰もが、自分の欲望のバイアスのかかった物語を作ってしまうのだ。
それが、「自分の固有の物語」であるということは、同じ一つの出来事に対して、その参加者の人数分だけの「固有の物語」が紡ぎ出されるというわけである。
この手の差異は、過去の出来事の物語的再生の時にだけ生じるとは限らない。
同じ時間、同じ場所で、同じ一つのモノを観ていたとしても、参加者の精神に映し出されたものが同じだとは限らない。
同じ一つの対象を、まったく異なった作品に仕上げる二人の画家を思い浮かべてみれば良いだろう。
かれらは、それぞれ自らの目に忠実な作品を仕上げたのである。
ゴッホも、ルノアールも、セザンヌも南フランスのサント・ヴィクトワール山を描いている。
当然ながら、それぞれは、まったく異なった絵である。
かれらは、自己の表現の違いや、手法の違いによって異なった風景を描いたのかもしれないが、見えていたものがはじめから違っていたのだともいえる。
およそ見たり、聴いたり、感じたりすることには、必ず欲望というバイアスがかかっている。
しかし、誰も自分の欲望に対しては無自覚なのである。
この見えない欲望について知ることができれば、今までは信じ込んでいたわたしたちの体験に対して、おそらくは正しい修正を加えることができる。
欲望による現実の修正を矯正するための唯一の方法は、その欲望がなんであるのかについて、一段高い見晴らしの良い高所からこれを眺めてみることだ。
登山の途中には、勾配の地面と目の前の草しか見えないが、頂上にたてば、山の形が視野に入る。
その時初めて、自分が歩いていた斜面が、どのような形状をしていたのかが理解できるというわけである。
株式会社というシステムについて考えるとき、その創成期の時代背景をもう一度確認しておく必要がある。
株式会社というアイデア、つまりは経営と資本が分離した利益共同体というシステムを最初に思いついたひとびとが現れたのは、17世紀後半のイギリスやオランダにおいてであった。
17世紀も終わろうとする頃、ロンドンのエクスチェンジアレイにあるパブには株の仲買人たち(ジョバー)が集まっては、資金調達の方法について語り合っていた。
遠隔地貿易における、安全な航海を実現するためには、天候や潮流の異変に耐えられるように船を加工し、積み荷を大量に確保し、人を雇い入れるための大きな資金が必要だった。
しかし、その資金調達システムには、詐欺的な行為がつきまとい、またバブル発生の要因ともなった。
次々に設立された株式会社には、取り込み詐欺や違法取引などのスキャンダルがつきまとったという。
はじめ93社あった株式会社は、数年後には20社しか残らなかったのである。
これは今にも当てはまるような気もします。
ちょっと極端な受け取り方だけど。
詐欺というには大仰かもしれんけど。
どんな仕事、会社にも、暗い部分があり
それはここで言われる「株式会社」の発祥から
継続され、今を生きる近代社会に暮らす
我々に関与せざるを得ない、と思ったり。
だからと言ってネガティブな感情のままでいたり
これで良いのだ、とは全くもって
思っておりませんが。
人口減少は問題なのか から抜粋
戦後75年間の経済成長段階の思考であった「成長戦略」「選択と集中」「企業利益の最大化」「効率化による生産性向上」といった観念から離れなければ、有史以来の人口減少社会がどういうものになるのかについての、正しいイメージを持つことはできないであろう。
中世のヨーロッパにも、江戸時代の日本も、「成長戦略」もなければ「企業利益の最大化」という概念もなかった。
そこにあったのは、「存続」してゆくことへの工夫であり、ひとびとにとっては生き延びてゆくことが第一義的な課題だった。
そのためには、今日と同じ日が、明日も訪れてくれることが重要なことだった。
わたしが言いたいことは、「成長」は普遍的な価値でもなければ、唯一の選択肢でもないということである。
当たり前のことだが、成長しながら成熟することはできない。
成長は子どもの特権であり、国家で言うならば発展途上段階特有の現象だということだ。
産業に関しても同じことが言える。
得意分野の効率最大化をしながら、同時に雇用の充実や公平な再配分はできない。
なぜなら効率最大化とは、人的資源の選択と集中ということであり、当然のことながら産業全体における公平な再分配とは相性が悪い。
社会保障についても同じである。
老人に対する福祉政策を充実させながら、競争原理に基づいた生産性の拡大を目論むことはできないのだ。
