SSブログ

移行期的混乱―経済成長神話の終わり:平川克美著(2013年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


移行期的混乱―経済成長神話の終わり (ちくま文庫)

移行期的混乱―経済成長神話の終わり (ちくま文庫)

  • 作者: 平川 克美
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/01/01
  • メディア: 文庫

文庫版だと、内田樹、高橋源一郎さんが

解説という平川さんからの豪華リレーで


ございます。凄いメンツだよな、これは。


それぞれ含蓄のある文章で深いとしか言いようがない。


まえがき から抜粋


ヒカカワの書くものには、明確な答えもなければ具体的な処方というものもないというご批判をいただくことがあるが、はなから答えのないものだけを選択的に取り出して論じているのだから仕方がない。

それが、わたしにとっての書くということの意味なのであり、本書においても事情は同じである。

いつも「書かれなかった最終の一行」というものが、わたしが書き続けられる動機でもあるのだ。

その最終の一行はこういうものだ。

「さあ、ではわたし(たち)はどうしたらいいんだろう」


別の書籍でも平川さんおっしゃってたけど


昨今売れている書籍って、即効性を求める


刺激的なものが多いと編集者に告げられたと。


そういう視座からすると平川さんの本は


そういうのとは異なるし


それを求めても答えはないので、


一緒に考えるしかないだろうな。


それは書籍を売るという視点からすると


今の時代にそぐわないものなのかも。


戦後の荒廃から立ち直り、高度経済成長の時代を経て、ひとびとの暮らしは便利になり、街の景観は一変したが、その変化を速度に合わせるように、次々と新しい問題が発生し、希望は徐々にしぼんでいき、代わって困惑が拡大しているようにも思える。

わたしたちが抱えている今日的問題、たとえば人口の減少、経済の停滞、企業倫理の崩壊、倒産や自殺の増加、格差の拡大といったことは、これまでも様々な対策が考えられてきたはずであり、わたしたちのだれも、このような問題が持ち上がることなど望んでこなかったはずである。

にもかかわらず、これらの問題は社会が発展すればするほど、解決されるどころか拡大してゆくようにさえ見える。


人間とは、まことに自分たちが意図していることとは違うことを実現してしまう動物なのだと思う。

いや、社会とは個人個人の思惑や行動の集合によって形成されるものだが、その結果はつねに個人の思惑や行動を裏切るように発展していくものなのだ。


ややこしい言い方で申し訳ない。

しかしほとんどの問題には短期的で合理的でクリスプな解決策があるが、同時にほとんどの問題にはその解決策が生み出す発想そのもののうちにすでに孕まれているということを言いたいのである。


2008年の秋にアメリカでリーマン・ブラザースが破綻し、金融危機が瞬く間に世界に広がったとき、多くの評論家や政治家が「これは百年に一度の危機である」と言っていた。

だからそれに対処するためにあらゆる金融対策を可及的すみやかに実行してゆかなければならないとも言っていた。

そしてできるだけ早期に経済を回復し、成長軌道を取り戻す必要があるとも言っていたと思う。


現在わたしたちが目にしている問題の多くは、文明の進展、技術の進歩、民主主義の発展、生活の変化というものが複合してもたらす、長い時間の堆積の結果として現れる現象と、急激に広がるグローバリゼーションの結果が、アマルガムのように溶着されて時代の表層に浮き出てきたものだろう。


第二章 「義」のために働いた日本人


青い鳥の時代 から抜粋


経済状況を見ていると、1959年から経済成長率は10パーセントを超えるような急激な成長を見せる。

池田勇人の内閣が誕生するのが、60年であり、そのキャッチフレーズこそが所得倍増であった。

国民的関心が、アンポから所得倍増へ切り替わったのがこの時期であり、政治的、イデオロギー的な価値観が、旺盛な経済が作る消費的な価値観にとって代わられた。


先に引用した、日本の高度経済成長を企図したひとびとの運命を描いた沢木耕太郎の『危機の宰相(2008年)』の中で、沢木は、高度経済成長がやがて終わること、そのときにはまったく異なった社会が訪れるだろうということを、同書の主人公のひとりであり、高度経済成長の理論的支柱であった池田内閣の参謀である下村治に言わせている。


「日本経済は高度成長からゼロ成長に押し出されてしまったのです。

それに適応しなくてはならなくなってしまった。

しかし、ゼロ成長だからといって悲観ばかりしている必要はありません。

経済がゼロ成長に適応してしまえば、不況も何もない静かな状態が生まれてくることになる。

ところが、いまは高度成長に身構えていたものをゼロ成長に対応できるように変えなければならない。

そこに混乱が起こる原因があるんです。

ゼロ成長を生きるためには、これまで高度成長に備えていたものを切り捨てなくてはなりません。

たとえば膨大にある設備投資関連の産業は整理されていくことになるでしょう。

しかし、その代わりに、これまで設備投資に向けられていた資源と能力が解放されることになります。

今後は、それを生かして、生活水準の充実や環境条件の設備に使うことができるようになります。

もちろん、そこに至るまでには過渡期的なプロセスがあるはずですから、それが苦しみとなって続くということになるのでしょうか……」


第3章 消費時代の幕開け


週休二日制という革命 から抜粋


高度経済成長期以前の日本人にとって余暇とは何かということは、まさに盆と正月というハレの日に、親戚一同が集まって酒を酌み交わすといった儀礼の中以外に、うまく想像することのできないものであり、日々の糧を稼ぎ出すことの対極にあるのは「なまけ」であり、「あそび」でしかなかったのである。

