阿部先生にさらに想い馳せ続けている。


なぜかは知らねど。


中世に今まで興味もなかったのだけど。





歴史を読む―阿部謹也対談集



  • 作者: 阿部 謹也

  • 出版社/メーカー: 人文書院

  • 発売日: 2023/05/29

  • メディア: 単行本





もう一つの「近代の超克」(1980年)


対談相手:栗田勇(作家・評論家)



栗田▼


結局、近代社会というものは、物の生産を価値の規範とした時代ですよ。


そこに世界があると考えたわけだけども、一口でいえば、物以外の人間の部分。


忘れられたもう半分の世界ということを、もういっぺん考えようじゃないかという動機が非常に強くなってきている。


考え方によると、たとえば中世で非常に大きな意味を持った死という問題は、近代になっても一歩もっすんでないんですよ。


ただ忘れることが非常にうまくなっただけで、霊安室で死のことを考えるのを打ち切っているのに過ぎない。


場合によったら、いわゆる迷信の方がより精密な、体験的な、あるいは感覚的に死に対する理解を持っていたかもしれない。


そういうものをもういっぺん回復するということは、先ほど阿部さんご指摘のとおり、人間を全体としてもういっぺん開拓したいということじゃないですかね。




阿部▼


中世の人々は、死者をしょっちゅう目の前に見ておりますね。


これは法医学の渡辺富雄氏が書かれていることですが、法医学者は、仁王様とか愛染明王などの異様な色とか形が説明できるというんです。


死後数時間たって、筋肉がみんな弛緩して、柔和な菩薩の顔になり、また何日かすると真っ赤になり、青くなっていく。


これは全部、死後の死体の変化を描いたものじゃないかと言っていましたが、中世人はそういうものを見ているわけです。


腐っていく状態というものを。


ですから、ビジュアルにも考えざるを得なかったけれども、今われわれは死者を見ることがないんですね。


それと、中世と時代は一方で飢えへの不安がかなり強い要因を占めていて、18世紀に至るまで、ヨーロッパでも飢えているわけです。


ですから、飢えの世界の中での、祈りみたいなものが目に見えない絆のようなものを自覚さえているし、自覚せざるを得ない状況に置かれている。


ところが、今中世の復活に関心を向けているのは、みんな僕は先進国だと思うんです。(笑)


先進国で、文化が進んでいる地域では、中世に対する関心が強い。


しかし、開発途上国で中世なんていうことを言っても、誰も関心を向けないし、実際に今飢えが進行しているところでは、感性的なものより、もっと具体的な物を、という言葉が出てくるだろうと思うんです。


そういう意味では、中世文化を考えるときに、基本的には、飢えていたということを押さえておかなければいけないんじゃないかと思うのです。



飢えがないが故に、物の生産(性)に


価値が置かれる。


飢えてたらそれどころじゃないってことで。


しかしこれから先の世の中わかりませんよ。


コロナ後の世界、飢えも到来するかもしれない。


だとして、中世から学ぶことは多そうな気もする。


 


中世の影(1982年)


対談相手:安野光雅(画家・絵本作家・イラストレーター)


 


時計の時刻・砂時計の時間 から抜粋



阿部▼


10年ほど前、何べんも経験があるんですが、夕方、子供に時間を聞かれるんです。


それも4歳くらいの子に「すみません、おじさん、今、何時ですか」といって。


何時何分まで聞かれる。


日本ではそんな経験まずないので、三べん目か四へん目に、どうして時間のことを気にするのかと聞いたら、お母さんに四時何分までに帰ってこいと言われているから、というんです。