つまりは、ブレーキとアクセルを同時に効かすことはできない。
にもかかわらず、現在の経済政策や、福祉政策を見ていると、まるでブレーキを踏みながら同時にアクセルを全開にしているような光景が目に付く。
これもまた、経済成長への志向と、福祉充実への志向を同時に実現しようとするために起きる倒錯である。
倒錯的な政策を続ければ、社会は混乱し、分断されることになる。
向こう何十年かは、こういった移行期的な混乱が続くほかはない。
前著『移行期的混乱』において、わたしは、超長期的な人口動態において、驚くべきことが二つあると書いた。
ひとつは、もちろん急激な人口減少が今の日本に起きているという単純な事実である。
しかし、そのこと以上に重要なことは、日本は歴史が始まって以来、このようなドラスティックかつ長期的な人口減少を、一度も経験してこなかったということである。
わたしは、もし驚くべきことがあるとすれば、後者の、歴史始まって以来のことが起きているということであると書いた。
このことは、世界の先進国における長期的人口動態を観察しても、同じことが言える。
(長期的な人口の推移と将来推計:内閣府HP 平成26年2月14日)
つまり、人類はその進化と成長に過程で、はじめて自然人口減少の時代に直面している。
本当に女性は子どもを産まなくなったのか から抜粋
わたしたちは、外形的な出生率低下、総人口の減少という現象をとらえて、「女性が子どもを産まなくなった」と結論してしまうのだが、果たしてそれは本当なのだろうか。
驚くべきことだが、結論から述べれば、女性は子どもを産まなくなっていない。
たとえば、30~34歳の女性の出産状況を、年代別に比較してみればそのことはすぐにわかる。
左図(母の年齢別出生者数推移 5歳階級)は、母親の年齢を5歳ごとに分けて、それぞれの年齢ゾーンの母親が何人の子どもを産んでいるかを示した表である。
なんと、30~34歳という年齢ゾーンだけ見れば、出生率は上昇しているのである。
差し当たり、このことから確認できるのは、少子化という現象は、30~34歳という年齢ゾーンに入っている女性には起きていないということだ。
ところが、年齢ゾーン25歳~29歳を見ると、昭和60年(1985年)から平成22年(2010年)までの25年間で、かなり激しい少子化傾向が現れる。
つまり、少子化とは、30歳以下の若い女性において起きている現象であり、その原因は、30歳以下の女性の非婚化、言い換えるなら晩婚化が、その原因だということなのである。
しかし、なぜ結婚年齢が上昇したのか、その理由は単純でもなければ、易しくもない。
エマニュエル・ドットの慧眼(けいがん)から抜粋
(『帝国移行』エマニュエル・ドット/石崎晴己訳)
人間が、より正確に言うなら、女性が読み書きを身につけると、受胎調整が始まる。
現在の世界は人口学的移行の最終段階にあり、2030年に識字化の全般化が想定されている。
(『アラブ革命はなぜ起きたか』エマニュエル・ドット/石崎晴己訳)
息子は文字が読めるけれど父親は読めない、そういう瞬間がやって来ます。
それは権威関係の破綻を引き起こします。
しかも家族の中だけでなく、暗に社会全体のレベルでそうなるのです。
もちろん、父系で、女性の立場が男性に比べて極めて低いアラブ社会の場合には、それ(出生率)は決定的に重要です。
ドットの人口動態と社会変動との間の相関分析には、意表と突かれる。
国民国家が低開発の状態から抜け出し、開発途上を経て、安定期に至る国家成長の結果として、社会の変質が起き、それが人口減少を起こすという人口減少の「必然」が語られていたからである。
わたしはここにこそ、日本における人口減少という現象を説明するヒントが隠されていると思う。
それは、あくまでも直感に過ぎないのだが、この直感を論理的に説明するためには、日本の歴史、とりわけ、経済と、家族がどのような歴史を辿って来たのかを考証してゆく必要がある。
経済の歴史については、前著『移行期的混乱』の中で行ってきたが、家族・生活の問題に関してはまだ十分に説明しきれているとは言えなかった。
本書では、これ以降この家族と、さらに、集団的意識変化の問題を中心に考えていきたいと思う。
ドット氏には興味あって本もあるのだけど未読ですが
慧眼をお持ちなのは、これだけでもよくわかります。
たまにメディア等でお見かけいたしますが、
すごい人すね。
「価値観」の新旧交代劇というのは、
どこの世界・時代でもあるのだろうな。
