「後記」 から抜粋


この本は「小説新潮」に昭和54年(1979)より5年間ずつ連載されたグラビア「日本の作家」「往復書簡」「日本人の仕事場」の中から。


主に小説・文芸に深く関わる134人の方々を選び、それに柳美里氏を加えて構成した。


登場順は生年月日順とし、同誌に同時掲載されたそれぞれの作家の横顔を紹介する文章も再録した。


(中略)


1996年12月 篠山紀信



野上彌生子、宇野千代、井伏鱒二、井上靖、


埴谷雄高、水上勉、色川武大、


向田邦子(亡くなる四ヶ月前!)、


椎名誠、ビートたけし、村上春樹、


吉本ばななさん達、他。


中上健次さんの写真が


色んな意味ですごい。


これは他の本


「RYU’S 倶楽部「仲間」ではなく友人として


:村上龍対談集(1997年)」で、


篠山さん・村上龍さんが対談しているのを


引いた方良いように思う。


この写真集をネタに2人で話し合っておられる。



■篠山


出たね、中上健次。


■村上


うーん…(また感慨深げ)。


■篠山


こうやって生年月日順に見てると、相当この人は若いわけだよ。


もう終わりの方なんだから。


だけど、やっぱり死んじゃうんだよね、早く。


才能というのは、ずっと生きていて何も書かないでダラダラと生きているやつもいれば、こんなふうに溢れる才能で書きまくって突然パッと亡くなっちゃうのもいる。


中上健次なんか、そういう意味で早死にだよね。


それと、生き急いでいたんだもの。


なんか、ソウルに一緒に行ったんだよ。


その時も、顔、真っ黒だったよ。


■村上


毒を飲むようなところがあったしね。


■篠山


なんにも体にいいことしなかったもの、彼は。


■村上


(生原稿の文字の羅列のアップを見て)すごいね。


■篠山


コクヨの集計用紙に書くんだよね。


これ一枚で、400字詰め原稿用紙を6枚超える量らしい。


■村上


すごい写真だね、しかし。


■篠山


この時、本邦初公開だったんだよ、コクヨを見せたのは。



象形文字のような迫力で圧倒されます。


これはテキストでは、本当に伝わらない。


写真を見れば一瞬でわかる。


それから、島田雅彦さんの写真に


添えてある、村上龍さんの文章



遅れてきた理由 村上龍


 


さあ島田雅彦のことを書こう、と思って、こうやって原稿用紙に向かってみて彼のことを何も知らないのに気がついた。


もちろん著作は読んでいるし、私の映画「トパーズ」に出演して貰った関係で、よく話もしている。


だが、当たり前のことだが、一緒にメシを食いながらの話は、抽象的なものになってしまう。


二人ともテレ屋なのでしょうがない。


「実は、ぼくは~~の生まれで、~~の頃から、~~的なところがあって、今も~~なんですよ」みたいなことは一切言わない。


島田君に関して、最も印象に残っていることがある。


もう2年前になるが、「トパーズ」クランク・イン万歳というパーティをやった。


ドン・ペリニョンを15本くらい空けて。


実はそのパーティの席で、私は「映画に出てほしい」と正式にお願いしたのだった。


伝え聞く少人数のスタッフとシステムを徹底させること、プロモーションには協力しないこと、役作りでは自分の考えも入れてくれること、三つの条件で、島田君はOKしてくれた。


「ボクは彼の才能を愛している、君らもそうだと思う、だからボクは出演する、最高に変態的な映画を作ろうじゃないか」


というスピーチまで披露してくれた。


だが、奇妙に印象に残っていることというのは、島田君が、そのパーティに遅れてきた理由だ。


パーティ会場に入る前に、私達はそのホテルのバーで待ち合わせていたが、彼は一時間も遅刻した。


遅れてきた彼は、


「親類に子供が生まれて、とても可愛かったので、じっと見てたり、触ったりしてるうちに、遅れてしまいました」


と言ったのである。


奇妙だが、納得できる理由だった。



抽象的・その逆な表現が面白かった。


仕事に関係してないから、不要ってことなのかな。


それはさておき


「トパーズ」は強烈だった。


映画も小説も。


こういうことが今東京の片隅で、


行われているというカルチャーショックというか。


20代だった自分はまるで外国人の


ように反応してしまった。


外国人と「トパーズ」について


話したことないから推測だけど。


余談だけれど、村上さんはこの数年あと


映画「KYOKO」を撮るんだけど、


それで自分の手法を確立できたみたいなことを


おっしゃっていたけれど、そのきっかけが


映画「トパーズ」だったんじゃないかな


と思うんだけど。


なんとなくそれが当時、自分も、


勝手に嬉しかったのを覚えてる。


「映画とは」「売れるためには」みたいな


メソッドで、押し込んでくる


抵抗勢力から逃れられたのかなと。


うまく表現できませんけれど。