そのころは時計を持っていないですからね。


ところが安野さんもたぶんそうでしょうが、ぼくらが子供の頃、夜、自分の家に帰る時間なんて決められたことはないわけです。


どこからか、「ごはんですよ」と聞こえてきたり、暗くなったから帰ろうということだったんです。




安野▼


あのころは、電気がついたら帰れというのが一つの目安だったのね。




阿部▼


そのころになると電気が来るわけですね。




安野▼


発電所から電気が来て町中にパッと電気がつく。


そうすると、こりゃいかん、帰らなきゃいかん。


これなんですよ。


今はそういうふうに言うのも恥ずかしいけれども、電気がついたら帰れということでしたね。


ヨーロッパではどうでしょうね。


鐘が鳴るとか、何かきっとあるんでしょうね。




阿部▼


そうですね、今の日本はみんな時計になっちゃった




安野▼


そして何時何分までわかる。




阿部▼


そういう意味では、ヨーロッパの12世紀から13世紀は機械時計、歯車の時計がつくられた時代ですが、ある人にいわせれば、これが近代社会を決めてしまったというんです。


それ以前は、砂時計とか水時計、日時計といったもので過ごしていたんですが、砂時計、水時計なんていうのは。どちらかといえば腹時計と似たようなもので、歯車時計とは全然違う性質のものです。


ところが機械時計は秒を刻んでいく。


われわれの生活とは何の関係もない秒の刻み方をするわけで、今、ぼくはその辺のこと、つまり時間の意識の問題をやりたいと思っているんです。




つまりわれわれはヨーロッパ人よりもたくさん時計を持っていますが、必ずしも時間に正確に集まりません。


会議といったって、偉い人が来ないと始まらないとか、私的な会合だと、20分ぐらい遅れないと貫禄を示せないとか、ピタっと始まりやしない。


ヨーロッパの人はそういうことがないんですって。


偉い人が来なくても、時間がくれば始める。


遅れるのが悪いというのが北ヨーロッパです。


とにかく時間はピシャっと決める。


だから日本人は二重の時間構造を持っているんです。




ユンガーは、こういうことを書いています。


「誇張かもしれないが、私の友人によると、東京には公共時間は中央郵便局と東京駅の二つしかないらしい。


そしてその二つが一致していた試しがない。


また、日本人は昼間は西洋風の時間で仕事をし、家に帰ってひと風呂あびた後は昔の時間に戻るんだ」


というんです。



そんな捉えられ方だったのか、日本人は。


西洋と東洋の混在はわかるのだけど


時間概念が二重というのにまで及ぶのか。


”北”ヨーロッパってのもディティールを


よくご存知の方ならでは。


北と南だと異なるのだろうな。


 


死者の健康のために(1984年)


対談相手:若桑みどり(西洋美術史・千葉大学教養部教授)


 


現世意識が彼岸意識を規定する から抜粋



阿部▼


ヨーロッパの歴史を見ますと、中世の末期というのは、そういう意味では、死の世界が正面にグッと出てきた時代ですね。


 


若桑▼


そうですか。


 


阿部▼


一見ね。


 


若桑▼


トランジ(フィリップ・アリエス・変容死体)の時期ですね。




阿部▼


僕は基本的には現世意識というものが彼岸意識を規定しているんだと思いますけれども、たとえば今のエリートたちも、政治家たちも自分が死ぬなんてことは夢にも考えてないわけです。


つまりエリートというのはいつもそういうことを考えちゃいけないんです。




実はみんな死を迎えるに違いないんだけど、そちらの方だけでとにかく押していこうとする。


それがある意味で社会全体の風潮になるような時期というのがあって、日本の場合、今そうなりつつあるんだけれども、それがある時期から他方の反対を生むわけで、それで『生と死』が売れるなんて」いう事態も起こってきているのでしょう。


これからまた変わるかもしれないんですが、また、正面に「死」が出てくる時期というのもまがまがしいというか、うさん臭いところがありますね。



「死」の隠蔽 から抜粋



若桑▼


成功者たち、エリートたちが、自分が死ぬなんて全然かんがえてないというお話があったんですけれど、いつから始まったのかわかりませんが、工業化がすごく進んできて、後期資本主義の時代に入ってからなんでしょうけれど、時代的には一番すごいのが第二次世界大戦以降かな、あることが完璧にうまくいくということと、人間が健康であるっていうことが同じ価値を持つのは。