我が国では大塚家具のような家族経営が
そうだったような。
もっと身近だと程度の差こそあれど
家族間においてもそうなのだろうな。
書籍に戻りまして、江戸時代の人口の増減から
明治から昭和、近代までの論考が続かれます。
第二章 家族の変質と人口増減
「個人思想」なき時代の個人 から抜粋
西欧型の個人主義思想からみれば、このイエの思想は前近代的な君主制の思想そのものであり、受け入れがたいものであったのは当然だろう。
君主制の打破から生まれてきた民主主義は、イエの思想とは本来的に相容れないのである。
イエの思想を、国家経営にまで拡張した天皇制国家主義は、ファシズムと同じ構造を持っていた。
第二次世界大戦とは、家父長たる独裁者による人知政治と、個人の尊厳に基礎を置く共和制民主主義政治という二つの相反するイデオロギーの正当性の争いであった。
だからこそ、戦勝側であるGHQは、ファシズムと同じ構造を持つイエ制度を、まず最初に、解体させる必要があったのだ。
そのためには、イエ制度の頂点にある天皇制を解体する必要があったはずである。
しかし、天皇制を解体すれば、日本人を統合していた、共同幻想はずたずたにされ、敗戦国日本は無秩序状態に陥る危険性もあった。
日本の無条件降伏を阻止しようとした、軍部によるクーデタ未遂事件(宮城事件)のことも、GHQの頭の中にあっただろう。
GHQは、天皇制を、明治憲法下のそれとは違う形で、日本にソフトランディングさせること、同時に、それまでに日本人にとっては夢想さえしていなかった個人主義的な価値観を導き入れることに腐心した。
日本国憲法のGHQ草案には、いくつかの相矛盾した問題に対して、現実的に適応しつついかに日本を無害化し、西欧的な価値観である民主主義を根付かせていくのかという、ニューディーラーたちの苦心が読み取れる。
憲法9条にある戦力の放棄の文言は、現在からみれば多分に理想主義的ではあったが、日本という敵に武装解除させなければならないという政治的意味合いの濃いものであったはずだ。
ただ、憲法9条が多分に政治的な文脈の中で書かれたのに対して、24条はより文化的・社会的な問題として、日本の特殊性、後進性に対してくさびを打ち込む狙いがあった。
「婚姻は両生の合意にのみ基づいて成立」するとは、単に結婚に関する条項である以上に、個人の尊重、つまりは人権という概念を日本人に教えるための条項であったからである。
もちろん、それだけでは人権意識が日本人の間に浸透するわけではなかっただろう。
ただ、この条項によって、日本人は「個人」が社会の最小の、侵すべからず単位であることを、初めて知らされた。
このことの意味は小さくない。
公の言葉として、個人の尊厳がこのように語られたことなど、それ以前の日本の歴史のなかではなかったのだ。
その後、日本に個人の尊厳が浸透するには
時間がかかったこと、
近代化して恩恵はある程度受けたこと
アメリカで結婚式を挙げる元社員の
式に同席し、新郎の親御さんの両親から窺える
アメリカ家族の崩壊を目の当たりにされたこと
(家族写真を撮る際のエピソードが何ともはや)
からの、
第6章 既得権益保守のために、孤立化へ向かう世界
ところで、わたしは「競争社会」を否定しているのではない。
重要なことは、競争社会というものが成立するのは、社会が拡大再生産を続けている限りにおいてだということである。
人口が減少し、総需要が減退し、総生産が下降するような縮小均衡における競争の敗者は、生存の危機に陥ってしまうだろうし、格差は社会の安定を維持できないほどに悲惨なものになるからだ。
社会不安の増大は、結局のところ社会秩序を破壊してしまうことになる。
こう考えても良いだろう。
競争が安定的に機能するのは、誰かがより多く獲得し、誰かたより少なく獲得できうる限りであり、共同体のフルメンバーが生存可能であるという条件が整っている限りにおいてである。
経済インフラが右肩上がりなら、そういうことは起こりうるし、生産性も上がるかもしれない。
しかし、もし、社会のリソース全体が縮小し、誰かがより多く獲得することが、もう一方の他者の生存を脅かすことになれば、これまでの競争原理そのものの変更が必要になる。
わたしたちが今見ている光景は、競争原理から次の原理へと移行するその混乱そのものなのである。
そして、次の原理とは何なのかについて、わたしたちは実際のところ何も明確なヴィジョンを持っているわけではない。
ただ、全てのシステムが、移行の途中であるということだけは、確かなことのように思えるのである。
