柳澤桂子―生命科学者からのおくりもの KAWADE夢ムック (KAWADE夢ムック 文藝別冊)



  • 出版社/メーカー: 河出書房新社

  • 発売日: 2001/01/01

  • メディア: ムック



父のこと から抜粋


父は毎朝、私たちと同じ頃起き、洗顔を済ませて、パンを焼く係であった。


その頃トースターもなく、おそらく毎朝パン食をする家も少なかったのではなかろうか。


母が七輪に火をおこすと、お湯などを沸かして、火が少し柔らかくなったところで、網をのせてパンを並べ、それを監視するのが父の役目であった。


ところが、じっと七輪の前に座って、パンが燃えて煙がたちのぼっても、父は気が付かないのである。


お勝手から母が


「お父様、パンが燃えているではありませんか」


と怒鳴るとはっと我に返る。




こんなにぼんやりした父であったが、部屋の増築で力を見せたように、決してぼんやりばかりしていたのではない。


人の心を見抜くことはすばやく、母の目はごまかせても、父の目はごまかせないということを私は知っていた。


無口であるから何も言わないが、ちゃんと分かっているという感触を私は何度も持った。


父の後ろへ近づいてもすべて見透かされるような恐ろしさを感じていた。


また、父の記憶力は群を抜いていた。


自分を基準に考えるから、他の人が何かを覚えていない時には、それが不思議でしょうがないらしかった。




父は人の上に立ったりすることは大嫌いなので、長のつく仕事は引き受けたことがなかったか、誰も頼んでくれなかったのであろう。


研究一筋という感じであった。


教授会などというものは大嫌いで、時間の無駄としか思っていなかった


会の途中で窓から逃げ出したという話がどこからともなく、私の耳に入ってきたが、ほんとうにあったことかどうかはわからない。




ある時おなじ遺伝学者である夫が、父といっしょに学会に行った。


向こうから、誰かが近寄ってきて、「先生ご無沙汰しております」というような挨拶をした。


父は「やあ、ほんとに久しぶりですね。お元気ですか」といかにも懐かしそうな挨拶を返した。


その人と長いこと話をした。


その人が去ってから、夫が「今のは誰ですか」と聞くと、父は「さあ、知らないね」と答えたという。



お父様のことだけを書かれた小説形式の文章。


若干読みにくいというか、制作途中ではなかろうか


音楽で言えばデモの段階のような気がしたのは


単に言いたいだけでした。


言うまでもないけれど柳澤先生の他の文章は


美しいゆえに、それを感じてしまった。


それは置いておいて、お父様が柳澤桂子先生に


与えた影響は計り知れない。


研究以外は興味がなかったことがよく分かる。


権威とも無縁、悪い意味の忖度とかへつらいとかが


目についてしまう性質の方だったのだろうと


察せられるし、服にも関心がなくて


周りの人が困っていたと。


そこまでじゃあないにせよ、誠に僭越ながら


自分も比較的その手の人種なのでございますが


知性の量が違いすぎて見えない高さに


おられる事は娘さんである柳澤桂子先生を


見れば見えないけれど、わかる。




ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。 (14歳の世渡り術)



  • 出版社/メーカー: 河出書房新社

  • 発売日: 2012/05/19

  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




私の一生をきめた本


『棘のないサボテン』高梨菊二郎著(1946年)


柳澤桂子



私はどうも変な子供だったようです。


私が生まれたのは昭和13(1938)年。


昭和20年にようやく戦争が終わりましたが、戦後の方が、食べるものがありませんでした。


小学校2年生、敗戦の年のクリスマス。


ご馳走はないけれど家族で小さいもみの木に飾りをつけて、クリスマスツリーにしました。


弟も私も翌朝が待ち遠しくて、早くに目を覚まして枕元を見ると、くつ下のなかに何かが入っていました。


表紙は白紙に赤と緑の枠で縁どられた、『棘のないサボテン』という本でした。


物がない時代だけれどぜひ読ませたいと、父親が苦労したのでしょう。




父は、キク科の植物の生殖細胞がどのような染色体構成のゲノムを持っているか、ということを研究していた植物学者で、風変わりでしたが、私とどこか気の合うユニークな人でした。




この本を読んで身体が震えるほど感動しました。


その本が私の一生を決めたのです。




それまでも生き物には関心がありました。


折れた葦がどうして痛がらないのかが不思議で、今に泣き出すんじゃないかと日が暮れるまで眺めていたこともありました。


蜘蛛のお腹の中身が知りたくて、石をぶつけてつぶし、それを確かめてスケッチしたり。


『アリとキリギリス』を読んで、アリの巣には暖炉があると信じ込んで、見たくて見たくて。


それさえ知れれば死んでもいいと思っていました。




高校では生物クラブもありましたが、単なる解剖なんかには興味がなかった。


もっとその背景にあるダイナミックな、生命の不思議な摂理に心を掴まれていました。




年を重ねて学問が進み、やがて生命科学を研究するようになりましたが、はじめは誰もがそうであるように、お花が綺麗とか、アリはどうやって生きているのだろう、という素朴な不思議からでした。



お父様の影響で生命科学者になられたのは


運命の一冊でもよくわかります。


それだけではなく、他の著書と合わせて


その後の桂子先生の身に起きたこと、


病からの長期療養で仕事を失い、


サイエンスライターになられた


という人生は、言葉にできそうにない


不思議な”縁”を感じずにはいられない。


”仕事”とか”人生”というのは


本人の意思ではどうにもできないことというのは


往々にしてあるというと生意気に


聞こえるかもしれないがそうとしか思えない。


昨日、山中伸弥先生のNHKの番組を見ていたら


山中先生が遺伝子の万能細胞について


迷われている時期にとある講演終了後


植物学者の別の先生から


「植物はすべて万能細胞ですよ」と


言われ、目から鱗、iPS細胞への弾みが加速。


そこから連想したのは、過日読んだ柳澤先生の


”交感神経と副交感神経”と


”動物と植物”のエピソード


あまりそこに関連はないのかもしれないけれど


お二人の先生の話は深く、もしも対談されてたら


きっと興味深いものだったろうなあ、と


思ってしまったりした日差しの強い


如月も下旬の休日、お風呂とトイレ掃除


終わりましたので昼食を作る時間でございます。