アメリカの社会が典型で、大統領がジョギングしているなんていうのが、まさしく幸福と成功の絵姿ですね。


現代はそういう価値に全部切りかわっちゃたんですね。


そうすると病と死というのは本当に敗残なんですね。




そういうのが60年代、70年代と燃え盛ってきたし、日本も60年代からそうなっています。


ですから、昭和一桁で商社で張り切っているおじさんたちにとっては、死者は敗者なんです。


だから認めないし、無縁だと思っているわけです。


それを藤原新也という死体ばかり写している写真家が、「日曜美術館」でヒロエニスム・ボッシュを扱った時にコメントしているんですけれど、1960年代の安保闘争以降、日本も「死」を隠蔽し始めたというんです。




私はそれが果たしてそうなのかどうか、はっきりとはわかんないけれども、少なくとも「死」の隠蔽ということは、60年代から日本を完全に覆った


一つは核家族になって死者が出ない。


これはアリエスも言ってるけれども、幼児期における「死」との出会いというんは実に大事なんです。


まともなサイクルで人々が家族生活を営んでいるときには、子供が5、6歳の時に祖父母が死ぬ。


これがナチュラルなファミリーの系統樹の一番自然な形です。



時を経て、ここからざっと40年。


事態は変わっただろうか。


「死」の隠蔽は80年代ほどではなくなったし


「ターミナル(看取り)」も阿部さんの


随筆にある頃と比べれば、施設環境等も含め


身近にはなったように思う。


しかしそれは本質的な「死」や「病気」の理解が


進んだとはいえない気がする。


 


交流・交感 中世ヨーロッパ<ー>熊野(1984年)


対談相手:中上健次(作家)


 


異能者 から抜粋



阿部▼


賎民の成立なんて言うと話が固くなりますが、ヨーロッパの賎民の系譜をさかのぼってゆくと職業にゆきつくんですーーー人種やジプシーの問題もありますが。


その系譜をたどっていくと、13世紀までいわば共同体の中での異形者、異常な能力を持っていた人たちなんです。


例えば森に入ること自体が怖いことだった。


森にいって森番をやることが特別の能力を必要としていたわけです。


わたしは以前、そのあたりのことを十分にとらえていなかったので、共同体から排除されているがゆえに賎視されていたと考えていた。


しかしそれでは十分な説明になっていないのです。


もう一つ例をあげますと、今日の人間とは違って、中世の人々にとって水も畏怖の対象であって料理用の水と洪水の水とはそれぞれ異質なものだと考えていた。


当時は春の雪どけ水や夏の渇水というように川の水を調節できなかったので、川の水を調節して水車小屋で粉をひく粉ひきもやはり異能者だとみられた。


その中には私の問題もある。


死はわれわれが日常的に掌握出来る世界の外にあるわけで、墓掘り人は死者を外の世界(マクロコスモス)に送り出す力があるということで、やはり異能者とみられたわけです。




中上▼


異能者が中世ヨーロッパでは賤視されていくというのはすごく面白いと思う。


今の天皇を考えるとーーー天皇は賤視どころか貴種なわけですがーーー韓国では天皇と同じような神との媒介者になるものは決定的に賎民の中に入っていますよね。


その韓国社会を視る目で日本を見ると、日本社会は上と下がひっくり返っただけではないかという気がします。


日本の被差別部落になぜ異能者が集まるのか


あるいはなぜ異能者がいることによって常民から脇の方にやられ、あげくは部落を形成し賎民階級ができるのか


さらに場所(トポス)を形成しない以前に賎民がありえたのかという問題もあります。



賎民、とか、差別とかって


ほとんど意識してなかったのだけど


阿部さんの書を読むと考えさせられる。


今も根深くあるのだろうか、と今持って


当事者意識ゼロなんだけど。


 


ヨーロッパ、中世を知ることは


現代世界、日本を知ることになりそうだなあ


と思う物音ゼロの静かな早朝でした。