わたしたちがいまできるのは、移行期の先にあるであろう、あいまいなヴィジョンを提示することではないのかもしれない。
さしあたり、現在進行中の移行の様相がどのようなものなのかについて曇りのない目で観察し、そこに言葉を与えていくことだろう。
そのような日常的な観察と、省察を積み重ねることで、あり得るかもしれない未来というものが少しづつその輪郭を表すことになるはずである。
あとがき から抜粋
私事になるが、5年ほど前に、早期の肺がんらしきものが見つかり、経過観察していたのだが、病巣がやや成長しているということだったので、思い切って手術することにした。
手術は4時間半かかったそうだが、全身麻酔のわたしにはもちろん、その時間の自覚がない。
気がついたら、全てが終わっており、痛みだけが残った。
医学の進歩は凄まじいもので、肺の三分の一を切除したのに、手術後5日目には退院ということになった。
ゲラを読み返して、気づいたことがある。
わたしがここに書いたことが、この国に実現されるとき、つまりは人口が5000万人ほどになった日本にわたしは、いないということである。
それは100年後の話だからである。
そのとき、この国は極東の模範的な福祉国家になっているのか。
あるいは世界の金融センターとして世界経済を牽引しているのか、あるいは世界は全く別のところに行ってしまっているのか。
手術後に、手元にもどったゲラのように、100年後の日本の、わたしの遠い知己の手元に、この原稿が届くのを想像することほどわくわくすることはない。
もちろん、そんなことは、ありえないことは承知している。
しかし、本書によって、こんなことを考えていた人間がいた痕跡だけは残ることになる。
この原稿と、これに先立って発表した『移行期的混乱』は、わたしにとっては、自身の存在証明のような重要な意味を持っていることだけは、ここに記しておきたいと思う。
解説 「第三の共同体」について
内田樹 から抜粋
本書の主題である人口問題・晩婚化「問題」は平川君の専門分野である。
エマニュエル・ドットはともかくも、鬼頭宏とか速水融になると、わたしは名前も知らない人たちである。
そういう人たちの書き物をこつこつと読んで、噛み砕いて、その学知のエッセンスを伝えてくれる平川君の努力をわたしは多とするものである、
この分野においては、彼がわたしの「メンター」である。
多くの日本人読者にとってもそれは変わらないと思う。
彼以外に「こんな話」を書く人はいない。
家族に代わる共同体が必要で、
平川さん曰く、それができるだろうかに対し
内田さんはできる、ということが若干冗舌に
お書きになられている。
しかしこの二人の関係性は、
なかなか魅力的なものがある。
価値観が大きくずれないで、小学生時代から
老いと言われる時期まで過ごす関係性って
素敵だと思うからだ。
大体そういうのって、環境が異なり疎遠になるとか
仲違いとかしてしまって、いなくなるものだから。
関係性だけが魅力なのではなく、個人として
年齢にあったステージの変えかたとでもいうか
それが揃っているのが素晴らしい。
語彙力・時間不足でうまく言えないけれど。
平川さんの書籍に戻って、「あとがき」読むと
前作と今作が最重要であると認識を示され
それは2022年の現在でも不変だろうなと思った。
そして100年後でも不変だろうなと勝手に感じた。
そのほか、気になった点として
デマゴーグの出現としてヨーロッパの動向とか
毎日新聞でエマニュエル・ドット氏が
「日本が直面している最大の課題は人口減少と老化だ。
意識革命をして出生率を高めないと30~40年後に
突然災いがやってくる」
について、新聞編集者が補足・総括してる件
平川さんはそれは読者のミスリードを
誘うだろ的な解釈とか。
少子化と一言で言っても本質は見えてこないぜ
それで「異次元の少子化対策」ったって
解決できねえぜってのが聞こえてきそうだなとか。
(って書いてありませんよ、勝手に思っただけで)
余談だけど「異次元」ってのも
なんだかなあ、
ってのは個人的に言いたいだけだけど。
(今風ってことで古風な自分には
馴染めずで自分の感性がすでに
埴谷さん化してると言わざるを得ない。)
さらに余談だけど、平川さん経営の隣町珈琲で
新年会に、内田さん参加したら
養老先生もいらしたと内田さんのブログ。
みなさん体調にはお気をつけて過ごしましょう!
って誰に言ってるんだよ。
あえていうなら自分にかも。