昨今、「環境問題」や「エネルギー」について


書籍を読んでおりまして、


その流れでこの書籍を読んでみた。


東日本大震災直後の御三方の鼎談で


話はエネルギー革命に及び、


整理されたその段階が興味深かった。


調べてみると1976年出版の人類学者の


言説のようだった。




大津波と原発



  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版

  • 発売日: 2011/05/17

  • メディア: 単行本





IV 原子力エネルギーは生態圏の外にある


「人知とシステムへの不信」から抜粋



(A・ヴァラニャック「エネルギーの征服』蔵持不三也訳)


「エネルギー革命」


■第一次革命


火の獲得と利用。


火を発火させ安全に保存する技術が開発されることによって、「炉」を中心とする「家」というものができた。


 


■第二次革命


農業と牧畜が発達して、いわゆる新石器の時代が始まる。


農業は余剰生産物を生み出して、交換経済が発達するようになる。


初期の都市が形成される。


 


■第三次革命


家の「炉」から冶金(やきん)の「炉」が発達して、金属がつくられるようになる。


火の工業的利用が発達するようになり、同時に家畜や風や水力がエネルギーに源として利用される。


金属の武器の発達は国家を生み出す。


 


■第四次革命


火薬が発明される。


これは十四世紀から十六世紀のことである。


化学反応の速度を高めて、燃える火から爆発する火への移行が起こる。


インカ帝国の滅亡はこれに起因する。


 


■第五次革命


石炭を利用して蒸気機関を動かす技術が確立される。


これをきっかけとして、産業革命が起こる。


 


■第六次革命


電気と石油。


十九世紀の西欧では、電気が新しいエネルギーとして発達を始める。


原子を構成する電子の運動から、エネルギーを取り出す技術である。


電子の運動は電磁波をつくり出し、ここから電磁通信の技術が発達するようになる。


アメリカでは石油が新しいエネルギーとして注目され、実用化される。


自動車産業の発達。


「フォード主義」は現代的な資本主義生産モデルとなる。


 


■第七次革命


原子力とコンピュータの開発。


いずれも第二次大戦の刺激によって発達した技術である。


コンピューターは電子の量子力学的ふるまいを情報処理に利用した技術だが、この技術がなければ原子力エネルギーのコントロールはほとんど不可能に近い。


 


A・ヴァラニャック「エネルギーの征服』蔵持不三也訳)




■平川


その六次と七次の間には、大きなギャップがあるんですか?


 


■中沢


大きい分水嶺(ぶんすいれい)が、1942年12月のシカゴ大学で実現した原子炉によってもたらされました。


それまでの石炭・石油による第五次・六次のエネルギー革命では化石からのエネルギー取り出しが行われてきた。


もともとは十数億年前の藻のような植物や動物の遺体が地下に埋葬され、化石化していたものをまた掘り出して使うという形ですから、もともと地球生体圏の中に生きていた生き物の体を変性したものですね。


生体圏の中に生きている生き物は、太陽エネルギーを自分の中で濾過するフィルターの働きをしています。


植物は光合成をしてエネルギーに変えて、動物は植物や他の動物を食べて、その身体に蓄えられたエネルギーを自分の中で燃やすことを続けています。


しかし第七次エネルギー革命というのは、決定的に今までのものとは構造が異なっていて、生体圏の完全に外にあるエネルギー源を取り出そうとした。


原子核の中に操作を加えるということですね。


それまで使われてきた化学エネルギーは、外側の電子の部分だけが問題だったんですが、原子核の内部に操作を加えちゃうというのが第七次エネルギー革命が起こると同時に火力や水力による発電も発展していきますけれども、それを通して大量消費時代が始まったわけです。




第七次エネルギー革命のいちばんの問題点は、これが大量生産と大量消費による経済成長を求める産業界と結びついて、一つの盲目的なイデオロギーを形成してきたということなんですね。


それは単一化を進めるモノイデオロギーを形成しますが、それはモノテイズム(一神教)の思考法の変性版で、単一原理を蔓延させていこうとします


日本はもともとモノテイズム的な発想は苦手で、いろんなものを寄せ集めてね、神様も仏様も習合しちゃえっていう、この考え方でずっとやってきた民族です。そういう人たちには、ブリコラージュは得意ですけれども、モノテイズムは今までにノウハウを蓄積してこなかった。


しかし産業イデオロギーの巨大な渦の中に日本人は巻き込まれ、原発の開発をやみくもに推進してきました。原発の意味も自由経済の意味も棚上げにして、走ってきた。そして、福島の事故にまでたどり着いてしまった。




日本は第七次エネルギー革命に、ある種の挫折を体験して、そこから別の道に入ったという方向を開いていかなきゃいけないし、これはぼくらがやっておかなければいけないことだと思うんです。




■内田


やっぱり原子力というのは、一神教における神に類するものだよね。


■中沢


そうなんです。原子力は一神教的技術なんです。


■内田


それでわかったよ。あのさ、日本人というのはさ、一神教的な神のようなものについては、これをどう扱うかについてのノウハウを全然持ってないんだよ。


日本における神様というのは、さっき中沢さんは「習合」とおっしゃったけれどもさ、ステークホルダー(利害関係者)をやたら多くすることによってがんじがらめにするというシステムなんだよね。日本の原発って、まさにそうでしょう。