その日本人の労働意識、余暇に対する意識が決定的に転換したのが1980年代であった。

週休二日制の導入はその象徴的な出来事である。


この「労働日」の変化について、当時の知識人のなかで、もっとも鋭敏な認識を示したのが、吉本隆明であった。

1985年に埴谷雄高との間で交わされた「コム・デ・ギャルソン論争」のなかに、当時の吉本の面目躍如たる思想性を見ることができる。


埴谷雄高にとっては、この消費の時代が前面に押し出した風景は、かれじしんが単独で切り開いてきた思想と乖離を広げるだけのものでしかなかったともいえるだろう。

しかし、インターネットにせよ、携帯電話にせよ、あるいはコンビニエンスストアにせよ、時代を変化させるものたちは、必ず軽佻浮薄(けいちょうふはく)な意匠を伴って登場する。

吉本隆明が批判したのは、埴谷がおのれの美意識が必然化した「遁世観(とんせいかん)」を、思想めかして、当時の風俗の光景を独占資本による収奪であると語ったその、思想の立ち位置であった。

もし、埴谷が

「俺はちゃらちゃらした風俗には馴染めない。そんなものは俺は嫌いなんだ」

といえば、この論争は起こらなかっただろう。

しかし、埴谷はこれを美意識の問題ではなく、政治的=党派的=倫理的な問題として断裁しようとした。

このような問題の無意識的なすり替えを吉本は「擬似倫理」と言って罵倒したのだ。


当時の日本人のほとんど誰もが、この週休二日制をただの時代の流れの中で一つの現象としてとらえ、ほとんどそのことの意味に注意を払うことがなかった。

あるいは、単に生活の余裕の拡大、人間性の回復、消費文化の拡大といった旧来の思考の延長でこの週休二日制をとらえていた。

しかし、吉本隆明は、おそらくは『資本論』第一巻、第五編「絶対的余剰価値と相対的余剰価値の生産」のなかでの、マルクスの労働日に関する徹底した考察を背景にして、この週休二日制こそは「革命」的な転轍点になるという炯眼(けいがん)を持ちえたのである。


自分が働き出した頃だから、30年余前。


休みは「日曜日」だけ、


「土曜日」が休みになったのは2〜3年後。


確かに「時代の流れ」としか思ってなかった。


バブル終焉期とはいえ、豊かになった証で


時代は変わった程度の認識しかなかった。


とはいえ、小さなデザイン会社ゆえ


毎日徹夜の連続だったけれども。


あれはほんとに”平成”だったのだろうか


と今にして思ったり。


余談だけど、平川さんの分析として


「コム・デ・ギャルソン論争」、


思想にせずにぶっちゃければ論争なぞ


ならなかっただろうという件。


埴谷さん的には「こんなん嫌だ」とは


言えなかったのだろうな、大思想家だもの。


でも面白くて腑に落ちてしまいました。


大概の喧嘩ってこういう見栄とか


自尊心のキープっぷりからくる


ボタンのかけ違いななのだろうな。


第5章 移行期的混乱 経済合理性の及ばない時代へ


経済成長という病 から抜粋


経団連をはじめとする財界が「政府に成長戦略がないのが問題」といい、自民党が「民主党には成長戦略がない」といい、民主党が「わが党の成長戦略」というように口を揃えるが、成長戦略がないことが日本の喫緊の課題かどうかを吟味する発言はない。

