バイオ・ゲノムを読む事典



  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社

  • 発売日: 2004/02/20

  • メディア: 単行本



編集者によるまえがき

から抜粋



今から半世紀前の1953年、ワトソンとクリックが遺伝子の本体であるDNAの二重らせん構造モデルを発表しました。


遺伝現象が、分子のレベルで説明できたのです。


これ以後、バイオの世界はDNAを基幹に発展してきたと言っても良いでしょう。


1960年代には、生命現象を分子の言葉で語る分子生物学が誕生しました。


そして、1973年にコーエンとボイヤーにより遺伝子組み換え技術の基本となる特許が出願されました。


人類は遺伝子を操作する手段を手に入れたのです。


この技術により1979年には、ヒト・インシュリンが生産されました。


そして1982年、遺伝子組換え医薬品の市販が米国で認められました。


科学的事実の発見から、基本技術の確立まで四半世紀、事業化までは30年程かかったことになります。




1985年には、ヒトゲノムDNAの30億に及ぶ塩基配列(シーケンス)を解読するというヒトゲノムプロジェクトが提案されました。


当時は、巨大科学への研究資金投入について賛否の議論が巻き起こりました。


しかし2000年、想定していたよりも早く、概要解読結果が発表されています。


その背景には、国際共同プロジェクトチームのみでなく、クレイグ・ベンダーが1998年に設立したベンチャー企業セレラ・ジェノミクス社との競合があったことは今や広く知られています。




21世紀に入ってポストゲノムシークエンスの時代となり、遺伝子の機能解析やタンパク質の構造・機能解析に力が注がれています。


これらの研究の先には、遺伝的に規定された個人の体質に合ったオーダーメイド医療など医療の進歩・革新を始めとして人類への計り知れない恩恵が期待されています。




日本における産業としてみた場合、遺伝子組換え技術等いわゆるニューバイオ産業の市場は1兆数千億円程度であり、まだまだ、これからの産業であると言えます。


ただし、従来型のバイオテクノロジーや周辺分野の発展も含めて、バイオマス、機能性食品、バイオ研究ツール、バイオインフォマティクス等産業の幅は確実に広がっています。




バイオテクノロジー・ゲノム科学の進展は、一方で、生命倫理の面や環境・安全面でも大きな問題を投げかけている点を見逃すことはできません。




例えば、個人の遺伝情報の保護や遺伝子診断、クローン動物作製などES細胞を用いた再生医療の研究のあり方、遺伝子組換え作物(GMO)やバイオ施設の社会的受容性などの問題が議論されています。




これらの課題は、いまや一部の科学者や産業界の企業家のみに課せられているわけではありません。


人類の未来を創るためにも、私たちはバイオ(生命科学)についての知識と見識を持たなければならないと思います。



III バイオテクノロジーと生命倫理


生命倫理と国際的対応


(米本昌平)


から抜粋



21世紀の生命倫理の課題は、国際的な基準の確立である。


先進国間にも基準の不統一があるし、南北間にはこれまでには本格的にはとりあげられていない価値観の段差がある。


生命倫理の問題一般に対して、米国社会は、技術使用は原則自由とし自己責任とプライバシー原理によって本人の選択に委ねようとしているのに対して、欧州社会は普遍的価値感を確立させようとしている。




ユネスコ本部はパリにあることもあって、ヒトゲノム宣言は主にフランスの立法官僚の影響下で作成された。


冷戦時代に米国と英国が脱退したままであり、日本はユネスコの経費の4割近く出す最大拠出国なのだが、宣言の作成にはほとんど関与できていない




ヒトゲノム宣言の重要な側面は南北間の協力がうたわれていることである。


生物多様性でもヒトゲノムの多様性でも、発展途上国は一方的に資源を供給する側で、これを元に北側が研究活動とその産物である特許を独占し、南側に売りつけることに不満が生まれている。


これはbiopiracy(生物資源収奪)と呼ばれる。


ヒトゲノム研究の国際調整組織、HUGO(ヒトゲノム機構)の倫理委員会は、ヒトゲノムの研究から未来世代を含めたあらゆる人たちが基本的な保健福祉を受けられるよう、商業開発に成功した企業が1〜3%を拠出することを提案している。




さらにヒトゲノム宣言は、ヒトクローンの禁止にも言及している。


欧州連合(EU)や世界保健機関(WHO)も、ヒトクローンの作製禁止を表明しており、この問題については強制力を持った国際禁止条約の作成に向けた提案もされている。


さらに、軍事利用の禁止や知的所有権など国際的に対応しなくてはならない課題は多い。



東日本大震災も、iPS細胞も、


EU統一からのイギリス離脱も、


コロナのパンデミックも、


ウクライナ侵攻も、


イスラエル・パレスチナ戦争も


経験していない世界だった頃の


バイオ・ゲノムの書で平易にかかれていて


市井の人間にも比較的読みやすいものだけど


科学と無縁な自分が読んでもなあ、とか


だからこそ読むんじゃ、とか思ったり。


それはそれとしてこの書で


倫理を担当されている米本昌平先生の使う


「南北」という表現がとても違和感あり、


具体的には何を指すのか気になった。


なんとなくわかるとはいえ。


それだけにとどまらず、米本先生の


お考え自体気になり何冊か米本先生名義の


書籍を購入してしまった次第でございますが


そもそも倫理という枠で括って良いのかすら


よくわかっておりませんで、過日読んだ書


併せての新たなテーマに遭遇してしまった


感のある午前5時起床での仕事だった本日は


すでに眠くなってきたのでございます。