政治が絡んで、技術が絡んで、地域振興が絡んで、公共投資が絡んで、雇用が絡んで、交通インフラが絡んで…


ありとあらゆるものが関係者なわけでしょう。


■中沢


箱物もね。


■内田


そうそう。日本人ってこれが大好きなんだよ。利害関係を複雑怪奇にするのが。



大人としてこういった構造が分かる気がして、


へんに気を回してしまい、言い淀みがちなんだけど


「原発」とは「一神教」のようなもので、


宗教の根付かない日本なはずなのに、


中沢さんの言説から考えるにそれは「利権」となり、


グローバル資本主義へという


公式になってしまうよなあと解釈。


 


そして話は、繋がるようで繋がってないのだけど


「仕事と生活」というところに及ばれまして


以下を引かせていただきました。


「記者の実感と紙面の乖離」から抜粋



■中沢


内田さんのことを批判していた人たちがまっさきに疎開するんじゃないですか?


■内田


ぼくがちょっと腹を立てたのは、メディアの諸君というのは、新聞社の人にしても、出版社の人にしても、いちはやく自分の妻子を疎開させているんだよ。


■平川


それはそうだろうね。


■内田


もう震災直後に。当たり前なんだけど、彼らはニュースが早いからさ。


■中沢


そういう人を何人か知っています。(笑)


■内田


現場に行った人から直接話を聞いているからね。


現場ではぜんぜん危機管理ができていないっていう実態を知っているわけだから。


それで戻ってきて社内で話すわけだよ。記事にはならないけど。


「現場は大混乱だよ」ってね。


そういう話はそのまま記事にはならないけれども、とりあえず家に帰って妻子に向かって、


「お前ら、実家に帰ってろ」って。


どんどん、実家に帰しているのよ。


ぼくが腹立つのは、自分は黙って妻子を実家に帰している連中が、東京を離れようとする人たちのことを茶化したり、非難がましく報道したりしているという点なんだよ。


ジャーナリスト自身の生活実感と紙面構成がまるで乖離してるじゃないか。



自分だったら、どうするかなあ、と。


11年前子供が生まれたばかりの時は、


疎開先がなかったから関東に留まったけれど


もしも疎開先があり、正確な情報が身近にあったとしたら。


内田さんのおっしゃる事は、言ってることとやってることの


「ギャップ」のことかと。


 


ちょっと異なるけどこれを読んで思い出したのは、


以前にもご紹介した


養老先生の本の引用の引用でございます。





「自分」の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ



  • 作者: 養老孟司

  • 出版社/メーカー: 新潮社

  • 発売日: 2014/12/19

  • メディア: Kindle版





第9章あふれる情報に左右されないために


「テヘランの死神」から抜粋



原発事故の後に思い出した寓話があります。


事故直後、放射能を恐れて避難した人たちがいました。


本当は、避難することのリスクもあり、それを伝えている人もいましたが、放射能を過度に恐れていた人たちは、その危険性を強調するような情報ばかり見ていたから避難したのです。


あの時は、本当は避難しない方が良かった老人たちがたくさんいました。


無理に避難したことで、結果的に健康を損なって、中には命を落としてしまった人まで出てしまいました。


そのことは事前に言われていたけれども、なかなか伝わらなかった。


冷静に見れば、どう考えても影響がなさそうなところ、たとえば東京に住んでいるのに関西や九州に逃げる人までいました。


警戒区域などではないのに、こういう行動に出る人がたくさんいると知った時に、少々乱暴な言い方ですが、


「世間が壊れてきた」


と感じたものです。


少なくとも戦時中は、そんなことは世間が許さなかったでしょう。


「少しでも不安があれば逃げて何が悪い」と言われるかもしれません。


その人は、起きた状況と自分たちを切り離しています。


それまで同じところに住んでいて、その場にとどまる人たちのことも切り離しています。


少なくとも、その場にいる人たちと共にいようとは考えなかった、ということでしょう。


もちろん、どういう行動をするのかは自由ですし、責めるつもりもありません。


その時、思い出したのが、「テヘランの死神」という寓話でした。


ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』の中に出てきます(以下同書をもとに紹介します)。


 


裕福で力のあるペルシャ人が、召使をしたがえて歩いていると、急に召使いがこんなことを言います。


「今しがた死神とばったり出くわして脅かされました。


私に一番足の速い馬を与えてください。


それに乗ってテヘランまで逃げていこうと思います。


今日の夕方までにテヘランにたどり着きたいのです。」


主人が言われた通りに馬を与えると、召使はそれに乗って去っていきました。


その後、主人が館に入ろうとすると、死神に会ってしまいます。


そこで主人が、


「なぜ私の召使を驚かせたのだ、怖がらせたのだ」


と言うと、死神はこう答えました。


「驚かせてもいないし、怖がらせてもいない。


驚いたのはこっちだ。


あの男に、ここで会うなんて。


やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」


これは寓話なので、いろんな解釈が成り立ちます。


どう解釈するかは、お任せします。



この寓話の解釈は「避けられぬ運命」


みたいなような気がしまして


「ギャップはいかん」という内田さんの言説と


「避けられぬ運命」だという養老さんの


寓話からの自分の解釈。


 


ちょっと異なるどころか、


まるで異なるね、論旨が。


 


もしくは深すぎて今の自分では


手に負えない。失礼いたしました。


眠くて考察・分析を放棄、


ツラ洗って出直してきます。