「日本には成長戦略がないのが問題」ということに対して、私はこう言いたいと思う。

問題なのは、成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだと。


むすびにかえて から抜粋


本書の執筆中、わたしは母親を亡くした。享年82であった。


以後、わたしは85歳の老いた父親と二人暮らしをすることにした。

これまで、会社の仕事にかまけて日常は妻にまかせっぱなしだったわたしの生活が、これを境に一変した。

会社を終えると、実家の近所のスーパーで食材を買い込み、夕食の支度をし、父親と差し向かいで夕食を食べる。

時間を見つけて洗濯、アイロンかけ、風呂の掃除などをする、主婦がやっていることを、すべて自分がやらなくてはならなくなったのである。


85歳の老人と還暦の男の生活にとって、しなくてはならないことといえば、何はともあれ食うことである。

それ以外に生産的なことは何もない。

それでも、毎日毎日よくこれほどゴミがでるなと思うほど、多くのゴミを排出しながら生活している。

人間の生活にとって根本的なことは、食って、寝て、排出して、また食って、寝てという繰り返しである。

こんなことに意味があるのかなどとは思わない。

それが生きるということであり、もしこの生活が続いていくのなら、それはある意味でわたしが待ち望んでいたことでもある。

この繰り返しには、ゴールというものがない。

この繰り返しには、進歩という観念もまたないのである。


介護の日々は「俺に似た人」という


作品に昇華されておられますけど


それは読んでて辛かった。


あまりにもリアルすぎて。


平川さんの詩的な捉え方を感じられる


貴重なドキュメンタリーだというのは


分かったのだけど。


解説 僕たちの「移行」と「混乱」について


内田樹 から抜粋


何年かビジネスをしてきて、平川君も僕もそのことを理解した。

その教訓は深く身に染みている。

それからあと、二人はそれぞれに違う仕事をしてきたが、

「ものをぐるぐる回すために必要なものは何か?」

という問いから関心が離れたことはたぶん一度もない。

平川君はその問いをビジネスの実践と研究の中で、僕は同じことを教育実践と武道修業を通じて考えてきた。

そして、現段階でふたりがたどりついた暫定的な結論もよく似ている。

それはひとことで言えば

「金のない奴はオレんとこへ来い」

ということである。

別に「オレ」が大金持ちだからそういうことが言えるわけではない。

実は「オレもない」のである。


不思議なもので、こうやってぐるぐる回っていると、金はないのだが、なんとか生きて行けるのである。

ぐるぐる回ることによって何かが生成したからである。


「わらしべ長者」という話がある。


交換を続けているうちにとうとう男は長者さまになりましたという話である。


平川君も僕も相変わらずの「交易の旅」を続けている。

僕らが手にしているのは

「わらしべにアブを縛り付けたもの」

のような、なんだかその用途も有用性も知れないものである。

でも、どこかの子供が

「これ、欲しい!」と言い出して、ミカンと交換できるかもしれない。

レヴィ=ストロースによれば、そういうものを手にしている人間がひとりごつ言葉がある。

こんなものでも何かの役にたつかもしれない(Ça peut toujours servir)」

というのはそれである。

これも「金のない奴はオレんとこへ来い」

と並んで、僕たちがたどりついた経済活動についての「根源的な真理」の一つである。


市場規模がどうであろうと、平均株価がいくらであろうと、為替ルートがどうであろうと、そんなことは副次的指標に過ぎない。

ものが「ぐるぐる回っている」限り、人間は交易をしている。

交易をしている限り、人間はそのために必要な制度を考案し、そのために必要な人間的資質を必ず育むはずだ。

平川君はたぶんそういうふうに考えていると思う。

この本もまた彼にとっての「わらしべ」であると僕は思っている。

誰かが「欲しい」と思ってくれたときに、その書物はそれ以外のどの書物も持つことがなかった輝きを獲得する。


解説 時代が語る時の声 


高橋源一郎 から抜粋


平川さんは

「旋盤工として働きながら、すぐれた小説やルポルタージュを発表してきた小関智弘」さんについて、語っている箇所の最後にこう書いている。


「わたしは『昨晩もよなべだったよ』という何度も聞かされた父親の言葉を思い出す。

『それが、働くことと、生きることが同義であるようなひとびとなのですね』と、わたしは以前、小関さんから頂いたお手紙の中に書かれていた言葉を口にした。

それに対するこたえとして小関さんはひとつのエピソードを語ってくれた。

それは、ある時、池上本門寺の近くのテーラーに背広を作りに行ったときの話である。

テーラーの親父が、一通り採寸をすませた後で『あなた、ひょっとして旋盤工ですか』と言ったのだという。

『旋盤工は右肩が下がるんですよ。足もふんばるので、ガニまたになっちゃってね』

小関さんも凄ければ、この洋服屋もまた凄い。

わたしの父親は、右手の人差し指と中指は第一関節のところで切断されている。

左手の中指も同様である。

プレス屋にとっては指を落とすことはほとんど、勲章のようなものであったのかもしれない」


わたしは、ここに「平川さんも凄い」と付け加えたい。

この本の中では、わたしたちの「時代」の運命が語られている。

それは「客観的に」ではなく、まるで「時代」自身が自分の運命を語っているように、である。


高橋さんも凄い。って凄いのループですな。


平川さんの造語という「移行期的混乱」は


この時点(2013年)ではまだ、


東日本大震災、安倍政権、不祥事続きの企業


などが主眼なのだけど、


今現在、コロナ禍やウクライナ戦争を経て


どのように変節しているのか、興味深い。


それと、株式会社とか資本主義の終焉から


ご自分の身に照らし合わされ考察の様が


なんとも説得力炸裂で、


多くのエコノミストと異なる。たぶん。


 


余談として平川さんのご経歴で


翻訳会社のいち社長から


何故にここ10年位での圧倒的な


質と量の作家になられたのか。


その仕事っぷりってほんとに凄い。


何がそうさせているのだろうかなと


ラジオデイズで超有意義な


「交易の旅」があったからなのか


介護の日々で人生に直面したからなのか


と、まったく余計なお世話を


夜勤明けでひと眠り後、頭が痛くて


もしや感染してしまったのかなどと


不安にうち震えながらの


感想を持つ次第でございました。


nice!(28) 
共通テーマ:

nice! 28